第7話 初めてのデート

日曜日、僕は待ち合わせ場所であるマルチ前に向かっていた。


マルチとは、地元のターミナル駅の地下道にある情報掲示板モニターのことで、友達の間では通称“マルチ”と呼んでいた。

生まれて初めてのデート(の練習?)だ。


僕は焦っていた。


男は待たせてはいけない・・・と思い、かなり余裕をもって家は出た。

しかし、途中で電車の車両故障があり、時間ギリギリになってしまったのだ。


 ――ヤバイ・・・間に合うかな?


女の子と待ち合わせなんて生まれて初めてのことなので本来は緊張しまくりのところなのだろうが、おかげでそんな余裕すら無かった。


ホームの階段を駆け足で昇る。

僕は待ち合わせ時間より五分ほど遅れてようやくマルチに着いた。


 ――少し遅れちゃったな・・・彼女もう待ってるだろうな?


この場所はいわゆる定番の待ち合わせ場所になっていて、休日ということもあり、すでに待ち合わせの人で溢れていた。


彼女の姿を捜すが、なかなか見つからない。


 ――あれ? まさか帰っちゃった? まだ五分遅れだよな・・・。


情けなくオロオロしている自分の背後から声が聞こえる。

「ごめーん、遅れちゃって。待った?」


彼女は青いワンピース姿でひょこんと僕の目の前に現れた。

その姿はいつもの学校の制服とは全く印象が違うもので、一瞬誰だか分からなかったほどだ。

女の子って服でこうもイメージが変わるものなのだろうか。

青がとても似合っていて、率直に可愛いと思ってしまった。


「あ、ごめんね。僕も遅れちゃって、ちょうど今来たところなんだ」

僕は彼女を待たせなかったことに取り敢えずホッとした。


「よかった。あ、どう? この服。先週買ったばかりなんだ」

「ああ・・・いいんじゃないのかな」

「なあに、そのアメーバみたいな無機質な反応・・・」


僕の返答がいいかげんに聞こえたのだろうか。

彼女は少し膨れっ面になった。

決していいかげんに答えたわけではない。

気の利いた回答をするポテンシャルが無いのだ。


「あ、ごめんね。可愛くないっていうんじゃなくて・・・そもそも僕には服のセンスが無いから、いいとも悪いとも判断つかないんだ。あとそれにアメーバは有機物だから・・あ、ごめん。何かまたつまんないこと言ってるよね僕・・・」


