15 俺には俺の道がある


「双方、そこまで!」


 シルヴィさんの鋭い声が耳を突く。それと同時に感じたのは寒さ。凍て付き、凍えてしまうのではないかと思うほどの強烈な寒さだ。


 シルヴィさんの隣には、魔導杖まどうじょうを構えたセリーヌ。この寒さは、彼女の魔法に違いない。


 見れば、俺が手にする竜骨魔剣シャドラス・ベインの刃は厚い氷に覆われていた。氷の棒と化し、殺傷能力など皆無に等しいその先端が、老剣士の脇腹へ吸い付くように添えられている。


 勝った。凍り付いた刃を見据え、即座に確信した。


「がうぅっ!」


 頭上を旋回するラグの鳴き声が聞こえる。いつもなら定位置である左肩へ乗ってくるはずが、何をしているのだろうか。


 すると、そこでようやく気付いた。凍て付くほどの寒さはこの場に漂う冷気のせいだけじゃない。左頬から首筋にかけて触れる何かが、俺の体温を奪っている。


 いつの間にか首筋へ、老剣士の握る氷の棒が添えられていた。


「これって……引き分けってこと?」


 背後から、不安そうなアンナの声。だが、俺にはわかってしまった。


「違うね。引き分けなんかじゃない」


 アンナに答えたのはレオンだ。後方で傍観を決め込んでいたあいつは、誰よりも冷静かつ客観的に戦いを追っていた。


「レオンの言う通りだ。引き分けじゃねぇ」


 セリーヌが魔法を解除したのだろう。武器を覆っていた氷は解け出し、周囲に漂っていた寒さも和らいでゆく。


「俺の……負けだ」


 自分の口から認めたことで、敗北感が重くのし掛かってきた。


「どういう意味だい? 説明してくれないか」


 困惑するナルシスが歩み寄る。それに答えるのは誰でもない。この俺の役目だ。


 溜め息と共に武器を降ろし、空っぽになった心を抱えて棒立ちになってしまう。受け入れがたい現実は、事実として確かにここへ存在している。紛れもない、逃れられない現実。


「コームさんの脇を取ったつもりが、現実はどうだ? 首筋へ刃を突き付けられていたんだ。どちらが致命傷かは瞭然だろ」


 脇腹ならば一命を取り留める可能性もある。だが、首となれば即死は免れない。


「リュシアン=バティスト。邪魔をするなと言っておきながらこの様か? 残念だ」


 ナルシスの深い溜め息が耳に痛い。惨めさと不甲斐なさが押し寄せてくる。


「ナルシスの旦那の言う通りっスよ。旦那の勝利に賭けていたオイラはどうなるんスか?」


 そんなものはどうでもいい。今は、エドモンの戯れ言に言い返す気力もない。


「きゅうぅん……」


 左肩へ舞い降りてきたラグが、寂しそうな声で一声鳴いた。


 結局、またこれだ。竜の力なんてものを持っていようが、肝心な所で役に立たない。その力に驕っているつもりはないが、本当に必要な時に使えないのであれば意味がない。


 溜め息と共に、胸の中へわだかまる思いを吐き捨てる。すると、こちらへ歩み寄ってくるシルヴィさんと目が合った。その手には、俺の放った短剣ショート・ソードが握られている。


