13
いつの間にか雲は消え、目を見張るような夕暮れの空が広がっていた。
あたりにはがれきやゴミの山が広がっていて、見通しが悪い。
ここは廃都フーアの外れで、やせ細った野良たちが住む地帯だった。
ここのあたりにいるのは支配種たちも操術の容量の無駄とさえ考えるような力のない隷属種たちで、細々とゴミを漁って暮らしている。
レギンとドールたちがゴミの陰を進んでいると、数台のトラックががれきの間を縫うように走ってきて、レギンたちの目の前で停車した。
渓谷の拠点を守っていたドールたちだ。
運転席から降りてきたオルカシアは、レギンに水筒を渡した。
レギンは水筒の水を頭にかけて汗と血を洗い流し、トラックの荷台から物資を降ろしてドールたちに食料と水を補給した。
三十一体。
これで離れていたドールたちはすべて集合した。
レギンは比較的消耗の少ないドールを選んで補給を優先し、警戒のために周囲へ散開させた。
傷を負ったドールたちの様子を確認していく。
どれもかすり傷程度で、今後の戦闘行動に支障が出るようなドールはいなかった。
久々の激戦だったが、ぬぐえない違和感があった。
エメリウスは本気でレギンを捕らえようとしていたのだろうか。
何か重大な見落としがあるのかもしれない。
レギンはエメリウスの言動を整理した。
エメリウスは上界へ行こうとしている。
そしてそれには、アイリスが必要だという。
エメリウスが傍にいたアイリスに気づかなかったのは幸運だが、道理でもあった。
天使を欲しているとわかっているエメリウスの元に、レギンが天使を連れてくるとは予想もしていなかったのだろう。
それにアイリスは精霊術を使えない。
精霊術では探せないのだ。
ではどうやってエメリウスはアイリスを探しているのか。
しばらくすると、フライメイに誘導されたアイリスたちが、近くの崩れかけた建物から外へ出てきた。
地下道の出口だ。
先頭のアイリスはレギンの姿を見つけると走り出し、目の前で立ち止まって顔を見上げた。
大きくて美しい瞳だ。
髪はきらきらと輝いていて、レギンはアイリスが天使であることを改めて確認した。
レギンは、アイリスが泣き出すのではないかと思ったが、どうしてそう思ったのか、自分でもわからなかった。
「怪我は?」
「無い」レギンはすぐに目をそむけた。
「どうしてそっちの方が早く着いてるの」
「言っただろ。ご主人がいない方が逃げやすいって」
「それにしたって」
「……そのことで少し話したいことがある。もしかしたら――」
一斉に天使たちが身を固くした。
「隠れろ!」ナーシサスが叫び、天使たちが散開し、各々がれきの影に身を隠していった。
レギンはアイリスを抱えて近くの物陰に隠れた。
ドールたちも移動させる。
「どうしたんだ」
「強烈な精霊術の反応よ」アイリスは答えた。「戦士グロリオーサ……。近くを飛んでるみたい」
「ガーベラたちは飛べないのか?」
「翼を成すのは難しくて、精霊術の熟達者にしかできないの」
レギンはドールたちを臨戦態勢にした。
武器を構えて、頭上を警戒する。
だがグロリオーサの姿は見つけられない。
「大丈夫よ」アイリスがなだめるように言った。「こっちが精霊術を使わなければ、グロリオーサ様に気づかれることは――」
アイリスは息をのんで振り返った。
全く同じタイミングで、天使たちも同じ方向へ目をやった。
皆の視線の先にはコスモスがいる。
「そんな……」アイリスが泣くような声を上げた。
「何をやっている!」ナーシサスが怒号を上げた。
レギンは少し遅れて事態を把握した。
コスモスの人差し指の先に、小さな光の玉が浮かび上がっている。
「何って」コスモスは薄ら笑いを浮かべていた。「わかるでしょ」
「裏切ったのか!」ナーシサスが叫び、コスモスにつかみかかった。
「裏切るだなんて。初めから味方じゃないんだからさ」
コスモスが軽薄な笑みを浮かべた直後、足元が大きく揺れた。
何かが地面に衝突したようだった。
がれきの山を吹き飛ばし、目の前に降り立ったのは、白い鎧を着こんだ大男だった。
二筋の光を背中から生やし、手には大盾と大剣がある。兜により表情は見えない。
レギンは廃都フーアの闘技場でその姿を見ていた。
「グロリオーサだ!」大人の天使の誰かが叫んだ。「逃げろ!」
悲鳴が広がり、天使たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。
コスモスはナーシサスの腕を振りほどき、グロリオーサに駆け寄っていった。
レギンはアイリスを背に隠し、ドールたちを動かした。
大口径の銃を構え、攻撃魔術を展開する。
銃声と爆音と雷鳴が一斉に放たれたが、グロリオーサは微動だにしなかった。
銃弾は直撃したもののかすり傷すら与えず、魔術は鎧に到達する前に霧散した。
