第3話 再会

「あれぇ、真面目くんじゃない?」


聞き覚えのある声の方向に僕は振り向く。


鈴鹿咲季と再び会ったのは地元のショッピングモールにある大型書店の中だった。


「あ、ごめんね・・・こんにちは」


突然のことでびっくりした僕は、何と答えていいか分からず、なぜか謝った。

そう、僕は何も言えないと先に謝る癖がある。


「何で謝るの?」

彼女はクスッと小さく笑った。


「ねえ、何読んでるの?」

彼女は興味深そうに僕が見ていた本を覗き込んできた。


「ああ、ごめんね。あの・・・小説だけど」

「また謝ってる。やっぱり君っておもしろいね」


彼女の笑いのツボにはまったのか、小さい笑いが大きくなった。

でも彼女の笑いは決して人を馬鹿にしたような嫌味な感じが無く、とても爽やかだった。


そう。確かに僕は何も悪くない。

でも、なぜか謝ってしまうのが僕の変な癖だった。


彼女は何かの本を探しているのか、僕の隣で本棚を見回していた。

しばらくすると、彼女との空間に沈黙という名の気まずい雰囲気が漂い始めた。


 ――あ、何か喋らべらないとまずいのかな・・。


僕は急にこの場を和ませなければならないという脅迫観念に襲われた。

焦りながら懸命に話題を考える。


「鈴鹿さんは・・・何か買いにきたの?」


やっとの思いで質問を搾りだした。


「私は絵本を見に来たの。絵本好きなんだ」

「ああ、そう」


今の、一応会話になっているのだろうか? 

疑問に思いながらも情けないかな、これが僕にできる精一杯の会話だった。


学校以外で、いや学校でさえ女の子と会話することがほとんどない僕の心は完全に舞い上がっていた。

結局このあと会話は続かなかった。


これ以上一緒にいると、どんどん退屈な男だと思われそうだ。

実際その通り退屈な男なんだけど・・・。


この雰囲気の重圧に耐えられなくなった僕はこの場を退散することを選択した。

困ったら取りあえず逃げ出す、こういう情けない性格だった。


「ごめんね。それじゃあ僕はここで・・」


すると、彼女はそれを待ち構えていたかのように僕を引き止めた。


「ねえ。まだ時間ある? せっかく偶然に会ったんだから一緒にお茶でも飲んでいこうよ」

「え・・・?」


想定外の彼女の言葉に僕の頭の中のシナリオはこんがらがった。


 ――どうしよう? 断ったら失礼なのかな? でも何を話していいのか分からないし・・・。


僕は心の中でブツブツ言いながらも実際に声は発することはできず、ただ固まっていた。


「どうしたの? ねっ行こ」


彼女は僕にニコッと微笑むと人ごみの中へ僕の手を引っ張っていく。

彼女はいつもこんな感じにマイペースなのだろうか?


僕は彼女に連行されるようにショッピングモール内にあるアメリカンスタイルのカフェに入った。


こういう店はあまり慣れていないので落ち着かない。

女の子が一緒となればなおさらだ。

そもそも女の子と二人きりで店に入ること自体、初めてだった。


「ねえ。私たち、ついこの前、屋上で会ったばかりで、またここで偶然に会うなんて、何か運命みたいなの感じない?」


 ――うわ、いきなりそんなこと言われても・・・。


僕は返す言葉が見つからず、黙ったまま固まった。

どういう意味で言っているのだろう? 

分からない・・・。


このような参考書にも載っていない疑問があると僕の頭はパニックを起こす。

・・・というか固まる。

パソコンのCPUで言うスタックのような状態だ。


理屈的に考えると、地元のショッピングモールなので学校の生徒同士が会う確率はそんなに低いわけではない。

運命なんてわけない。正直なところ、そう思っていた。


「フフッ、『そんなわけないじゃん!』って顔してるね」

ウダウダ考えているうちに彼女からツッコミが入った。


 ――ええ? 何で分かるんだろ?


また心を見透かされたようだ。

そんなに僕の態度って分かりやすいのだろうか・・・。


「私いつも思うんだ。偶然に起きたことって必ず何か意味のあることなんだって。それが良いことでも悪いことでもね。良いことだったら神様がいつもがんばっているご褒美かな。悪いことだったとしても、きっとそれには必ず何か意味があることなんだって」


僕はそれを聞いて、そのポジティブな考え方に正直すごいと思った。

彼女が何か輝いて見えた。


「悪いことがあった場合は、それに負けないようにさらに一所懸命にがんばるようにするの。それを乗り越えて、前よりももっと良くなることができれば、その悪いことがあったおかげ、ってことになるじゃない?」


「なんか無茶苦茶ポジティブだね。羨ましいな。僕なんかいつも悪い方、悪い方って考えちゃうんだ」


僕は物事に対し、常に悪いほうの場合を想定しながら身構えてしまうクセがある。何かの結果を待つ場合も、良い結果を期待しながら結果が悪いと落ち込んでしまうけど、悪い結果を覚悟して身構えていれば、良い結果が出た場合に逆に嬉しさが大きく感じる、そんな風に思っていたからだ。