「惜しかったわね……でも、結果が全て。しっかり受け入れなさいよ」


「そうですね。わかってます」


 シルヴィさんは困ったように微笑んだ。


「なんて顔してるのよ。世界が終わったわけじゃあるまいし。なんだか母性本能くすぐられちゃう……今夜から、あたしがたっぷり構ってあげるから元気出しなさい」


 受け取った短剣をベルトに繋がれた鞘へ収める。その間にシルヴィさんは、背後の仲間たちへ近付いて行った。


「はいはい、勝負は終わり。まだ話が残ってるだろうから、みんな下がって、下がって」


 シルヴィさんの気遣いが素直に有り難かった。こんな情けない姿を見られたくないというのもある。でもそれ以上に、セリーヌとはきちんと別れを済ませておきたい。


「御主、その剣をどこで?」


 自らの剣を収めながら、老剣士の視線は俺の持つ竜骨魔剣シャドラス・ベインへ注がれていた。


「街の武器屋。店主の秘蔵の品です」


「その魔力。まさかな……」


 自らの考えを否定するように首を振り、背を向け遠ざかる。それと入れ替わるように、気まずそうな顔で近付いてくるセリーヌ。


「惜しかったですね。最後の鬼気迫る一撃には、目を見張るものがありましたが……」


「負けは負けだろ」


 悔しさなど既に通り越している。口元にはなぜか笑みが浮かび、それを見たセリーヌもまた、力のない微笑みを浮かべた。


わたくしたちはそろそろ行かなければなりません。リュシアンさんには大変お世話になりました……こんなにたくさんの思い出と、暖かい言葉を頂いたというのに、お気持ちに応えることができず申し訳ありません。それと、マリーさんのこと、くれぐれもお願いします」


 深々とこうべを垂れた後、顔を上げたあいつはすっきりとした表情を見せた。その目は既に、一族の使命を全うする戦士へと変わっている。


 俺の横を通り過ぎ、後方で成り行きを見守る仲間たちにも手短な挨拶を済ませた。


「本当に、ありがとうございました」


「きゅうぅん……」


 セリーヌの挨拶とラグの声を聞きながら、これで本当に終わりなんだという焦燥感が胸の内へ広がってゆく。視線の先に立つ老剣士は興味もなさそうな振る舞いで、近くに繋いでいた馬を引き寄せている。


