ホラゲの怪奇性と幻想性

前花しずく

本文

 幻想と怪奇、あるいはホラーには、切っても切れない関係があるというのは言わずもがなである。そこで、今回はホラーに焦点を当てて、その中でもホラーゲームについて述べていきたい。

 まず、大前提として、ホラーに限らず、ゲームには大きく分けて商業作品と個人制作作品がある。商業作品とは、読んで字のごとく、それで儲けを得るために作られた作品であり、任天堂やソニーなどといった、いわゆる世間一般にゲームと呼ばれているようなものである。対して個人制作は個人、あるいはサークル活動で趣味の一環として制作された、主にパソコン内でのゲームである(この際、即売会等で売っている物も個人制作に含まれる)。そして、個人制作作品の中でも無料で誰でも遊べるように配布されているものを、俗にフリーゲームと呼んでいる。今回はそのフリーホラーゲームについて考察していくこととする。

 なぜ、幅広いジャンルの中でホラーゲーム、そしてフリーホラーゲームを選んだかということだが、フリーホラーゲーム全体の傾向として、幻想的な作品が多いことが大きな理由の一つたりえる。一般にホラーゲームと言えば、映画「リング」や「呪怨」などのように、急に画面に幽霊が飛び出してきたり、「バンッ」というようなけたたましい効果音を鳴らしたりと、「反射的」かつ「直接的」な驚き、すなわち「恐怖」を与えてくるイメージが大きい。現に商業作品ではそれが主流である。その一方で、フリーホラーゲームはどちらかと言うと怪奇、あるいは幻想といったものに近い世界を描いているものが多い。それは世界観そのものであったり、展開であったり、台詞回しであったりと形は様々だが、幻想性を語る上ではこちらの方がより見合っているように考えたのである。



 さて、早速だが幻想性の強いと思われる作品の例を挙げていく。まず、幻想という言葉を聞いた時に即座に思いつくのが、『Ib(イヴ)』という作品である。この作品はフリーホラーゲーム愛好家にとっては常識中の常識のような作品だが、それだけではなく、この作品は他のフリーホラーゲームと比べてもその幻想性は群を抜いていると言える。

 あまりこの作品をあらすじで考えたくはないのだが簡単にまとめると次のようになる。


 主人公イヴが「ゲルテナ」という画家の展覧会に来てゲルテナの絵の世界に迷い込む。その中で絵や彫刻の化け物に襲われつつ絵の世界を冒険し、やっと現実の世界に戻ると、絵の世界の記憶はすっかりなくなってしまった。


 紆余曲折やゲーム性を省いた結果なので非常に貧相なあらすじになってしまったが、極限まで削るとこんなものである。これを読むと、かなりの人が「不思議の国のアリス」を思い浮かべるかもしれない。

 確かに、この二作品はあらすじや世界観は非常に類似し、かつ幻想性を持つ。どちらの作品も、不意に別世界へいざなわれるわけであるが、なぜ彼女たちが選ばれ、なぜそのタイミングで、なぜそのような場所から(アリスは穴、イヴは巨大な絵から)別世界に飛ばされるのか、まったくもって意味が分からない。そもそもの話だが、なぜそんな別世界があるのか、ということさえ、説明もなければ理解もできない。謎は謎のまま次へと進んでしまう。この不条理や不思議さが、見ている者、プレイする者に対して幻想的な印象を与える。

 Ibの世界観に関して、もう少し踏み込んでみよう。Ibでは別世界が生まれたキッカケを「ゲルテナ」の死に置いている。芸術家が自らの作品に対して「命を込める」「命を吹き込む」と表現するが、それが具現化した世界だと言ってもいい。こうして書いてしまうと因果関係があるようにも思えてしまうが、それはIbの世界でも通常起こりうることではなく、必然的に幻想として扱われる。

 また、美術作品を題材としている部分にも幻想の片鱗が垣間見れる。芸術、殊に絵画や彫刻などの美術作品は、人形趣味や怪奇趣味に通ずる、好奇心をくすぐるような感覚を我々にもたらす。それが別世界というものと融合することで、非常に高い幻想性を保持しているのだ。

 Ibに登場する化け物は、基本的に見た目はあまり怖くなかったりする。そもそもドット絵であるからして、エフェクトで恐怖を与えることはかなり厳しいだろうが、Ibの場合は意図的に「恐怖」を削っているように感じる。

