10


「よせ! 俺が悪かった! やめてくれ!」


 フライメイはメイスを振り上げた。

 パルハインは悲鳴を上げ、無様に小便を漏らしながら許してくれと懇願し続けていたが、レギンは気にせず操作した。

 一撃目でパルハインの頭部が陥没した。

 しかし即死はしなかった。

 フライメイの筋力が足りないせいだ。

 あくまでメイスの重量分の威力しかない。


 フライメイは再びゆっくりとメイスを振り上げ、振り下ろした。

 パルハインは体を痙攣させたが、まだ生きているようだった。

 三度目で頭蓋が粉々になり、四度目で中身が飛び出した。


 フライメイの顔が返り血で汚れても、レギンは操作をやめなかった。

 パルハインの顔はすでに原形を留めていなかったが、床のしみになるまで続けた。


「どうすりゃよかった? 俺が悪かったのか?」


 ラルゴは、壊れたエノーラを抱きかかえたまま、呪詛のようにつぶやき続けていた。

 そして最後に、掠れた声で、殺してくれと言った。


 レギンは自分の手で拳銃を握った。

 銃はずしりと重たかった。

 両手でしっかりと握り締め、ラルゴとエノーラに近づくと、引き金を何度も何度も引いた。


 早く楽にしてあげないと。

 レギンはそれだけを考えていた。


 血の匂いがして、二人は動かなくなった。

 レギンは弾切れの銃を握ったまま立ち尽くしていた。


 確信していた。

 間違えたのは俺だ。

 俺が決断しなかったから、パルハインを殺すのが遅れて、エノーラは壊れ、ラルゴを殺すことになった。

 家族はばらばらになった。


 レギンは泣かなかった。

 泣くのはずるいと思ったからだ。




 肩をたたかれ、沼の底から地上へ上がるように、レギンは現実へ帰還した。


 渓谷の底に朝が訪れていた。

 傍にはフライメイがいて、レギンの顔を覗き込んでいる。


 レギンは一人用の小さなテントの中で、猫のように体を丸めて横になっていた。

 外は少しだけ明るくなっている。


 フライメイはレギンが起きたことを確認すると、水の入った水筒とタオルを枕元に置いて、テントを出ていった。


 体を起こし、胡坐をかいて座り、レギンは水筒の水を飲んだ。


 フライメイはこれまで、レギンが自分で目を覚ますまで動かず、肩を叩いて起こすなどということはしたことがなかった。

 これはアイリスが来てから起きた変化だった。


 それが良いことなのか、悪いことなのか、レギンには判断できなかった。






 廃都フーアは、まるで金属で出来た昆虫の巣だった。

 密接している建物同士が、鉄骨や鉄板などの建材によって繋がれており、壁や足場を形成して立体的になっていた。


 崩れかけのビルや、鉄材で継ぎ足した廃墟が並んでいる。

 足元のコンクリートはひび割れ、砕け、時には見事に陥没しており、乾ききった地下水路が剥き出しになっていた。


 廃墟の隙間に埋もれるようにして生活する人々は、支配種と隷属種が混在していた。

 隷属種につけられた首輪は多種多様で、同じ紋様の首輪を見つけるほうが難しかった。

 彼らは食料を運んだり、武器を運んだりと、どこかにいるそれぞれのオーナーの命令を遂行しているようだった。


 道端にはやせ細った隷属種が、首輪もつけられずに座り込んでいた。

 肋骨が一本一本数えられるほどに浮き上がっており、生と死の中間を漂っているようだった。


 道の端には黒く濁った汚水が流れ、そこかしこで何かが腐ったような悪臭が漂い、足元にはネズミや害虫の姿があった。


 あちこちに真新しい破壊の痕が散見された。

 崩れた壁と、ねじくれた鉄骨と、乾き切っていない血。

