18


 アイリスは、冷たい石の床の上で目を覚ました。

 手足には鉄の鎖があって、立ち上がるとがちゃがちゃと音がした。


 周囲はぐるりと円形に石の壁で囲まれている。

 ここはどうやら洞窟のようだったが、天井は吹き抜けで夜空が見えた。


 この場所は、石でできた祭壇なのだとわかった。

 壁際には松明と、照らされるようにしていくつもの裸の死体が均等に並べられていて、中には見知った顔もあった。

 大落下で落ちてきた一族のものたちだ。


 壁に刻み込まれた文字は、精霊に語りかけるための上界の言葉だった。

 溝は赤黒くなっており、それが血であることはすぐに分かった。


 壁の一部はアーチ状の通路になっており、その奥から足音が聞こえてきた。

 恐怖で胃が締め付けられる。


 姿を現したのは、コスモスとグロリオーサだった。


 コスモスはアイリスの姿を見て眉を上げた。「起きたのかい」


 アイリスは答えず、注意深く周囲へ視線をやっていた。

 鎖のせいで行動範囲は限られている。


 グロリオーサは兜を外し、わきに抱えていた。

 首元には黒い首輪が刻まれているのが見える。

 彼はコスモスの背後で待機していた。

 瞳に理性の光は無い。


「あの操術士は、どうして君の言うことを聞いていたんだ」


 コスモスはそう言って、一歩一歩じらすように歩を進めてきた。

 アイリスは距離が縮むたびに身を固くしてコスモスをじっと睨んだ。


「ほら、いつかみたいにお喋りしよう」

「いつから裏切っていたの」


 コスモスは大げさに肩をすくめ、アイリスのすぐそばまでやってくるとじっと見下ろした。

 アイリスは顔を背け、目じりに浮かんだ涙を見られないようにと必死だった。


 上界で檻にとらわれていた自分に話しかけてくれたのも、すべて打算によるものだったのだと気づき、アイリスは悔しさに胸を焼き尽くされそうだった。


「だから、裏切ってたわけじゃないって」


 コスモスはすぐそばに立つグロリオーサを見て、彼の顔を撫でた。

 グロリオーサは微動だにしなかった。


「しょうがないだろ。こっちにもいろいろと事情があったのさ」


 コスモスのうっとりとした表情を見て、アイリスは眉をひそめた。

 その顔は、廃都フーアで見たことがあった。

 お気に入りのスレイブを手に入れた操術士の顔と同じだった。


 アイリスはグロリオーサの首輪に注視した。

 真っ黒なそれは、他の操術士たちの首輪とは、どこか毛色が違っていた。


 エメリウスの首輪は、金色の鎖の形をしていた。

 グロリオーサは誰に支配されているのか。


「グロリオーサ様に首輪をつけたのは、あなたね」


 アイリスは直感を言葉にしただけで、確たる証拠があるわけではなかった。

 だがコスモスの驚いた顔を見て、疑惑は確信に変わった。


「悪魔と戦うために、悪魔の力を学ぶ必要がある。あなたはかつてそう言った」

「そうだったかな」

「あなたは自分が操術を使いたいだけだった!」


 コスモスは歯をむき出しにして笑った。「だってずるくない? 誰かを操って、自分のものにできるなんてさぁ。それができるなら、誰だってそうしたいはずだよ」

「もう完成している」アイリスはグロリオーサへ目をやった。「あなたはグロリオーサを支配している」


 コスモスは何かを考えるようにグロリオーサを見た後、自分の胸元から、首元にかかっていた細い鎖を取り出した。

 間には指輪が通してある。


「君に渡した指輪の、改良品さ。下界に来て作った。なにせここは操術の世界だ。見本はいくらでもある。上界で作るより、遥かにいい物ができあがった」コスモスはそういって指輪を胸元へ仕舞った。「でも操術を使えるようになったわけじゃない。できることは脆い首輪をつけるだけ。簡単な命令しかできないし、前提として相手の真名を知ってないといけないし――」

「グロリオーサ様の、真名を、知っていたの?」アイリスは目を丸くした。「それなのに、どうしてそんなひどいことができたの」

「……君、誰かを好きになったことは無いでしょ」


 コスモスは腰を曲げ、アイリスに顔を近づけた。


「愛していたら、相手の全てが欲しくなるものさ」

「真名を受け取った! あなたはグロリオーサ様の最も大切な一人になった!」

「それじゃ足りない。何一つ満たされない。私は、もっときちんと、私のものにしたい。心が欲しいんだ。私のことを好きになるように、心を改造する。あの試作品じゃ、まだそこまでできない。もっともっと実験を重ねる必要がある。そのためなら、いくらでも死体を作ってやる」