こういう消極的な考え方が、常に物事に対し期待をしないという、いわゆるネガティブタイプの人間に僕をしていた。


「ねえ、真面目くん」


僕はまた返事ができなかった。この呼び方が嫌いだからだろうか。

でも、それをはっきりと嫌だと言えないのが僕の性格の嫌いなところだ。


「フフッ、そうだったよね。ごめん、この呼び方嫌いだったんだよね」


ああ、まただ。

自覚は無かったのだが、嫌な顔をしていたのだろうか。


「そういえばさ、私たちってまだお互い名前、知らなかったよね」

「そう・・・だね」


 ――僕は君の名前を知ってるけど。


心の中で呟いた。


「私は鈴鹿咲季。A組だよ。よろしくね」

彼女はニコッと首を傾げて笑った


「あ、よろしく・・・」

「で、君の名前は?」


ボーとしていた僕はハッとなる。

そうだ。僕も名前を言わなくちゃいけないんだ。


「あ、ごめん。僕は名倉なぐら・・・名倉雄喜なぐらゆうき・・B組・・・です」


こんな風にあらためて自己紹介をするなんて高校入学の時のオリエンテーション以来だろうか。まして女の子に対して。

自分でもコチコチに緊張しているのが分かった。


「です・・・って、別に同級生に敬語いらないでしょ。B組だったら美術の授業がいっしょだよね」

「うん。そうだね」

僕は何も知らなかったかのように振る舞った。


「名倉・・・くんは、昼休みはいつも屋上のあそこにいるの?」

「うん、いつもというわけではないけど・・晴れた日はけっこういることが多いかな」

「昼休みに他のみんなと遊ばないんだ」

「・・・・・」


僕は返事に詰まってしまった。

一人でいるのが好きだからなのだが、そんなこと言って暗いって思われるのが嫌だった。


「フフッ、一人でいるのが好きなんだよね。それすっごく分かるよ」


やっぱり不思議な子だ。

僕の心を読めてるようだった。

でもその彼女のその言葉のおかげで僕の緊張感は徐々に解けていった。


「僕、実はコミュニケーション能力に欠けてるんだ。みんなに話を合わせたりするのが苦手でさ。だから、やっぱり一人が気楽なんだ。鈴鹿さんは友達多そうだよね。人見知りとかしなさそうだし。あと人の心を読むのがすごい感じがするね」


「うーん、そうかなあ・・・」

彼女は唸りながら首を傾けた。


「君さ、もしかして、他人ひととの間に壁とか感じてる? 特に自分とタイプの違う人に」


僕はまた言葉に詰まる。その通りだ。

確かに僕は積極的なタイプの人たちとの間に大きな壁を感じていた。


「私すごくわかるよ、その気持。なんかこう・・・見えない厚い壁があるって感覚」


 ――え?  そうなの? 


彼女のような人でも他人に壁を感じてるということなのだろうか? 

予想外の言葉に僕は驚いた。


「でもね、他人ひととの間に感じる壁って、大体その人自身が作ったものなんだって。だからその壁は自分自身で壊せるらしいよ」


確かに彼女の言う通りかもしれない。さすがに社交的な人は違う。

でも、僕にはその壁を壊す力も度胸も持ち合わせてなさそうだ。


「あ、ごめん。なんか私、偉そうなこと言っちゃってるかな?」

「あ、いや、ごめん。全然大丈夫」


でも彼女みたいな人でも壁を感じることがあることを知って、ちょっと彼女に対する見方が変わったような気がした。

彼女のような人は、僕のような真面目で消極的なタイプの人間の気持ちなんて理解できないと思い込んでいたから。


確かに他人との間に壁があることはいつも感じていることだった。

でも、その壁は自分自身が作っている、なんてことは考えたことがなかった。


「あのさ、もしかして、私にも壁って感じてるのかな?」

彼女は探るような声で訊いてきた。


「ど、どうして?」

「だって君、さっきから私の目を全然見てくれてないでしょ」


その言葉は僕の心にグサリと刺さった。

そう。僕は昔から人と話す時、その人の目を見るのが苦手だった。


子供のころから親にも先生にも言われていた。人と話す時はその人の目を見ろと。

でも、僕は子供のころからそれがなかなかできなかった。

女の子からズバリと言われたのは初めてのことだったので、ちょっとショックを受けた。


「ごめんね」

僕はすかさず謝まった。


そりゃ目を見るのを避けられたら、いい気分はしないだろう。

相手に失礼なことだってことは分かっていた。

でも・・・できないんだ。


「別にいいよ、謝んなくて。責めてるわけじゃないんだよ。いや、私、もしかして嫌われてるのかなって?」


やっぱり他人ひとからはそういう風に見られてしまう。

それは仕方がないことだ。


「違うよ。気分を悪くしたらごめんね。実は僕、人の顔とか目を見て話すのがすごい苦手なんだ」

「どうして?」


何でそんなに突っ込んで訊いてくるんだろう? 

