15
物心ついたとき、レギンはとある禁猟区の奥地にいて、十代前半の少年少女で構成された幼い隷属種たちのグループに所属していた。
親に捨てられたり、支配種たちから運良く逃げ出せたりした子供たちの集まりだ。
レギン自身も、自分の親のことは分からなかった。
どこで生まれたのかすら知らず、仲間たちと共に僅かな物資を巡って大人の隷属種たちと戦っていた。
禁猟区は強烈な弱肉強食の世界で、子供は大人たちの食い物にされていた。
皆をまとめていたのは、ラルゴという名の、一番年上の青年だった。
体格が良く魔術の才能もあり、幼い仲間を守るために先頭に立って戦い、皆の信頼を勝ち取っていた。
「よう、なにしけたツラしてんだ。しゃきっとしろよ」
ラルゴはよくそう言ってカラッとした笑みを浮かべると、ごつごつした手でレギンの頭を撫でた。
当時レギンは他の子供たちと比べて体が小さかったため、からかわれることが多かったが、ラルゴだけは決して馬鹿にすることなく、レギンと正面から向かい合ってくれていた。
グループには、エノーラという胸の大きな若い娘がいた。
彼女は仲間たちの精神的な柱となっており、暴走しがちなラルゴを抑えたりと、グループにとって重要な役割を担っていた。
「どうしたのレギン、また眠れなくなったの?」
エノーラはそう言って幼いレギンを抱きしめてくれた。
柔らかな匂いに包まれて、レギンは安心して眠ることが出来た。
ほかにもそういった子は数多くおり、グループの中でも幼い子供らは、エノーラの傍で眠ることが多かった。
レギン自身にとってもそうだったが、全ての仲間たちにとって、ラルゴは父であり兄であった。
エノーラは母であり姉であった。
他のグループとの間に戦いは絶えなかった。
大人の隷属種たちは手強く、仲間たちに死者が出ることも多かった。
それでも絶望することなく生きていけたのは、家族がいたからだ。
レギンは幼いながらも、それを強く自覚していた。
年齢に関係なく、魔術を使えるようになった者から前線に立ち、仲間のため、明日を生きるために戦った。
しかしレギンは年齢を重ねても一向に魔術を使えるようにならず、戦場に出ても前線ではなく荷物運びなどの雑用を任されていた。
そうして幼いレギンに発現したのは、魔術ではなく、人形遣いとしての支配の力だった。
それは誰にも言えない秘密だった。
支配種の子は操術の力を発現しやすく、隷属種の子は魔術の力に目覚める傾向があるが、これはあくまで傾向でしかなく、レギンのように例外はいくらでも存在する。
もっとも、レギンは自身の本当の親を知らないため、どこかの支配種に捨てられたという可能性もあったが、当時のレギンにそんなことを考える余裕は無かった。
危うくラルゴやエノーラに首輪をつけそうになり、レギンは自身の力を恐れ、隠し通すことにした。
もし自分が支配種であることが知れ渡れば、どうなってしまうのか。
レギンは想像することすら恐ろしかった。
だが自分よりも幼い子供が魔術を扱えるようになり、戦場で死ぬたびに、強烈な罪悪感に打ちのめされた。
「気にするな。そのうち使えるようになるさ」とラルゴは笑った。
「大丈夫よ。焦らなくていいの」とエノーラは優しく頭を撫でてくれた。
レギンにはどうすることも出来なかった。
数年が経過し、レギンの身長はぐんぐん伸びて、ラルゴの身長に追いつきそうになっていた。
魔術が使えるようにならないことで他の仲間たちからは疎まれることもあったが、それでも家族の輪から追い出されなかったのは、ラルゴとエノーラのおかげだった。
だから、エノーラの体にラルゴの子が宿ったと知ったとき、レギンは素直に嬉しかった。
仲間たちも、誰もが祝福していた。
「生まれてくるのは、お前の弟みたいなもんだぜ」
ラルゴの照れくさそうな笑顔を、レギンは今でも覚えている。
胸に巣食う罪悪感を忘れるくらい、レギンは温かな気持ちで一杯になった。
