第2話 真面目な人

「ねえ、どうしたら・・・死ぬのが怖くなくなるかな?」


彼女は今度は思いつめたような声でぽつりと呟いた。


「え?」


何を言い出すのだろう。

まさか自殺願望?

ただ、今の明るい彼女を見ている限り、そんな雰囲気は全く感じられない。

でも、さすがにこの言葉にはちょっと焦った。


「あの・・・こんな話があるんだ。人はその本能を全うできた時、死ぬということが怖くなくなるんだって」

僕は思い出したように話し出した。


「本能を全うできた時?・・・でも人の本能って何?」


「人の本能というのは・・・人が生まれてきた本当の理由じゃないかな?」

「それって・・何?」

「ごめんね。僕もそれが何なのか分かってない。そんなに人生経験積んでないし」

「そっかあ・・・」


分かってないなら言うなよ、と僕は自分に突っ込みを入れた。


「ごめんね。さっきから全然質問の答えになってないね」

「ううん、ありがとう。君って真面目ないい人だね」

「え?」

「だってこんなつまらない私の質問に真面目に答えてくれるんだもん」

僕は彼女のその言葉に対し,落ち込んだように黙って俯いた。


「フフッ、君、“真面目”って言われるの、嫌いなんでしょ」


 ――え?


その言葉は僕の心に突き刺さった。僕の心を見透かしているようだった。


そう、僕は“真面目”と言われるのが嫌いだった。

僕の中で“真面目な人間”とは“つまらない人間”ということを意味していた。

そう、確かに僕はつまらない男なんだ。

自分でも分かってはいるのだが、“真面目”と言われることには、やはり抵抗があった。

「私は真面目な人って嫌いじゃないよ」


 ――え?


僕の心臓がドキリと突き上げられる。

彼女は首を傾けて優しく笑っていた。


深い意味は無いと思いながらも悪い気持ちはしなかった。


「でもさ、もし“神様”が人を必ず死ぬようにプログラムしているんだとしたら、なぜ、死なないようにプログラムしなかったのかな? そうすれば、みんな長生きできて幸せになれるんじゃない?」


呆れるどころか彼女はさらに突っ込んで質問してきた。


特に議論好きという雰囲気はしない子なのだが、なぜ彼女はそこまで死についてこだわるのか、 僕にはまだ理解できなかった。


「人を始めとする生物は“寿命”というプログラムによって生と死を繰り返すことに意味があるんじゃないかな」

「何で生と死を繰り返さなきゃいけないの?」


「うーん。じゃあ、もし人に寿命というものが無くて、事故や病気以外では死なない世界があったとしたら、どうなると思う?」

「うーん。みんな永遠に生きられて幸せになるんじゃない?」

「多分そうはならないだろうね」


「え? どうして? 寿命が無かったらみんな永遠に生きられるんでしょ?」

「もし、生物というものに無くて、生と死を繰り返さなかったとしたら、恐らくすぐ絶滅してしまうと思うよ」

「えーなんで? 意味分かんないよ」


「地球は何万年という単位で見ると非常に大きな環境変化をしてるんだ。火山の噴火とか隕石の落下とか、いろいろな要因でね。その大きな環境変化に耐えて生き延びるには自身を変化させなければならなかった。そのために生物の生と死の繰り返しは必要なものだったんだと思う」


 ――こんな話、女の子にはおもしろくないだろうな・・・。


そう思いながら、僕は彼女のほうに目をやった。

すると案の定、彼女は何かを思いつめるような感じでボーっとしていた。


 ――やっぱりな。


「ごめんね。やっぱりつまんないよね、こんな話」

「ううん、そんなことないよ。おもしろい。続き聞かせて」

彼女は少し慌てたように顔を上げた。社交辞令なんてする必要ないのに、と思いながら僕は話を仕方なく続けた。


どのみち気の利いた話などできないことは分かっていた。

僕はつまらないと思われるのを覚悟の上、とことん僕らしく話をすることにした。


「生物学的な話をすると、人を始めとする生物は生殖をして子孫を残していくよね。それは環境の変化に対応するDNAを残すためなんだ」

「環境の変化? 地球の?」


「そう。親は子供にDNAという情報のバトンを渡したあとに死んでしまう。その子供もやはりその子供にDNAのバトンをリレーのように渡す。環境に変化に適応するためにいろんな情報をDNAに刻んで生と死を繰り返していくんだ。その情報量は生と死を繰り返す度に増えていくから、その回数が多いほど変化に対応しやすくなるということなんだ」