 そしてどこからか、誰かの悲鳴と何かの破壊音が聞こえてくる。

 だが人々はそういったものに気を止める様子はなかった。


 廃都フーアは、汚れた血と錆びた鉄で出来ていたのだ。




 太陽は隠れ、曇り空が広がっていた。

 今は昼時で、夕方ごろには雨が降り出しそうだ。

 べっとりと粘つくような風が吹いている。


 廃都中央部には、中央に向かって窪んでいるすり鉢状の円形の広場がある。

 中央には立ち台のような鉄骨の骨組みがあるが、今は無人だ。


 広場を取り囲むようにして、無数の物売りが並んでいる。

 酒や果物、串焼きの肉などの食べ物を売るのはごく少数で、隷属種を売るフーアの商人が大多数だった。

 支配種たちがそれを買いに来て、大いににぎわっている。

 人ごみは果て無く広がっていた。


 レギンたちは広場全体を見下ろせる位置にあったベンチに腰掛けていた。

 隣にいるのはアイリスとフライメイ、それから数体のドールたちだ。

 また、レギンを中心として数多くのドールを廃都のあちこちに配置しており、不測の事態にも対応できるように警戒を行っていた。


 レギンたちはドールも含め、皆フードを被り顔を隠していた。

 顔を隠す者はこの廃都では数多く存在しており、レギンたちが目立つことはなかった。


 廃都にいる者たちが顔を隠すのは、トラブルを避けるためだ。

 統治機構がまともに機能していない廃都では、他人のスレイブが美形だった場合、奪い取ろうと喧嘩を吹っかけてくる輩が一定数いる。

 気性の荒い操術士に目を付けられないためにも、自身で所有しているスレイブの見た目が良い場合は顔を隠させる方が良いのだ。


 しかし、廃都フーアは他の廃都と比べて比較的穏やかなようだった。

 顔を隠す者の率も低いように思える。

 これは統治者であるエメリウスが優秀であることの証左であった。


 レギンは半裸に剥かれた隷属種たちを眺めながら、ちらりとアイリスを見た。

 アイリスはレギンのすぐそばに立ち、まさにドールのふりをしてくれている。


 頬を張られた昨日の夜以来、レギンはアイリスと口をきいていなかった。

 こちらから話しかけても適当な返事しか返ってこない。

 レギンはどうするべきか頭を抱えていた。


 商品の入れ替えの時間がやってきたのか、目の前を、何人もの若い女が裸で歩いていった。

 首輪をつけられ、番号のついた札が提げられており、姿勢を正し直立している。


 彼女らの目には意思の光があり、禁猟区から連れてこられたのだということがすぐに分かった。

 畑生まれではこのような目はできない。


 だがそれは、支配種を憎むような目つきではなかった。

 ただ己の運命を呪っているだけだ。


 隷属種たちは、支配種を恐れてはいるが、憎んではいない。

 隷属種は支配種に対して全くの無力で、同じ生き物ではないという認識がある。

 中には支配種を神と崇める者すらいる。

 隔絶した存在に対し、怒りや憎しみという感情を持つことは難しいのだ。


 だから禁猟区では、手の届く存在である隷属種同士で殺し合う。

 弱い者は強い者に従い、強者を中心としたグループがいくつもできる。

 獣の群れと何ら変わらない。


 レギンはそれをよく知っていた。


 ここでは密猟によって刈り取られた隷属種が数多く秘密裏に売られている。

 操術士はそういった隷属種を求めてフーアまでやってくるのだ。

 もちろんコンラー家は禁猟区の隷属種に首輪をつけることを取り締まっているが、エメリウスを抑えきれていないのか、それともコンラー家も一枚岩ではないのか、どちらにせようまくいっていないようだった。


