14


 肩を叩かれ、レギンは意識を取り戻した。

 耳元で銅鑼が鳴り響いているようだった。


 傍にはフライメイがいた。

 表情は変わらなかったが、目は真っ赤になっており、目じりには涙が浮かんでいた。


 レギンは自分の体の上に何かが覆いかぶさっているのを見た。

 それはすでに事切れたドールの体だった。

 バケツをひっくり返したような量の血がレギンの全身に降りかかっていた。


 レギンが体を起こすと、オルカシアが仰向けに転がった。

 彼女は上半身だけになっていた。


「無事だったのか……」


 駆け寄ってきたガーベラが言った。

 怪我は無いようだったが、衣服は破れてぼろぼろになっていた。

 そして事切れたオルカシアを見て、辛そうに目を逸らした。


「お前を守ろうとして、飛び込んだんだ」


 レギンを守れなどという命令は下していない。

 なにより、彼女はすでに直接戦闘に耐えることができなくなっているため、戦場から最も離れた位置で、偵察としてしか使っていなかった。


 レギンはオルカシアの顔にそっと触れ、開いたままの目を閉じさせた。


 フライメイに支えられ、レギンはふらつく足で立ちあがった。

 レギン自身に大した傷は無かったが、ドールたちは壊滅状態だった。

 辺りは竜巻でも通ったように破壊の跡が残されており、血痕と肉片が転がっていた。


 生存しているドールを確認する。

 八体やられて、残り二十三体。

 そのうち動けなくなるような怪我を負ったのは二体だったが、治癒魔術が使えるドールによって最低限の処置は施されており、命に別状はないようだった。


「アイリスはどうなった」


 ガーベラは首を振った。


「答えろ。アイリスはどうなった」

「連れ去られた!」ガーベラは絞るように叫んだ。「ついさっきだ!」

「怪我は?」


 ガーベラは問われた意味が理解できないようだったが、目元をぬぐうと「平気だ」と答えた。


 レギンは動かないオルカシアを見下ろし、ドールたちの死体を一つ一つ確認した。

 ドールを死なせたのは何年ぶりだろう。


 散り散りに逃げていた大人の天使たちが、一か所に集まっていた。

 マーガレットたちも無事なようだった。

 レギンは生き残ったドールを連れ、そこへ向かった。


 リーダー格の男、ナーシサスに向かって、レギンは大股で近づいた。

 後ろからガーベラが心配そうに近づいてくる。


「アイリスを取り戻しに行く」レギンはナーシサスに対して、息がかかるほどの距離に近づいた。「手伝う者はいるか」


 背後のガーベラが驚きの声を上げた。

 マーガレットなどの子供たちも目を丸くしている。


「馬鹿なことを言うな。お前は、負けただろう」


 ナーシサスは疲れ切った表情で、しかし威圧的にレギンを睨んだ。


「死んだのはドールで、俺じゃない。俺が生きてれば負けてない」レギンはさらに一歩前に進んだ。「あれに勝つには精霊術が必要だ。お前らも手伝え」

「お前が他の悪魔たちとは違うことは、よく分かった。だがあれは忌み子だ。命懸けで助ける必要は無い」

「だったら」レギンは目を爛々とさせてナーシサスの顔を覗き込んだ。「アイリスは俺がもらう。それでいいな」

「……我々はこの場を離れる」

「あばよ。くたばれ」レギンは吐き捨てた。


「おい、早くしろ」


 ナーシサスはレギンの後ろにいたガーベラを促したが、彼は動かなかった。


「……ナーシサス様、俺は残ります」

「馬鹿なことを言うな。あれは忌み子で――」

「『あれ』じゃない! アイリスだ! それ以上言ってみろ!」


 ガーベラは剣の柄へ手をかけ、涙と鼻水を垂らし絶叫した。

 鬼気迫る様子に、誰もが口を閉ざした。


「俺たちはこの世界で一緒に戦ってきた仲間だ! そんな風に言うなら、あんたも敵だ!」


 ナーシサスは聞き分けのない子を見る目をしていた。「……教えに背き、リコリス様を長と仰がず、忌み子を助けに行くというなら、コスモス共々追放だ」


「上等です」マーガレットが毅然とした口調で言った。「一族への義理は果たしました。さようなら」


 アイリスと苦楽を共にした子供たちは唇をきつく結び、マーガレットに続いてナーシサスから離れ、レギンの後ろにいるガーベラの元へ歩き出した。

 大人の天使たちから驚きとも失望ともとれる声が広がるが、ナーシサスはそれを無視した。


 次の長とされるリコリスは、幼い瞳でその様子を静かに見ていた。

 表情には戸惑いだけがある。


「……馬鹿どもめ。好きに死ぬがいい」


 ナーシサスは大人の天使たちを連れて、レギンたちに背を向けてとぼとぼと歩き出した。


 残ったのは、最初からアイリスについていた、六人の少年少女たちだ。


 ナーシサスたちの姿が見えなくなり、ガーベラはレギンに向かって頭を下げた。


「俺のせいだ!」ガーベラは頭を下げたまま言った。「俺がけしかけた! お前は絶対に裏切るって思って! アイリスが連れ去られたのも、お前のドールが死んだのも、俺のせいだ! 責を受けるのは俺だけで――」