「生き続けるために・・・死ぬの?」

「そう。DNAという命のバトンでリレーをしながらね」


そう僕が言うと、彼女は明るくにこっと笑った。


「命のバトンリレーかあ。おもしろいね。私たちのご先祖様はずっと子供にバトンを渡し続けてきたんだね。私たちにたどり着くまで」

「そ・・・そうだね」

彼女のかじりついてくるような顔に僕はちょっと戸惑った。


「江戸時代の人からも?」

「そうだね」

「石器時代の人からも?」

「そうだね」

「恐竜時代の人からも?」

「恐竜時代には人はいなかったかな・・・」


「え? じゃあこの時代はだれからバトンを渡されたの?」

「うーん。ダーウィンの進化論が正しくて、人間宇宙人飛来説が誤りであれば、その時代には、人に進化する前の祖先となる動物が存在していてはず。そこからDNAの命のバトンが続いているんだろうね」


「それって凄くない? 何万年も命のバトンを渡し続けて今、私たちはここにいるんだよね。その何万年もの間に、たった一人でも抜けたら私たちはいないんだもんね」


彼女は元々大きかった瞳をさらに大きくさせた。

「うん。確かに凄いことかもしれないね、そう考えると」

「うわあ感動! だってそれって奇跡だよね。何万年もずっとバトンが続いてるなんてさ!」

彼女は幼い子供のように目を輝かせながら叫んだ。

彼女の話を聞いていたら、何だか僕も本当に凄い事のように感じらてれてきた。

あまりにも当たり前過ぎて、今まで気がつきもしなかったが。


彼女の言う通り、今、自分がここに生きているということは、何万年も命のバトンリレーを続けてきた結果なんだ。

これは確かに凄いことなのかもしれない。


「壮大な話聞いちゃったな。君、やっぱり何かみんなとは違うね」


僕のなんか話より、彼女のその内容の捉え方が凄い、そう思った。

「いや、僕の話なんて全然・・・理屈っぽくてつまらなかったでしょ」


「全然そんなことないよ。すっごくおもしろかった。ありがとう。私の変な質問に真剣に答えてくれて」

そう言って彼女は首を傾げながらまたニコリと微笑んだ。

変な質問をした、という自覚はあったようだ。


そんな感心していると、ちょうど校内にウエストミンスターの鐘が鳴り響いた。

昼休みの終了のチャイムだ。


「君の話、すっごくおもしろい! また聞かせてね。じゃあね!」

彼女は笑いながら小さく手を振ったあと、弾むように外階段を降りていった。


なんて眩しい笑顔をする子だろう。

それにあの感受性は凄い。僕のつまらない話にあそこまで感動してくれるなんて、僕自身が感動してしまった。


そして僕はあることにハッと気づいた。

こんな風に自然に女の子と喋れたなんて初めてだったのだ。

きっと彼女の気さくな性格のせいだろうか。


あの子は誰にでもこんな感じで話せるのだろうか?


彼女のような社交的で明るい性格にとても憧れる。

あんな風に誰とでも気軽に話ができたら楽しいだろうなと思う。


とても内気で消極的な僕だが、積極的になりたいとは思ってはいるのだ。

けれど、積極的になろうとする積極性が僕には無かった。

自分には無理だと思い込んで。


そんな明るい彼女が、なぜあんなに死にこだわるのだろうか。

そんな疑問を抱きながら、僕の心の中はいつの間にか彼女のことで覆われ始めていた。



彼女に“真面目”と言われた。

僕は他の人からもよく“真面目”と言われる。


そうだ。

僕はみんなが言うように“真面目”な人間だ。

いや、“真面目にしている”人間というのが正しいかもしれない。


僕は真面目と言われるのが嫌いだ。

なぜ真面目と言われるのが嫌いなのか?

