08


 空は雲一つない晴天で、べたつく潮風が海から吹いてきていた。

 穏やかな昼下がりだった。


 ここはダイセンという港町だ。

 石造りの大通りでは、多くの人が行きかっている。

 スレイブが駆け足で台車を引いて荷物を運んでいく。

 スレイブを連れた親子が談笑しながら通りの屋台で海産物の串焼きを買っている。


 アイリスとフライメイは通りを歩いていた。

 フライメイは顔を出していたが、アイリスはフードを被り、周囲から顔が見えないように気を配っていた。

 二人の少し後ろでは、同じくフードで顔を隠したガーベラが挙動不審気味に歩いている。


 フライメイは両腕を組み、しばらくうつむいていたが、観念したように顔を上げた。


「『……もう一回、頭から教えてくれ』」


 それはフライメイの声色だったが、レギンの口調だった。

 仕草もレギンそのものだ。


 スレイブの体を「人形」のように操るがゆえに、彼らは人形遣いと呼ばれている。

 体を直接操作しているため、こうして本人と離れた場所でもレギンと会話することができる。

 だがアイリスは疑問だった。

 仕草や口調や、表情まで再現する必要があるのだろうか。

 アイリスは他の人形遣いを知らないが、人形遣いとは皆このようにスレイブを――ドールを操るのだろうか。

 それとも、レギンだけ特別なのか。


 レギン本人は、現在食料や物資の調達のため、馴染みの商人と取引しているという。

 アイリスの他の仲間たちは街の外に停めてあるトラックの中で待機しているが、ガーベラだけはアイリスの護衛とレギンの監視のため、アイリスたちに着いてきていた。


「はじめから? ちゃんと聞いていたの?」

「『説明が悪い』」

「そんなこと!」アイリスは少し悩む。「……わかった。もう一度初めから、ゆっくりと、丁寧に、説明するから。分からなかったら、その度質問して。いい? まずあたしたちは、『上界』で暮らしてた。でも数年前、大規模な裂け目ができて――」

「『ちょっといいか』」フライメイは手を挙げた。

「早いよ」

「『お前たちは別の世界から来たのか?』」


「だから何度もそう言ってる」アイリスは呆れた声を上げた。「あたしたちはこの世界、つまり『下界』に落っこちてきた」


 フライメイはふと足を止め、出店に立ち寄ると、スレイブの店員から手のひらほどの大きさの真っ赤な果物を三つ購入した。

 フライメイは一つをかじり、もう一つをアイリスに渡すと、最後の一つを少し離れて歩くガーベラに投げた。

 ガーベラは突然のことに慌てた様子だったがなんとか落とさず受け取り、しかし食べずに懐にしまった。


 アイリスは果物をかじった。

 甘酸っぱくて、さわやかな味がした。

 フライメイも口を大きく開き、勢いよく食べていった。


「おいしい?」

「『旨くなかったか? よく熟れてるじゃないか』」

「今果物を食べているのはフライメイよね。フライメイが食べて、フライメイのお腹に入っている。なのに、レギンがおいしいの?」

「『目や耳が使えるんだ。味覚だって同じことだ』」

「いま、フライメイはおいしいと感じている?」

「『……さぁな』」フライメイは、ふいとよそを向いてしまった。「『あとで本人に聞いてみればいい』」


 そっけない態度に、アイリスは聞かれたくない話題だったのかと感じた。


「今は?」

「『俺が操作しているだろう。フライメイの休憩中に聞け』」

「……よくわからないんだけど、休憩ってどういうこと?」

「『何をしてもいい時間のことだ。俺に危害を加えるなとか、仲間同士で殺し合うなとか、そういう最低限の命令と、位置の監視はしているがな。敵襲等の緊急時には操作することはあるが、休憩中は俺からは干渉しないことにしてる。目も耳も使わないから、目の届かないところにいたら、何をしているか分からない。自由な時間だ。これがあるのとないのとでは、ドールの寿命が大きく変わる。ずっと操作したままだと、すぐに心が擦り切れて、壊れて、白痴になっちまう』」