だが幸せな時間は、長くは続かなかった。
同時期、パルハインという支配種が禁猟区に現れたのだ。
彼は近隣の隷属種をまとめて支配下に置き、禁猟区に国を造ろうとした。
パルハインは暴虐的で、典型的な操術士だった。
スレイブを都合のいい道具か、代えの利く玩具とみなしており、次々に使い潰しては新たなスレイブを探していた。
彼我の戦力差は大きかった。
パルハインは強力なスレイブを何体も有していたが、それ以前に支配種が相手ではそもそも近付くことすら出来ないため、戦いにもならなかった。
ラルゴは仲間たちを上手く指揮し、犠牲を最低限に抑えながら、パルハインの魔の手から逃れ続けていた。
全てが崩れ始めたのは、エノーラが捕まってからだ。
彼女は優しかった。
捕まりそうになった子供たちを助けるために、代わりに犠牲になったのだ。
エノーラを奪われてから、ラルゴは人が変わってしまったようだった。
パルハインに対し、これまでとは一転して無茶な戦いを仕掛けるようになった。
「家族を助けたくは無いのか!」ラルゴは叫び、皆を戦いに導いた。「大切な仲間を救いたくないのか!」
戦いのたびに家族は傷ついていった。
グループを離れる者も少なからず現れ始め、何もかもが終わってしまうのは時間の問題に思えた。
レギンはついに自分の力をラルゴに打ち明けた。
パルハインと正面から戦うためには、支配を受けないために首輪の力が必要だったのだ。
そしてそれはレギンにしか出来ないことだった。
レギンはその場で殺されることを覚悟していた。
支配種という人種が彼らにしてきた仕打ちを考えれば当然の反応だったし、レギン自身、家族に殺されるのであれば何の悔いもないと考えていた。
だがラルゴは逆に喜んだ。
首輪がついていれば、支配種とも対等に戦える。
敵の能力圏内でも支配の力を受けずに済む。
ついに「盤上」に立てる。
ラルゴはそう言って、家族を奮い立たせた。
仲間たちも支配種という存在への感情を飲み込み、レギンの支配を受けることを了承した。
首輪をつけられていても、オーナーが許可すればスレイブは自由に動ける。
レギンは首輪をつけるだけで、命令や操作は一切しないつもりだった。
しかし今まで首輪をつけられたことのなかった仲間たちにとって、「ただ首輪をつけられているだけ」という状態であっても、強烈な負荷となっていた。
やがてそれは戦闘能力の致命的な低下を引き起こし、結局レギンが家族を操って戦うしかない状況を招いていった。
レギンは充分な資質を持っていたが、経験が不足していた。
仲間たちを操り戦い、自分の失敗が仲間の死に繋がるという極限状況のなかで、精神をすり減らしていった。
食事もすぐに戻してしまうようになり、体重はみるみる減っていった。
仲間たちは、これまで以上にレギンから距離を置くようになっていった。
レギンの操作が失敗して死ぬのは自分。
敵の攻撃が目の前をかすめているのに、自身は操られるがままなのだ。
戦いから戻り、首輪を外され自由を取り戻した瞬間に、レギンに暴言を吐き、暴力を振るう者もいた。
そんな中でレギンの味方でいたのはラルゴだけだった。
上手く操れたら褒めてくれて、レギンは嬉しかった。
レギンはますますラルゴに依存し、思考を停止し、ラルゴの言う通りに戦っていった。
ラルゴは、エノーラを取り返すまで戦いをやめないと公言し、グループ内には亀裂が広がっていった。
レギンの操作で仲間が死ぬことも増え、レギンはそのたびに罪の意識に苛まれた。
自分が下手だと仲間が死ぬ。
だが自分がやらなければならない。
他に出来る者はいないのだ。
もっと上手くやらなければ。
傷など負わせられない。
預かっているのは、大切な家族の体だ。
彼らが弱いわけじゃない。
敵に勝てないのは、自分が下手だからだ。
体の動きは?
視覚や聴覚は?
魔術は?