「ああいうのを買いたい?」


 アイリスはレギンの後ろに立ったまま、口を開いた。


 レギンは、不必要に喋るなと言ったはずだ、と言うつもりだった。


「いらない」レギンは早口だった。「もし買うとすれば、もっと性能で考える。あんな見た目だけのドールは、いても戦力にならない」

「あんたが優秀な人形遣いだってことはよくわかった」


 とげとげしい言葉が返ってきて、レギンは首の後ろをさすった。

 また失敗したことは分かったが、挽回できそうになかった。


 渓谷の拠点には、護衛のためにドールを何体か残し、配置している。

 天使の子供たちにも待機してもらっていた。

 最後までガーベラたちは反発すると思ったが、レギンとアイリスが出発する際には何も言わなかった。


 子供たちはテントに引きこもったまま出てこなかった。

 時折ドールを近づけて様子をうかがっているが、テントの中からは天使の子供たちの祝詞が聞こえている。


「あれって、何してるの」


 アイリスの視線の先では、商人と客の間で、スレイブの受け渡しが行われていた。


 商人が客にスレイブを渡す。

 客は代金を支払い、商人の手から「糸」で作られた「手紙」を受け取った。

 客はそれを開封し、中に記録されているスレイブの真名を知り、スレイブに首輪をかけた。


 この瞬間、二人の人間が一人のスレイブの真名を知っていることになり、スレイブには二つの首輪が付けられていた。


「忘却術だ」レギンは答えた。


 商人は自分のこめかみに軽く指をあてた。

 その瞬間、スレイブの首輪の一つが消滅し、客の首輪だけが残った。

 これで受け渡しが完了した。


「真名を忘れることで、相手にスレイブを渡すのね」

「そうだ」

「誰でもできるの?」

「忘却術か? もちろんだ」レギンは鼻で笑った。「基礎中の基礎だ。これができないやつは操術士じゃない」

「忘れたいことを忘れられるのね。思い出も?」

「……ああ」

「便利ね」アイリスはそっけなく言った。


 レギンは咳払いをした。

 一度話題を変える必要があった。


「ずっと聞きたかったんだが、アイリスたちが来た上界っていうのは、どんなところなんだ」

「天使に興味がでてきた? 天使もドールにしたくなった?」


 レギンは閉口し、タバコを取り出した。


 目の前を、スレイブたちが通っていった。

 立派な体格で、背には木箱を背負っている。


 その後ろを、のんきな顔をした操術士が歩いていく。


「こんなに穏やかじゃない」アイリスは呟くように言った。「昼は焼けるように暑いし、夜は凍えるように寒い。まともに暮らせるのは、猫の額みたいに小さな土地だけ。そこを取り合って部族同士で殺し合うの」

