第6話 デートの練習

三月も中旬に差し掛かると暖かい日と寒い日が交互にやってくるようになった。

僕はいつものように屋上の給水塔の上で文庫本を読んでいた。

彼女はいつも現れるわけではなかった。

まあ、気まぐれで気が向いたら来る程度なんだろう。


「ねえ、名倉くんはさ、彼女とかいるの?」


 ――え?


聞き覚えのある声の方に振り返る。

外階段の前に彼女が立っていた。


ここで会うのは三回目だろうか。

彼女が現れる時は、いつも突然に声を掛けてくるので心臓によくない。

でも、僕はそれを待っていたんだろう。


「いないよ。いるわけないよ」

相変わらずの彼女の突拍子も無い質問に対し、僕は素っ気なく答えた。

実際にいなかったのは事実だし、気の利いた答えも思い浮かばなかったから。


「いるわけない・・かどうかはよく分かんないけど、要はいないんだね。作らないの?」

彼女は気やすい感じで僕が座っている隣にチョコンと腰かけた。


「いればいいとは思うけどね。でも彼女って、作りたいと思って作れるもんでもないでしょ」

今日の僕はけっこう言葉がすんなり出てくる。


「でも女の子とデートくらいしたことあるでしょ?」


「・・・ないよ」

僕の言い方がちょっとつっけんどんになる。


「したいとか、思わないの?」

「そりゃあ、できれば楽しいと思うけど・・・」


 ――本当にどういうつもりで言ってるんだろ? 


やっぱり僕をからかってるんだろうか。

いつもの彼女のペースに僕は戸惑った。


「女の子を誘う勇気なんて僕には無いよ。誘って断られたらどうしよう、とかすぐ考えちゃうし。大体、僕とデートしたい子なんていないしね。仮に僕なんかとデートしてもつまんないと思うよ。おもしろい話とか全然できないし」

「君、自己否定すごいね。それじゃ、できるものもできないよ」


「できないもんだから、できないんだよ。自分のことは自分が一番よく分かってる。それに僕は女の子の前だと全然喋れなくなっちゃうんだ」


「自分のことを一番分かるのって、本当に自分なのかな? その人のいいところって、他人のほうが分かるってこともあると思うよ。それに今だってほら、喋ってんじゃん。私としっかり」


 ―――あれ? 本当だ。


僕は女の子と普通に喋っている自分に今更ながらびっくりしていた。


「でもさ、同じクラスに好きな子くらい、いるんでしょ?」

彼女はストレートでグイグイ攻めてきた。

でも、こういう場合にどう答えるのが正解なのかが僕には分からない。

ここはいわゆるノリで『いるよ』とか答えたほうが話が続くのだろうか。


僕には確かに好きになりかけている子がいた。

でもそれはクラスメートではなかった。


「まあ・・・いるには、いるけど」

僕はある意味で嘘をついた。


「なんだあ、いるんじゃん! その子に告白とかした?」

「いや、僕にはそんな度胸は無いよ。大体、声を掛けるって何を話していいか分からないし」

「分かった! 君に足りないのは経験と自信だよ。よし、じゃあ練習してみようよ」


「練習?・・・」

「うん。まずはデートしよう」


 ―――?


「何? デートって?」

「デート知らないの? 男の子と女の子が一緒に映画行ったり、ショッピングしたりするの」


 ―――やっぱり僕をからかっているようだ。


「ごめん。ひょっとして僕のことバカにしてる?」

僕はちょっとムッとした顔になる。


しかし、彼女は全く悪気が無さそうにきょとんとしていた。

からかっているわけではない。

これらはどうも本気で言っているようだ。

それはそれでムカつく話だ。


「あのデートって・・・いつ? 誰と?」

「今度の日曜日に・・・」

そう言いながら彼女は自分の顔を指さした。


「はあ?」

「だからあ、女の子と付き合う練習だって! きっと役にたつよ。じゃあ・・どこにしよっか?」

「あの・・・ごめんね、ちょっと待って。何が?」

「もう! 何がじゃないよお。待ち合わせの場所だよ! マルチ前でいいね」


彼女はだんだんとイライラした口ぶりになってくる。

いつの間にか僕が悪いような雰囲気になっていた。


「あの・・・ごめん。突然言われてもさ、僕にもつごう・・・」

「何時にする?」

「あの・・・何の・・・時間?」

「もう!  何のじゃないよお。待ち合わせの時間に決まってるじゃん!」

僕はもう何も言えない雰囲気になっていた。


「九時じゃちょっと早いか。十時でいいね」

「・・・・・・」


「どこ行こうか? シティパークとかがいいかな?」

「・・・・・・」


「君さあ、ずっと黙ってるけど、私の話、聞いてる?」

「それ僕のセリフ・・・」

「日曜日、晴れるといいね!」

彼女は僕の話を全く聞いていないようだった


昼休み終了の鐘が鳴った。

「あ。昼休み終わっちゃう。じゃあね。日曜日サボるなよ」


そう言うと、彼女は足早に階段を降りていった。


何だったのだろう、今のは。

気がつくと、全てが勝手に決められていた。

まるで台風が去っていったあとのような感覚で僕は一人でたたずんでいた。


彼女はいつもあんな感じでマイペースなのだろうか。

あの自分勝手さはB型に違いない、そう確信した。

大体、デートを『サボる』という表現は聞いたことがない。

それを言うなら『すっぽかす』だろう。

いや、正式なデートではなく、デートの練習という概念だからサボるという表現を使ったのか? なるほど・・・

 ―――いや違う!

