20


 アイリスは石の床から顔を上げた。

 巨大な光が集まっている祭壇の間に、男があわただしく駆け込んできたからだ。


「報告です!」男が言った。彼は操術士のようだったが、エメリウスの首輪がついていた。「見張りがやられています!」

「俺のスレイブもだ」エメリウスが言った。「防壁越しに遠くから一発でぶち抜かれてる」

「銃の弾丸に精霊術を込めたんだ。簡単な方法だよ」


 コスモスは最後の天使の死体を光へ変えたところだった。


 エメリウスはコスモスに詰め寄った。「天使は敵に回らないんじゃなかったのか。アイリスは忌み子ってやつなんだろ」

「……何事にも、予想外の事態は起きるものさ」


 二人がじっと見つめ合うのを、アイリスは祭壇の中央で見ていた。

 二つの視線には敵意や打算が入り混じっていたが、アイリスはそれ以外の何かがあることも感じ取っていた。


「その通りだ!」エメリウスは突然肩の力を抜いて笑った。「予想外は起こる。問題はどう対処するかだ」

「グロリオーサ、出てくれる?」コスモスはグロリオーサの手に、手甲越しに触れた。


 グロリオーサは頷いて兜をかぶった。

 盾を構え、吹き抜けの天井へ翼を広げて飛び上がっていく。


 アイリスは高鳴る鼓動を抑えきれなかった。

 レギンが助けに来たのだ。

 





 グロリオーサは夜空を飛行し、戦いの音を聞きつけた。

 意識は虚ろだったが、慣れ親しんだ空気を間違うことはなかった。


 血と鉄をぶつけ合い、命を削り合う、あの愛しい場所。


 グロリオーサは翼をたたみ、山の中腹へ向けて急降下した。


 そこでは天使の子供たちがスレイブの軍団を相手に正面から戦っていた。

 銃やメイス、魔術の力が吹き荒れる中、彼らは一糸乱れぬ動きで立ち向かっている。

 彼らは時に集合し、時に散開し、百を超えるスレイブたちと同等に渡り合っていた。


 彼らに言葉は無く、意思の疎通の素振りは無かった。

 青い蛇の首輪がついているからだ。


 グロリオーサが岩がちの戦場に降り立つと、エメリウスのスレイブたちは譲るように一歩引き、撤退しはじめた。

 命令が更新されたようだ。


 不完全な操術の影響か、グロリオーサには記憶がほとんど残っていない。

 自分のことも忘れ、言葉も忘れ、上界の頃のこともおぼろげだった。

 どうして今ここにいるのかもわかっていない。


 だが最近の戦いには不満があることだけは覚えていた。

 まるで作物を刈り取るような、そんなつまらないものばかりだったからだ。


 グロリオーサは盾を構え、大剣を手に持った。

 光が集まり、大剣が輝きを増す。

 薙ぎ払うように剣を振るうと、地表がめくれ、撤退の遅れたスレイブも巻き込んで吹き飛ばしていった。


 土煙の中から一つの影が現れる。

 盾を持った者を先頭にして、他の子供たちが一斉にその背後に隠れていた。


「はは!」


 グロリオーサは笑った。

 目の前にいる四人の戦士たちは、間違いなく歴戦のそれだと確信したからだ。


 久しく感じていなかった感情に心が躍る。


 ひとまとまりになっていた影は四つに分かれ、グロリオーサに向かって走り出した。

 