「食べ物は」

「クジラとかイルカを狩ってる。あんまりおいしくないけど。下界にはいないみたいね。飛んでるところを見たことない」

「飛ぶのか」


 アイリスはわずかに首を動かし、しかしドールの振りを思い出したのか、動きを止めた。「飛ばないの?」

「泳ぐだろ」

「どうやって」


 レギンは上界に生息する生き物を想像しようとして、すぐにやめた。

 名前は同じでも、まるで違う形をしているに違いない。


 それに、レギン自身、生きているクジラやイルカを見たことが無かった。

 コンラー家の図書館の図鑑でちらりと見ただけだ。


「上界は恐ろしい場所だな。どうして下界に降りてこない」

「悪魔の方が恐ろしいからに決まってるでしょ」

「天使に操術は効かない。部族で殺し合ってないで、手を取り合って操術士と戦えばいい。操術士の力はスレイブの魔術だ。魔術じゃ精霊術に勝てない」

「そんなの知らない。長達に言って」


 レギンは口を開こうとしてやめた。

 ドールの視界でとんでもないものを見たからだ。


 ドールたちは廃都中を歩き回っており、あちこちに監視の目を光らせている。

 そのうちの一つが、人ごみの中によく知った背格好の子供たちを見かけたのだ。


 外套にすっぽりと覆われていたため、最初は見間違いかとも思った。


 だがレギンはすぐに渓谷にいるドール――オルカシアを操作した。

 彼女は武器の整備をしているところだった。

 全ての作業を中断し、天使たちがいるテントへ向かう。

 中からは声が聞こえ続けている。


 オルカシアがテントをめくり、中をのぞいた。

 小さな光の玉が浮いており、そこから子供の声が聞こえていた。

 言葉の意味は理解できなかったが、よく聞けば同じ言葉を繰り返しているだけだった。


 オルカシアの指先が光に触れると、まるで雪のように消えていった。

 テントには、初めから誰もいなかった。


「これも精霊術か?」

「なに」

「ガーベラたちがここにいる」

「えっ!」


 アイリスは口元を抑え、そして周囲に視線をやった。

 幸いなことに注目されてはいなかった。


「……渓谷で留守番してるんじゃないの」


 まさに子供だましだ。

 レギンはこんなバカな手にかかった自分の愚かさを呪った。

 渓谷のドールたちに命令を飛ばし、最低限の装備を持って撤収させる。


 レギンはガーベラたちを追うようにドールを操作した。

 すでに姿は見失っているが、彼らが何かをやらかす前に捕まえなくてはならない。

 自身の周囲の偵察の目を減らすことになるが、この際仕方がなかった。


「どうするの」

「作戦は中止だ」

「そんな」

「ガーベラたちに横やりを入れられたら失敗する。ガーベラたちを捕まえて、一度フーアを出て――」


 いくつものスレイブに、遠巻きにぐるりと囲まれたことを察知した。

 ガーベラたちの捜索にドールを割いた瞬間に起きた出来事だったため、もともとマークされていたのだとわかった。


 一人の男が歩いてきて、目の前で止まった。

 レギンはベンチから立ち上がり、フライメイを自身の前に配置する。

 アイリスは戸惑っていたが、事前に指示していた通り、すぐにレギンの後ろに立った。


 男には首輪があり、表情は無かった。


「はじめまして。レギン様」

「誰だ」

「私はエメリウス様のスレイブです」


 スレイブは頭を下げた。

 洗練された動きだった。


「一緒に来てくださいませんか。エメリウス様がお待ちです」


 レギンは頷きながら考える。

 現状の戦力で敵の包囲を突破して廃都フーアを離脱することは可能だが、アイリスが無事では済まないかもしれない。

 それにガーベラたちを放っておくことはできない。


 レギンの背中で、アイリスがわずかに震えた。






 案内された先は、近くにあった真新しいコンクリートの建物の屋上だった。

 そこからは広場を見下ろすることができ、集まった群衆を一望できた。


 屋上には派手な色のパラソルがあり、その下には丸いテーブルにはグラスが並んでいる。

 椅子に座り、美女のスレイブを侍らせているのは細身の男だった。


 男はレギンに気づくと立ち上がり、招き寄せた。


「やあ兄弟!」口角を吊り上げ、男は手を差し出した。「はじめまして。俺がエメリウスだ。……顔は知っていたか?」

「……いいや」レギンはフードを外して顔を晒した。


 周囲にはエメリウスの護衛のための人員が数多くいた。

 操術士に、スレイブに、ドール。

 レギンは戦力差を判断する。

 いざとなればアイリスを抱えて飛び出さなければならないだろう。


「座ってくれ。取って食いやしないさ」


 促されるままに、レギンはテーブルを囲んで椅子に座った。

 連れてきたドールを自身のすぐ後ろに配置し、アイリスもフライメイの隣に並んだ。


 エメリウスは思ったよりも若い男だった。

 レギンよりわずかに年上といったところだろう。

 整髪剤で髪は整えられており、服装も相まって清潔な印象を受けた。

 薄汚れた廃都には場違いに思える。


「サインをくれ。額に入れて飾りたい」


 エメリウスはいきなりそう切り出すと、スレイブに持ってこさせた上等な紙とペンをテーブルに置いた。


 レギンは目を丸くした。「……笑うところか?」

「大ファンなんだ」

「冗談じゃない」

「ああ、冗談じゃないとも」


 勝手に盛り上がっていくエメリウスに、レギンは言葉を失っていた。

 背後からアイリスの動揺が伝わってくる。

 レギンは他のドールたちを――体をわずかに揺らしたり――不規則に動かし、アイリスの動きが目立たないように気を配った。


 エメリウスはスレイブに酒を注がせ、レギンに渡してきたが、すぐに断った。


「なあ、うちの人形遣いと手合わせしてくれないか?」

「なんのために」

「つれないことを言うなよ!」エメリウスは笑い、大仰に前髪をかきあげた。「俺のコレクションを見せてやる。それでどうだ? コンラー家も顔負けだぜ。欲しい奴があったら格安スタートの交渉だ。俺が知りたいのはそっちの強さの秘密だ。どうして十数体も同時に戦闘行動させられるんだ。うちの一番優秀な奴だって、せいぜい三人だ」