僕は何を感心しているんだろう。

解決すべく問題はそんなことではないということに気づいた。


 ―――デート? 彼女と?

 

女の子と付き合った経験がない僕は、頭の中が錯乱していた。

 ―――これってデートに誘われたってこと?


物事に対し、いつも期待しない僕が何かを期待していた。

心の中がニヤけている。


いや違う。彼女には彼氏がいたんだ。

でも、そんな彼女が何で僕にデートの練習なんかを?・・・。

この答えを簡単に導けるほどの人生経験を僕は持っていなかった。

そんな疑問と格闘しながら僕は午後の授業に出るため教室へと向かった。


廊下を歩いていると、前方から男子生徒がこちらに向かって歩いてきた。

僕と同じライン上を歩いている。

このまま行くとぶつかってしまいそうだったので僕は右側に避けるように歩いた。

すると、その男子も僕と同じ方向に向かってくるではないか。


 ――え?


その男子は僕の行く手を塞ぐように目の前で立ち止まった。


 ――何? 僕、何かした? 別にガン見とかしてないし・・・。


僕は下に向いていた自分の目線を恐る恐るその男子の顔に向けた。

「あの君さ、鈴鹿のこと、好きなの?」


 ――え?


その男子の口から出てきた言葉は、僕が全く予期していなかったものだった。


クラスメートではなかった。けっこうイケメンで、活発そうな・・・そう僕とは真逆の『アクティブタイプ』の男子だ。

いかにも遊んでそうな感じだ。


 ――あれ? どこかで見たことが・・・。


そして思い出した。

そうだ。この前、中央公園の遊歩道で彼女と一緒に歩いてた男子生徒だ。


さっきまで浮かれていた僕の体は頭から冷や水を浴びせられたように急激に冷めていった。


僕はショックを受けると同時に『まずいな』と思った。

「君、最近ちょこちょこ屋上で咲季と二人で会ってるよね?」

今度は予想された内容のセリフだった。

しかも彼女の名前を呼び捨てにしている。 

やっぱり彼氏だったようだ。

さっきも見られていたんだろう。

僕に文句を言いに来たのだろうか。 


でも僕は彼女に対し、何をしたわけでもないからやましくはない。

しかし、言い訳を考えようにも何も言葉が出てこない。

僕がビクビクしながら黙っていると、男子生徒のほうから驚きの言葉が出てきた。


「かわいそうだから教えといてやるよ。あいつには気をつけな」


 ――え?


想定外の言葉に僕の口はぽっかり開いた。


「あいつ、どんな男にもホイホイついていくタイプで、とっかえひっかえ男と遊んでるから。中学の時もかなりグレてて一年留年してるって噂もあるし。お前、純情そうだから本気になって傷付きでもしたらかわいそうだから、教えといてやろうと思ってさ」


 ――男と遊んでる? グレてて留年? 彼女が・・・そんな・・・。


僕は愕然とした。


この彼は彼女と付き合ってるんじゃなかったのか・・・。


「いや、僕は別に、そういうつもりは・・・」

僕はそう答えるのが精一杯だった。。


そうなんだ。僕は彼女と付き合っているというわけではないし。


「そうか。ならいいんだけどさ。ま、そういうことだから気をつけな! 

じゃあな!」

そう言い残し、彼は去っていった。


彼の言葉は、恋愛に脆弱な僕を落ち込ませるには十分なものだった。


確かに、彼女については男遊びが多いという噂を聞いたことがあった。

でも、僕はそれをずっと無意識に否定していた。


そもそも、あんな可愛い子が僕を好きになるはずもなかった。

それによく考えたら、彼女から好きと言われたこともないし、当然付き合っているわけでもない。


僕はさっきまで浮かれていた自分にだんだんと腹が立ってきた。

付き合う? 

そもそも僕は女の子と付き合ったことが無いので、どこまでが友達で、どこからが付き合うっていうことなのか線引きすら分かっていなかった。


確かに彼女の近くにはいつも多くの男子がいた。

さっきの彼とも遊びのつもりで付き合ってるのか。

いや、さらに本命の彼氏が別にいるのかもしれない。


 ―――じゃあ、彼女はどういうつもりで僕を誘ったんだろう?


本当に僕を応援するためのデートの練習なのか。

でも、そもそも何で僕を応援してくれるのかが分からない。


やっぱり僕がめずらしいタイプなので興味本位の暇つぶしなのだろうか。


いろいろな考えが僕の頭の中を走馬灯のようにぐるぐる回っていた。


胸が苦しくなった。

切なくなった。


なぜだろう?


こうなることが嫌だったから、僕は今まで無意識に女の子を避けていたのかもしれない。


そうだった。

僕は思い出した。


そうやって僕は自分が傷付かないようにひっそり生きてきたんだ。


急に日曜日が気重になった。


でも行かないわけにはいかない。

約束は約束だから。


僕は気持ちがどん底の状態で初めてのデート(の練習?)に臨むことになった。




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