21
グロリオーサはアイリスの封印が解かれた瞬間から戦いをやめ、移動を開始していた。
祭壇のある洞窟の方角で、世界が崩れるかのような精霊の反応を感知したからだ。
そして山の上空に浮かぶアイリスを捉え、戦慄した。
あれだけはこの場で殺さなければならないと確信した。
上界の民として長く戦ってきた者の本能だった。
グロリオーサは翼をたたんで速度を増した。
夜空には星々があるはずだったが、良く見えなかった。
自分の周囲を漂う精霊たちの光が強すぎたためだ。
アイリスはグロリオーサの姿を認めると、周囲の光を集め、盾のように展開してそれを受け止めた。
グロリオーサは減速せずアイリスの盾に直撃した。
剣の先端が光の盾にめり込み、徐々に刺さっていく。
アイリスは高度を下げて回避した。
グロリオーサがそれに合わせて進路を修正し、二人の天使は斜めに落下して山の地表に激突した。
土埃の中、先に立ち上がったのはグロリオーサだった。
彼はアイリスに向かって一瞬で近づくと、剣を振るった。
アイリスは体を躱して最小限の動きで避ける。
それはさきほど戦った少年少女たちと同じ動きだった。
轟音と共に大地が裂けるが、傷は与えられていない。
アイリスは返しに蹴りを放ってきた。
グロリオーサの側頭部に直撃し、まるでメイスが金属の壁を叩くような音が響き、兜がひしゃげた。
グロリオーサはその勢いのまま兜を脱ぎ捨てながら大きく後退すると、翼を広げて減速し、地面に着地した。
間髪入れずにアイリスの周囲に漂っていた光たちが飛翔する。
それは矢の速度でグロリオーサに向かい、彼が構えた盾に突き立つとまるで爆弾のように炸裂した。
その衝撃はグロリオーサの全身に伝わり、彼は両足を踏ん張り、歯を食いしばってこらえた。
アイリスは続けていくつもの背中の翼を動かした。
鞭の動きで荒れ狂うそれがグロリオーサに向かってくる。
彼は盾と剣を用いて、その乱撃をことごとく撃ち落していった。
戦士としての本能が研ぎ澄まされていくのを感じる。
戦いを楽しむ余裕は一切なかったが、グロリオーサは、これこそが本当の戦いなのだと知っていた。
光の帯を弾きながら、グロリオーサはアイリスの動きを観察していた。
彼女は操術士に操られており、体術は異常なほどに優れている。
だがその半面、簡単な精霊術でしか攻撃してこない。
精霊術は、別世界から精霊を呼び出し、その力を借り受ける術のことである。
現在のアイリスは、呼び出した精霊をそのままたたきつけるような乱暴な使い方しかしていない。
勝機はそこにある。
剣で叩き切ると、光の帯は霧散し、再生することはなかった。
グロリオーサはアイリスの攻撃をかいくぐって前進を始めた。
帯の数は二十以上あったが、全て切り落とせばアイリスは丸裸だ。
レギンたちは大地を揺るがす衝撃に足を取られながらも、洞窟を抜け出し、山の地表へと移動していた。
アイリスたちが戦っている場所が遠くに見えた。
地表で花火が炸裂し続けているような光があった。
「どうなってるんだ!」ガーベラがレギンの隣で言った。
マーガレットは目を細めて光を見つめて呟いた。「すごく、綺麗……」
正直なところ、グロリオーサを倒すのは難しく思えた。
彼はアイリスの攻撃に慣れ始めている。
レギンがもっと精霊術の扱いに熟達していれば話は違っただろうが、そんな話はしても仕方がない。
アイリスの操る光の帯は次々と破壊され、どんどん数が減っている。
グロリオーサは完全に動きを見切っているようだ。
「かっ、勝てるのか?」
ガーベラはレギンの服をつかみ、興奮気味に言った。
アイリスの視界からは、今まで見たこともない景色が広がっている。
それは色とりどりの光の洪水だった。
大地も大気も、すべてに光が満ちている。
アイリスを支配している今だからこそわかる。
これらはすべて精霊の光だった。
アイリスの瞳は、少しずれた階層の世界を見ている。
これは精霊の世界だ。
精霊術は、この階層から精霊を呼び出しているのだ。
アイリスの精神状態が全く把握できない。
そもそも、彼女の自我はまだ残っているのか。
レギンは膝をついた。
内臓がすべて液体になったような気分だった。
時間が経つごとに強烈なノイズが走り、操作が難しくなっていく。
先ほどは蹴りを放って難を逃れたが、再び同じように操ることは難しいだろう。
「おい!」「レギンさん!」
左右からガーベラとマーガレットに支えられた。