「ドールが死んだのは」


 レギンは懐からタバコを取り出した。

 オルカシアの血でべっとりと汚れていたが、口に運んだ。

 案の定、火はつかなかった。


「俺の実力不足だ。お前たちは関係ない」


「グロリオーサ様がやってきて、……俺は動けなかった。びびって突っ立ってるだけだった。レギンのようには戦えなかった」


 ガーベラは尊敬するような視線をレギンに向けた。

 レギンは振り払うように手を振った。


「馬鹿言うな。俺はドールを操っただけだ。安全な場所からな」


 嘆くのは後だ。

 そうしないと次から次へと失っていく。

 レギンは火のつかないタバコを咥えたまま、深呼吸した。

 悲しむのは敵を殺した後だ。


 レギンはドールを操作し、遺体を集めてトラックの荷台へ乗せていった。

 細かな肉片すべてを集める余裕はないため、多くの取りこぼしがあったが、仕方なかった。


「エメリウスは俺に網を張っていた。ガーベラたちが勝手な行動をしてくれたから、エメリウスの虚を突けて、逃げ出すことができた」

「……慰めてるのか?」ガーベラは鼻水をすすった。

「事実だ」

「馬鹿にするな」

「グロリオーサがどこへ行ったか分かるか」

 ガーベラは涙をぬぐった。「精霊術の強い反応がある。ここから東へまっすぐだ」

「エメリウスもコスモスも、初めからアイリスだけが狙いだった」

「……どういう意味だ」ガーベラが眉をひそめた。


「アイリスは精霊術が使えないから、グロリオーサを使って探すことができない。あの大人の天使たちも、天使を見せびらかしていたあのイベントも、グロリオーサを定期的に廃都の外へ出していたのも、アイリスをおびき寄せるための罠だったんだ」

「天使を捕まえたって噂を流して……?」

「そうだ。噂につられたお前たちが、フーアに来るのを待っていた。どこにいるかも分からない相手を闇雲に探すより、向こうから来てもらった方が確実だと踏んだんだろう。俺というイレギュラーはあったが、おおむね向こうの筋書き通りだ」