「教えるのは無理だ。俺以外に誰もできなかった」

「駄目で元々さ」


 レギンはため息をつくと、ドールが二体、屋上の中央へ向かわせる。

 それに呼応するように、屋上の端に待機していた人形遣いの男が、二体のドールを引き連れて歩き出した。


 その人形遣いの首には、黄金の鎖の形をした首輪が巻き付いていた。

 エメリウスの支配を受けているようだ。

 エメリウス側の人形遣いが操るドール二体と、レギンのドール二体が、屋上の真ん中で顔を合わせた。


「格闘か?」

「魔術は使ってもいいが、屋上を壊さないでくれると助かる」エメリウスは歯を見せて笑った。「新築なんだ」


 特に合図もなく戦いが始まった。

 魔術で強化された拳がうなり、コンクリートも砕く蹴りが放たれる。

 レギンのドールはそれを容易くいなしていく。


 向こうのドールのほうが高性能だったが、それは戦況に大して影響を与えなかった。

 実力差が圧倒的すぎる。

 レギンの二体のドールがまるで一つの生き物のように動いているのに対し、相手のドールは一体と一体のままだった。


 相手の人形遣いはすぐに汗だくになり、必死の形相で操作していた。

 本人も戦いに釘付けになっており、屋上の戦いから全く目をそらせないでいた。


 レギンは涼しい顔で広場を見下ろしていた。

 中央にある高台にスレイブたちが集まり、イベントの準備を進めている。


 ガーベラたちの捜索も続けていたが、足取りはつかめない。

 精霊術を使ってはいないと思うが、完全に人ごみに紛れている。


「すごいな。どうやってるんだ。こんなに違いがあるのか。なあ兄弟、お前には脳みそがいくつもあるんじゃないのか?」

「脳みそならドールのものがあるだろ。あれを使えばいい」

「そんなことできるのか?」


 いつかジグムントにも問われた質問だった。


「……できるやつはいなかった」

「どうしてそんなことができるんだ」

「鍛え方が違うんだ」

「命令したらどうなるかな」

「やめろ」レギンはエメリウスをにらみつけた。「あんたは操術の素人じゃないだろ。できないことをやらせようとするな」

「冗談だって。そんなことわかってる。俺だって無駄に廃人を増やしたいわけじゃない。支配種の廃人なんて、マジでゴミにしかならん」


 操術は精神に影響を与える力だ。

 その力は対象を支配し、そして容易く破壊することができる。

 矛盾した命令や、実行不可能な命令を与えて放置すると、精神的な負荷が増大し、すぐに白痴となる。


「あいつは元々四人まで操れた。もちろん、あんたほどの実力じゃあなかったさ。だけど首輪をつけたらこのざまだ。操術士は操ることには慣れていても、操られることには慣れていない」


 レギンは敵の二体を蹴散らした。

 人形遣いとドールが退き、次と後退した。

 レギンは再び相手をすることになった。


「命令されるっていうのは、不快なもんさ。耳元で常に大声を出されてるような気分だ。まったく、夜も眠れない! なあ、スレイブってのはすげえよな。よく平気でいられるもんだ」

「本人に会えるとは思わなかった」レギンは広場を見下ろしたまま言った。

「ああ?」

「お前を殺したいやつは山のようにいると聞いた」

「実はそうでもない」エメリウスは面白そうに戦いを見ている。「要はバランスだ。俺が好き勝手やると、俺を殺したいと思う奴が増える。俺が有用性を示すと、生きていてほしいと思う奴が増える。こいつらは勝手に喧嘩してくれる。みろよ、この広場にも、コンラー家の人間がお忍びで足を運んでくださってる。なにが目的だと思う」

「支配種か」

「正解」エメリウスは手を叩いた。「ここの市では、支配種さえ切り売りされてる。俺がタブーを取っ払ったからな。おそらく唯一の市場だ。そして支配種を安全に支配したいと思う強欲な連中はどこにでもいる。コンラー家だけじゃない、ランデリック家もそうだ。大家同士がにらみを利かせているのさ。コンラー家も、あんたに『エメリウスを殺せ』なんて命令しなかっただろ。だから俺は今も生きている」

「……聞いていた印象と違うな」

「俺を強欲な狂人だと思ってたのか? 失礼な奴だな」エメリウスは陽気にレギンの肩をたたいた。「欲しい物は欲しいさ。だけど何が欲しいんだ? 俺にいわせりゃ、どいつもこいつも、そんな簡単なことすらわかってない。誰も歩いたことのない雪原にこそ価値があるんだ。兄弟、あんたならわかるだろ?」