改善の余地は無限に有るはずだ。
自分が戦っていないなんて思うから、操作が曖昧になる。
そこにあるのは、今まさに死地にいるのは自分の体だと思うべきだ。
人形が死ねば、自分が死ぬくらいの恐怖を覚えるべきだ。
そうでもなければ申し訳が立たない。
もっと上手く、もっと巧く、もっと、もっと――。
戦いは激化の一途を辿った。
有志を募ってレギンの首輪を受け入れて戦っていたが、やがて兵数が決定的に足りなくなっていった。
ラルゴは、家族全てをレギンの支配下において、決戦を仕掛けることを考案した。
レギンの力を持ってすれば、犠牲は最小限で済む、と説いた。
「エノーラ一人を助けるために、何人犠牲にするんだ?」
「残念だけど、彼女は助からない。言いたくないが、おそらくもう……」
「諦めて逃げ道を探そう。これ以上は無理だ」
仲間たちは説得しようとしたが、ラルゴは一つとして聞き入れなかった。
レギンも、今回の作戦は無茶だと思っていたが、レギンにとってラルゴの言葉は全てであり、従うほか無かった。
決戦を強行しようとするラルゴによってグループ内の不和は限界となり、ついに反乱が起きた。
ラルゴは家族に刃を向けられ、銃口を突きつけられた。
レギンは悪夢のようなその光景を見て、咄嗟に家族全員に首輪をつけ、支配下においた。
「よくやった!」ラルゴは目を血走らせ、狂喜に唇の端を吊り上げていた。「よくやった! レギン! さあ、エノーラを助け出しに行こう!」
その瞬間、レギンは全てを悟って戦慄した。
これはラルゴの作戦だったのだ。
仮に「仲間たち全てに首輪をつけろ」とラルゴに命令されても、レギンは動けなかっただろう。
ラルゴは自分の身を囮にして、レギンに首輪をつけさせたのだ。
ラルゴの瞳に正気の光は無かった。
ただどこまでも落ちていきそうな、暗鬱な闇が広がっていた。
レギンは恐怖を感じ、ラルゴの首に青い蛇を巻きつけた。
見渡せば、かつて家族だった者たちは一人残らずドールになっていた。
口を閉じ、目を見開き、あらゆる表情を失ってレギンの前に並んでいる。
幼い子供も女も関係ない。
それはおぞましい人形の群れだった。
いまやその目も、耳も、全てレギンのものだった。
自分の意思一つで、心臓の動きすら止めることが出来る。
レギンは自分の力の恐ろしさを感じた。
彼らとは次元の違う生き物なのだと、心から理解した。
だがまだ間に合うはずだ。
エノーラを取り返せば、全て元に戻る。
レギンはそう信じ、仲間たち全てを操ってパルハインに戦いを挑んだ。
狂気に支配されたレギンは、ここに至りついに才能を開花させた。
数十体のドールを同時に、そして完璧に操り、次々とパルハインのスレイブを撃破していった。
これまでの戦いでは、あくまで仲間たちの了承を得てから首輪をつけていたが、今回は無理矢理支配下に置いた。
たとえ戦いが終わり首輪を外しても、もう自分は元に戻れないと、レギンは自覚していた。
それでいい。
自分は元々爪弾き者だった。
殺されたって文句は言わない。
だからせめて、家族は元に戻ってくれ。
そこに自分はいなくていいから、あの温かな輪を、失くさないでくれ。
レギンはそう願った。
パルハインを討ち取ったのは、決戦を始めて僅か半日足らずのことだった。
怪我を負った者はいたが、致命傷を受けた者は居なかった。
レギンの人形遣いとしての実力は、ただ命令を出す程度の操術士など、相手にならないほどの域にまで到達していた。
古い街にあったパルハインの拠点へ突入し、敵のスレイブを皆殺しにした。
「よせ! 俺が悪かった! やめてくれ!」
レギンは命乞いをするパルハインに向けて、フライメイを操ってメイスを振り下ろした。
何度か叩くと、やがて痙攣するだけになった。
そして広い寝所でエノーラを見つけた。
彼女は陵辱の果てに四肢を落とされ、ゴミのように無造作に床に転がされていた。
別人のように人相が変わっており、あの優しい笑みを浮かべていたエノーラの面影は、もうどこにも残っていなかった。
レギンは言葉を失った。
青い蛇の首輪を外し、仲間たちを解放した。
ラルゴはよろよろとおぼつかない足取りで、壊れたエノーラの元へ駆け寄った。
彼女の空ろな瞳は何も映してはいなかった。
ただ意味の無い呻き声を上げるだけで、目の前にラルゴが居ることも、自分の首に首輪がなくなったことも分からないようだった。
エノーラは壊れていて、もはや何も元には戻らないのだと教えてくれているようだった。
憎しみを募らせた仲間たちは、エノーラの亡骸を前にして崩れ落ちるラルゴを殺そうとした。
だがレギンはそれを止めた。
言葉は必要なかった。
ラルゴに近付こうとする者に首輪を付け、一歩下がらせ、再び首輪を外した。
仲間たちはそれを見て、完全に硬直していた。
ラルゴへの怒りも、パルハインへの憎しみも、全てレギンへの恐怖に塗り替えられていた。
「俺は人形遣いだ。この場に残るなら、俺のドールにしてやろう」
かつての家族たちは、恐ろしい怪物の存在に顔を歪ませ、レギンに背を向けて逃げ出していった。
そこにはレギンと、ラルゴと、エノーラが残った。
ラルゴは太い腕でエノーラを抱きしめ、すすり泣き、呪詛のように言葉を吐いた。
なんでこんなことになった?