 レギンはガーベラに話しながら、自分の考えを整理していた。

 だがドールの索敵に反応があり、レギンの思考は中断された。


「レギン!」ガーベラは叫び、剣を抜いた。

「分かってる」


 敵の部隊が近づいてくる。エメリウスの追撃部隊だ。レギンは戦闘に出せるドールたちに武器を持たせ、残りはトラックに乗せてエンジンをかけた。


 だが突出した一団が接近してくることに気づいた。他と足並みをそろえていない異常な行動だった。


「どうする、戦うか?」


 ガーベラは緊張した声で言った。他の天使の子供たちも頷き、拳を握りしめている。


 強烈な悪寒を感じて、レギンは夕暮れの空を見上げた。

 敵の一団の向かってくる方向から、細い帯のようなものが空に立ち上っている。

 帯の先端には棒状の何かがついていて、蛇のようにうごめいていた。


 ドールの視界で確認しようとしたが、できなかった。

 それはレギン自身の目でのみ見えることができた。


 帯と棒状のそれが「銛」なのだと理解した時、その先端がまっすぐレギンに向かって飛翔し、レギンの胸に深々と突き刺さった。


 激しい頭痛がして、まともに息ができなくなり、膝をついた。

 銛をつかもうとしても、触れることはできず、手がすり抜けた。


 ずるりと力が抜けていく。

 精神防壁を一瞬で食い破られた。

 信じられない。

 必死で抵抗するが、干渉を止められない。

 ページのように頭の中が開かれている感覚がある。


「どうした、なにしてるんだ」ガーベラは困惑している。「おい、大丈夫か」


 胸の中心を見ると、半透明の銛が突き刺さっている。

 銛の後ろには太い縄がついており、敵が向かってくる方向に伸びている。


 ガーベラたちには見えていない。


 これは操術だ。

 レギンにしか見えていない。

 この銛は「糸」だ。


「逃げろ」

「なに?」


 レギンはそう言って、隣のフライメイの視覚を使った。

 ドールの強化された視覚で、レギンは迫りくる一団を目視した。


 エメリウスの人形遣いの女。

 ウルリッツだ。

 腕には、金属の腕輪があり、銛の縄はそこにつながっていた。

 アイリスの指輪によく似ていた。


 レギンはその瞬間、グロリオーサがなぜ自分を殺さなかったのか理解した。

 初めからこれが狙いだったのだ。


「立て」ガーベラがレギンの腕を取る。「とにかく、一緒に逃げるぞ」

「だめだ」

「諦めるのか!」


 最悪の想像が一瞬で巡る。


 ドールをウルリッツの元まで向かわせ、ウルリッツを殺せば良いか。

 それとも急いで距離を取るか。

 射手を殺せば止まるとは限らない。

 だめだ。

 この術について何も分からない。


「敵の攻撃を食らった」レギンの言葉は途切れ途切れだった。「俺は、すぐに、奴らの、スレイブになる」

「なんだって?」

「とにかく、離れろ。ここから。俺から」

「ふざけたこと言うな!」

「クソガキ」レギンは顔面を痙攣させた。「弱いから、俺に、お、俺の、俺のドールに、かっ、かか勝てないだろ」


 レギンはフライメイや他のドールたちを操り、ガーベラを羽交い絞めにした。


「お、おい、何してる!」

「逃げろ」


 マーガレットが困惑してレギンを見た。

 汗が止まらない。


 ドールの精神も不安定だ。

 不安、恐怖、あらゆる負の感情が噴き出している。


 だが対応できない。

 無理矢理操るしかない。


「ふざけんな! レギン!」


 レギンはドールを操った。

 フライメイでガーベラを抱きかかえ、トラックに詰め込み、運転させてここから離脱させる。

 他の天使たちは戸惑っており、動けない。


「行け。さっさとしろ」


 マーガレットは涙目でレギンを見ていたが、やがて動き出し、トラックに乗り込んだ。


 レギンはドールを操作し、トラックを出発させた。


 体が動かせない。

 レギンは地面に横たわった。

 だが思考は、操術は、まだ奪われていない。


 この銛があれば、操術士はおしまいだ。

 この世界は手に入ったも同然だ。

 どうして初めから使わない?

 コンラー家もなにもかも、ほしいままにできるのに。


 パフォーマンスの低下を恐れているのか。

 あるいは回数制限のような強烈なデメリットがあるのだろう。

 そうでなくてはつじつまが合わない。


 ドールたちを乗せたトラックはここから離れていく。

 ガーベラは抵抗をやめ、ドールと一緒に荷台に乗っている。

 時間はまだ稼げる。

 車の操作程度なら、距離が遠くなっても問題ない。


「おい! 大丈夫なのか!」ガーベラがフライメイに言った。


 フライメイを喋らせられない。

 今まで息をするように出来ていたこともできなくなっている。


 ドールの五感情報が得られなくなってきた。

 もはや操作できない。

 レギンは操作から命令に切り替えた。

 遠くへ逃げろ、という単純な命令だ。

 



 足のもげた虫のように横たわっていると、ウルリッツと、その部下たちが姿を現した。

 手下の人形遣いと、ドールたち。

 全部で三十名程度だ。


 人形遣いはドールを従えて動き出した。

 この場にはウルリッツと、そのドールが二体残った。


 ドールと天使たちはどこまで逃げられただろう。

 もうレギンには何もわからなかった。


「逃がしたんですね。賢明です。私達は仕事が増えてしまった……」

「おっお前も、こ、これ、食らったのか」

「苦しそうですね」ウルリッツはレギンに近づき、笑顔を浮かべて膝をついた。「大丈夫ですか? ほら、深呼吸してくださいよ。死なれたら困るんです。『深呼吸しろ』」


 喉が開き、肺の中いっぱいに空気が入ってきた。


 レギンは戦慄した。

 操られている。


「『今、どういう状態か、説明しろ』」


 レギンの口が勝手に開いた。「体が、思うように動かない。お前の命令に、従ってしまう。考えがまとまらない」


 ウルリッツはレギンの体を調べた。

 眼球の動きを見て、脈を測り、何かをメモしている。

 時間を測っているのか。

 思考がおぼつかなくなってきた。


「寒い」


 レギンはよだれを垂らしている。

 顔は青く、死人の肌のように血の気が引いている。


「熱い、苦しい、苦しい、何も考えられない……」

「精神防壁を破られた影響です。このままだとあと数分で廃人です」ウルリッツはメモを続けた。「無理ですけど」

「時間を、時間を稼ぐ」レギンはうつろな目で言った。「逃げろ。逃げろ……」


 ウルリッツは不思議そうに首を傾げた。「どうしてそこまでするんです。ただのドールでしょう」

「許して」

「はい?」

「許して、くれるだろ。パルハインを殺して、エノーラを助けたら、ラルゴも元に戻って、みんな、みんな帰ってきて、元通りだ」

「意識が混濁してますね」ウルリッツはメモにペンを走らせた。「幻覚かなぁ。何が見えてます?」

「操術士ども。お前たちを、殺す。殺して、殺して、ははっ、そうしたら、元通りだ」

「あなたも操術士でしょう。立派な人形遣いです」

「そうだ。そうだった。俺は人形遣いだ。だから俺は、そこにいなくていいんだ。皆が元に戻れば、それでいい。それ以上は何も、望まない。なあ頼むよ。どうしてあんたたちはそんなに、ひどい、ひどいよ、ひどいことができるんだよ」


 レギンは泣きながら腕を伸ばした。

 中空を泳ぐ両手は、何も掴まなかった。


「ひどいって、どういう意味ですか」

「俺は、隷属種じゃなかった」レギンの目が一瞬光を取り戻した。「人形遣いだ。そうだろ」

「ここまでですね」ウルリッツはメモを仕舞った。「『お前の真名を教えろ』」




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