「さぁな」


「パルハインを殺した時、どう思った? 俺でもやれるんだと、そう感じたはずだぜ」


 レギンは動揺を表に出さなかった。

 敵ドールとの模擬戦は何の問題もなく続いている。


 エメリウスは悪戯っ子の笑顔を浮かべてレギンから視線をそらし、屋上の戦いへ目をやった。


「これで動じないのか。とっておきだったのになぁ!」

「驚いてるさ」レギンは答える。「――俺に復讐か?」


 エメリウスは一拍置いてから大笑いした。

 彼の周囲のスレイブが動揺している。


 腹を抱え、涙をぬぐい、酒を一口飲んで落ち着いてからエメリウスは言った。「逆だ。俺はお礼を言いたいんだ。俺は、やつのスレイブの一人だった」


 レギンは今度こそ驚いた。


「お前がやつを殺したおかげで、俺は自由になった」

「あそこに居たのか。よく無事だったな」

「俺はやつに有用性を示し続けた。玩具にして壊すよりも価値があるぜってな。あいつはただ体が大きくなっただけのクソガキだった。欲しいものは今すぐ欲しいし、嫌いな奴は今すぐ殺したい。それだけだ」

「――捕まっていた野良を」レギンは目を細めた。「見たのか?」

「やつはコレクションとコレクションが接触するのを嫌がった」


 エメリウスは懐かしむようにパラソルを見上げた。

 あたりにはドール同士の戦いの音が響く。


「俺はスレイブ商の息子だった。親父に連れられて市場へ行こうとして、パルハインの部下のチンピラ共に襲われた。親父は拷問される前にすぐ『自壊』した。利口だぜ。忘却術を自分にかけたんだ。白痴になってあうあう言うだけになった。よだれを垂らして、小便を漏らして、最後は、くそったれ、ひでえツラだった……。俺はガキで、何にもわかってなかった」


 エメリウスは左手を見せた。

 そこには小指が半ばほどからなかった。


「一往復、一往復、やすりでゆっくり削るんだ。骨をこすられると、目の奥がちかちかする。俺はすぐに我慢できなくなって、ゲロと一緒に、真名まで吐いちまった。あんたがパルハインを殺してくれるまで、俺は立派なスレイブだった」

「そうか」レギンはそう呟くだけだった。

「なあ、俺のこと話したんだ。そっちも話してくれよ」

「ルールは先に言え」


「禁猟区に捨てられて」エメリウスはにっこり笑った。「隷属種に囲まれて育つってのは、どんな気分なんだ?」


 アイリスが息を呑み、レギンはそれをごまかすように咳払いし、椅子の背もたれに体重を預けた。


 エメリウスの言葉に掘り起こされるようにして、苦い記憶が蘇ってくる。


「自分の能力を自覚したのはいつだ? 何歳だ? 教えてくれよ。これはいくら調べても出てこなかった」

「コンラー家の記録か」

「いろんなところにコネがあってね。それで、能力を自覚して、すぐに支配したのか? それとも家族ごっこを貫いたのか?」

「良く喋る口だ」

「好きな人のことを知りたいだけさ」

「悪いが、そっちの趣味は無い」

「ははは! 俺もだ!」エメリウスは手を叩いて笑った。「あんたがもう十年若かったら分からなかったがな」


 レギンは鼻で笑ってみせて、広場を見下ろした。

 ガーベラたちはまだ見つからない。


「パルハインについては?」

「少しだけだ」レギンは首を振った。

「これは知ってたか? あいつ、小さな操術士の家系の三男だったんだぜ。しょっぱい農場を引き継ぐだけの将来が嫌になって逃げだして、廃都で一旗揚げようといじらしく頑張った。でも駄目だった。能力がなかった。廃都のボスにはなれなかった。だから自分たちよりも弱い野良を相手にした。賢いよなぁ。コンラー家に目を付けられるまでの数か月で、奴は禁猟区の野良の里を六か所を平らげ、自分の王国を築いた。……結局、コンラー家よりも、あんたの方が早かった。あんたは隷属種を支配して、パルハインに囚われた隷属種を助け出した」


 エメリウスは舞台に上った俳優気取りで手を広げた。

 恍惚とした表情で空を見上げ、目を細めている。


「俺はまだ覚えてる。あんたのドールが、泣いて許しを請うパルハインの頭にメイスを振りかぶっているところを。あんたは、……知らないだろうな。あの時俺はすぐ近くにいた。やつのすぐ近くに控えていたんだ。あの悪魔を屈服させるやつがいるなんて! 俺が生きているうちに現れるなんて! 俺の生涯で最も鮮やかな瞬間だった! ……どうした兄弟、顔が青いぜ。何もかも過去だ! 俺達には未来だけがあるんだ」


