04
アイリスは意識を取り戻すなり飛び起きた。
カーテン越しにオレンジの光が差し込んでいて、夕方だとわかった。
どれだけ意識を失っていたのだろう。
アイリスは自分の格好を見た。
いつの間にか清潔な服に着替えさせられている。
肌触りがよく、これまで着ていた服とは比らぶべくもない。
サイズは少々大きいが、どうやら簡単な寝間着のようだった。
全身から石鹸の香りがして、金の髪はさらさらと指通りが良くなっており、指先の爪の間の黒ずみまで無くなっていた。
羞恥を感じて顔を赤くしながらも、周囲を見回した。
ベッドサイドには細い鎖を通された指輪があった。
慌てて掴み、首にかける。
これだけは何があっても失くすわけにはいかない。
部屋の隅には誰かがいた。
髪の短い女性だ。
椅子に座って、本を読んでいる。
女性が本を閉じ、立ち上がって言った。「喉、乾いたでしょ」
そう言ってコップに水差しから水を注ぎ、渡してきた。
アイリスは水を受け取り、一息で飲み干す。
「あなたは……」
アイリスはその女性を眺めた。
記憶がよみがえる。
首元には蛇が巻き付いたような首輪が見えた。
「フライメイ」
「あっ、あたし、アイリス。あなた喋れるの?」
「今は『休憩中』だから。お腹空いてる?」
フライメイはにこりともせずに言った。
アイリスはふらつく足に力を入れてベッドから降りると、ベッドのシーツをはぎとり、自身の体にすっぽりとかぶせた。
外から見えるのは目元だけだ。
「なにしてるの」フライメイは首を傾げた。
「操術士はどこ。会わせて」
アイリスはフライメイに連れられて寝室を出た。
そこは広い居間だった。
台所、長机、多数の椅子が並んでいる。
青い蛇の首輪があるドールが何人もいた。
体格は様々で、異様に背の高い者から、まるで子供の様に背の低い者まで様々だった。
支配種によって家畜のように増やされる隷属種の中には、魔術による成長の変化によって主の望む姿へ「改造」される者たちもいる。
背丈が異様に高い者や、大人のような落ち着きがあるが外見は子供の者、あとは――アイリスには遠く及ばないが――見目麗しい者などがそれに該当する。
ここにいるドールたちも、そういった魔術を受けていることは明らかだった。
彼ら彼女らの全身に傷があるが、それらはどれも古く、新しい傷は見当たらなかった。
朗らかな雰囲気で、ソファに座りくつろいでいたり、本を読んでいたり、大きな紙に絵を描いていたり、向かい合ってボードゲームをしていたりしたが、アイリスが現れると静かになった。
ドールたちは自分の意志で行動しているように見えた。
それはアイリスの常識とはかけ離れた光景だった。
「……あれが、例の?」「なんでシーツ被ってるんだ?」「子供か?」「どうして助けたんだ?」
ドールたちは小声で囁き合っている。
白いシーツですっぽり身を隠したアイリスの様子に困惑しているようだった。
アイリスは注目を浴びていることを痛いほど感じながら、フライメイの後に続いた。
料理のいい匂いがして、腹の音が鳴った。
アイリスは慌てて抑えた。
「やっぱり、食べる?」
「いいから」
フライメイの背を押し、アイリスは居間を通り抜けた。
遠くには長く連なる山脈の向こうでは、夕日が沈むところだった。
細い砂利道が、草原を切り開くようにずっと続いている。
気温は温かく、過ごしやすかったが、夜になれば肌寒くなるだろう。
レギンは建物の外の広場で、ドールの訓練をしていた。
ある者は体操をしている。
ある者は逆立ちをしている。
柔軟、重量挙げ、模擬戦闘。
遠く離れた的に向かって銃を撃ったり、手の平から火や稲妻を生み出している者もいる。
レギンによって直接体を操作されるドールもいれば、言語による命令によって訓練させられているドールもいた。
例えば二人一組で向かい合っている組手がそうだ。
片方はレギンの操作だが、もう片方は自力で戦っている。
当然ながらレギンの操作するドールのほうが実力があり、先生と生徒のような様相をしていた。
レギン自身は椅子に腰かけ、古い本を読んでいた。
天使についてのおとぎ話が書かれている。
天使はこの世の者とは思えないほど美しく、操術が効かず、魔術ではない特別な力を持っているらしいが、あくまでおとぎ話の域でしかなかった。
コンラー家の図書館に行けば、もっと詳しい話が分かるかもしれない。