これは以前から自覚はしていたことなのだけれど、あらためて人から問い詰められたのは初めてだ。


「正直に言うね。人と話す時って相手の人もこっちの目を見るでしょ?」

「うん。そうだね」


「僕さ、人の目を見た時、相手の人からジッと見られると、途端に恥ずかしくなって、つい目を逸らしちゃうんだ」


 ――こんな理由で許してくれるとも思わないが・・・。


「やっぱりそうなんだ!」

彼女はなぜか嬉しそうに、そして大きな声で叫んだ。


「え?」

その声の大きさに思わず僕はビクッと顔を引いた。

「ごめんね。あの・・・何が?」


彼女が何を考えているのか僕は全く理解できない。


「ああ、ごめん、大きい声出して。いいのいいの、気にしないで。こっちの話だから・・・」

彼女は笑いながら両手を前に出し、ゴメンのポーズをとった。


気にしないでって言われても気になるだろう。

彼女はもしかして普通ではないのだろうか? 

そんな疑念が湧いた。

まあ、人のことは言えないけど・・・。


「名倉くんは、本よく読むの?」

「え? 何で?」

「君って質問に対していっつも理由訊いてくるんだね」

そう言いながら彼女はクスッと笑った。


「ああ、ごめんね」

「だからいいよ、いちいち謝んなくて」

彼女の笑い声が大きくなった。


「僕さ、女の子から質問されるのに慣れてないんだ」

「ふーん、そっかあ。女の子に慣れてないんだあ」

彼女はなぜかしら嬉しそうにニヤニヤと僕の顔を見ていた。

やっぱり馬鹿にされてんのだろうか?


「いや、さっきの質問はいろいろと本を見てたから訊いただけだよ。どんな本読んでるのかなあって・・・」

彼女は悪戯っぽい顔をしながら言った。


「うん、そうだね。まあ一人でいることが好きだから。本を読んでいると落ち着くんだ」


「どんな本読むの?」

「んー、やっぱり小説が多いかな」


「へえ、どんな小説?」

「いろんなもの読むよ。SFとかアドベンチャーものとか・・・あとはファンタジー系も好きだな。鈴鹿さんは?」

「私は小説はあまり読まないかな。コミックとかが多いよ。文字ばかりだと私眠くなっちゃうんだよね」


うん、そんなイメージがした。確かに彼女は静かに家で読書をしているタイプには見えない。


「あの・・・もしかしてコミックとか、くだらないとかバカにしてる?」

彼女は何か寂しそうに訊いてきた。


「あ、ごめんね。そんなこと思ってないよ。確かに僕はコミックはあまり読まないんだけど、別にバカになんかしてないよ。読むことが少ないのは、コミックには絵があるからなんだ」


「コミックなんだから絵があるの当たり前じゃない? それに絵があるほうが分かりやすいでしょ」

「そうだね。でもその絵があるせいで物語の世界のイメージが固定されちゃうじゃない?」


「物語のイメージ?」

「うん。コミックだとキャラクターや景色はすべて描いてあるよね。だからそのイメージは当然その作家さんが描いたイメージになるけど、小説だとそれが描かれていないから、その世界を自分で自由にイメージできるんだよね」

「ああ、キャラクターの顔とか背景とか?」

「そう。もちろんコミックも、その描かれたキャラのイメージが自分好みだったらいいんだけろうどね。小説なら自分の好みのイメージでキャラクターを勝手に想像することができるでしょ?」

「なるほどねえ。何かすっごい納得しちゃったあ。私も今度小説、読んでみようかな」


「よかったら今度貸してあげるよ」

「ほんと? 絶対だよ!」

他愛もない会話が彼女と続いた。


でも、これが僕にはとても新鮮だった。そして何より楽しかった。


そう、こういう他愛もない普通の会話が僕はできなかったんだ。


その後、彼女と一緒の電車に乗り、二人で家路についた。


彼女の家は学校に近いらしく、次の停車駅の学校の最寄駅で降りるようだ。

僕が降りる駅はもう少し先だったので、ちょっと寂しい感じがした。


電車が駅のホームに止まり、ドアが開いた。


「じゃあ、私はここで降りるから」

「あ、ごめんね。じゃあまた」

「フフッ、また謝ってる・・・じゃあね」


電車を降りる彼女はいつもの眩しい笑顔だ。


ドアが閉まる瞬間、彼女は僕に小さく手を振る。僕も手を振った。

これも他愛のないやりとりだが、僕にとっては初めてのことですごく新鮮だった。


 ――なんか・・・いいな、こういうの。


そう思いながら、僕はちょっと浮かれていた。

初めてのこの感覚に。 




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