「楽しそうだな」レギンはタバコを取り出して火をつけた。

「楽しいさ! あんたとこうして顔を合わせて話がしたかった」エメリウスは目を輝かせ、握りこぶしを作って振った。「パルハインはクソの中のクソだった。だが俺もお前も、そこから生まれた」

「違う」

「あんたはパルハインから大切な家族を取り戻そうとした。そうだろう? そうして力を磨いた。だから今ここにいられる。もしもパルハインがいなかったら?」

「何が言いたいんだ」

「天使の国へ行こう」

「おとぎ話かよ」

「お前の持ってるアイリスちゃんだ」エメリウスは笑った。「アイリスちゃんがいれば、天使の国へ『梯子』をかけられるんだ」

「何の話をしてるんだ」


 アイリスは硬直しているのか、レギンの後ろで直立し、微動だにしなかった。


 エメリウスは、すぐそばにいるアイリスに気づいていない。

 もし気づいていれば、すでに攻撃を受けているはずだ。


 レギンが天使と共にいるという情報がどこから漏れたかなど、考えるまでもない。

 レギンは廃都に来るまで、いくつかの街に立ち寄った。

 エメリウスの息のかかった者に見られていたのだ。

 油断し過ぎだ。


「誰も見たことのない場所へ行こうぜ」エメリウスは再び立ち上がり、子供のように笑った。「兄弟! ここは地獄の底だ! どいつもこいつも、手に入って当たり前のものを手に入れて、喜んでる。狂ってやがる! スレイブを好き放題にして何が面白い? 命令通りに動くやつを眺めて、何が楽しいんだ? そんなもの頭の中の妄想と一緒だ。ばかじゃねえのか」

「だから操術士に首輪をつけるのか」レギンは、エメリウスの人形遣いを見た。


 エメリウスは急に消沈し、苦笑いして席に着いた。

 まるで悪戯の仕掛けを見抜かれたような顔をしている。


「……くそったれ、俺の恥ずかしい失敗の一つだ。いや! いや、だが意味のある失敗だった。そう、誰もやろうとしないだけで、やりゃあ誰だってできる。勝手にタブー視してるだけだ。……パルハインは俺に大切なことを教えてくれた。欲しいものがあって、それを手に入れる努力をしている間だけ、俺たちは生きているんだ」


 眼下に見える広場では、イベントの準備が完了していた。

 広場の中央に巨大な鉄格子の檻が設置されている。

 そこに入れられているのは、エメリウスが捕らえた数十人の天使たちだ。

 白い肌と金の髪が目立つように、肌の露出の多い衣装を着せられ、鎖につながれている。


 広場に集まっていた操術士たちは、司会の合図とともに一斉に糸を伸ばした。

 天使が操術の効かない存在なのだと知らしめるパフォーマンスの一環だ。


「兄弟、あんたは最強だ。あんたに勝てるやつはいやしない。勝てるやつに勝って、何が楽しい。次の世界へ行って戦おう。もうここは歩き尽くした。味わいつくした! つまらん奴らがつまらんルールを作ってごちゃごちゃやってるだけの肥溜めだ!」


 廃都中を走り回っていたドールたちが、ついにガーベラたちを見つけた。

 広場を囲むようにして、六人の天使の子供たちが、広場の中央の様子をうかがっている。


 レギンは立ち上がった。

 周囲のエメリウスのスレイブたちが反応する。

 屋上の訓練も中断された。


 もはや猶予はない。

 レギンは退路を探ったが、エメリウスの配下たちが周到に包囲を固めている。


「何を言っているのかさっぱり分からない。ここに俺の欲しいものは無い」

「頼むぜ兄弟。あんたは貴重だ。あんたの指を削りたくないんだ」

「笑うところか?」


 レギンとエメリウスは視線を交わした。

 レギンはエメリウスの瞳の中に、確かにパルハインを見た。


 エメリウスのスレイブが身構える。

 レギンはフライメイを操作し、ナイフの柄に手をかけた。


 だが緊張を破ったのは、突如として響き渡った爆発音だった。

 


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