32 その村の在り方

 森の道なき道を分け入っていくと、やがて少しだけ開けた場所に出た。

 小さな家屋がある。地面にも、樹上にも。


(ここがクルッカ――オッファーの村、か?)


 慎重に歩みを進め、広場へ出た。

 四方をぐるりと見渡す。誰もいない――否。

「お客さんだー!」

 突然あちこちの小屋の陰から子どもが数人飛び出してきた。

 最初からそこにいたのか、突然発生したのかは分からない。ただ四人の子どもはシグリィの周りにやってくると、彼を囲むようにしてわいわいはしゃぎ始める。

「……君たちは?」

 尋ねると、子どもたちは素直に各々の名前を告げた。マアス、メルクリオ、ヴィーネ、ルナ――

「あのね、お客さまは『カンゲイ』するの!」

 とりわけ明るい声の女の子が顔を輝かせて笑う。「ね、みんな、いっくよー!」

 はーい、と無邪気な唱和。そして、

「――!」

 子どもたちの手に銀の光が現れた。小ぶり大ぶりそれぞれのナイフが、揃ってシグリィを狙って閃く。前からも後ろからも――

 たいさばきで全てを避けきるのは間に合わない。シグリィはとっさに体を縮め、自分の体の周囲に玄武の結界を張り巡らした。ナイフの切っ先が次々と跳ね返される。衝撃が、中のシグリィの体に鋭く響く。――子どものナイフの威力じゃない。

 まさか。

「あれえ? 跳ね返されちゃった」

 ルナと名乗った子どもが自分のナイフの刀身を見てきょとんとする。

 他の子どもたちも疑問符を浮かべている。その隙にシグリィは子どもたちの中心から抜け出そうとする。

 しかし子どもは目敏めざとい。すぐさま気づくと、シグリィの前に両手を広げて立ちふさがった。

「逃がさないよ。お前は僕たちのえものだ!」

「……お客さま、じゃなかったのか」

 皮肉をこめて言うと、子どもたちは一様に誇らしげに鼻を高くした。

「お客さまは、えものだ。えものを倒して神様に捧げると、僕らは強くなるんだ!」

「……ここの生き神様はまたずいぶんな教育をほどこしたものだ」

 苦笑する。子どもたちの持つ《印》の種類は一目で分かった。全員白虎だ――扱いによっては最強にもなれる、最凶の《印》。

 いくら森の中とは言え、この村が何年も人の来ない場所であるはずがなかった。そう、“迷い子”だっている。

 そいういった『村に邪魔な存在』を、子どもたちの力の糧にしたというのか。

『私たちの教育ではありません』

 どこからか、魔女の声がした。『子どもたちが自ら始めたのです。最初は、たった一体の“迷い子”を倒したことからでした。子どもはさといもの……この子たちは自分たちがどうしたら強くなるのかを知った。そして外部から来た者から村を守ることが、親たちが喜ぶことだということを知った』

「彼らの自発的な行動だと?」

 シグリィは肩をすくめる。「あなた方は子どもらの考えをたださなかったんでしょう? それも教育と呼ぶんですよ」

 森がざわめいた。まるで、くく、としのび笑うように。

『お前にこの子たちを害せるとでも?』

 子どもたちがナイフを構え直す。どこからどう見ても隙だらけの体に、異常なまでも気迫がこもる。

「やー!」

 振り下ろすナイフに満ちる剣気。そして殺気。

 無邪気さと残酷さ。子ども特有の迷いのなさ。急所を狙うという考えさえない。ただひたすら、『獲物』を傷つけようとする銀の筋。

 四本のナイフが四方八方からシグリィを襲う。時に蹴り飛ばし、時にナイフで打ち払いながら、シグリィは突破口を探す。

 いったいどこから見ているものか、魔女が高笑いをするのが聞こえた。

『よい気味……! 私の娘を殺した男を仕留められなかったのは残念だけれど、お前はあの男の仲間。代わりにルナに殺されればいいわ!』

「……?」

 何の話だと考えを巡らせる。

 魔女の娘とは誰だ。殺した、とは……

「あはは! お兄ちゃん強いね!」

 そう言って飛びかかってきたのはルナだった。シグリィを押し倒し、またがろうとする。その軽い体を投げ飛ばそうとして――シグリィははたと動きを止めた。

 ルナの目元が誰かに似ている。

 他でもない、魔女に。

(そうか)

「死んじゃえ!」

 爛漫らんまんな声でルナがナイフを振り下ろす。しかしシグリィの胸元で、切っ先はまたもや結界に跳ね返された。

 ルナは癇癪かんしゃくを起こし、シグリィの上で盛大に暴れた。

「やーっ、もー! お兄ちゃん、ずるい!」

「ごめん」

 謝りながら、シグリィは地面に手をつきその勢いで思い切り起き上がった。ルナの体ごと。ふだんの彼の体力ならとうていできないが、白虎の《印》がそれを可能にしてくれる。

 体術でルナを地面に叩きつけ、ルナのナイフを弾き飛ばすと、代わりに自分のナイフを少女ののど元に突きつける――。

 他の子どもたちの動きが止まった。森さえもざわめくのを止めた。シグリィは、どこにいるか分からぬ魔女に向けて声を上げた。

「娘をもう一度殺されたくなければ、あなたが直接出てくることだ! たかが幻影の子どもたちに私が情を向けると思うか!」

 ――おそらく魔女が憤っている相手はカミルなのだ。カミルは、魔女の幻影を破るために――魔女の精神統一を破るために――幻の世界の中でルナを殺した。

 あいにくそれだけでは現実には戻ってこられなかった。ラナーニャが解放した地租朱雀の力がなければ、どうなっていたか分からないが――

 それでも魔女の精神をえぐるには十分だったはずだ。

(つまり、このルナがあの女の弱点)

 他の子どもがシグリィに近づこうとする。「ルナを、」

 シグリィはそれをひとにらみで黙らせる。

 おそらくこんな状況は子どもたちにとって初めての経験なのだろう。彼らは一気に消沈した。ルナ自身はぽかんとした目でシグリィを見上げている。

 生きた人間の目だ――

(……罪悪感、だな)

 自分の心の中にあるわだかまりを転がしてその正体をたしかめ、シグリィは少し笑う。

(子どもが突撃隊長というのは……いい手段だ)

 結局大人たちは分かっていて、子どもたちの『自発的な』行動を止めなかったのだ。

 ただ、それがひどいことかどうかは……分からない。

 それが村を守る最善だったというなら、こんな道もあり得るのかもしれない。

 空気がざらりと動いた。誰かの心が歯ぎしりの音を立てるのを、シグリィは聞いた気がした。

『……』

 やがて、景色が揺らぎ始める。押さえつけていたルナの感触が薄れていく。森が音もなく輪郭を溶けさせていく。別の何かに変わっていく。

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