取り繕おうとすればするほど深みにはまっていく感じだ。

所詮、僕に上手うまいセリフが言えないのは分かっていた。


離滅裂な反応をする僕を見て何かのツボにはまったのだろうか。

彼女はケラケラと笑い出した。


「相変わらずおもしろいね君。まあいいか、今日は練習だしね。

どこ行こうか? なんかリクエストある?」


「あの・・・鈴鹿さんが行きたいところでいいよ」

僕はデートをエスコートをする技量を持ち合わせてなかった。


「んーそうだな。お魚とか見たいかな」

「え? 魚・・・魚市場とか?」

彼女はきょとんとした顔で僕を見た。


「ごめん、今、笑うところ?」

彼女はまたケラケラと笑い出した。


「やっぱり君、おもしろいよ」


ここのショッピングセンターには水族館が併設されており、僕たちはそこに行くことになった。

水族館なんて小学校の遠足以来だ。


数年ぶりに入る水族館は、小学校の時に入ったイメージとかなり変わっていた。

何よりも、みんなおしゃれに作ってある。


 ――すごい。確かにデートコースにはピッタリだな。

そう思いながら初めて女の子と二人で歩く緊張感におどおどしていた。


色鮮やかな熱帯魚やちょっと気味が悪いけど珍しい深海魚、食べる以外にあまり魚に興味がなかった僕でもけっこう楽しめるところだ。


「ねえ、見て見て。クラゲだって。綺麗だね!」

彼女が目を輝かせながら言った。

確かに綺麗だった。そもそも水族館にクラゲがいること自体が意外だった。

クラゲって気持ち悪いイメージがあったのだがこんなに綺麗だったとは驚いた。


「本当、綺麗だね。クラゲってなんかのんびりしていて羨ましいな」

「どういう意味?」

何気なく意味もなく言ったセリフに突っ込まれた僕は言葉に詰まった。


「いや・・・なんか何も考えずボーっと浮いているだけみたいな感じがするから」

「クラゲはクラゲでいろいろと悩みがあるかもよ、きっと・・・」

彼女は笑いながら言った。


確かにそうだ。

そう、見た目で判断するのは僕の嫌いなことだった。

彼女のさりげない大人のツッコミは僕の心に突き刺さった。


「わー見て見て! ペンギンさんだよ。かっわいー!」

彼女の目がさらに輝き出したのが分かる。


「私ね、ペンギンって大好きなんだ」

「へえ、どうして?」

「ペンギンってさ、鳥なのに飛べないでしょ。だけどその分パタパタッと一所懸命に動いて、がんばってるーって感じがして、そこがすっごく可愛いくて好きなの」


「ダチョウや鶏も飛べないし、その分がんばって動いてるよね? やっぱり可愛いかな?」


「なんか君とは話が合わない気がしてきたよ」

僕の回答が気に食わなかったのか、彼女から横目で睨まれた。


「だから言ったでしょ。僕と話してもつまんないって」

僕はなぜかしらエラそうにそう答えた。


「わー見て見て可愛い! 何だろう、この小さい魚さん」

「ああ、これはシラスだね」

「えー、シラス? じゃあ、これがちりめんじゃこになるの?」

「鈴鹿さんは発想の方向がユニークだね・・・」


僕としては純粋に褒めたつもりだったのだが、彼女には皮肉に聞こえたのだろうか。また横眼で睨まれた。

「あ、本当だ。ここに書いてある。シラスがイワシになるまでって・・・

ええ? シラスって大きくなるとイワシになるのお???」


「知らなかったの?」

「知らなかったよ、びっくりだあ。ブリとハマチが一緒くらいは知ってるけどさ。いやあ、長生きするもんだね」


まだ高校生だろう、と言おうと思ったが、また睨まれそうなので言うのを止めた。


「ちなみにブロッコリーとカリフラワーが同じ植物だって知ってる?」

彼女の大きい目がさらに大きく開いた。

「うそおー・・・・・知らない・・・かった」


「おたまじゃくしが大きくなるとカエルになるのは知ってる?」

「ひょっとしてバカにしてるの、私のこと・・・」


彼女の顔が般若に変わりかけている。


 ――やっぱり、これは言ってはいけなかったのか。


女の子とのコミュニケーションが極端に少ない僕は、会話の塩梅の感覚がない。


「もしかして・・・イルカが大きくなったのがクジラだったり・・・する?」


今度は子供が母親に叱られる前のような怯えた不安な顔になった。

僕はそんな彼女の素直さを急にに愛おしく感じた。


「あれ? 私、もしかして変なこと言っちゃってる?」


「いいや、鈴鹿さんの言うことは間違いではないよ。イルカという種目はクジラの一種だからね。つまりイルカとクジラは動物の種としては全く同じものなんだよ。

差は大きさが違うだけ。でもその大きさの基準も曖昧なんだ。だからイルカがクジラになるという表現は間違いではないと思う」


―あ、まずい。またやっちゃった・・・。


またエラそうに理屈っぽく講釈を垂れている自分に気づき、ハッとなった。

「ごめんね。またつまんないこと喋ってるね、僕」

「ううん、そんなことないよ。ずっと思ってたけど、君って頭いいんだね。私バカだからさ」

「なに言ってんの。みんな同じ試験をパスしてこの高校に入ったんじゃない」

「私さ、中学の時は学校全然行かなくて勉強もしてなかったから、メチャ成績悪かったんだよ。その時は特に行きたい高校も無かったしね」


確かに彼女にはそんなイメージを感じていた。


「でも三年になった時に友達に付き合ってウチの高校に学校見学に来たんだ。

そしたら制服は超可愛いし、キャンパスもメッチャ綺麗だし、絶対この学校に入って青春したいって思ったの。でもその時の私の成績では全然駄目だって言われた。だからそれからは本当に一所懸命勉強したんだよ。そしたら奇跡的に受かっちゃったんだ。けどマグレで受かったもんだから、勉強がついていくのが大変なんだ」