それは、僕自身が好きで真面目にしているわけではないからだ。


真面目に行動するということは、世間に敷かれた社会常識というレールの上にしっかりと乗っていることを意味すると思っている。

なぜそうしているかというと、そのレールの上に乗っていると安心できるからだ。逆に言うと、乗っていないと不安になるのだ。


そう、僕は望んで真面目に生きているわけではないんだ。


学校の勉強をしたくない時だってある。けれど、勉強をしなければ当然テストの点が悪くなる。授業だって、たまにはサボってみたいと思うことがある。

でも授業をちゃんと受けないと内申点が悪くなり、成績表に影響する。

すると、良い学校に行けなくなり、良い会社へ行けなくなる。

そして良い生活ができなくなる。


そんなつまらない脅迫観念と刷り込まれた社会通念に捉われているのが僕という人間だった。

僕は結局、いわゆる“社会のレール”から外れるのが怖いだけなんだ。


もちろん“真面目”にしていれば良い学校に入れて良い会社に入れるなんて、そんなことは誰も保障してくれない。そんなことは分かっていた。

かといって、そのレールから外れる度胸も勇気も僕に無かった。


サッカーや野球といったスポーツに長けていたり、音楽や芸術のようなものに能力や自信があれば、その道を極めるという選択肢もあるだろう。

だが、あいにく僕にはスポーツの能力や芸術の才能も無ければ、それを極めようとする向上心も持ち合わせていない。


だが、学校の勉強が抜群にできるというわけでもない。特別な能力も無く、向上

もない僕のような平凡な人間は、とりあえず“社会のレール”の上に乗っていくしかない。そう思っていた。


そんな真面目な自分が僕は嫌いだった。

でも、真面目から外れる度胸も無かった。

そんな自分の臆病さも嫌いだった。


真面目だというだけで学級委員をやらされたこともある。

人をまとめるなんてことは僕の最も苦手なことだった。

だから僕は真面目にしながらも、できるだけ目立たないよう生きてきた。


学校には、僕のような“真面目タイプ”とは対照的に、性格がとても自由で活動的、遊びにも積極的な生徒たちがいる。

僕はそれを“アクティブタイプ”と呼んでいる。

そう、まさしく彼女のようなタイプの生徒だ。


アクティブタイプの生徒は教室ではとても賑やかでいつも中心にいる。

時には授業をサボったり、男女交際にも積極的で自由奔放だ。

運動部に属していることが多かったりする。


制服は規則通り着ることはしない。

酒やタバコもたしなむ生徒も多く、イメージ的にはいつも騒いで遊んでいる。

そんな感じの生徒たちだ。


誤解があるといけないが、僕の学校にいるアクティブタイプの生徒は、一見不良っぽいのだが、決して“不良”ではなかった。


僕が考える“不良”と違うところ、それは彼らは暴力や窃盗などの犯罪を犯すことはなく(未成年なので酒とタバコはまずいのかもしれないが)、成績もみんなそこそこ悪くないという点だ。

授業中は騒がしくて全然勉強なんかしてなさそうなのに、テストはトップクラスの奴もいたりする。


このようなアクティブタイプの生徒に対して、僕は常に壁のようなものを感じており、それはコンプレックスにもなっていた。


僕は何より彼らが羨ましかった。

そして憧れた。

僕もそういう人間になりたい、そう思っていた。


けれども僕は、彼らと同じようにルールから外れて授業をサボったり、勉強しないで遊びまわるような積極性や度胸を持ち合わせていなかった。

だから僕は、明るく快活な彼女に対しても見えない壁を感じざるえなかった。


 ――やっぱり僕とは違うんだ・・・。


そして、僕は物事について常に期待を持たないように生きている。


別に人生に絶望しているわけではない。

ただ、物事がうまくいくことを期待してしまうと、もしダメだった時にショックを受ける。そんなことを怖がっている臆病な人間なのだ。

だから僕は子供の時から積極的に何かに挑戦したという記憶がない。


何かに挑戦して、失敗して嫌な思いをするくらいなら最初から何もしないほうがいい。何も期待しなければ落胆することもない。そんな思い込みが僕という人間を何事に対しても消極的にしていた。


友達関係にしてもそうだ。

僕は小さいときから人と争うのを避けてきた。

他人ひとに自分の意見を押し付けることはせず、常に他人ひとに合わせてきた。

なぜなら、そのほうが楽だったし、何より他人ひと嫌われるのが怖かった。


他人と交わるのを拒むわけではない。友達を作るのを拒むわけでもない。他人を嫌っているわけでもない。

だけど、あえて自分から積極的に交友関係を広げることもしなかった。  


他人と付き合えば、意見も合わないことが出てくる。

誤解が生じたり争いだって起きる。

僕はそういうことから逃げていた。

休み時間や放課後は一人でいることが多いのはそのためだ。


そんな僕だったが、一応、部活には所属していた。

どこか運動部に入れという親からの指導(?)に逆らえず、テニス部に入った。

部活を選ぶにあたり、他人とのコミュニケーション能力が低い僕は、チームプレイが中心となるサッカーや野球などは選択肢から外された。


テニス部を選んだのは、基本的に個人競技なのでコミュニケーション能力が必要ないと思ったからだった。

しかしそこは部活動だ。先輩後輩の上下関係などコミュニケーション能力が必要ないわけがなく、いろいろ苦労している。





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