 指輪の材料は、上界の民の体なのだ。

 アイリスはコスモスをにらみつけた。


「そんな方法じゃ心は手に入らない」

「あははっ! 言うじゃないか!」


 コスモスがの指先がアイリスに近づいた。

 その指先が優しく頬に触れる。

 コスモスの仕草は何もかも上界のころのままで、本当に同じ人物なのだとアイリスに突き付けてくる。


「じゃあ教えて、どうしたらいいの。言葉を交わし、体を交わし、それでも満たされない。不安で、乾いて、どうしようもない」


 アイリスはコスモスの瞳を覗き込んで息をのんだ。


 コスモスはいつくしむようにアイリスの顔を撫でていたが、やがて興味を失ったのか、アイリスに背を向け、壁に並べられた死体に向かって歩き出した。

 そして横たわる死体に向かって精霊の言葉を唱えると、灰が風に舞うように音もなく死体が崩れ、細かな光の粒子へと変化していった。


 精霊術に親和性を持つ上界の民の体は、死んだ後も有効利用できる。

 コスモスは死体を媒介にして、異常とも言える量の精霊を一度に現出させたのだ。


 精霊の群れはまるで羽虫のように飛び上がると、祭壇の中央、アイリスの頭上へ向かい、球体を形成した。

 アイリスは精霊術を使えなかったが、これらの光がどういった現象を引き起こそうとしているのかは想像ができた。


 だが、意味が分からなかった。

 この光は、何か莫大な力を拘束するためだけの、いわば鎖のようなものでしかない。


「……何を、するつもりなの」

「上界へ帰るのさ」コスモスは次の死体へ向かった。「見ればわかるでしょ。ここにある死体をすべて使って『梯子』を作ったって、『高さ』が足りない。上界はそれほど遠い場所にある」


 アイリスは眉をひそめた。

 それではどうするつもりなのか。


 コスモスはそんなアイリスを見て、呆れたように笑っている。


「私たちは死に際に最も『力』を放つ。そして忌み子である君は、存在そのものが精霊寄りで、莫大な力を持っている。……分からないのかい。君が核になるのさ。これは君の死から抽出した力を閉じ込めるための檻だ」


 アイリスはこの冷たい石の床の上で殺される未来を想像した。

 血の気が引くのを感じたが、それは一瞬のことだった。

 どうせ無事でいられるとは思っていなかった。


「上界で」アイリスは石の床へ目を落とした。「檻の中のあたしに会いに来てくれたのも、有効利用できると思ったから?」

「正直、君には同情している。まったく散々な人生だ。私が君だったら、なにもかも途中で投げ出してる」


 コスモスは次の死体を光へと変えていく。

 それはアイリスの頭上へ集まり、球を成して渦巻いている。


「でも安心してよ。君は決して無駄に生まれて死ぬわけじゃない。私のために死ぬ。だから安心して――」


 コスモスはアイリスの表情を見て口を閉ざした。


 アイリスは泣いていなかった。

 ただ敵を見据えているだけだ。


「……昔と変わったね。どうしてだい」


 アイリスは胸元を抑えた。

 服の内側では、意味のない指輪が鎖につながれてぶら下がっている。


 通路の奥から、いくつかの足音が聞こえてきた。


 祭壇に現れたのは、廃都フーアの主であるエメリウスと、何人かの武装したスレイブだった。

 彼らは大樹のようで、もはや別の生物だと感じてしまうほどの背丈をしていた。


「ウルリッツが死んだ」


 エメリウスは表情を硬くして言った。


「冗談でしょ」コスモスは目を見開き、上ずった声を出した。「腕輪は? 使ったんでしょ? 直前の実験ではうまくいっていたはずだよ」

「わからん」エメリウスは腰に手を当てる。「分かるのは首輪が外れたことだけだ。人形遣いの部隊も全滅してる。あの場にいた天使たちがどうなったのかも不明だ。……そっちの準備は?」

「あと二時間くらいだね。兵隊は用意した?」

「当然だ」エメリウスは頷き、アイリスを一瞥した。

「……まあ、そういうわけだよ」コスモスは次の死体へ近づいた。「あと二時間の命だ。しっかり味わってくれ」


 アイリスは祈るように頭上を見上げた。

 そこには夜空が広がっていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る