Side:Sigrye 02

「何と言いますか……」


 珍しく、カミルがぼやいているのが聞こえる。


「扉が開いた直後のには、毎回辟易しますね」


 そんなことを言う青年の長剣が目に見えぬ速さで風を斬り、ニ匹の《獣型》の首を跳ね飛ばした。


「やーだカミル。へこたれたの~?」


 茶化したセレンが、次の瞬間には声を鋭く張り上げた。


「我の邪魔をするもの微塵にしてくうなり! 破爆!」


 辺り一帯が大爆発を起こす。ここしばらく戦い通しの彼女の魔力――これは古い呼び方で、現在では具現力と呼ぶが――は、いつも以上に絶好調だ。

 そして爆発によって木っ端微塵に吹き飛んだのは――


「……《獣型ビースト》、二十二匹というところかな」


 一人もくもくと、近くに倒れていた、のではなく戦いの最中にカミルが樹に腰をかけ、シグリィはブドウをつまんでいた。


「……すっぱい」


 当たり前だ。今はブドウを収穫する時期ではない。

 そんな無防備この上ない少年を、狙わない敵がいるはずがないわけで。虎の姿をした《獣型ビースト》が、猛然と少年のいる方向へとダッシュしてくる。


「せっかく春の息吹だというのに、ここらはあまり花がないな」


 つまらなそうに言うシグリィの手が、一瞬動いた。

 ――虎型が雄叫びを上げる。

 その喉に、銀の短剣が突き立っていた。間もなくして、虎は断末魔の叫びを上げながら塵となって消え去った。


「種はどうするか……」


 つぶやきながらシグリィは、左手の指先を動かした。

 鋼糸が音もなくまっすぐ飛び、地面に落ちたままだった銀の短剣を巻き取って、少年の手元へと引き寄せた。


「……適当に撒いておけば根をつけるだろうか」


 芽はつくかもしれないが、はて、育つだろうか。

 まあいいか。種はその辺りに捨てるとして、残っている房の方はどうするべきか考えた。すっぱいが保存食にはなるだろう。一個一個房からはずし、袋に大切に入れる。

 その作業が終わると、シグリィは樹に腰かけ直した。


「それにしても、春の陽気だ」


 ぽかぽかと。のどかで呑気な太陽の下、少年の連れ二人はまだ戦っている。《獣型ビースト》が剣で胴体を真っ二つにされ、四肢を斬り飛ばされ、脳天を叩き割られる。そして真空波に衝撃波に大爆発に……

 額に手をかざして太陽光を眺め、シグリィはほけっとつぶやいた。


「……いい春だなあ……」

「どーこーがーでーすーかー!?」


 セレンのつっこみが入った。おそらくカミルにも聞こえていただろうが、彼は懸命にも口を開くのを避けたらしい。


 シグリィとしては、別につっこまれたくて言ったつもりはないのだ。

 陽射しだけを見れば、本当にのどかな春の暖かさだった。セレンの魔力熱でだんだん辺りは夏並みに暑くなりつつあったが、おおむね心地のいい景色である。


 本当に、と苦笑する。

 《月闇つきやみとびら》が開くのが、春でなければいいのに。


 いや、どの季節で開こうと、夏でなければいいのに、秋でなければいいのに、冬でなければいいのに、と同じことを言うのだろうが。


(そうは言っても、“春”は残酷だな……)