気配を感じて顔を上げると、青白い半透明の鳥が空を飛んでいた。
それはレギンめがけて急降下すると、音もなくレギンの膝の上に着地した。
鳥が羽ばたいても風は起きなかったし、レギンは膝の上に何の重量も感じなかった。
この鳥は物理的に存在するものではないからだ。
それは操術の糸で編み上げられた「手紙」だった。
レギンが鳥のくちばしに触れて「封」を解くと、レギンの頭に情報が流れ込んできた。
手紙の送り主はジグムント。
首都へ帰る前に一度立ち寄る、というだけの伝言が入っていた。
解読が終わると、鳥は光の粒になって消えていった。
玄関が開き、フライメイに連れられて家から出てきたのは、昨晩保護した白い娘だった。
娘は頭からシーツをかぶっており、目元しか見えない。
異様な姿だった。
レギンは本を閉じた。「なんだそれ」
「……なんともなかったの?」シーツ越しに、くぐもった声がした。「あっ、あたしの、体、拭いたでしょう。服も替えさせて、それで……」
「風呂にも入れた。汚かったからな」
「最低!」
「起きない方が悪いだろ。……それに、獣臭くて鼻が曲がるかと思った。病気になるぞ」
「仕方ないじゃない!」娘は甲高い声を上げた。傍にいたフライメイがぎょっとした。
白い娘は意を決するようにしてシーツを脱いだ。
こうして身綺麗にしているのを見ると、清楚で可憐な美しさがあらわになっており、見る者の目を釘付けにした。
畑生まれでも、ここまで美しい者はいないと断言できる。
もしかすると、とレギンは想像した。
身なりがひどく汚れていたのは、逃げ回っていたからではなく、自衛のためだったのではないのだろうか。
これほど容姿が優れていると、損することの方が多いのかもしれない。
「ほ、本当に平気?」
「意味が分からない」
「ほら、あたしって綺麗でしょ」
レギンは鼻で笑った。「うぬぼれすぎだろ」
「そうじゃなくて……」娘は何かをあきらめたようにため息をついた。「すぐに出発するよ」
「どこへ」
「仲間のところ。はぐれてしまったから」
「お仲間はコンラー家の調査団に保護された。今は禁猟区に戻されてるはずだ」
娘はそれを聞いてわずかに安心したように見えた。
しかし首を横に振る。
「あの『野良』たちのことじゃない。確かにあたしたちは彼らの里と協力関係にあったけど、仲間ってわけじゃない。向こうはあたしたちの顔も知らない。今回の襲撃もたまたま巻き込まれただけで――」
「なんだ、お前みたいな天使が他にもいるのか」
「アイリス」娘はむっとした表情で言った。「あたしの嘘の名前。いい? お前なんて呼ばないで。あと、天使っていうのも無し。あたしたちはそんなんじゃない」
レギンは娘を――アイリスを直視しないように気を付けた。
「分かった? 聞いてるの?」
レギンは小うるさい娘をじろりと見た。
アイリスはびくりと肩を震わせ、しかし一歩も引かなかった。
「……そんな目で睨んだって、だめよ」
「睨んでない」
「あなたは、名前、なんていうの」
「レギンだ」
「『レギン』? あなたの嘘の名前?」
嘘の名前に決まっている。
自ら他人に真名を言う馬鹿はいない。
真名を知られては、まるで息をするように容易く支配されてしまう。
たとえそれが操術士同士であってもだ。
レギンが眉をひそめていると、アイリスは小さく苦笑した。
「レギンって、神様の名前よ。闘争の神の、古い名前。今じゃ誰も覚えてない」
「知るか」レギンは首の後ろをさすった。「『アイリス』は、花の名前だろう」
「あたしたちはみんな、花の名前がついてる」
レギンが黙っていると、アイリスは一度咳ばらいをして話をつづけた。
「仲間たちと合流したら、廃都フーアへ行く。そこにリコリス様たちが捕らえられているらしいから――」
「何言ってるんだ」レギンは冷笑した。「そこまで面倒見られない。安全な禁猟区の奥まで返してやるから、そこからは自分でなんとかしてくれ」
「何言ってるの。準備ならあたしたちも手伝うから」
話がかみ合ってない。
アイリスは自身の胸元をつかむように手をおいていた。
「まだちゃんと使えてないってこと?」
「頼むから分かるように言ってくれ」
アイリスは大股で歩いてきて、腰に手を当て、椅子に座るレギンを見降ろした。
精一杯平らな胸を張っている。
良く見れば体はわずかに震えており、緊張しているようだった。
「あなたはスレイブになったの」