 レギンは吹き抜けの上から洞窟の中を見下ろしていた。

 光の帯が渦巻いていて内部の様子は良く見えないが、中央にアイリスの姿があることは確認していた。

 エメリウスと、コスモスの姿もある。

 エメリウスの切り札とも呼べるような屈強なスレイブがそばに何体か控えていた。


「向こうはどうなってる」


 ガーベラはレギンの背後で周囲を警戒しながら言った。

 彼の手には弓があり、背には矢がある。


 ここまでは気配を消し姿を隠してやってきたが、意外に手薄だった。

 天使の子供たちを派手に動かしたのが功を奏しているようだった。


「グロリオーサが到着した。いま戦ってる」

「……大丈夫なんですか」マーガレットが言った。彼女の手には剣と盾がある。

「もちろんだ」レギンは銃を抜いた。「スペックが同じなら対等に戦える」

「倒せるのか」ガーベラが言った。

「……時間を稼ぐだけだ」


 レギンの言葉に、ガーベラは何か言いたかったようだが、頷いただけだ。

 グロリオーサの強さを自覚しているからなのだろう。


「それで、この後はどうする。陽動でグロリオーサをおびき出して、気配を遮断して近づいて、それで?」

「まず一撃ぶち込む。そのあとは混乱に乗じて……」

「無計画かよ」ガーベラは嘆息した。


 お前にだけは言われたくない、と思ったレギンだが、何も言い返さなかった。


 その代わりに、洞窟内部の光を指さした。

 まるで生き物のように光がうごめいている。「触れても平気なんだよな」


「……ああ」ガーベラも覗き込んだ。「あれ自体は無害だ。触っても何も起きやしない」


 好都合ではあったが、同時に頭上からの狙撃を難しくしていた。


 レギンは腰から手榴弾を手に取り、吹き抜けから放り投げた。

 そしてわずかな時間差を設けて、ガーベラ、マーガレットと共に飛び降りる。


 二人は一瞬だけ驚いた顔をしていたが、すぐに表情が切り替わる。

 完全にレギンの支配下に入ったためだ。


 最初に落下したのは手榴弾。

 炸裂して激しい音と共に煙が勢いよく吹き出す。

 エメリウスのスレイブたちは、即座に主人を守るように動き出した。


 三人は光の帯を通り抜け、アイリスのすぐそばに着地する。

 相当な高さだったが、レギンたちはまるで苦にしなかった。


 アイリスは音にやられており、耳を押さえてうずくまっていた。

 マーガレットの剣が走り、右手と右足の鎖を半ばから断ち切った。


 頭上にいるガーベラの視界で煙の向こうを見る。

 敵の気配を明確にとらえており、一方的な煙幕として機能していたが、即座に異様な風が吹き荒れた。

 それは竜巻となり、洞窟の吹き抜けを通って煙を巻き上げていった。

 一瞬で視界が晴れてしまう。


 ガーベラは矢をつがえ、弦を引き絞った。

 狙いはエメリウスだったが、矢は盾となったスレイブに突き立っただけで、貫通することなく止まってしまった。

 エメリウスを護衛するそのスレイブは、特別に強固な防壁を展開できるようだ。


 煙を振り払い、巨躯のスレイブが突き進んできた。

 手には巨大なメイスがある。


 レギンはアイリスの解放を一旦諦め、ガーベラ、マーガレットと共に後退した。


「レギン!」アイリスが叫んだ。「レギンなの!?」


 スレイブたちは大口径の銃を所持していたが、撃っては来なかった。

 広間の中央にいるアイリスが射線にいるため誤射を恐れているのだろう。


 レギンたちは一体のスレイブによって壁際に追い詰められたが、マーガレットの剣がメイスを両断したことで形勢が逆転した。

 レギンの陰から飛び出したガーベラが至近距離で矢を放ち、そのスレイブは頭部を貫かれて倒れた。


「それで!」エメリウスはスレイブの背後に隠れ、楽しそうに叫んだ。「こっからどうするつもりだ! 兄弟!」


 エメリウスの精鋭たちがメイスを構えて走ってくる。


 レギンはマーガレットを自分の前に配置し、ガーベラを自身の背後に配置した。

 二人は文字通り、レギンにとっての武器であった。


 レギンが突出すると、好機と言わんばかりにスレイブたちは必殺の一撃を繰り出してきた。

 そこをマーガレットの盾で弾き、背後からガーベラが矢を放ち、頭部を射抜いた。


 レギンは自身を囮に立ち回ることで、戦いを有利に進めていた。

 それはいつも通りの戦い方だった。


 アイリスを射線から外すようにして、敵のスレイブが銃撃を仕掛けてくる。

 ガーベラがいち早く察知し、マーガレットが盾を構えて防いだ。


 敵に回り込まれた。

 マーガレットは盾で弾丸を防ぎながら、手にしていた剣をレギンの頭上へ放り投げた。