 別れを済ませたセリーヌが隣を横切る。その背を見つめて、咄嗟に声を上げていた。


「これからはもっと警戒心を持った方がいいぞ。おまえはお人好しだし、ちょっと抜けたところがあるから危なっかしいんだ」


「はい。そうですね……」


 振り返ることのないその姿。胸が締め付けられるように苦しい。


「抜けてるクセに、目的のためなら自分を平気で犠牲にしようとするし……使命や神器より、もっと大切なことがあるって忘れるなよ」


 災厄の魔獣がどんな怪物かはわからない。彼女がこれから乗り越える困難が、どれほどのものかを知る由もない。それでも、どうしても、これだけは伝えずにいられない。


「何があっても、生きろ」


 再び巡り会う、その日まで。


「承知……しました……」


 涙ぐむ声と震える肩。でも、これからのセリーヌを支えるのは俺じゃない。あいつは自分自身で道を切り開くだろう。


「俺が最後に言いたいのは、ひとつだけだ」


 そうしてあいつに背を向ける。ここから再び始まる、互いの目的を果たすために。


「またな」


 決して後ろは振り返らない。次に会う時までに、俺は更に強くなってみせる。あいつを守り抜くだけの力を手に入れる。


「がうっ!」


 後押しするように、ラグが力強く吠えた。


 そうして仲間の所へ戻ると、シルヴィさんは子供を迎える母親のような柔らかな笑みで迎えてくれた。


「お別れは済んだの? と言っても、向こうも早々に立ち去るみたいね」


 馬のいななきと地面を蹴る音。このまま故郷へ急ぐのだろう。


「あたしたちも、のんびりしていられない」


 口ではそう言いながら、水袋を口元へ運ぶ。ちぐはぐな言動に気付いていないのか。


「シルねえの言う通りだよ。このままだと街道も封鎖されちゃうかも。リューにいが濡れ衣で捕まったりしたら困るよ」


 口をへの字に曲げたアンナ。それを安心させるように微笑んで見せた。


「大丈夫だ。必ず潔白を証明してやる」


「リュシー。フェリクスの命令だし力を貸すけど、衛兵に捕まるようなことになれば、彼の計画が台無しになることはわかるわよね?」


「もちろんです」


「そうなったら、助けられるかわからない。あたしたちまでお尋ね者っていうのはね」


「その時は見捨ててもらって構いません。フェリクスさんには申し訳ないですけど」


 あの人の功績に傷を付けたくはないし、みんなを反逆者に仕立て上げるつもりもない。


「リュシアン=バティスト。この僕がいるんだ。大船に乗ったつもりでいたまえ」


 馬上で爽やかに笑うナルシス。


「この中でおまえが、一番低ランクなんだぞ」


「ぐぬぅ……」


 しかめっ面で言葉に詰まるとは、つくづく間抜けな男だ。


 それにしても、誰ひとり俺を責めようとも慰めようともしない。恐らくシルヴィさん辺りが気を利かせて、いつも通りに振る舞うよう示し合わせてくれたのだろう。

 それが素直に嬉しい。俺も気落ちしてなどいられない。無理にでも明るく振る舞おうと、気持ちを即座に切り替えた。


 すると、横手からレオンの溜め息が聞こえた。


「よりによって大司教か。相手が悪い。でも、やるならさっさと動いた方がいいよ。俺たちはともかく、碧色は馬車もやめた方がいい」


「レオンの言う通りね。リュシーは金髪君の馬に乗せて貰ったら? 私たちは馬車で追うから、ジュネイソンで合流しましょう」


「シルヴィさん。それ本気ですか?」


「それしかないでしょ。なんならリュシーが捕まるまで、ふたりで愛の逃避行でもする?」


「遠慮しておきます」


 唇へ人差し指を添えてほくそ笑むシルヴィさん。この人と逃避行なんてしていたら、一晩で精気を吸い尽くされそうだ。


 この人は、酒も強いがあっちも凄い。技術も体力も勝負にならなかったくらいだが、俺に経験が足りなかっただけだ。今ならもっと、まともな勝負ができるはず。


 そんなどうでもいい考えを頭から追い出し、そっとナルシスを伺った。するとあいつは、勝ち誇った顔でこちらを見下ろしている。


「ふん。やっぱり僕が必要だろう?」


「必要なのは、びゅんびゅん丸だからな。仕方ねぇから、ジュネイソンまで乗ってやる」


「本当に素直じゃない男だな、君は」


「ナルシスの旦那。どうせなら運賃を貰うべきっス。そして山分けっス」


「余計なことを言うんじゃねぇ」


 エドモンの尻を蹴り、これからの道中を思って溜め息が漏れた。


 俺には俺の道がある。マリーとジョフロワを助け、兄を探すという道が。その先で再びあいつに会えたなら、今度こそ離さない。俺たちの道は、必ずひとつになるだろう。



―――――――――――――――――――――――――――――――


QUEST.04 霊峰アンターニュ編 <完>


<DATA>


< リュシアン=バティスト >

□年齢:24

□冒険者ランク:A

□称号:碧色の閃光

[装備]

竜骨魔剣

スリング・ショット

冒険者の服


< ナルシス=アブラーム >

□年齢:20

□冒険者ランク:C

□称号:涼風の貴公子

[装備]

細身剣

華麗な服


< シルヴィ=メロー >

□年齢:25

□冒険者ランク:S

□称号:紅の戦姫

[装備]

斧槍・深血薔薇

深紅のビキニアーマー


< レオン=アルカン >

□年齢:24

□冒険者ランク:A

□称号:二物の神者

[装備]

ソードブレイカー

軽量鎧


< アンナ=ルーベル >

□年齢:22

□冒険者ランク:A

□称号:神眼の狩人

[装備]

双剣

クロスボウ・夢幻翼

軽量鎧


< エドモン=ジャカール >

□年齢:23

□冒険者ランク:S

□称号:真理の探求者

[装備]

魔導杖

朱の法衣


< フェリクス=ラグランジュ >

□年齢:38

□冒険者ランク:L

□称号:断罪の剣聖

[装備]

聖剣ミトロジー

軽量鎧


< セリーヌ=オービニエ >

□年齢:23

□冒険者ランク:D

□称号:使命遂行の戦士(仮)

[装備]

深緑の魔導杖

蒼の法衣

神竜衣プロテヴェリ


< コーム=バシュレ >

□年齢:55

□冒険者ランク:なし

□称号:熟練の剣士(仮)

[装備]

長剣

軽量鎧

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