10 ユードとゴーシュの出会い

「シグリィ!」


 ふいにラナーニャが彼の名を呼んだ。


「どうした?」


 振り向いたシグリィの目に映ったのは、青くなり緊張に全身にみなぎらせた少女の姿だった。


 カミルとオルヴァは現在、大型“迷い子”討伐の真っ最中だ。一体一体着実に地面に沈んでいくその光景は、シグリィたちからは少し離れた場所で行われている。そのため少年少女に危険が及ぶことはほぼなく、シグリィ自身、最低限の警戒しかしていなかった。


 そこへ――ラナーニャの異変。


 けれど、少女はすぐに「あ……」と警戒を解いた。


「あ、あれ……消えた……?」


 その唇から、信じられないと言いたげにぼんやりと言葉が紡がれる。


「どうしたんだ?」


 シグリィはもう一度尋ねた。同時に彼も周囲一帯に意識を配ってみたものの、何もおかしなことはない。

 ラナーニャはシグリィと、彼のそばに控えるセレンを交互に見つめる。


「今、一瞬……感じなかったか?」

「いや、私は特に何も。……セレン?」

「私も何も感じなかったです」


 シグリィの呼びかけに応じ、セレンが首を横に振った。そうか、とラナーニャは肩を落とした。


「じゃあ私の思い違いかもしれない。すまない、忘れてくれ」

「待てラナ。詳しく教えてくれないか――君は何を感じたんだ?」


 シグリィはラナーニャに向き直り、真顔で問う。

 彼は彼女の感覚を信じていた。彼女はどこかしら、人より敏感なところがある。

 ――シグリィの秘密をすぐさま見抜いた眼力を、否定することはできない。


 シグリィの真剣さにラナーニャは戸惑うような気配を見せた。説明がどこかぎこちなくなる。


「え、ええと……あの方向。あの方向に、何か……おかしな感じがしたんだ」


 そう言って彼女が指し示したのは、今剣士たちが戦っている方角――東ではなく、そこを左にずらした北東の方角だ。

 そちらに広がっているのも当然のごとく草原だった。ある程度の凹凸と豊富な木々はあるものの、おおむね平坦な土地である。

 はるか遠くには山脈、そのふもとに森が見える。


「あの森か? それとも山か?」

「違う。そこより手前……だと思う」


 それを聞いてシグリィは目を細めた。

 彼らの目的地『クルッカの森』は、山々のふもとの森よりは南にあるはずだった。今ラナーニャが指さしているのは、まさにその場所ではないのか。


「どんな感じだった? 瘴気か?」


 問うと、ラナーニャは考え込むように口をつぐみ――それから、妙に情けない顔をした。たぶん、信じてもらえないと思ったのだろう――


「……声、みたいだった。女性の、何かを引き裂こうとしているみたいな、金切声……」



『クルッカの森に囲まれるようにして、かつてひとつの村が存在していたことが分かっている。

 総勢二十名ほどの小さな村だったという。森の一部は切り拓いたものの、必要以上の土地を望まず身を寄せ合うようにして暮らしていた。


 彼らの結びつきはとても強かったようだ。村の成り立ちを思えばそれも当然であろう。彼らは親族ではなく、それぞれが生まれ育った土地を捨てこの地へ集まった無関係の人々だった。


 彼らの間にあった絆はたったひとつだ。――すなわち、彼らが崇めている神は『地祖四神』であったということ』




 ユードがアルフレート・アティスティポラに命じられたことは、アルメイアの北の隣町にあたるサモラへ商品を持ち込むことだった。

 移動、と言っても徒歩ではない。そこはアティスティポラのお家芸――移動用魔法陣がある。


(……高い消耗品だから、本来、使用は認められていないんだけどね)


 心の中でそう思い、自嘲気味に笑う。しかし口実などどうにでも作ることができる。ユードは迷わず魔法陣を使用・展開した。


 ――“死の大地”に調査に行く予定なんだが、一緒に行かないか。


 オルヴァ隊長からのその申し出はユードに少なからず動揺をもたらした。


(隊長が調査に行くということは)


 あの土地に、国が興味を向けたということだ。最初の調査団から十五年経って今さら。

 それを思うと、腹の奥底からふつふつと煮えるような何かが湧き起こってくる。


(散々無視しておいて)


 いや――正しく言うなら、無視されている方がありがたかった。

 このまま、忘れ去られてしまう方が良かったのに。


(その上旦那様までどこかの旅人を調査に行かせたとか……このままじゃまずい)


「目録通り、確かに受け取ったよ~。いやあアティスティポラの品は相変わらずいい仕事してるねえ。……ん、どうしたユード?」


 サモラの町の取引相手である商人、ゴーシュ・ナロセイドが、目録から顔を上げてしげしげとユードの顔を見る。


 ここはサモラの中央部にあるバザーだ。辺りはあらゆる商人と買い手たちの熱気に包まれ、彼らの興奮を示すように砂埃までうっすらと立っている。


 サモラはアルメイアとは別の種類の『商人の町』だった。アルメイアは商人が多いと言ってもアティスティポラ一強であり、その影響が大きすぎてほぼ独裁と言っていい。そのため町の雰囲気にもどことない統一感があるのだが、サモラは真逆だった。