 ガーベラは弓を手放してそれを受け取り、そのままの流れでスレイブへ切りかかった。

 メイスを裂いて、胴体を切りつけたが、致命傷には至っていない。


 レギン自身はその間、エメリウスへ視線を向けていた。

 自身のスレイブの陰に隠れてはいるが、逃げる素振りは無い。


 アイリスを連れて逃げるのは悪手だ。

 組織力等を考えれば、エメリウスから逃げ切るのは一介の人形遣いには不可能だ。

 ジグムントを介してコンラー家の助けを得ることも難しいだろう。


 エメリウスは、どうしてもここで殺す必要があった。 


 壁際にいたコスモスが、焦りの表情を浮かべながら、アイリスに向かって歩いていく。

 手には小振りな短剣があった。

 刀身に文字が彫られており、柄にも特殊な装飾が施されている。


 アイリスを殺す手順が訪れたのだろうか。


「レギン!」


 アイリスが叫ぶ。

 左手と左足の鎖は外れず、虚しく音をたてるだけだ。


 レギンはコスモスに向かって、マーガレットの盾の陰から飛び出した。


 目の前に巨躯のスレイブがレギンの目の前に立ちはだかった。

 それは猛獣の動きでメイスをふるってくる。

 レギンは頭部に狙いをつけて拳銃の引き金を引いた。

 精霊術が込められた弾丸は、二発のうち一発は直撃したが、顔の一部を抉るだけで止まった。

 防壁が硬すぎる。


 剛腕がうなり、レギンはナイフを抜きながら体を倒して躱した。

 鼻先が微かにこすれた。

 魔術による補助が無ければ避けられなかっただろう。


 続いて蹴りが放たれ、レギンは躱しながら精霊術の加護を受けたナイフで切りつけた。

 防壁を破り、わずかに服が裂ける。

 大した傷は与えられない。


 素早い攻撃をたて続けに避け、外れた攻撃は石の床を砕いていく。

 スレイブは足から血を流していたが、まるで意に介していないようだった。


「どうやって天使を支配した!」エメリウスは叫んだ。「教えてくれ!」


 コスモスがアイリスに迫る。

 アイリスは抵抗しようとしたが、コスモスに馬乗りになられてしまった。


 コスモスがナイフを頭上に掲げた。

 これまで広間の頭上にあった光の帯たちが短剣に集まり、吸い込まれていった。


 ガーベラもマーガレットも、目の前の脅威を対応させるだけで手いっぱいだ。


 一瞬気を取られた隙に、レギンの胴にスレイブの蹴りが突き刺さった。

 レギンは宙を舞い、石の床に転がった。

 傷は負わなかったが、たった一撃で魔術の防護がほとんどが失われた。

 レギンは今や丸腰の状態だった。


 すぐに起き上がると、目の前にスレイブが迫っていた。

 その向こうで、アイリスと目が合った。


 アイリスが何かを叫んだが、悲鳴ではなかった。

 レギンはすぐに気付いた。


 真名だ。


 レギンは即座に操術を行使した。

 伸びた糸はアイリスの心をとらえ、何の抵抗もなく支配することを可能とした。

 アイリスの首に首輪がつき、レギンの視界が一人分増えて、馬乗りになっているコスモスと、光り輝くナイフが見えた。


 コスモスは驚きの表情を浮かべていたが、アイリスの心臓に向けて短剣を振り下ろしてきた。

 アイリスはレギンの操作通り、手首をつかんでそれを受け止めた。

 だがコスモスに押し込められている。


 レギンはアイリスのスペックを瞬時に精査した。

 精霊術による加護が無いため、ガーベラたちと違い、ほとんど人並みの力しかなかった。


 アイリスの内側を探るうち、唐突に、レギンは古い鍵を幻視した。

 それはアイリスの精神に埋め込まれており、檻のような機能を果たしている。

 これこそがアイリスに施された封印なのだと、レギンはすぐに気付いた。


 鍵は操術とよく似ていた。

 ほとんど同じといってもいいだろう。

 その証拠に、レギンはアイリスを戒める封印にたやすく触れることができた。


 レギンはアイリスの鍵を掴み、封印を解いた。


 コスモスが悲鳴を上げた。

 アイリスに両の手首を握りつぶされたからだ。

 コスモスは短剣を取り落とし、よろよろと後ずさった。


 アイリスも立ち上がった。

 左手と左足の鎖を引きちぎると、コスモスの首へ右手を伸ばした。

 コスモスは苦しそうに呻いたが、折れて千切れかけた両手では抵抗することもできなかった。


 アイリスはそのまま力を籠め、コスモスの首を小枝のように折った。


 レギンの頭には、恐怖さえ感じるような圧倒的な全能感があった。

 これまで数多くのドールを操作し、ガーベラたちのような天使でさえ支配した。

 だがそれらのどれとも違っていた。

 自分よりも高次元のものと一体化したような錯覚がある。


