第32話 今川家の跡継ぎ

小太郎と愛は駿河に飛んだ。近頃おとなしい富士山を左に見ながら飛んでいく。


 青木ヶ原樹海が黒々とした姿を見せていた。




 駿河するがの今川氏の居城は今川館である。




 小太郎と愛はやはり堂々と門の前についた。


 流石にまた同じようなことはないだろう。




 フラグである。




「その方。美しいの。まろの妻となることを許すぞ。」




 門から出てきた見るからに高慢そうな少年が、愛に向かって言うのだった。




氏真様うじざねさま。それは流石に⋯⋯。」




 側近が諌めるが聞く耳を持とうとしない。




 またか。小太郎は悲しかった。




 今川氏真。今川義元の嫡男であった。




 大人物の世継ぎは小物になる宿命でもあるのだろうか。


 いや、北条はそんなことはないと思い返す。




「どうじゃ? 金も衣装も思いのままじゃぞ?」




 氏真は愛に近づいて囁く。


 こうすれば女は靡なびくと信じているようだった。




「はあ。愛は俺の妻だ。バカなことは言うな。」




「へ?」




 氏真は小太郎の容姿にビビったようだった。紅毛碧眼の体格の良い男だ。




 日本のものとは思えない。昔は鬼に間違えられたほどなのだ。




「うっ。ならば、そうじゃ。蹴鞠けまり。蹴鞠で勝負じゃ! そちが負けたらその女はもらうからの!」




 武力では敵わないと思ったのだろう。




 氏真は自信のある勝負を持ちかけてきた。卑怯者である。




 蹴鞠場にやってきた。氏真の押しは強かった。


 これしか勝機がないことを本能で悟っているようだ。




 四隅に木が植えられた領域内で勝負だ。




 地面に落とすか、蹴ったボールが木の高さを越えなければ負けとなる。




「ふっふっふ。まろは蹴鞠に関しては超一流じゃ。京都から誘いがくることもあるのじゃぞ!」




 氏真は自信たっぷりであった。




「先行は譲ろう。」




「後悔しないようにするのじゃ。」




 のじゃのじゃ言うなら美少女になってくれ。




 地の文はそう思った。こだわりが抑えきれなかった。




「ゆくのじゃ。必殺!天翔球てんくきゅう!」




 氏真の蹴った球は上空高く高く打ち上がった。




「どうじゃ。あの高さから落ちてくる鞠は受け止めきれないじゃろ? まろも無理じゃからな。」




 まさに初撃必殺である。




 だが、小太郎は普通の人間ではなかった。




「技能「雲乗り」」




 そう呟くと、上空へ宙を蹴って駆け上がっていく。


 雲になりきれなかった水蒸気が空中には存在する。


 それに乗ったということにして空を自由に移動する。


 戦国の厳しい環境の中で進化した技だ。




「なんじゃと?!」




 驚く氏真を残して小太郎は駆け上がると、最高点から落ちてくる球を少しだけ蹴る。


 球はそこからどんどんスピードを増して落ちていく




「うおおお。まろは、負けられんのじゃー!」




 氏真はなんとか足を合わせた。




 鞠が浮き上がる。


 しかし、蹴った鞠が基準となる木の高さを超えることはなかった。




「まろの、負けじゃ。」




 氏真は大変悔しそうだった。






「何をしておる!」




 大勢を引き連れた男が現れた。




「父上?!」




「ああ、お主は北条の。なんぞ連絡でもあるのか?」




 海道一の弓取りの異名を持つ今川義元はこの時35歳。


 脂の乗り切った年頃である。




 織田信長に敗れたことから雑魚として描かれることも多い。


 だが、彼は優れた戦国大名だった。


 領国経営でも領土拡大でも才覚を発揮している。




 氏康が家督を継いだ直後に関東両上杉氏と連携して挟撃したのを覚えているだろうか。


 機を見るに敏な武将と言うべきだろう。




 彼は小太郎の姿を認めると、薄々ながら目的に勘付いた。




「わしの部屋に通せ。失礼のないようにな。」




「父上? 北条のとは?」




「お前も名前くらい聞いたことがあるだろう。風魔小太郎どのだよ。」




「なんと!」




 氏真は目を見張っている。




 小太郎はそのまま義元の後に続いた。


 愛は少しだけ氏真に手を振ると小太郎を追いかけた。




 氏真の恋は冷めなかった。






「なかなか、面白いお世継ぎですな。」




「蹴鞠への才覚はあるんだがのう。まあ、これから育てていくわい。」




 義元はまだまだ死ぬとは思っていない様子だった。


 桶狭間がなければ、日本の歴史も変わっていたのだろう。




「で、何用だ。」




「そうでした。こちらを。」




 小太郎は密書を渡す。




 読み込んだ義元は大笑いした。




「まさか雪斎と同じことを氏康殿も考えているとはな。もう若輩者とは侮れん。」




「あれはてひどい洗礼でした。我らがどれほど苦労したか。」




 氏康が家督を継いだ直後の騒乱を思い出して、小太郎は苦笑いする。




 今川義元の手回しにより西と東から挟撃されたのだ。


 和睦わぼくがならなかったら危うかった。




 小太郎達の必死の努力が実を結んだ結果だった。


 この時に小太郎達は信玄ならびに義元と面識を得ている。




「では、大枠は賛同していただけると言うことで⋯⋯?」




「もちろんだ。これから詳しい話を詰めるとしよう。」




「はっ。主人に伝えておきます。」




「ところで、小太郎殿。わしに仕える気はないか?」




 お茶をずずと啜すすった義元は唐突に言った。




「今なんと?」




「お主の腕を買ってのことじゃ。いまよりも良い待遇を約束しよう。」




 義元には自前の忍者軍団がいなかった。




 武田の戸隠、北条の風魔と言う二大忍びに対抗するには、伊賀や甲賀の忍者を高い金で雇うしかなかった。


 高度な技術を持つ忍びは喉から手が出るほど欲しかったのだ。




「すみませんが、我らの目的は関東にしかありませぬゆえ。」




 大和杉を守るのが彼の役目だ。関東を離れる意味はない。




「そうか。断るか。」




「そこまで腕を買っていただいたのは嬉しいです。ですが、やはりお断りさせていただきます。」




「残念じゃのう。」




「では、これにて。」




 引き止められるかと思った小太郎だったが、義元は諦めたようだった。


 これから同盟を結ぶ相手にちょっかいはかけられないのだろう。


 引き抜きしようとしたのも、一つの冗談だったのかもしれない。




 ●




 小田原へ帰るべく空を飛ぶ愛と小太郎。空中で二人は会話していた。




「愛。どうして、絡まれるままにしていたんだ。お前の実力なら自分で黙らせるのも簡単だっただろうに。」




「小太郎様のかっこいいところが見たかったのです。」




「っ。そうか⋯⋯。」




 そう言われては小太郎も強く言えない。




「それに、あの若様たちをからかうのも面白かったですしね。」




 小声で笑いながら言った愛の言葉は、風に流れて小太郎の耳には届かなかった。


 相変わらず小悪魔めいた愛である。






 さて、甲相駿三国同盟こうそうすんさんごくどうめいは互いの嫡男にそれぞれの姫を輿入れさせることで成立することになっていた。




 武田義信と今川氏真は愛が忘れられず最後まで抵抗した。似た者同士である。


 結局、父親に逆らえずに頷いたのも同じであった。




 ここに三国同盟は成立する。


 相互不可侵の約定により、背後を気にする必要がなくなる。


 三者はそれぞれ関東、越後、尾張へとその手を伸ばすのであった。

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