「スレイブ?」
「そう」
「誰が」
「あなたが」
「誰の」
「あたしの」
「もう一回言ってくれ」
アイリスは呆れている。「耳に何か詰まってるよ」
「俺がお前のスレイブになった?」
「アイリス。お前じゃない」
俺がいつ、この小娘に真名を抜かれたんだ。
レギンは眉間にしわを寄せる。
レギンは近くにいたドールを操った。
視覚を共有し、自分自身の首元を見た。
レギンの太い首に、首輪の紋様は無い。
昨夜の出会いを思い出す。
操術に似た術の干渉を受けたが、レギンは確かにはねのけていた。
「大丈夫。あたし、あなたを上手く使えるようになって、優しい主人になるから」
レギンは思わず動きを止めた。
一瞬、心臓に何かが刺さった気がした。
頭を振り払う。
今は余計なことを考えている場合じゃない。
「何か勘違いしているようだけどな――」
レギンは言葉を止める。
ドールの索敵の魔術に反応があった。
何かが急接近してくる。
だが操術の気配はない。
レギンのドールたちが一斉に戦闘態勢に入る。
「レギン?」アイリスが眉を顰める。
周囲を見渡すが何もない。
レギンは慣れた手つきで腰の拳銃を抜き、適当に見当をつけて発砲した。
透明な何かに当たったが、金属音がして弾かれる。
その間にも、建物から武器を取ったドールが飛び出してくる。
窓から小銃を構えるドールもいる。
ナイフを抜いたフライメイがレギンの前に転がり出た。
レギンがドールの魔術で一帯を焼き払おうとしたところで、アイリスが両手を広げて飛び出してきた。
「まって! ガーベラ! やめて!」
「どけ!」
何もない場所から少年の声が聞こえた。
レギンは声のあたりにドールの銃の照準を合わせた。
「レギン! やめて!」アイリスがレギンに向き直る。「これは味方!」
「殺そうとしてくる者は味方じゃないし、そんな味方がいたら殺す」
「だめっ!」
アイリスが飛びついてくる。
レギンは銃口を上に向け、安全装置をかけた。
誰もいなかった場所に風が吹いて、突如数人の人間が現れる。
フードの奥に見えるのは、白い肌と、異様に整った顔立ちの少年少女たちだ。
この世の者とは思えない雰囲気を纏っている。
皆顔立ちもどことなく似ていて、血縁関係を感じさせた。
ともすれば皆兄弟姉妹にも見えてくる。
先頭の少年は殺気だっており、淡く光る長剣と、身をすっぽり隠せるような大盾を構えていた。
背後に控える者たちは困惑している。年のころは十五くらいだろうか。
背後の者たちはレギンに向かって弓矢を構えている。
矢じりは光っており、それがただの矢ではないことを示していた。
誰も彼も、やはりわざとそうしているように粗末で汚らしい格好をしていたが、これほどの美しい個体が並ぶ様は圧巻で、多少汚くした程度ではその圧倒的な美麗さは隠しきれないようだった。
禁猟区からつけられていたのだろうか。
気配を全く感じなかった。
「どういうことだ」少年は気炎を上げている。「そいつは悪魔だぞ」
「大丈夫。ドールを下げて」アイリスがレギンに言った。
「なに?」レギンは鼻息を荒くする。
「些細な誤解よ」
「殺しにきたんだぞ」
「レギン」アイリスはレギンの顔をじっと見た。「大丈夫。……あたしを助けに来ただけ。ガーベラ! そうでしょ!」
レギンはしぶしぶ構えを解く。
ドールたちも銃を下げる。
「説明しろ」ガーベラと呼ばれた少年は、剣と盾を構えたままだ。
「彼はコスモス様の指輪の支配下にある」
アイリスはレギンから離れた。
現れた天使たちに首元のネックレスを見せる。
鎖に通してあるのは指輪だ。
「あたしのスレイブになったの」
緊張した面持ちで語るアイリスを見て、レギンは口をぽかんと開けた。
だが天使たちは誰も信じていないようだった。
互いに視線を合わせ、アイリスへ懐疑的な目を向けている。
「こいつの態度は、とてもスレイブには見えない」少年は皆を代表するように毒づいた。
レギンは思わず頷いていた。
それを見てガーベラはレギンを刺すようににらみつけた。
「……まだうまく操れていないだけ」
アイリスは首にかけられた鎖の先の指輪を見て、レギンを見た。
「でも私がいま生きているのが何よりの証拠。彼はあの恐ろしい悪魔たちから私を助けてくれた」
「罠だ。こいつは騙そうとしている。悪魔どもが我々を助ける理由が無い」ガーベラの剣の切っ先が、レギンに向けられる。「さっさと殺した方がいい」