 ――そんなにがんばって勉強したんだ。


いつも遊んでいる雰囲気がする彼女にちょっと意外な感じを受けた。

彼女の別の顔が少し見えたような気がした。


僕たちは水族館を出たあと、ショッピングモール内をぶらぶらと歩きながらまわった。

彼女はある雑貨ショップに興味が湧いたようで、僕の手を引っ張り店の中に入った。


「見て見て! この日記帳可愛いと思わない? これ買っちゃおっかな」

彼女が見つけたのは花柄でベルト式の鍵が付いた日記帳だった。


「鈴鹿さん、日記つけてるんだ」

「ううん。私、文章書くの苦手だから」

彼女は当たり前のように首を横に振った。


「じゃあ、なんで日記帳なんか買うの?」

「なんでって・・・可愛いからだよ」


「そういう・・・もんなの?」

「そういうもんだよ。女の子の買い物なんて」

「ふーん・・・そういうもんなんだ・・・」

理解し難い女の子の買い物感覚に対し、僕は違和感よりも新鮮さを感じた。


買い物をしたあとはまたショッピングモール内をぶらついた。

午後になると、家族連れやカップルで徐々に人が増えて賑わってきた。


「なんか喉乾かない? 喋りすぎたせいかな。何か飲んでいこうよ」

僕はすぐ賛成した。確かに喉がカラカラだった。

僕の場合は喋ることより緊張が主な原因だったかもしれないが。


僕たちはショッピングセンター内にあるアメリカンスタイルのカフェに入った。


僕はこういうカウンターで注文するスタイルの店が苦手だった。

誰かに後ろに並ばれたり、横で見られたりするとプレッシャーを感じてしまい、ゆっくりメニューを選ぶということができなくなるのだ。


僕は無難にアイスコーヒーを注文する。

彼女は小慣れたようにナントカという長いカタカナ文字の飲み物を注文していた。詳細は分からないが女子向けの甘い飲み物だということは名前から推測できた。


品物を受け取ると、店の奥に入って席を探した。

店内は買い物客がちょうど休憩に入るタイミングのようで混み合っていたが、運よく窓際のカウンター席がふたつ空いていたので僕たちはそこに並んで座った。


女の子と横並びで座ってお茶を飲むなんてことは生まれて初めてのことだったので、僕は舞い上がっていた。

テーブルに向かい合って座るのとは全く距離感が違った。

横を向くと彼女の吐息さえ感じられる。


彼女に心臓の鼓動が漏れないように精一杯平然を装おうとしたが、多分駄目だったかもしれない。


 ――何か話さないと・・・。


そう思えば思うほど焦って気持ちが空回りする。

すると彼女のほうから質問をしてきてくれた 。


「君さ、交換日記ってしたことある?」

「あの・・・『女の子と』って意味かな?」

「ごめん! 男子とならあるの?」


元々大きい彼女の目がさらに大きくなり、疑うような顔で僕を見つめた。

「ああ、いや。どっちも無いよ。女の子と付き合ったことも無いのに。

あの・・・鈴鹿さんは?」

「よかった。君、そっちの方面の人かと思ったよ。うん。私も交換日記は無いかな。私あんまり文章力無いし。本当は文章を書くより絵を描くほうが好きなんだけど。でもね、好きな男の子と交換日記って昔から憧れてたんだ」