「……他の操術士たちも、そういうことしてるの?」

「『他の奴らは扱いが悪すぎる。すぐに買い替えればいいと思って……、おい、これは単純に効率の話だぞ』」


 アイリスからきらきらした目を向けられていることに気付いたのか、フライメイは――レギンは早口で言葉を続けた。


「『僅かな工夫で長持ちするのに、それをしないなんて、馬鹿げてると思わないか』」

「思う」

「『すぐにドールやスレイブを駄目にするやつは、使い方がヘタクソな三流ってだけなんだ』」

「うん」

「『それをドールのせいにするなんて、虫唾が走る』」

「そうね」

「『ちゃんと聞いてるのか』」

「もちろん」


 アイリスはにやけてしまうのを誤魔化すために手の中の果物を口元へ運んだ。

 フライメイも疲れた様子で果物をかじり、咀嚼して飲み込んだ。


「『元の世界には戻れないのか』」

「……コスモス様のような知者だったら、戻り方を知っているかもしれない」

「『そいつは死んだのか』」

「分からない。一緒に下界に落ちたのは確実だけど」アイリスは地面へ視線を落とした。「ガーベラが先頭に立って皆をまとめてくれた。でも合流できたのは十一人。そのあと禁猟区の人々と争いが起きて、三人が死んだ。あたしたちは若くて、まともに戦った経験のある人なんて、いなかったから」


「『だろうな』」フライメイは嘆息した。「『どいつもこいつも、素人に毛が生えたような動きしかしてない』」


「……あたしを含め、今いる七人が、この世界に落ちてきた生き残りの全てなんだって、少し前までそう思ってた。でもフーアっていう名前の廃都に、あたしたちと同じような人たちが捕まってるって噂を聞いた。なにもしないわけにはいかなかったの」


「『俺がいなかったら、どうやって助けるつもりだったんだ』」

「それは、まずは、現地へ行って、情報を集めて、それから……」

「『ノープランだったのか』」

「今はレギンがいる!」アイリスは声を荒げた。「そうでしょ?」


 フライメイはアイリスのフードの先をつまみ、深く被らせ直した。


「『どうしてお前たちに、呼名と真名の文化があるんだ』」


 アイリスは突拍子もない質問に耳を疑った。「馬鹿なことを言わないで。悪魔が真名を奪って――」アイリスは慌てて口を抑え、フライメイの顔色を窺った。


 フライメイは何かを払うように手を振った。「『俺たちだってお前たちを天使と呼ぶ。いいから続き』」


 アイリスは咳払いした。「操術士が真名を奪い、魂まで支配してしまうから。だから呼名が必要になった。当然でしょ」


「『天使は操術士のことを、悪魔のことを知っている』」

「何かおかしい?」

「『天使の世界から俺たちの世界へ来たら、普通は戻れない、そうだな?』」

「神隠しに遭って、戻ってきた者の話は聞いたことがない」

「『俺たちの世界に天使の話がおとぎ話程度に知られているのは、お前たちが、その神隠しとやらでたまにやってくるからだ。だが元の世界に戻った天使がいないのなら、天使は悪魔のことを知りようがないはずだ』」


 アイリスは息をのんだ。

 その通りだ。

 下界から自分たちの世界へ情報の道筋がない。

 それなのにどうして話が伝わっているのだろう。


「今まで、考えたこともなかった」

「『……天使の使う精霊術。操術の糸が効かないのは、この精霊術のせいだと思う。どうだ?』」


 アイリスは頷いた。「精霊たちの加護によって、我々は悪魔の手から逃れることができるのだと、大人たちはよく話をしてた」


 フライメイは自分の顎を撫でた。

 それはレギンが考え事をするときの仕草だった。


 アイリスは笑いをこらえてそれを見ていた。

 フライメイはアイリスの表情に気づいて、眉を上げた。「『どうした?』」

「別に。何を考えてるのかなと思って」


「『精霊術はおそらく、強固な防壁としての機能を有している。だから糸が効かない。支配種同士で糸が効かないのと同じことだ』」

「えっ、効かないの?」

「『……そんなことすら知らないとは思わなかった。操術士がスレイブやドールを使って戦う理由について、考えたことは無いのかよ』」

「悪かったわね」アイリスは腰に手を当てた。「いいから、教えて」


「『支配種は糸を通じて対象の心に侵入する。記憶や思考を読み取って、最奥に隠された真名を知ることができれば、相手の首に首輪をつけることができる』」

「できない人もいるの?」

「『もちろん。侵入はできても真名を知るのに時間がかかるようなやつとか、そもそも真名を見つけられないやつら。これができないってことは、操術の基本的な素養が無いってことだ。まともにスレイブに命令を飛ばすこともできないだろう。操術士として生きていくことは難しい。まともな職には就けないだろうな』」


