第31話 武田家の跡継ぎ

 

 地震の被害は大きなものだった。


 領民が畑を捨て、一斉に逃亡するという事件まで起こってしまった。


 氏康は公事赦免令くじしゃめんれいを発令した。


 これは、税率を下げる法令だった。


 搾り取ることしか能がない武将が多い現状で、下げるという手段をとった氏康の領地経営の手腕は褒められるべきだろう。


 こうして、しばらく平和な時間が訪れるのだった。


 しかし、今は戦国時代である。そんな平和なひと時が続くわけもない。


 河越夜戦かわごえよいくさ這々ほうほうの体ていで逃げ出した山内上杉家当主、上杉憲政うえすぎのりまさは越後に落ち延びていた。


 この時代の越後守護代は、長尾景虎。のちの上杉謙信である。


 毘沙門天びしゃもんてんの化身とまで称される日本屈指の戦上手にして義に厚き武将。


 ボロボロになった上杉憲政を見て、彼はすぐに助けることを決めた。


 彼の支援を受けた上杉憲政は上野こうずけ(群馬)方面でちょろちょろと動いていた。


 目障り極まりない動きだった。


 氏康は叩き潰すべく、準備を始めた。


 愛と小太郎に密書を持たせる。


 向かう先は甲斐の武田信玄であった。


 躑躅つつじヶ崎館さきやかたの門前で愛と小太郎は面会を求めた。


 以前はこっそり侵入し、武田忍軍の警戒を台無しにしてしまった。


 だが、今回は堂々とした任務である。わざわざこそこそする必要はなかった。


「おい。そこの二人。何故この館に足を踏み入れようとする?」


 少年の声がそれを阻んだ。


 振り返ると、馬上に16歳くらいの少年が騎乗していた。


「わが父に会おうというのか? お前らのような薄汚い格好をしたものを入れるわけにはいかんなあ。」


「そうですとも。」


「ふむ。昌国まさくに、あのものらを切り捨てて参れ。佐久さくへ行く前に人死に慣れておかねばな。」


「かしこまりました義信様よしのぶさま。」


 媚びるように言ってその家臣は刀を取り出した。


 小太郎はため息をついた。名前で察したのである。


 少年は信玄の嫡男ちゃくなん、武田義信であった。


 確かに、人死を見るというのは武将になる上で大事だが、時と場合を選んでほしい。


「わかった。相手になろう。」


 小太郎は小刀を構えた。


 しのごの言っていられる場合ではない。


 やる気満々で刀を構えている相手に備えないのは馬鹿のすることだ。




「ふん。その程度の刀で昌国に勝とうなど片腹痛いわ。」


 義信はすでに勝った気である。


 武田の未来が心配だ。



「うおおおおー!」




 侍が叫び声をあげて切りかかってくる。

 小太郎はその刃をいなして返す刀で首元に突きつけた。


 一瞬の攻防。切りかかった方も何が起こったのかわかっていないようだ。


「もういいか?」


 小太郎は呆れた表情を隠しもせず、そう言った。


「その方、何か妖術を使ったな? もうよい。私が直々に轢ひき殺してくれるわ。」


 義信は逆上してしまった。まだ部下がいるにも関わらず、馬を操って向かってくる。

 手綱捌たずなさばきだけは一流と評してもいい。


 小太郎はさらに深々とため息をつく。




「技能派生「単体麻痺付与」!」


 馬が痺れた。走っていられず体勢を崩す。


「うわあああ!」


 子供相応の声をあげて義信は馬の背から落ちる。


 馬の高さは1m40cmを越える。そこからバランスを落として転げ落ちるのだ。


 大怪我をするのは必然かと思えた。


「大丈夫?」


 ふわりと風のように、愛が舞った。義信を両手に抱きかかえる。


 俗にいうお姫様抱っこというやつだ。


 忍術すごい。


 愛はどう見てもか弱い女の子なのに、人一人を楽々と抱えている。


 抱きかかえられた義信の目がハートになっている。


 ピンチを颯爽と救う異性はかっこいいから仕方ない。


「何をやっている!」


 館の中から、覇気にあふれた男が出てきた。


「父上! このものを罰してください! 私の家臣に危害を加えようとしたのです!」


 愛に抱えられながら義信はそう主張する。せめて降りてからにしてもらいたい。


 小太郎は、何度目かのため息をついた。


「そういうお前は、なぜ北条の使者どのに抱きかかえられておるのだ?」


「それはその⋯⋯。えっ? 北条の使者?」


 義信は愕然とした表情を浮かべている。


「失礼はなかっただろうな。」


「はい! もちろんですとも!」


 さっきの出来事は忘れたようだ。随分と都合のいい頭である。


「信玄どの。それくらいで。まずは話を進めましょう。」


「おお。その通り。皆、早く小太郎殿をお入れするのだ。」


「えっ。小太郎? 北条の風魔小太郎? あの伝説の?」


 後ろで今更義信が焦り出した。


 誰も彼に気を使うものはない。


 ただ、愛だけが、じゃあねと手を振った。


 義信はしばらくぼうっとしていた。もう手遅れだろう。


 愛に惚れた場合のライバルが風魔小太郎だと知ったら、果たしてどうなるのだろうか。


「息子が申し訳ないことをした。」


「気になさらないでください。ですが、あの男が後継で良いのですか?」


 小太郎の脳裏には到底賢いと言えない先ほどの振る舞いがあった。



「まあ長男だからな。余計なお家騒動のタネを撒かない為にも、よほど暗愚でなければ降ろさんよ。あれは、頭はどうあれ武勇に長たけておるからな。」




「あれで、ですか?」




「そりゃ小太郎殿と比べるほうが酷というものだろう。」




 武田信玄は呵々かか大笑たいしょうした。




「して、氏康殿はなんと申されるのだ?」




「はっ。とりあえずこちらを。」




 密書を広げる。そこに書かれていたのは、甲相駿三国同盟こうそうしゅんさんごくどうめいの誘いだった。


 武田と今川、北条の三者が手を結び、後顧の憂いを断つ。


 それによりそれぞれの敵に注力することができる。


 その仮想敵を挙げながら、理路整然と書かれている。


 戦国の雄、武田信玄を唸らせる内容だった。




「さすがは氏康殿じゃ。まさに名君じゃのう。」




「では!」




「ああ。今川の雪斎せっさい殿からの使者も同じことを言っておった。承知しよう。」




「雪斎殿が?!」




 太原たいげん雪斎。今川家の重臣であり、もうじき58歳を迎える老齢の僧形である。


 その手腕は高く評価され、今川家にその人ありと天下に名高い。


 彼もまた同様の目的で動いていたことを知り、小太郎は今川の評価を一段階あげた。




「その反応だと、今川と示し合わせたわけではなさそうだな。」


「かまをかけたのですか。相変わらず人が悪い。」


「交渉の席では褒め言葉よ。」


 信玄は気にした風もなく笑っていた。


 人間には英傑と呼ぶにふさわしいものがいることを、改めて実感する小太郎だった。


 ちなみに、彼の中で将門は英傑枠に入っていない。




 面白いやつ枠だ。


 将門は泣いていい。


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