「今時、交換日記なんてする人なんていないんじゃないの? 僕らの両親の時代ならけっこうあったみたいだけど・・・今はラインとかメールがあるし」

「んもう、分かってないなあ。自分の字で心を込めて書くから気持ちが伝わるってもんなの。それに日記帳なら紙に書くから言葉がずっと残るでしょう?」


「気持ちだけが伝われば、わざわざ言葉を字にしなくてもいいんじゃない?」

「女の子はねえ、気持ちだけじゃなく言葉を形にして残したいの」


「そうかな。言葉を字にしたって、その言葉が嘘だったらしょうがないんじゃないの?」

「たとえ嘘でもいいから言葉が欲しいの。そういうものなの」


「嘘でもいいの?」

「嘘でもさ、その人のことを本当に想っての嘘だったらいいんじゃないのかな」


「そういう・・・もんなの?」

「そういうもんだよ」


 ――そういうもん・・・なんだ。


僕は心の中で呟いた。

女の子とまともに話をしたことのない僕にとって、彼女との会話は新鮮なことばかりだった。


「ねえ、私と交換日記しない?」

「え?・・・・僕と?」


 ――またこれもどういうつもりで言ってるのかな・・・。


「だってせっかく可愛い日記帳買ったしさ。えー、私とじゃ嫌なの?」

「いや、あの嫌ってわけではないんだけど、実は僕も日記なんてつけたことないんだよね。文章を書くのすごい苦手だし。変に理屈っぽくなっちゃうんだ」

そう、僕は日記はおろか手紙すらほとんど書いた記憶がない。


「そうか・・・。そういえばさ、交換日記って、やってた男女が別れたらどっちが持っていくのかな? 一冊しかないもんね」

「よくそういう疑問が湧いてくるね、関心するよ。

んーそうだね・・・別れたら捨てちゃうんじゃないの?」


「えーそれって寂しくない? もしかしたらさ、1ページ1ページ千切って、自分の書いたほうをお互い回収するとか・・・」

理解に苦しむ発想に僕は何も答えられず、目を細めながら彼女を見つめた。


「あー、君、今くっだらねーとか思ったでしょ!」

彼女は決めつける癖があるようだ。

でも見事にその通りだった。

本当に彼女は僕の心をよく見透かす。


「ねえ。君が好きなクラスメートって、誰?」

いきなり話題変えて振ってくるのも、どうも彼女の癖らしい。

しかもグイグイと顔を近づけて迫ってくる。


「いやごめん・・・いきなりそんなこと訊かれても・・・」

当然、僕は焦って答えることなんてできない。


「いいじゃない、教えてよ。誰にも言わないよ。大体、私クラス違うし」


僕は考えた。でも本当に答えに困った。

気になる子がいるにはいたのだが、その子はクラスメートではなかったからだ。


「じゃあ。誰にも言わないでよ」

僕は、その子の変わりにクラスの中で一番人気のある女子の名前を挙げた。


正直、僕はその一番人気の子に対して『好き』という感情は全く持ってなかった。

しかし、誰の名前も挙げないと彼女の追及がめんどくさくなりそうだったので、つい好きでもない子の名前を挙げてしまったのだ。


「あー知ってるよ。長い髪の子だよね。美術クラス一緒だし。そっかー、ああいう子が好みなんだ。確かにあの子美人だし、男子に人気ありそうだね」

「でしょ。僕なんて全然相手にされないよ」

「んーそんなことないと思うよ。女の子ってけっこう積極的な男子に弱いからチャンスあるかも」

「だったら尚更だよ。僕は消極男子のクラス代表だよ」

「フフッ、いつ選挙があったの? 私も投票したかったな」


彼女はまたケラケラと笑い出した。

本当によく笑う。いや、笑い過ぎだ。


「ねえ、もしも・・・もしもだよ。

私が君を好きだって言ったら・・・どうする?」


「え???」


女の子から生まれて初めて言われるセリフだ。

僕は彼女のほうをまともに見れなかった。


「なーんてね!」

「え?・・・」


 ――ちょっと・・・もしかして冗談?


「フフ、ごめんごめん。冗談だよ。でもね、こんな感じで『もしも』の話を持ち出したセリフを女の子から言われた時は、そこにその子の本音があるから、憶えておいたほうがいいよ」


「ごめんね。こういう冗談、勘弁してくれる。こういうの慣れてないんだ・・」

「慣れてないから練習の意味があるんじゃない?」


 ――正論だ。


恥ずかしかった。

でも、この恥ずかしさのおかげで僕は開き直った。


「鈴鹿さんは? 付き合ってる人とか好きな男子とかいるの?」

以前の僕ならこんなこと絶対に訊けなかっただろう。

よく言った、と自分で思った。


「おお!反撃にきたね」

僕の鋭いと思った質問に対し、彼女はなぜか嬉しそうな反応をした。

でも、そのあと急に困った顔になり、そして唸りだした。

「うーん・・・・」


とぼけているのだろうか。

僕はさらに思い切って核心に迫った。


「あのサッカー部の? 武田君っていったっけ? 彼は?」

「ああ、克也ね!」

思い出したような彼女の答え方にわざとらしさが見えた。

誤魔化してる感は否めない。


「そうだね。彼はけっこうイケメンだし、スポーツマンだし、女子としては一番彼氏にしたいタイプかもしれないね」


 ――付き合ってるの?


