16:


 暗い夜の森で、フライメイたちは足を止めていた。

 誰もかれもがぜいぜいと息を切らせている。


 ガーベラの手の平の上に、目を凝らさなければ分からないような、ほんの小さな光がある。

 精霊術によって索敵を行っているのだというが、フライメイに精霊術のことはわからなかった。


 あれからフライメイ達はトラックを乗り捨て、森の中に逃げ込み身を隠していた。


「どうだ? 効いてるか」


 天使の子の一人は、また別の精霊術を行使していた。

 こちらは気配を隠す術らしい。


「向こうはこっちを見失っているみたいだ。……よし、撤退していくぞ」ガーベラは手のひらの光を消した。「レギンはどうなってる」


 フライメイも含め、ドールたちは全員首元を抑えていた。

 顔を見合わせており、混乱している。

 泣きだす者も、その場にうずくまる者もいた。


「さっきからどうしたってんだ」ガーベラが汗をぬぐいながら言った。


 いつのまにかドールたちの首から、首輪がなくなっていた。

 青い蛇がいなくなっているのだ。


「レギンはどうなったんだ……」


 一人のドールの口からこぼれた言葉を皮切りに、ドールたちは悲鳴のような声を上げた。


「真名を奪われたんだ。敵の支配を受けている」

「どうやって!」

「操術士には防壁があるはずだ」

「どうして俺たちは自由になった? なにがあったんだ!」

「レギンは死んだのか?」


 ドールたちにまとまりは無く、不安を吐き出しているだけだった。


「忘却術」フライメイが答え、ドールたちは静かになった。「レギンは自分の真名を奪われる前に、私たちの真名を忘れた。だから自由になった」


 天使たちも、ドールたちも絶句している。


 風が吹き、森の木々が揺れた。

 どこか遠くで獣の鳴き声が聞こえた。


「これからどうする」ガーベラが言った。

「レギンは、自分が死んだ後の計画を、私たちに残している」フライメイはゆっくりと言った。「コンラー家の禁猟区の奥地に、比較的安全に隠れられる場所がある。レギンが過去に見つけた。レギンは自分が死んだら、そこへ行けと私たちに言っていた。今より大変な生活になるけど、操術士に見つかる可能性は少ない。ここで生きていくよりマシ」


 ドールたちは顔を見合わせ、そして頷き合い、腰を上げた。


 ガーベラは何かを言おうとして、そしてやめた。

 天使たちは不安に押しつぶされそうな顔をしている。


「そこへ、逃げるのか」ガーベラはやっとの様子で、それだけを言った。


 フライメイは首を振った。

 脳裏には、金の髪をした白い肌の少女の姿があった。


 どうして今アイリスのことを思い出しているのか、フライメイは分からなかった。


「逃げない」


「……フライメイ?」男のドールが言った。「どうしたんだ」

「私は今、ドールじゃない。レギンの言うことを聞く必要はない」

「何を言ってるの!」女のドールが悲鳴を上げる。

「私は」フライメイは立ち上がった。「私はフライメイ。これはレギンがくれた呼名。……呼名だけじゃない。レギンからたくさんのものをもらった。今度は私の番」

「正気か!」別のドールが両手を振り上げた。「俺たちはもうレギンに操られていない! 自分だけで戦えるのかよ!」

「そのための訓練はしてきた。レギンは私たちが一人になっても生きていけるようにと、戦い方を教えてくれた」


 双子のドールがそれぞれ悲鳴を上げた。


「そもそも僕たちじゃ操術士に近寄ることもできないんだよ!」

「真名を奪われて、それでおしまいさ!」


「レギンとお話がしたい」フライメイはそう言って初めて、自分の望みが分かった気がした。「お話がしたいの。逃げたい人は逃げて。私は行く」


 張り詰めるような沈黙が支配した。

 ガーベラは唾をのんだ。

 傍でマーガレットがガーベラの服の裾をつかんだ。


 ドールたちは再び顔を見合わせた。


 みな、憑き物が落ちたような表情をしていた。


 フライメイはわかっていた。

 これはレギンに操作されているときの感覚だった。

 首輪は無くとも、彼はここにいる。


「待て!」ガーベラが叫んだ。「俺たちも行く」


 ガーベラに応えるように、天使たちも立ち上がった。

 決意に満ちた顔つきで、武器を取り出している。


 マーガレットが言った。「作戦は? どうしようか」


「接近は容易だ。精霊術で気配を消せる。魔術で捕捉するのは難しいんだろ」天使の一人が言って、ドールの何人かが頷いた。

「そうだ、精霊術は魔術の索敵では検知できない」

「だが俺たちはすぐに操られる。操術士は、俺たちに首輪が無いと知れば、すぐに糸を挿してくる。そうなったら抵抗できない。もって数十秒だ」

「先に操術士を殺せばいい」

「うまくいくのか? 首輪をつけられたら、記憶を読まれるんだぞ」

「俺たちだけで行けばどうだ?」天使が言った。「天使なら支配できない」

「戦力不足が心配だ」別のドールが言う。「レギンが敵に回っているかもしれない。君たちだけじゃレギンに勝てないだろう」

「精霊術の攻撃は防げない。遠くから一斉に矢で貫いてしまおう」

「レギンに当たったらどうするのさ!」

「最初の一撃で全部終わらせるしかないな」

「廃都に戻られたら終わりだ。手を出せない。なんとかその前に追いつかないと」

「すぐに出発しよう」

「待って、具体的には?」

「――俺たちが囮になる、ってのは?」

「いけるのか?」

「わかんねぇ。レギンと戦うのかな……」

「レギンくっそ強いぜ」

「良く知ってる」

「……はは、言ってる場合かよ」


 ドールと天使が、顔を突き合わせて真剣に話し合っている。

 同じ目的のために、気持ちを一つにしている。


 フライメイはその光景を見ていた。

 今までにない何かが起きている。

 だがフライメイはそれを上手く言葉にできなかった。


「なんか」ガーベラがフライメイの横で言った。「変な感じだ」

「あなたも?」

「ああ、悪くない」

「そうね」フライメイは頷いた。「レギンには、アイリスが必要」

「逆だ。アイリスに、レギンが、必要なんだ。俺たちじゃだめだ。俺たちは、どうやったって、アイリスを檻に閉じ込めてきた側だ」


 フライメイは隣に立つガーベラを見た。

 凛々しさと幼さが見え隠れしていた。


「兄さん。フライメイさん」マーガレットが言った。皆がこちらを見ている。「それで、どうします?」



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