 フライメイはそこまで言って果物をひとかじりした。

 果汁が垂れて、フライメイは豪快に口元をぬぐった。


「『隷属種の心は、海に例えられる。泳ぐことさえできれば誰でも入れる。真名は海底にあるから、潜水が上手ければ、真名を知ることができる。だが支配種の心は硬い岩盤そのものだ。岩の中を泳いで潜っていけるやつなんていない』」

「つまり?」

「『操術を使って、支配種から真名を抜き出すことができる者はいない』」

「じゃあ支配種は支配されない?」


「『いいや』」フライメイは首を振った。「『首輪をつけるために必要なことは、相手の真名を知ることだけだ。心に侵入するのはその過程でしかない。真名はその人物にとっての魂そのものだから、真名を知られたら、心が海のようだろうと岩のようだろうと関係ない。支配種も隷属種も変わりない』」

「一つ気になることがあるんだけど」アイリスは一つ咳払いした。「術士が死ねば、そいつに支配されていたスレイブの首輪は消える。そうね?」

「『その通りだ。操術の首輪は術士が生きている間だけ効果を発揮する』」

「……もし、リコリス様たちにすでに首輪が付けられていたとしたら」

「『助け出すには、首輪をつけた術士を見つけ出して殺してしまうのが手っ取り早い』」

「もしそれがエメリウス本人だったら、エメリウスを殺さない限り、助けることはできないってこと? それってすごく大変なんじゃないの?」

「『……まずはフーアについてからだ。今は情報が少なすぎる』」

「操術で相手のスレイブを奪い取ることって、できないの?」

「『無理だ』」フライメイは即答した。「『すでに首輪がついている隷属種の心には、侵入できない。支配種と同じくらい精神が強固になる。首輪の作用の一つだ』」


 アイリスはフライメイの青い首輪を見た。

 これは確かに首輪だが、同時に盾でもあったのだ。


 突然ガーベラが駆け足で追いついてきて、アイリスの肩をつかんだ。


「どうしたの」

「……二人で話したいことがある」


 ガーベラはフードの奥でフライメイをじろりと睨んだ。

 フライメイは肩をすくめてみせて、手の中で食べかけの果物を弄びながら、ガーベラとアイリスから距離を取った。


「急になに?」

「俺たちのことについて、話していただろう」

「それが?」

「お前な……」ガーベラは呆れたように肩を落とした。


 アイリスはフライメイに聞かれないよう、声を潜めた。「あたし考えたんだけど、レギンに戦い方を教わったらどうかな。ものすごく上手にドールを操るから、ガーベラたちだけで訓練するより、もっと早く上達できる。レギンも気にしてるみたいだから――」

「奴は悪魔だぞ。人に首輪をつけ、貶め、魂を縛りつける」

「……レギンのドールたちを見た? あたし、首輪をつけられても生き生きとしてる人がいるなんて、知らなかった」

「支配されていることに変わりはない」

「違うの。レギンは守ってるの。フライメイ達の話を聞いてみて。みんなの休憩中に、話をしてみて。この世界のことをいろいろ聞けるから。そうしたら、レギンは数少ない例外なんだってわかるよ。……もしかしたらこの世界で一人きりかも。知ってた? レギンは積極的にドールを増やさないの。捨てられたり、行き場を失った隷属種が居たときだけ、首輪をつけるんだって。レギンのドールはそんな人たちばかり」


 娼婦として客を取らされていたが、加齢により「破棄」が決定した。

 兵士として戦っていたが、傷を負い戦力が低下したため捨てられた。

 毎日広大な畑を耕していたが、より「性能」の高いスレイブに買い替えられた。


 アイリスはレギンのドールたちと積極的に交流し、彼らの話に耳を傾けていた。

 アイリス自身も、最初の数日は不安に怯えていたが、皆の役に立たねばならないという責任感に背中を押され、ドールたちを理解するため、ひいてはレギンについて良く知るために、彼らの手伝いなどをかって出ていた。