 例えば、「無個性」という彫刻の化け物がいる。こいつは黒いマネキンなのだが、首から上がない。これが追いかけてくるのだが、現実にいるならばともかく、俯瞰している平面の画面で追いかけてくる分には何も怖くない。むしろ、その斬新なデザインに愛着を持ったり、惹かれたりする人も少なくない。他の化け物たちも妖しくはあれど、あまり怖くない、むしろかわいいような見た目をしている。それではどこが「ホラー」なんだ、という話になるかもしれないが、全体を通して見れば、紛れもなくホラーである。不穏なBGMに暗い背景、そして驚かせるようなしかけ。細やかなれど、しっかりホラーゲームの体裁は整っている。ポップなイメージさえ感じる化け物も、その空間の中に現れることでしっかりと「化け物」と認識され、そのギャップすらも「怖さ」を与えるエレメントとなる。それはある意味で「崇高」であり、ある意味で幻想的だと言える。

 また、ここでは文学ではありえない、ゲームならではの幻想性にも触れておこう。先のあらすじは普通にゲームクリアした場合の筋書きである。すなわち、ゲームで与えられた役割を全うして得られる結末だ。しかし、Ibにはこれ以外の結末がいくつも用意されている。ゲーム内である特定の行動をするだとか、もしくはしなければならないことをしないだとか、自分の振舞い方によって物語の結末が変わってしまう。現実世界に戻っても記憶をなくさない完全なるハッピーエンドの他、絵の世界から抜け出せずに化け物たちと永遠に過ごすことになるバッドエンドなども用意されている。一本道ではないことで、よりゲーム性が広がるだけでなく、先の見えない不安なども発生する。また、物語の分岐点が意味の分からないところに設定されていたりして、単純に「プレイヤーが決める」というようなシステムではない(もちろん、サイトで攻略方法を調べた場合などは除いておく)。この「選択の不確実性」も、この作品の幻想性を高めていると言って間違いない。

 世界観、化け物と雰囲気のギャップ、そして選択の不確実性。これはフリーホラーゲームと幻想の関係を語る上での重要な要素となる。この幻想の塊のような作品を踏まえて、他にもいくつかの作品を見ていく。



 続いて挙げるのは、フリーホラーゲームの元祖とも言うべき、『青鬼』という作品である。こちらはIbなどに比べると、至ってシンプルで、古典的なゲームとなっている。幻想というよりは、怪奇を中心としているような作品だ。好奇心旺盛な子供がお化けの出そうな家に忍び込んで、化け物に追いかけまわされる。この手の話は都市伝説や、もしかしたら地元の噂として回っているような、非常にありきたりな話である。授業内で試聴したクモ男爵もその類の話と言えるだろう。怪奇の王道とでも言うべきか。しかし、その一言で青鬼をまとめるつもりはない。

 この作品に出てくる化け物は、ひどく特徴的である。まず、頭部が異様に大きい。胴体と同じぐらいの大きさはある。ぎょろりとした左右非対称の巨大な目玉と、大きな鼻、そしてほうれい線の浮き出たおじさんのような口元、そして髪の毛は生えておらず、頭頂部はいびつな形をしている。全身は毒々しい紫色で、身長は普通の人間の二倍ほど。会話は基本的に不可能で、見つかったら問答無用で食いかかってくる。かなり化け物らしい化け物と言ってもいいかもしれない。

 変な顔をしている、ということで、当時はふざけて作られたゲーム、いわゆるネタゲーと言われたものだったが、しかし改めて考えるとこの化け物は非常に絶妙なデザインをしているように思う。完全に人間とは異なった形状をしているわけではないのに、しっかりと化け物であることを認識させ、そのつぎはぎのような顔は見た者を混乱させる。漫画やアニメになった今、青鬼の表情はとても豊かになってしまったが、ゲーム内では常に微笑を浮かべている。その表情も、何を考えているのか想像し難い表情で、直接的ではないが、プレイヤーに不快感や緊張を与える。化け物から逃げるだけのゲームと言えど、このデザインによって怪奇性は格段に上がっている。

 青鬼、先のIb、ひいてはフリーホラーゲームを語る際に欠かせない要素の一つが「謎解き」である。唐突に現れたナゾナゾのようなものを解かないと先へ進めなかったり、アイテムがとれなかったりするものだ。青鬼についてもIbについても、誰が何のためにその仕掛けを作ったのか、どういう仕組みで作動しているのか、さっぱり分からないところである。今や愛好家の間では「そういうものだ」という認識ではあるが、実際つじつまが合うとは言えない。もちろんゲーム性を高める目的はあるだろうが、それとは別に、恐怖を助長する役割があると考えている。基本的に主人公たちは「一つ間違えば死んでしまう」状況に置かれているわけだが、その状況下でナゾナゾを手渡されればどうだろう。そのナゾナゾへの回答を失敗すればどうなるか分からない。なぜこんなところでナゾナゾを解かなければならないのか、イラつきや、あるいは焦燥感も芽生えるかもしれない。少なからず、プレイヤーにもその影響はあるはずだ。また、問題が解けない時の「分からない」という感覚は、ある種恐怖に通じている部分があるようにも思われる。自分の理解できる範疇を超えると、人間は恐怖を抱きやすくなるからだ。