 シグリィは足下を見る。

 靴で踏んでいるのは若草。柔らかい、けれど逞しい草たちだ。

 春は、命の生まれる季節。

 そう思うと同時に、分かっている、と再びの苦笑。

 ――、扉は開くのだ。


 熱が引いていく。ひゅう、とセレンが息を吹くのが聞こえる。


「あー、熱かった」

「あなたは考えなしすぎます。もう少し調節して攻撃魔術を選べないんですか!」


 汗を少しもかいていない、不思議な体質のカミルは、早速セレンに説教を始めた。場が場なら正座で説教である。

 まあ、セレンのやり方次第では自分も巻き込まれるのだから仕方がない。

 しかしそこは、六年にもなるパートナータイムのたまもので、彼らの連携が崩れたことはないのだから、感心する。

 もちろん、彼らのそんな信頼関係を一番信頼しているのは――

 当の、彼らの主なのであって。


「まあまあ、そんなに怒るなカミル。かすり傷ひとつ負ってないんだから」


 シグリィにはめっぽう弱いカミルは、むすっとして黙り込んだ。シグリィ様~、とセレンが嬉しそうに主に飛びついた。

 カミル、当年とって二十八歳。

 セレン、当年とって二十六歳。

 二人とも、シグリィより十も上の大人だ。だが、この六年間ずっと護衛として……シグリィを主と呼び、つき従っている。

 ただしセレンに関して言えば、「主従ってなんかかっこいいわよね」というノリらしいが。


 さて、とセレンを押し離し、シグリィは再度太陽の位置をたしかめた。


「思ったより時間をくったな。今十時というところか。……四月アプリーリス一日、午前十時、と」

「ガナシュの町まで、あと一時間です」

「着いたらすぐに食事だな。……いや、それまでにどうせまた襲われるだろうから、昼下がりになるだろうが」

「あーん、ご飯が遠いー!」


 お腹すいたよう、と泣き真似をするセレンに、しらっとした視線で「我慢しなさい」と言い切る料理番は、


「なんでよー! 保存食!」


 とセレンにすがりつかれ、迷惑そうな顔をした。

 しかし、真実を口にしない。それは間違いなく彼の優しさだったのだが、「お腹すいたお腹すいた」とうるさい彼女には、本当のことを言わなければ済みそうにない。


「すまない」

 と横からシグリィが謝った。「保存食は底をついているんだ。私が昨夜、食べきった」

「え? シグリィ様が――」


 ぽかんとしかけたセレンは、次の瞬間、はっと表情を変えた。

 気まずそうにカミルと、そしてシグリィをかわるがわる見て、


「ごめんなさい……」

「謝るな。仕方のないことだ。――私の力不足でもあることだし」

「でもでも、扉が開いたことに気づかずに一人でぐーすか寝てたなんて」

「気にするな。どの道お前は朱雀の《いんのものだ」


 シグリィはひらひらと手を振って、気軽さを表現した。


「――扉から生まれたばかりの“迷い子”は、朱雀の者をまっさきに食べたがる」



 この大陸は、四神と呼ばれる神々の加護を受けている。

 北部、玄武神ラティシェリ。

 東部、青龍神コーライン。

 西部、白虎神アルファディス。

 南部、朱雀神イリス。


 そしてこの大陸で生まれた人間は、必ず体のどこかに、四神の《印》と呼ばれる物をひとつ持っている。それによって、扱える力が違うのだ。


 “迷い子”。人間の肉を求めてさまよう獣たち。

 四神が与えた力は、その“迷い子”に対抗するための力。


 稀に二つ以上の《印》を持つ者もいるが――

 大抵の場合、力の持ちすぎ、あるいは最悪、持ってしまった力の相性が合わずに自分の体が内側から破壊されてしまう。


 カミルの場合は白虎神の加護を受けている。その証は、利き手である右手甲にある白虎の《印》だ。

 セレンは朱雀。《印》は右肩に現れている。

 シグリィは――……


「昨日の夜から、“迷い子”は私たちを狙って周囲をひたひた歩いていたからな。まあ、結界が作れるのは私だけなのだし」

「う~。ごめんなさ~い」

「だから謝ってどうする」


 女性にしては背の高いセレンも、伸び盛りのシグリィとはもう身長は変わらない。てい、とシグリィは手刀をセレンの額にしかけた。

 そして、ふわりと悪戯っぽく微笑む。


「目が覚めたら、しっかり働いてもらうつもりだった。それで十分だ」


 現に今まで働いていただろう。そう言うと、セレンはようやく笑った。

 その笑顔をたしかめたような間で、カミルが口を挟んでくる。


「そろそろ出立しましょうか。ガナシュの町はここから西南西です」

「ああ」

「はーい」


 彼らは歩む。

 ――”迷い子”と呼ばれる獣たちが跋扈ばっこする大陸を。




 月闇の扉開くとき……

 世界は怨念に包まれる……

 怨念は姿を変え……

 獣となって、人を喰らう……

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