グロリオーサはアイリスとレギンを見ると、頭上に大剣を掲げた。
耳鳴りがして、剣の切っ先に光が集まっていく。
それは人一人を丸ごと飲み込むほどの巨大な球体を形成した。
光のかたまりは一瞬で収縮すると、剣の刀身に吸い込まれた。
目もくらむようなまばゆい光を放つ剣を、グロリオーサは無造作に振るった。
レギンはとっさにアイリスを抱えて横っ飛びに逃げたが、それは正解だった。
先ほどまで立っていた場所を暴風が駆け抜け、レギンはアイリスを抱え込むようにして地面を転がった。
剣の軌跡上に存在していたがれきと、そして大地が、まるで紙のように裂け、砕け、抉れていた。
レギンは目を疑った。
いくら強いと言っても、その力はガーベラたちの扱う精霊術の能力の延長線上にあると思っていたからだ。
まるで次元が違う。
これが精霊術の本領なのだろうか。
ドールたちの知覚で状況を調べる。いまのところドールたちにケガはない。
大人の天使たちは少しでもグロリオーサから離れようと逃げ出し、ガーベラたちは全く動けず凍り付いてしまったかのようだった。
レギンの腕の中で、アイリスは震えていた。
「待って待って!」コスモスがグロリオーサに叫んだ。「アイリスは殺しちゃダメだって! 生け捕り! 分かってる?」
グロリオーサが頷くような仕草を見せる中、レギンはメイスを手に取った六体のドールを走らせた。
どれも膂力に特化した生え抜きの者たちだ。
正面の二体を囮にして、背後から迫った二体のドールのメイスが同時に叩きつけられる。
グロリオーサの鎧に直撃すると、彼はわずかにバランスを崩してたたらを踏んだ。
傷はついていないが、衝撃は通る。
単純に防御力が桁違いなだけで、全く歯が立たないわけではないのだ。
その隙に、レギンはグロリオーサの隣にぴったりと張り付いているコスモスに狙いを定めた。
レギンの狙いに気づいたコスモスの表情に焦りが走るのが見えた。
ドールの上段からの一撃は、回り込んできたグロリオーサの盾に弾かれた。
即座にドールを離脱させるが、グロリオーサは輝く剣を振るった。
爆風に似た風が巻き起こり、空間を掘削するがごとき破壊が巻き起こった。
ドールは血を流して宙を舞い、がれきの山に墜落した。
剣そのものを躱すことができても、付随する精霊術の攻撃に対して、魔術の防壁が意味を成していない。
損傷は深刻で、筋肉が内部で断裂している。
ドールから伝わる強烈な痛みを遮断した。
まともに受け取っていてはレギンの神経が焼き切れる。
だが空を飛ぶ相手に対して背を向けて逃げることはできない。
前衛で傷ついたドールを下げ、治癒の魔術を使えるドールによってある程度怪我を癒し、レギンはドールによる波状攻撃を続けた。
「レギン!」腕の中でアイリスが叫んだ。「逃げよう! グロリオーサ様には勝てない!」
レギンには、アイリスに答える余裕も、額を流れる汗を拭う余裕もはなかった。
少し離れた位置で、がれきの陰からグロリオーサとドールの戦いを見つめるだけだ。
グロリオーサの動きは洗練されている。
剣の扱いも体捌きも完璧だ。
精霊術による加護が無かったとしても一流の戦士だとわかる。
それゆえに、一つ一つの動きに奇妙なノイズがあることはすぐに分かった。
操術の支配による性能の低下が起きていることは明白だ。
ドールのメイスが木材のように寸断される。
攻撃も防御も完璧だ。
隣のコスモスを狙って光栄のドールが攻撃を行うが、グロリオーサの精霊術による守りのためか、弾丸は外れ魔術もかき消された。
消耗した一体のドールが、ついにレギンの操作に追いつけなくなり、一歩を踏み外した。
グロリオーサが剣を振り、そのドールはメイスごと真っ二つになって地面にくずおれた。
レギンは息を止めた。
視界が赤く染まり、突き刺すような頭痛が頭の中で炸裂する。
久々の感覚だった。
支配の感覚が欠け、首輪が外れたことで死亡を確認する。
「嫌っ! そんなっ!」アイリスが悲鳴を上げ、腕の中で暴れた。
前衛の穴を埋めるように次のドールを送り込むが、戦況はすでに傾いていた。
レギンのドールは雑草を刈り取るように次々と屠られていく。
四体が殺され、レギンが前衛を一歩後退させたあたりで、グロリオーサは再び光球を発生させた。
それは先ほどよりも一回りも二回りも大きく、そして即座に収縮した。
光は剣に吸い込まれ、グロリオーサはその剣を大地に突き立てた。
グロリオーサを中心に、目に見えない衝撃波が放出される。
地面が液体の表面のように波打つのが見え、近くのがれきたちがめくれ上がった。
頭の中を鷲掴みにされ、揺さぶられる感覚の後、レギンは何も分からなくなった。
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