何を間違えた?
どうすればよかった?
俺が悪かったのか?
ラルゴは最後に、掠れた声で、殺してくれと言った。
レギンは拳銃を握った。
心労からげっそりとやつれていたレギンにとって、銃はずしり重たかった。
上手く当てる自信が無かったため、レギンは息がかかるほどの距離に近付かなければならなかった。
両手で銃を握り締め、硬い引き金を何度も何度も引いた。
早く楽にしてあげなきゃ。
レギンはそれだけを考えていた。
あの衝撃を、銃声を、血の匂いを覚えている。
死んでも忘れることは無いだろう。
二人は動かなくなった。
レギンは銃を握ったまま、立ち尽くしていた。
レギンは泣かなかった。
泣くのはずるいと思ったからだ。
もしも、もっと早くラルゴに自分の力のことを打ち明けていたら、どうなっていた?
仲間はばらばらにならずに済んだかもしれない
。エノーラだって、こんな風にならなかったかもしれない。
いやそもそも、もっと早く皆に首輪をつけていれば良かったのだ。
そうすればラルゴは仲間たちに憎まれることは無かった。
パルハインにエノーラを奪われることも、無残に壊されることも無かった。
大切な仲間たちを、傷つけられることも無かった。
どうして首輪をつけなかった?
どうして支配種であることを黙っていた?
嫌われたくなかったから。
恐れられたくなかったから。
家族を失いたくなかったから。
そう、何もかもを間違えてしまった。
弾倉には一発だけ残っている。
レギンは銃口を自身のこめかみに向けた。
足音がして振り返ると、幼い少女が戻ってきていた。
フライメイだ。
彼女は捨て子で、最近家族に入ったばかりだった。
そのためレギンのこともラルゴのことも良く分かっていなかった。
どうして戻った?
レギンはそう尋ねる前に、フライメイの首に青い蛇を巻きつけた。
フライメイの怯えた表情は消え失せ、そこには一体の人形があるだけだった。
人形遣いはドールの生死をその手の平の上で弄ぶことが出来る。
支配種が隷属種と仲良くできるはずが無い。
人形が人形遣いに心を寄せてくれるわけが無い。
自分は人形遣いだ。
彼らとは次元の違う生き物なのだ。
それが本当に大切なものなら、例え嫌われ、憎まれ、疎まれても、自分の力の全てを使って守るべきだったのだ。
ラルゴ、悪いのは自分だ。
人形遣いでありながら、人形と仲良くしようとした自分が、最も悪いのだ。
自分のせいで、何人の仲間が死んだだろう。
彼らは自分の操作が下手だったから死んでしまった。
自分の力を隠したから、ラルゴもエノーラもこうなってしまった。
レギンは自身に向けた銃を降ろした。
死んで楽になっていいはずが無い。
それでは仲間の死を愚弄することになる。
レギンはフライメイの空虚な瞳を見た。
そこには幽鬼のように立つ自分自身の姿があった。
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