そう言いたかったがこれは声にならなかった。

これ以上つっこんで訊く度胸は持ち合わせてなかった。


「ねえ、その子に告白してみなよ。私、応援してあげる」

「だから僕にはそんな度胸無いって」

「ああ・・もしかしたらフラれるのを、怖いとか、かっこ悪いとか思ってない?」


「そりゃだれだって・・・そう思うでしょ?」

「そんなことないよ。何も行動しないでそのまま終わるよりも、たとえ駄目だったとしても行動しないと。たった一度の短い人生だよ。もっと積極的に行かなきゃ」


僕は彼女の言葉に少しイラッときた。

結局、彼女は気の弱い僕をからかっているんだ。


「別にいいよ。もともと僕は積極的な性格じゃないし、なろうとも思わない」


それは嘘だった。

彼女のような積極的な性格に本当は憧れてた。

そうなりたいと思っていた。

でも、どうせそんな風にはなれないと思い込んでいる自分が自分に嘘をつかせた。


「大体さ、鈴鹿さんは何でそんなこと僕に言うの?」

僕の声のトーンが無意識に大きくなっていた。


「んー。君っていつも一所懸命だから、応援したくなっちゃうから・・・かな?」


なぜだろう。僕の心の中がイライラ感に覆われてくる。


彼女の言動のせいだろうか。

もしくは昨日の彼の言った言葉のせいだろうか。

自分の感情のコントロールが利かなくなっていた。

こんなこと初めてだった。


「もういいよ!」

僕は吐き捨てたように叫んだ。


「どうしたの? 名倉くん」

彼女はその声の大きさにびっくりする。


「鈴鹿さんはさ、内気で恋愛下手の僕をおもしろがっているだけでしょ?」


「そんなことないよ。名倉くん、何でそんなこと言うの?」

彼女は僕の感情の高ぶりに戸惑っていた。


僕自身、なぜこんなに感情的になってしまっているのか分からなかった。

でも一度崩れた僕の感情は抑えられない。


「大体、僕が誰を好きになろうが、告白しようがしまいが、鈴鹿さんには関係ないでしょ! 鈴鹿さんはあちこちの男子と遊んで付き合ってるんだろうけど、僕は鈴鹿さんみたいに軽くないんだよ!」


「何? それ・・・」


彼女の声が急に強張った。


二人の間の空気が一瞬に張り詰めた。


 ――今、何を言ったんだ、僕は?


僕は後悔の念に駆られた。


 ――怒らせた? 彼女を・・・。


僕は、言ってはいけないことを言ってしまったんだと気づいた。


こんなことを言うつもりはなかった。

僕は彼女の顔を怖くて見ることができなかった。

かなり怒っているに違いない。


 ――どうしよう。謝らないと・・・。


「あ、あの、ごめ・・・」

「そんなふうに思ってたんだ! 私のこと・・・」


彼女の強い口調の声が僕の声を遮ぎった。


彼女はゆっくりと立ち上がった。


 ――怒鳴られる。


そう思った。

でも僕にはもう言葉が無かった。


「君だけは・・違うと思ってたのに・・・」


 ――え?


僕はびっくりした。

その呟くようなとても小さく悲しそうな彼女の声に。

彼女のこんな声を聞いたのは初めてだった。


 ―─早く、早く謝らないと・・・。


焦ってそう思った時、彼女はそのまま出口のほうへ早足で向かっていってしまった。

彼女の目が赤く潤んで見えた。


 ――涙?・・・。


それを見た時、僕は彼女を怒らせたのではなく、傷付けてしまったんだということに気がついた。


 ――最低だ・・・僕は。

今までに記憶に無いような猛烈な自己嫌悪感に僕は襲われた。


 ――僕は彼女に何を言ったんだ?


何であんなことを言ってしまったのか、僕自身も分からなかった。


僕は彼女の何を知っているというんだろう。

彼女のことなんてまだ何も知らないくせに。

他人ひとからの話だけを鵜呑みにして彼女のことを侮辱したんだ。


侮辱・・・それは僕が一番嫌いな行為だった。

人に侮辱されることよりも、人を侮辱することが何よりも嫌いだった。


僕は彼女を侮辱して傷付けたんだ。


僕はすぐに彼女のあとを追った。


店の外に出てまわりを見渡した。

でも、彼女の姿はすでに見えなくなっていた。


僕は店の前で一人呆然と立ち尽くした。

いつの間にか、あたりはすっかり暗くなっていた。

上着を店内に置いて出てきたせいだろうか、強い春風がとても冷たく感じた。


僕は一人で家に帰ってからも、頭の中は自己嫌悪でいっぱいだった。


彼女のあんな寂しく悲しい声は初めてだった。

僕はなぜあんなことを言ってしまったのだろうか。


このまま彼女との関係は終わってしまうのだろうか。

いや、関係といっても正式に付き合っていたわけではない。


このまま彼女に嫌われて、これっきりになってしまったとしても仕方がないことだった。


だけど、やはり僕は彼女に謝りたかった。

彼女を傷付けてしまったことを。


 ――そうだ。明日、学校で彼女に謝ろう。


そう決意し、僕は寝床に入った。

でもなかなか寝付けない。

時間が経つのが異様に長く感じられた。


早く明日にならないだろうか。

気ばかり焦った。


彼女に早く謝りたい。

そんなモヤモヤした焦る思いで体の中がいっぱいになっていた。


眠れなかった。

こんなに気分が悪い夜は記憶に無い。






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