17 ユリスは結果を残したい
当のユリスは、驚きと恐怖で固まってしまっていた。茫然自失の様相は、好きにしてくれと身を差し出しているに等しい。
「
嵐のような強風が巻き起こった。魔獣の爪がユリスの身に触れるかどうかという瞬間、彼の体を勢いよく弾き飛ばしていた。
草原に倒れたユリスが呻く。彼に襲い掛かった四体の魔獣も、まとめて暴風に弾かれた。
馬車の幌から、マリーが身を乗り出す。
「焦っちゃだめ! もう少し我慢しないと。相手の表情とか動きをよく見て、ぐっと耐えて引きつけるの。ここだっていうところを見極めたら、思い切り出しちゃえばいいの。上手くいったら、すごく気持ちいいんだから」
以前に、レオンとエドモンから教わったことを噛み砕いて伝えた。しかし、マリーの声がユリスに聞こえているかはわからない。
魔獣たちはすかさず身を起こし、彼女を新たな標的と認識したようだった。
「ちょっと!」
慌てて幌の中へ引っ込んだものの、既に手遅れだった。魔獣は馬車の荷台へ殺到し、前足を掛けて覗き込む。
白く、きめ細かなマリーの柔肌。加えて、その身から漂うのは青く甘い香り。魔獣たちには極上の食材として映っているはずだ。
「やだ。中に来ないで……」
後退した拍子に、木箱へ脚を取られて転倒していた。床へ両手を付いたマリーは、恐怖に顔を強ばらせて後ずさる。
「来ないでよ。そんなに大きいんじゃ入らないってば。本当に無理だから」
無我夢中で脚をばたつかせる。その靴底が、近くにいた一頭の口元を蹴りつけた。
「マリーちゃん、身を低くしろ」
箱から飛び出したサミュエルは、右手に木箱の蓋を握りしめていた。それを水平に振るい、ダンデリオンの顔へ一撃を見舞う。
馬車の騒動を目にしたユリスは、恥ずかしさと怒りに顔を歪めて身を起こした。
敵に後れを取ったことはもちろんだが、自分が得意とする竜術において、マリーから指導を受けたことがたまらなく情けなかった。
「おまえらの相手は俺だ」
武器を構えると、荷台へ殺到したうちの一頭が、鬱陶しそうに彼を振り返った。
ふがいなさに、ユリスは唇を噛みしめる。
俺が最高難度の依頼を達成できたと知れば、姉さんは探索活動を諦めるかもしれない。そうなれば、もう危険な思いをさせずに、島でのんびりと生活させてやれる。
そんな覚悟で臨んだ戦いだというのに、このままでは足手まといで終わってしまう。
「何としても、結果を残すんだ」
恐怖が焦りに変わり、焦りは怒りとなってユリスを飲み込んだ。どうにでもなれという気持ちを抱え、少年は魔獣へ突進した。
「いやあっ!」
奮闘するユリスの側で、馬車から引きずり下ろされたマリーは草原に背を打ち付けた。ブーツの先に噛み付かれ、深く食い込んだ魔獣の牙に捕らえられてしまっている。
死に直面した恐怖の中では、魔法で応戦するという考えすら吹き飛んでいた。怯えと混乱に包まれ、身を固くすることしかできない。
別の一頭が、怯える彼女の顔を覗き込んだ。抱きかかえても余りある巨大な顔が迫り、口内へ並ぶ鋭い牙が間近に迫った。
もしかして、私はこのまま。
顔を引きつらせたマリーは、言葉を発することすらできずにいた。拳を堅く握りしめ、すべてを遮断するように目を閉じた。
雌のダンデリオンは、ワインの香りを楽しむように鼻を鳴らす。マリーの頬へ鼻先を付けると、彼女をより深く堪能しようと、愛撫するかのように首筋をなぞってゆく。
極上の食材を逃がすまいと、魔獣は右前足でマリーのみぞおちを踏みつけた。彼女の華奢な体は、それだけで潰されてしまいそうだ。
誰か助けて。
訴えるように心の中で叫んだマリーは、サミュエルの呻き声を聞いた。マリー同様、馬車の外へ引きずり下ろされたのだ。
救いなんて、どこにもない。
ユリスの怒鳴り声が遠くに聞こえた気がした。マリーの心中は混乱を極め、何がどうなっているのかもわからなくなっていた。
魔獣がせわしなく鼻を鳴らす音が、死の宣告となって絶えず続く。喉奥から聞こえる唸りに精神を削られながら、鎖骨へ何かが落ちてくる感触に気付いた。それが魔獣の涎であると気付き、マリーの顔が恐怖に引き攣る。
誰でもいいから助けて。
天が彼女の訴えを聞き入れたのか。踏みつけられていた重さと、眼前を覆っていた陰が消えた。マリーへ祝福を与えるように、日差しのまぶしさが彼女を照らしていた。
「か弱そうな相手なら、雌も進んで襲ってくるってわけか。でもな、こいつは強いぞ」
怖々と目を開けたマリーの前には、リュシアンの背中が映った。その姿が、いつもより大きく逞しく感じられる。
ユリスやサミュエルを襲っていた雌も、まとめて吹き飛ばされたのだろう。視界の向こうで四肢を踏ん張り、体勢を立て直している。
「さすがに頑丈だな……
リュシアンは面倒だという顔でつぶやいた。
繰り出したのは広範囲に衝撃波を飛ばす技だったため、ダンデリオンが相手では、弾き飛ばすのが精一杯だったのだ。
剣を構えて走るリュシアン。その後には、レオンとシルヴィが続いている。
「
刃へ炎を纏わせたリュシアンは、荒々しく豪快な一撃で敵の体を薙ぎ払った。
「
光の魔法を含んだレオンの斬撃。それが魔獣の横腹を薙ぎ、爆発を起こして弾け飛ぶ。
「
跳躍するシルヴィ。
圧倒的な力を間近で見せられたマリーは、呆然とすることしかできずにいた。足を崩して地面にへたり込んでいると、不機嫌そうなリュシアンから手を差し伸べられた。
彼がなぜ苛立っているのか、マリーにはわからなかった。ただ、リュシアンから発せられる怒りに気圧され、慌てて背筋を伸ばした。
「悪かったな。立てるか」
「はい。すみません」
いつもとは違う素直さで、リュシアンの手を取った。礼を言おうと彼を見た時には、既にあらぬ方向へ目を向けていた。
「あいつには、後できつく言っておく」
吐き捨てるように言い放つリュシアン。その先にはユリスの姿があった。星球武器を構え、残る一体を追い込んだところだった。
「
振り抜いた星球武器が魔獣の顔面を打ち、光の魔法が弾けた。
原理はレオンの魔法剣と同じだが、ユリスが扱うのは竜術だ。細身の体から繰り出す一撃は心許ないが、炸裂時の衝撃は絶大。それは、
魔獣の牙が折れ飛び、体勢を崩して橫腹を晒す。間髪入れず、ユリスは飛び込んだ。
「この馬鹿! 不用意に近付くな!」
リュシアンの怒声が飛ぶと、怒りを剥いた魔獣が前足を振り上げ、迎撃に出た。
『手負いの獣は、何をしでかすかわからんからな。追い込んでも、決して油断するな』
フェリクスから、そう教えられてきた。それだけに、不用意に敵へ飛び込んだユリスの行動がリュシアンには許せなかった。
鋭い爪を、ユリスは咄嗟に
のしかかろうと、魔獣の巨体が迫る。
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