 ここはごちゃごちゃしてせわしない。


 一人ひとりの商人はあくまで自分の利益を出すことに必死。≪扉≫による被害を商売の機会と考え、我こそはと野望を抱く者がここには多い。


 その一方で、一方的に食い物にされるほど可愛げのない一般人たち。商人一人ひとりを狡猾に値踏みして、自分たちの経済的被害を最小限に食い止める。


「……ここも≪扉≫の被害は少なかったみたいだね」


 ユードはまずそこから話を始めた。今の時期、時候の挨拶のようなものだ。

 まあねえ、とゴーシュは肯定した。


「うちはアティスティポラから常に防衛用のアイテムを補充しているし、その手のものを売りにしている商人も多いからね。あとはいざというときそういうアイテムを遠慮なくぶっ放す肝の据わった町人が多い」


 ケタケタとゴーシュは笑う。人の気に障る笑い方だが、本人はそれを分かっていて気に入っているらしい。


「アイテムか」

 ユードはその単語を繰り返した。内心では、サモラがほぼ無事だった理由のもうひとつの要因に思いを巡らす。


 『それ』はサモラの裏社会の力と言っていい。サモラが人の出入りの激しい商人の町だからこそ、絶対に必要な力。


「何か、気になることがあるみたいだねえ」


 支払いの金貨を数えながらゴーシュはいかにも興味がなさそうな口ぶりで言う。

 ユードはゴーシュを見つめる。目の前の褐色の肌の商人は、容貌も中身も明らかな南部人だ。しかし……


「……ゴーシュ。うちの旦那様からの話、どう思う?」


 静かに囁く。

 ゴーシュの狐目の奥が、暗く光った。


 バザーは相変わらず盛況だ。それぞれが自分の商売に夢中で、何の変哲もない吟遊詩人と商人には、誰ひとり注目していない。

 ゴーシュは片眉を上げ、アティスティポラからの信書にちらりと目をやる。


「……バルナの旦那はあくまで南部の味方なお人なんだぁね。ま、それも面白い」

「南部に恩があるというのが旦那様の口癖だ。だけどたぶん、南部の方が商売ができるというのが本音だと思う」

「そりゃあ確かになあ」


 ゴーシュが両腕を頭の後ろで組んでおどけた顔をする。「あらゆる締めつけが強い西部で一介の商人が財を成すのは一苦労だぜ」

「それに南部の魔力は」

「商売の糧だしな」


 ユードはうなずいた。ゴーシュは適当そうに見えて、そのじつ非常に頭の回転が早い。

 で、とゴーシュは急に声を低くした。すぐ隣を通り過ぎた誰かに聞こえぬように――


「お前さんは、どうしたい?」

「……頼みがあるんだ、ゴーシュ。傭兵をぼくに貸してほしい」


 ユードはまっすぐとゴーシュを見つめて、そう言った。



 ゴーシュと知り合ったのは単なる偶然だ。


『お、目ぇ覚めた? どーかな気分は』


 狐目が目の前にあった。ぼくはうなるように、あいまいに言葉を投げつけた。

 何を言ったかはよく覚えていないけれど、たぶん悪態だったのだろう――


『ははっ、威勢のいいやつだね~そんな状態で。しかも俺ぁ命の恩人だよ?』


 ぼくはもう一言、悪態をついた。こっちのことはよく覚えている。


 ――いい人ぶるな、偽善者め。


 すると常に笑っているように見える狐目の片方が、ほんの少し瞼を上げたような気がした。

 ぐ、と息が苦しくなる。首をわし掴まれた。ただでさえはっきりしなかった意識がいっそう朦朧とし、目の前の狐目が二重にぼやけ始める。


『……おもしろいことを言うねえ、ガキの癖に』


 ガキじゃない、と言い返した。……言い返したつもりだったけれど、言葉になったかどうかはわからない。


 実際、もう子供でいるつもりはなかった。自分はとっくに両親を亡くしていた。たったひとりの姉は仲間たちと一緒に暮らしていて、一方の自分は大半の時間、一人で大陸に出稼ぎに出ているのだ。


 自分で生計を立てている自信はある。だったら子供じゃない。

 それどころか姉や仲間たちの生活を支えているのは、間違いなくぼくひとりだ――


 渾身の力をこめて、両手で首を絞める手を引きはがそうとした。思い出した、姉と仲間たち。ぼくの生きる理由。

 こんなところで死にかけている場合じゃない。


『お。まだ生きる気があるんだ? そんなぼろぼろで』


 狐目は今度こそ本当に笑って、ぱっとぼくの首から手を放した。悪い悪い、と本当に軽い調子で。


『俺だって苦労して助けた相手を簡単に死なせる気はないさ。でもまだ生きていたかったんなら、命の恩人にはやっぱり礼を言っておくべきだと思うんだけどねえ』


 ぼくはため息を吐いたはずだ。ケタケタと、馬鹿にしたような笑い声がする。

 やけっぱちで礼を言うと、『どーも』と適当すぎる返事があった。


『やっぱり面白いね、お前』

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