レギンのこめかみがひくついた。「ははっ、やってみろ」
「なにっ」
「そのなめくじみたいな動きでやれるってんなら、試してみろよ。クソガキ」
アイリスの制止を無視し、ガーベラが剣を構えた。
次の瞬間には地を砕く勢いで踏み込み、突進してくる。
レギンの一番近くにいたドールが音もなく割り込んだ。
ガーベラの腕を取り、力の方向を変え、たやすく投げてしまった。
ガーベラは背中から派手に地に落ち、武器を手放した。
長剣から光が消える。
彼は痛みに顔をゆがめ、浅く呼吸しながら夕暮れの空を見上げ、すぐに立ち上がろうとして転んだ。
「レギン!」アイリスは叱るように言った。
「黙ってやられろってのか」
「煽る必要はなかった!」
「……うるせえ」レギンは答えてドールを下げた。
「ガーベラ、レギンの強さはあたしたちを上回っている。本当に罠だったなら、あたしたちはもう捕まってる」
「今のは、油断した、だけだ」ガーベラは立ち上がり剣を取ったが、足はふらついている。「次は殺す」
レギンは再び笑った。「それって、俺に殺された後も言ってくれるんだよな」
「レギン!」
「分かった! 分かったから」再びの怒声に、レギンは目をひそめた。「キンキン叫ぶな。耳に響く」
見れば他の天使たちはレギンを見て驚いていた。
「本当に、アイリス様の言うことを聞いている……」
「馬鹿言うな。そんなわけない」
「まだ不完全なのかもしれない」
「信じられないよ……」
彼らの呟く声を聞いて、レギンはぎょっとした。
慌てて否定しようとしたが、先にアイリスが口を開いた。
「レギンの力を使って戦えば、リコリス様たちを助け出せる。少なくとも、私たちだけでやるよりは可能性がある」
「先に教えてくれ」レギンが割り込んだ。「どこへ行って、誰と戦うって?」
「廃都フーアの主が、リコリス様を――私たちの仲間を、何人も捕らえているの。絶対に助け出さないと」
アイリスの言葉に、レギンは硬直した。
廃都フーアの主は、悪名高き操術士、エメリウスだ。
コンラー家も一目を置いており、強力なスレイブを何体も保有している。
一番の特徴は操術士さえも支配しようとするその異常性だ。
彼の配下の操術士には、操術の首輪が付けられている者も多いと聞く。
天使たちがどれだけの強さがあるのかは知らない。
だがこの少年少女たちだけで、あのエメリウスと戦えるとはとても思えなかった。
敵はあまりに強大で、悪辣で、おぞましい。
レギンのドールの索敵に、接近して来る者たちを感知した。
車両が二台。
砂利道を通ってこちらへ向かってくる。
天使たちもそれに気づいたようだった。
「アイリス」
弓矢を構えていた少女の一人が走ってきた。
髪の短い少女だった。
その少女はガーベラの隣を通り過ぎ、レギンへ警戒の視線を向けたまま、アイリスの手を取った。
「一旦帰ろう。お互いに、頭に血が上ってる」
「あたしが今よりうまく支配できるようなればいいだけ」アイリスの声は震えていた。「絶対うまくなるから」
「悪魔を信用するのは、難しいよ」
「ねぇ、マーガレット」アイリスはその少女から目をそらしていた。「レギンを使えばきっと戦える。コスモス様の指輪は本物だよ」
「だとしても、信じ切れない。背中を預けるなんて無理なの」
マーガレットと呼ばれた少女は、あくまで冷静に、諭すように言った。
「もし肝心な場面でこの悪魔に裏切られたら、あなたを守れない。これ以上、みんなを危険にさらせない。わかるでしょう」
アイリスはびくりと肩を震わせた。
それまでの強気な態度を一変させ、急に年相応の少女へと戻ってしまった。
目尻には涙が浮かび、顔を真っ赤にしている。
「さ、いこう」
マーガレットに引っ張られ、アイリスはつんのめるように一歩踏み出した。
そのままふらふらと連れて歩かされていく。
アイリスは手を引かれながら、振り返ってレギンをちらりと見た。
レギンは何も言わず、目をそらした。
「ふん」ガーベラは剣を収めた。「命拾いしたな」
天使の子の一人が頭上に手を掲げた。
そこにまばゆい光を放つ手の平ほどの大きさの球体が現れたかと思うと、突如強い風が吹いて、天使の少年少女たちは一瞬で姿を消した。
魔術でも似たように姿を消すことはできるが、どうも勝手が違うようだ。
天使が使う固有の術かもしれない。
僅かに残っていた気配は、風が砂を運ぶように霧散していく。
