第5話 夢

「やあ、真面目くん・・じゃなくって名倉くんだったね」


 ――あれ?


びっくりしたのは言うまでもない。


昼休みの屋上の給水塔に久しぶりに現れた彼女は、前に逢った時と同じ眩しい笑顔だった。


三月に入ってもまだ寒い日が続いていた。

でもこの日は風も弱く、とても暖かく感じられる晴れた日だった。


僕の気持ちは、より複雑になった。

彼女に彼氏がいることが分かったため、もう変な期待を抱かないように忘れようと決めたばかりだった。


 ――どういうつもりなのかな?


やっぱり僕をからかっているのだろうか。もしくは暇つぶしか。

それならば、はっきり言って迷惑な話だ。


「あっ、もしかして私がいたら迷惑? 一人でのんびりしていたいのかな?」

「あ、いやごめんね。別に・・・」


迷惑っぽい顔がおもてに出てしまっていたのだろうか。

焦った僕は慌てて否定した。


「本当? よかった」

彼女から笑いがこぼれる。


僕は本当に優柔不断だ、何に対しても。


でも、また会えて嬉しいという気持ちはもちろんあった。

ただ、彼氏がいる彼女がどういうつもりで僕に話し掛けてくるのかが理解できず、中途半端なモヤモヤ感は拭えなかった。


「鈴鹿さんって、なんかいつも笑ってるね」

僕はめずらしく自分から声を掛けた。


「そう? 何、いつもヘラヘラしてるって意味? それってひどくない」

「あっ、ごめんね。そういう意味じゃないよ」

「ふふっ、そんなに慌てて謝んなくていいよ。別に怒ってないし」

彼女はくすっと小さく笑った。


僕は女の子とこういう会話のやりとりが苦手だった。

洒落た言葉が出てこない。


「君はいつも笑ってない・・・っていうよりいつも無表情だよね。もっと笑ったら?」

「意味も無く笑えないよ・・・」


「笑うとね、病気が逃げていくんだって」

「じゃあ、きっと病気は鈴鹿さんに近づけないね。僕はもともと病気にも女の子からも好かれてないから大丈夫かもしれない」

「何それ? 笑うところ?」

彼女はまた笑い出した。


今のっておもしろかったのだろうか。

それとも、あまりにもつまらないので笑ってるのだろうか。


僕にはそれすら理解できなかった。

笑いの感覚が人とズレているのだろう。


でも、彼女もそんな無邪気な笑顔は僕の心を不思議に心地よい気持ちにしてくれた。


「この前も話したけどさ、永遠に生きられたらいいって思ったことない?」

また彼女の突拍子もない質問攻勢が始まった。


「さあ。でも永遠に生きられないって分かってるから、みんな懸命に生きるんじゃないかな?」

僕は何を偉そうなことを言っているのだろうか。

僕自身が懸命に生きているって言える人間とは程遠いのに。

そう思いながら心の中で失笑した。


「うーん、なるほどね。ねえ、君は将来何になりたいとか、もう考えてたりする?」

「何でそんなこと訊くの?」

「いけない?」

「いや、いけなくはないけど・・・何でそんなこと訊きたいのかなぁって」

「知りたいから訊きたいんだよ。それって理由になってない?」

「理由にはなってる・・・とは思うけど。でも他人ひとに言えるほどのものではないよ」

「へえ。シャイなんだね君」

僕はからかわれたと思い、ちょっと嫌な感じになった。


「もしかしてさ、漫画家とか、小説家とかだったりする?」

僕はため息をつきながら驚いた。


「よく分かるね」

「アハ、やっぱりねぇ。君みたいなタイプはそうじゃないかなって。ずっと一人で小説読んでるし」


「まあ将来小説とか書ければいいなとは確かに思ってはいるけど・・・まあ作家になるのは夢っていうか憧れって感じかな」

「作家かあ。どうして作家になりたいの?」

「物語ってさ、読んだ人を冒険の世界や恋愛の世界、未来の世界、いろんな世界に連れてってくれるでしょ。今までに何度も僕を勇気づけたり感動させてくれた。僕も将来そんな風に大勢の人を楽しませる物語を書いてみたいと思ってるんだ」


彼女は黙って微笑みながら僕の顔を見つめていた。

僕はハッとなった。こんなこと他人に喋ったのは初めてだったから。

ましてや女の子に。


「ごめん。つまんないこと言ったね」

彼女は黙ったままゆっくり横に首を振った。


「いいと思うよ、すごく。ねえ、じゃあ私の小さいころからなりたかったものって、何だか分かる?」

「あ、いや、分かんないけど・・・」

会話が止まって、そのまま沈黙になった。


「うん。確かに君は会話能力に欠けてるね。それで終わったら話が途切れちゃうでしょ。こういう時は『えー、なに? 教えて!』って言うんだよ」


「あ、ごめんね。そうか・・・えー何・・・かな?」

僕は無理やり言わされた感いっぱいに答えた。

ちょっとワザとらし過ぎただろうか。


「まあいっか。じゃあ君にだけに特別に教えてあげる。驚くなよ。実は私も作家になりたかったんだ。でも作家は作家でも絵本だよ。絵本作家になりたかったんだ」


「へえ。なんか意外だな。鈴鹿さんみたいな社交的な人は、デザイナーとかアナウンサーとか華やかな夢があるのかなって思ってた」


「私思う。君はなれる気がする。たくさんの人をワクワクさせることができる作家に。私は無理だけど・・・」

「僕こそ無理だよ。でも、僕ら高校生なんだから可能性はあるかもね」

「うん、だよね。まだ高校生だもんね」

彼女はやさしく微笑んだ。


「名倉くんってさ、本当に真面目・・・っていうかすごい反応が正直だよね。お世辞やおべっかも使わないし」


「使わないんじゃなくて使えないんだ。人を持ち上げたり、合わせるのが得意じゃない。人付き合いが上手い人って、基本的に頭の回転が速いんだと思うんだ。その場その場の会話の中で、臨機応変に的確な言葉を選んで交わすことができる。これってすごいことだと思う。僕はそういうところの頭の回転の速さが無いんだ。そんなふうにできればいいなとは昔から思ってるんだけどね」


「いいんじゃない、今のままの君で」

「え?」


彼女はさらりと言った。

どうしてだろう。

彼女から出てくる言葉は、なぜか僕の心に深く染みてきた。






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