 胸の内から、沸騰した溶岩のようなものが沸き上がってくる。

 レギンは体の震えを止められなくなった。


 アイリスはコスモスの体を放り捨てた。

 そしてその小さな背から、いくつもの光の帯が現れ、伸びていった。


 レギンはマーガレットとガーベラの元へ駆け戻り、三人でマーガレットの盾の後ろに隠れた。


 直後、広間の内部で光の帯が荒れ狂った。

 それはアイリスを中心として蛇のように動き回り、エメリウスのスレイブを狙っていた。

 スレイブたちは防壁を破られ、紙を裂くようにして次々と肉片に変えられていった。


 レギンにも、アイリスの力をほとんど制御できていなかった。

 マーガレットの盾に光が直撃し、三人は衝撃で壁際まで後退した。


 視界が赤くにじんだ。

 レギンは自身の目から、涙ではなく赤い血が流れていることを知った。

 鼻血もこぼれだしている。

 支配するドールの痛みがレギンに返ってくることはこれまでも何度もあったが、それらは所詮「信号」でしかなかった。

 アイリスを支配したことで発生している体の変調は、まったく異質なものだとすぐに分かった。


 時間はあまり残されていない。

 レギンはエメリウスを狙おうとアイリスを操作した。

 エメリウスをかばっていた最後の一体のスレイブに、光の帯が突き刺さる。


 そのままエメリウスを殺そうとして、レギンは――アイリスは動きを止めた。

 操作に激しいノイズが走っている。


 アイリスの首元に刻まれた青い蛇に、黄金色の鎖も混じっていた。


「は、ははは! アイリスちゃん! 俺だって操術士なんだぜ!」


 エメリウスは酔っぱらったように笑いながら、アイリスの元へ歩き出した。

 レギンと同じく血の涙と鼻血を垂らしている。


 当然の結果だ。

 エメリウスもアイリスの真名を聞いていたのだ。

 たった今、支配が完了したようだ。


 アイリスは動きを止め、背から伸びる光の帯たちも凍り付いたように動きを止めた。


 二人の首輪がつき、二人同時に命令を受けているため、動けなくなっているのだ。

 このままではアイリスの精神は壊れ、すぐに廃人になる。


 レギンは自分からの操作を停止した。


 エメリウスの支配が強まっていく。

 アイリスの何も見ていない瞳がレギンをとらえ、光の帯たちはレギンに向けて動き出した。


「馬鹿かよ! この子を気遣ったのか!」


 エメリウスは不確かな足取りでアイリスの隣に並び、半狂乱になって叫んだ。

 彼の血の涙は頬を伝って床にこぼれおちた。


「アイリス! 殺せ! レギンを殺せえっ!」

「興奮しすぎだ」


 レギンは鼻血をぬぐい、銃を構え、エメリウスに向けて撃った。

 胴体に二発。

 頭に一発。

 それだけだった。


 彼はまず、自分を守るようにとアイリスへ命令する必要があったのだ。


 エメリウスは狂喜の顔を浮かべたまま仰向けに倒れた。

 アイリスの首から黄金の鎖が消えていく。

 残ったのは青い蛇だけだった。


 レギンは鼻血をぬぐい、広間の中央に立つアイリスへ近づいた。


 操作を緩めて待機状態へ移行させようとしたが、光の帯たちは消滅させることができず諦めた。

 不気味に揺れているそれが制御を失って暴れだす可能性があったからだ。


 レギンはアイリスの虚ろな瞳を見つめた。

 彼女と言葉を交わしたかったが、今はできなかった。


「レギン」待機状態のガーベラが言った。「これも作戦のうちか?」

「このあとはどうするんですか」マーガレットが不安げにレギンを見上げた。

「グロリオーサが近づいてくる」


 レギンは眩暈のする頭を押さえた。

 二人は言葉を失って口をぽかんと開けた。


 アイリスの封印を解いた直後からグロリオーサはすでに戦いを中断しており、こちらに向かって飛翔を始めていた。

 四人の天使の子供たちの疲弊は激しくすでに限界が訪れていたが、幸いなことに深い傷は無く済んだ。

 時間稼ぎのみを目的としていたことが大きい。


 レギンはコスモスの死体へ目をやった。

 コスモスが死んでいるのに、グロリオーサは止まらない。

 コスモスが開発した術は、操術とは違う術であるようだ。


 レギンは一瞬で決断した。


 アイリスの体が浮かび上がり、そのまま高度を上げて洞窟の吹き抜けを上っていった。

 光の帯以外に、アイリスの周囲に大小の光球が現れだした。


「お、おい! どうするんだ!」

「グロリオーサを倒す」


 レギンはガーベラにそう応えた。



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