ドールの索敵でも追えなくなった。
最後にアイリスが見せた、すがるような表情が頭から離れない。
レギンは軽い頭痛を覚えた。
くすぶるような焦燥感だけが残り、舌打ちして大きく息を吐いく。
待機状態のドールたちが、レギンにちらちらと視線を向けていることに気づく。
レギンは命令を送り、戦闘態勢の解除と、訓練の再開を始めた。
じきに訪問者の車両が到着した。
それは細長い車体で、実用性よりも見た目を重要視している車だった。
「……首都の人形遣いにも、お前の勤勉さの百分の一でもあればな」
車から降りたジグムントが言った。
彼のスレイブは護衛のためにジグムントの左右に立ち並んだ。
レギンの周囲では周囲には銃で武装したレギンのドールたちが家の中へ戻っていくところだった。
「何の用だ」レギンは苛立たしさを隠そうともせずタバコに火をつけた。「来るなら先に連絡くらい寄こせ」
「伝言を送っただろ」
「今日とは聞いていない」
「急ぎだ」ジグムントは訓練を続けるレギンのドールたちを見渡した。「つい半日前、天使が目撃された。禁猟区の近郊の街でだ」
「天使? なんだそりゃ」
レギンはフライメイを咄嗟に操作した。
訓練の道具を片付けるドールに混ざり、椅子の上に置いていた天使について書かれた本を取り上げ、身に隠すようにして家の中へ戻していく。
ジグムントは真剣な様子だった。「天使についてはどこまで知ってる?」
「肌が白い美人なんだろ。高く売れるだろうな」レギンは煙を吐きながら椅子に座った。「上から捕まえろって指示でもあったか。いい年した大人がおとぎ話に夢中になっちまって」
「おとぎ話じゃない。あれは一定周期で人の世に現れる別種族だ」
レギンはジグムントに目を向けた。
ジグムントは腕を組んでレギンを見下ろした。
「奴らは精霊術と呼ばれている未解明の力を操る。魔術による防御を無効にする術を持ち、すさまじい耐久力と回復力を持っている。コンラー家が以前発見したのは四十年前。そのときの戦いでは多くの操術士が犠牲になった。街がいくつも滅んだんだ」
「じゃあ今回は? 見つけて殺すのか。もったいない」
「分かってないな。天使は操術が効かないんだ。支配するには真名を直接聞き出すしかない。そんな存在が歩き回ってみろ。世を混乱させる害悪だ」
「害悪」レギンは笑った。「そんな言葉使うやつ初めて見たぜ。害悪か。へぇ。害悪ね」
「もう捕獲部隊も結成されてる。じきに捕まるだろうが……」
ジグムントはレギンをじっと見据えた。
「天使は優れた容姿をしているらしいが、これはただ見た目が良いという以上の意味がある。どうも一種の呪いに近いらしい」
「なんだよ、はっきり言えよ」
「四十年前の戦いでは、天使側の攻撃による被害ももちろんあったそうだが、操術士同士での激しい内輪揉めが発生した。多くの操術士が、天使を独り占めしようとしたんだ」
「操術を使うのか?」
「記録では天使たちは操術士の糸を認識できていないようだったから、操術とはまた異なる力のようだ。精霊術の力の一つかもしれない。……その時の天使は殺されてしまって、何も分かっていない。分かっているのは、操術士の精神防壁を貫通して作用する、ある種の魅了の力を持っている、というだけだ」
レギンは立ち上がった。ドールが持ってきた灰皿でタバコをもみ消し、レギンは大きな掌でがしがしと頭をかいた。
「それで? 俺を野良狩りに協力させるつもりか」
「野良じゃない。天使だ」
「同じだ。首輪がついてないんだからな」
「捕獲部隊が、内部崩壊して殺し合うことがあるかもしれない」
「それ俺に関係あるか?」
「報酬は出す」
レギンは歯をむき出して笑った。「野良狩りをやらせたかったら、俺に首輪をつけろ」
ジグムントは憐れむような眼でレギンを見た。「……邪魔したな」
「もう帰るのか。茶でも飲んでけよ」
ジグムントはスレイブたちと共に車に乗り込み、エンジン音を響かせて去っていった。
家の中から複数の視線を感じる。
「休憩中」のドールたちが、こちらの様子をうかがっているのだ。
レギンは脱力して椅子に深く腰掛けた。
訓練を続けるドールたちも集中できていないようで、微妙にパフォーマンスが低下していることが分かった。
レギンはもう一度頭をがしがしとかいた。
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