いつの間にか二人が待機状態になっている。
他のドールを操作できない。
全く余裕がなかった。
レギンは自身の視界が赤く塗り潰れていくのを感じた。
誰かが話しかけてくる。
それはレギンたちが普段使っている言語ではなかった。
声の出所も分からない。
「誰だ」レギンは問うたが、返事はなく、ただ一方的に話しかけられている。
レギンは朦朧とする意識のまま、声の指示の通りに、膝をついたまま手を掲げた。
アイリスはレギンに連動するように手を掲げた。
グロリオーサは光の帯を弾きつつ、目前に迫っている。
アイリスの手のひらに光球が生まれた。
それは周囲の光を巻き込み、体積を増大させていく。
見る見るうちにそれは二階建ての建物ほどになり、それでも膨張は止まらない。
まばゆい光に照らされ、あたりは夜を忘れてしまったかのようだった。
下から見上げていると感覚が狂うが、ついに球体は夜空を覆い隠してしまった。
グロリオーサは表情を変えない。
アイリスの繰り出す光の帯の最後の一本を破壊し、勢いよく踏み込んだ。
切り上げられた刃は、アイリスの胸の中心へ届いた。
肉と骨を裂いたその一撃は、アイリスの心臓を正確に破壊し、傷口は背中側にすら達していた。
傷口から血が噴き出すのと同時に、頭上の巨大な光球が破裂した。
一瞬だけ視界が真っ白に漂泊され、光球は消え去り、周囲はあっけなく夜に戻った。
耳が痛くなるほどの静寂のあと、アイリスの胸元からこぼれだしていた血が、光を放って消えていった。
同時に胸の傷口からも一瞬光が放たれ、そして白い肌には微かな傷も残っていなかった。
裂けているのは服だけだ。
治癒の魔術でも傷を癒すことはできるが、まったく違う現象だった。
これでは「再生」ではなく「復元」だ。
グロリオーサは驚嘆の表情を浮かべながらも、さらに踏み込み、次の攻撃を繰り出した。
剣が爆発的に光を放つ。
横薙ぎの一撃はアイリスの細い首を両断する軌跡を描いて通り抜ける。
だがアイリスの首には細かな光の粒子が残像として残っているだけだった。
薄皮一枚切れていない。
アイリスは首元の青い蛇をさすり、そして、――獲物を前にした獣のような、獰猛な笑みを浮かべた。
グロリオーサは翼を広げて飛び退いた。
アイリスは追うように右手を掲げる。
夜空に暴風が吹き荒れ、竜巻の如く瞬時に集まっていく。
形も色もないそれは、圧縮された大気で形成された巨大な槌だった。
アイリスが右手を拳の形にして振り下ろすと、逃げるグロリオーサの頭上めがけて勢いよく激突した。
グロリオーサは頭部を守るように咄嗟に盾を構え、爆風の如き攻撃を受け止めた。
地面にたたきつけられ、衝撃で両足が大地にめり込み、亀裂が走っている。
その場に大剣を落とし、両手で盾を持った。
風は流れ落ちる滝のように止まず、無色透明の槌はグロリオーサをその場に縫い留めていた。
アイリスは左手を差し出した。呼応して地響きが起こり、地面が脈動を始めた。
グロリオーサの背後の足元で、土や岩が一点に集まり、圧縮され凝集されていく。
やがて地面から鋭利な突起が伸び、絞り出されるかのようにして斜めにゆっくりと突き出されていった。
先端はグロリオーサの背に向けられている。
それは刃の形をしていた。
先端に向かうしたがって赤熱しており、切っ先は白く光り輝いていた。
グロリオーサは両手で盾を持ち、頭上から襲い来る風の槌を防ぎながら、背後へ目をやった。
だが彼にその場から移動する余裕はなかった。
アイリスはゆっくりと大地から生える剣に向かって、左手を動かした。
まるで糸を引っ張るような、気安い動きだった。
途端に大地の剣は伸び、グロリオーサを背後から襲った。
それは鋼鉄を超える硬度を持っている。
光輝を放つ刃はグロリオーサの強固な鎧をものともせずに貫き、彼を背中から串刺しにして持ち上げた。
アイリスは右手を振り払った。
風の槌が一瞬で消失した。
グロリオーサは兜を失っており、その顔が良く見えた。
彼は声を上げず、胸元から生える刃へ目を落とした。
刃の熱量の為か鎧は融解し、貫かれた肉体からはぶすぶすと蒸気が昇っていた。
彼は首を傾け、アイリスを見下ろした。
口からは赤黒い血がこぼれている。
やがて瞳から意思の光が消え、首元から黒い首輪が消えていった。
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