 青鬼はこのように、間接的にプレイヤーに対して恐ろしさというものを投げてくる。Ibとは別のベクトルだが、この怪奇性というのが人の心に幻想の世界を生み出すことは、代えがたい事実である。



 最後に、フリーホラーゲームの幻想性を語る上で外すことはできないであろう、『マッドファーザー』を挙げておこう。Ibや青鬼ほどではないが、この作品も有名な作品だ。大雑把に言ってしまえば、この作品は人形趣味を主題としている。あらすじは以下の通りだ。


 ある日、主人公アヤが目覚めると、家の中は幽霊だらけになっていた。アヤは幽霊から逃げつつ医者である父の元を目指す。父がいるであろう診療室に向かうが、そこでアヤは、父が医者であることをいいことに患者を人形にして飾っていたこと、アヤの母親も父が殺して人形にしてしまったこと、そして家にいる幽霊たちは母親の怨念の力で具現化した父の被害者たちであることを知ってしまう。アヤは苦悩の末に母親の復讐をやめさせる。しかし父はそれでも改心せず、アヤを殺そうとしてきたため、やむなく父を呪われた家と共に焼き払う。

 ――月日は流れ、大人になったアヤは父と同じ医者になっていた。そして、父と同じく、患者を人形にしてしまうのだった。


 物語自体も非常に面白く、猟奇的な人形趣味を題材としている点や、それが受け継がれてしまうところなどが実に絶妙である。先の二作品とは各所で趣の違う作品ではあるが、幻想論的に考えるのであれば、まず「非常に因果関係がはっきりしている」ことが二作品との大きな違いである。

 Ibにしても青鬼にしても、化け物の出現や別世界が存在する理由に関しては何ら記述がないのに対し、マッドファーザーは「母親の怨念のせいだ」と非常に明確に示している。もちろん、母親が恨むキッカケは父の凶行なのであるから、タイトル通り元凶はすべて父なのであるが、何はともあれ「不条理」というよりかは「因果応報」の感が強いストーリーであろう。

 ではこの作品は幻想的ではないのか、と言えばそうではない。「幽霊などのオカルト的なものが出てくるから」などという陳腐な理由は抜きにして考えるとすると、現実社会に起こりうる「不条理」がちりばめられていることが理由として挙げられるのではなかろうか。

 そもそも、事の発端は父の異常な趣味であるが、これは我々にとっても他人事ではない。それは「本能」と呼ぶべきか、深層心理と呼ぶべきか、その類に置き換えられるだろう。人間にはそれらに抗えない瞬間が、意外と多く存在する。アヤの父の異常な行動はまさにその象徴であると捉えることができよう。我々人間にとっての絶対に抗えない瞬間、それは現実においての「不条理」以外の何物でもあるまい。最後、アヤが父と同じ趣味に走ってしまうのも、それを強調するのに一役買っている。

 また、アヤの父の人形趣味であるが、これ自体もなかなかにゴシックの精神に溢れている。実在の人物を人形にすることで、その人物を理想の形で、もっとも愛らしい形で手元に置きたいという考えは、自己の幻想の具現化と言えるだろう。『ゴシックハート』より引用するならば「甘美な罪悪」そのものである。

 マッドファーザーについても、例に漏れず別の結末がある。一つはアヤが父に捕まり、人形にされる結末。それはシンプルな終わり方なので割愛するが、今回注目したいのはもう一つの結末である。

 アヤが家を焼いてしまうまでは同じなのだが、その後で一緒に焼かれてしまったはずの父が生きている。そして、謎の施設でアヤそっくりの少女(クローンと言いたいところだが同一の遺伝子を持っているかどうか分からないので避ける)を作り出しているのだ。

 素直に受け取るのであれば、父が寂しくなって娘そっくりの人造人間を作った、ということになる。しかし、こうも考えられまいか。主人公であるアヤも、そもそも人造人間だったのではないか……。

 そう考えた場合、「子供はみな親に作られた人形である」という、現代の教育への皮肉である、というように捉えられる。もちろん単純に、何のためらいもなくクローンを作ってしまう父の倫理観の欠如を顕著にあらわす狙いもあるだろうが、果たしてそれだけのためにわざわざその結末を用意するだろうか。

 これらの要素が重なることで、マッドファーザーはただの怪談話で終わる作品でないことは明白である。幻想という概念を非常に現代に関連付ける形で描いているのが、この作品なのである。



 ここに挙げた三つの作品は、どれも傾向は違えど幻想の片鱗を持つものばかりである。軽いイメージが付きまとい、作品としては敬遠されがちなゲーム(特にフリーゲーム)であるが、それらは強い思想や、残酷、甘美、そして崇高さを具有しているものばかりなのである。今やその数は膨大な量になってしまっているが、今一度、その幻想的な魅力を考え直す必要がありそうである。

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