 最近では全てのドールの名前を覚える程度には仲良くなっていた。


「この世界のことなんて、知る必要はない」ガーベラは顔をしかめて言った。「下界は歪んでいる。そう教わっただろ」


「あたしは!」アイリスは我慢できなくなった。「……あたしは、上界で、ずっと檻の中だった」


 ガーベラは体を硬直させ、ばつが悪そうに視線を落とした。


 アイリスも足元をじっと見降ろした。

 ガーベラはずっとアイリスを見捨てなかった。

 彼は仲間たちを必死でまとめ、誰よりも傷つき、戦ってくれている。

 こんなことを言うつもりではなかった。


 強い風が吹いて、ガーベラとアイリスのフードがめくれた。

 二人は慌てて被りなおした。


 フライメイがアイリスの元に駆け寄ってきた。

 同時に、通りを歩いていた操術士が近寄ってくるのが見えた。

 男が一人と、女が一人。

 背後には彼らのスレイブと思しき者たちが続く。


 アイリスとガーベラは慌てて顔をそむけた。

 フードが外れた時に、顔を見られたのだ。


「オーナーはどこにいる?」操術士の男は血走った眼で言った。

「『何の用だ』」フライメイが言った。

「スレイブならスレイブらしくしろ。なんだその口の利き方は」

「『頭に蛆でも沸いてるのか』」フライメイは一歩前に出て、アイリスとガーベラを背後に隠した。「『俺は人形遣いだ。このドールを使って話をしている』」


 男は驚いているようだったが、一歩も退かなかった。「何だよ、そう言ってくれよ。こんなにうまく言葉を話させる人形遣いなんて知らなくてな。いやなに、そこのスレイブを売ってほしいんだ」

「『これは売り物じゃない』」

「知るかよ。俺らはゴルドー商会のもんだ。そんなでけえ面して、分かってんのか」


「やめときましょう」女の操術士が言った。「首輪を見て」

「たかが人形遣いだろ? なにビビってんだ」

「馬鹿! 知らないの? 青い蛇の首輪よ」

「関係あるか。いいか、ゴルドー商会がそこのスレイブを買ってやるって言ってんだよ。話くらい聞いたらどうなんだ」


 アイリスは身を縮めた。

 ガーベラは腰の剣に手をかけている。


 通りを歩く人々がちらちらとこちらを見ている。

 いまやアイリスたちは注目の的だった。


「『消えろ』」


 操術士の男はこめかみをひくひくさせた。

 背後に控えていたスレイブが飛び出すが、同時にフライメイが残像を残してその場から消え、操術士の男の背後に移動していた。


 フライメイの手には大振りのナイフがあり、その先端が男の首の後ろに向けられていた。


 男のスレイブたちは動きを止めた。

 あと一歩でも進んでいたら、男の首に深々とナイフが突き刺さっていたことだろう。


「お、お前、こんなことしてタダで済むと思って……」

「『商会は俺の敵に回るんだな』」

「違うわ!」女の操術士が声を荒げる。みるみる顔色が悪くなってく。「ごめんなさい、すぐに消えるから、やめて、あんたと戦争する気なんてないの。こいつ新人で、あなたのことをよく知らないだけなの」

「おい、人形遣い相手に下手に出ると――」

「あんたは黙ってて!」女は悲鳴を上げた。「ただの人形遣いじゃないの! この人がいくつの組織を潰したか知らないの? 殺されたくなかったら! 黙ってなさい!」


 フライメイがナイフを収めると、男は舌打ちをしてスレイブを引かせた。


「そのスレイブがあんまりにも美形だったから、声をかけただけ。悪かったわ」


 女は男の手を引いて去っていった。

 彼らのスレイブも後に続いていく。

 何か言い合っているようで、女のヒステリックな金切り声がいつまでも響き渡っていた。


 アイリスは胸がすくような爽快さを感じていることに気づいた。

 おぞましい悪魔――操術士たちが、レギンを前に怯え、戸惑っている。


「レギンは」アイリスは声を明るくした。「有名人なのね」

「『連れてきたのは間違いだった』」

「あれは、急に風が吹いて――」


 アイリスはフライメイの眼光を前にして、もじもじと両手をすり合わせた。

 休憩中のフライメイ本人より、感情があらわになっている。


「……ごめんなさい。気を付ける」


 フライメイはガーベラをじろりと見た。

 ガーベラは顔を背け、固く結んだ唇を開くことはなかった。



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