14 老剣士との決闘


 木々が生い茂る林の中、開けたこの場所を狙い撃つように西日が差し込む。茜色に染まる葉が、日中とはまた違った様相を見せる。それはまるで、俺たちから離れてゆこうとするセリーヌの心を投影しているようにも思えた。


 もう、昨日までのあいつじゃない。今ここにいるセリーヌは、一族の使命を懸命に全うしようと努めるひとりの戦士だ。


 そんなことを思っていると、シルヴィさんが俺と老剣士の中間地点へ歩み出てきた。

 水袋を煽るように持ち上げ、腰をしならせて歩く姿は何を思ってのものだろう。


 酒を流し込みながら動く喉元に視線が引き付けられてしまった。そこから胸、そして腰へ続く見事な曲線。引き締まった身体だが筋肉質というわけでもなく、女性らしさを留めているのがまた何とも言えず魅力的だ。


 この険悪な雰囲気に似つかわしくない浮いた存在となっているが、その妖艶ようえんな曲線を描くシルエットが、これからの俺が進むべき道を描き出しているような錯覚がした。


「くそっ!」


 頭を振り、悪い考えを払拭する。勢い任せだが、正しい道を進んできたはずだ。例えこの先、曲がりくねった迷宮へ迷い込もうとも、必ず自分が信じる場所へ辿り着いてみせる。


「これから互いの剣で打ち合ってもらうわ。但し、命の奪い合いはなし。かせたら負けだから、寸止めで我慢してね……先に決定的な一撃を決めた方の勝ちだけど、必要以上に距離を取った場合は決闘を放棄したものと見なすから。異論はないわね?」


 俺と老剣士は黙って頷いた。


「わかっていると思うけど、あたしたちは追われている身だから。閃光玉や魔法石みたいな目立つ攻撃は禁止。以上よ」


 その言葉に従い、腰に提げた革袋を地面へ降ろした。スリング・ショットをベルトから引き抜き、剣の鞘と共に地面へ。

 竜骨魔剣シャドラス・ベインだけを持った軽装。求めているのは剣と剣の打ち合いだ。余計な物はいらない。


 シルヴィさんの姿も消え、視界へ映るのは老剣士のコームだけ。数歩先にその姿を捕らえ、魔剣を正眼に構えた。


 剣を両手で握り、腰を落としたコームの構えには隙がない。歴戦の剣士としての風格すら漂うが、気後れしている場合じゃない。勢いの優位性を見せ付け、一気に攻め落としてみせる。


「ふっ」


 呼気と共に老剣士へ駆けながらも、セリーヌと戦った光景が脳裏を過ぎった。もう負けない。負けられない。あの時は相手がセリーヌだから全力を出せなかった。今度は違う。


「はっ!」


 右脇へ構えた竜骨魔剣シャドラス・ベイン。下から斬り上げるように見せかけた直後、横移動で相手の左へ回り込む。

 だが、さすがに騙せない。老剣士は落ち着き払った様子で俺の動きを追っていた。


 胸元を狙って振るわれたのは、研ぎ澄まされた横凪の一閃。流れるような一撃必殺の刃だが、その間合いに俺はいない。掠めすぎた刃を見やり、そこから更に一歩を踏み込む。


「だあっ!」


 剣に頼るだけが戦いじゃない。まずは敵の動きを封じる。狙うのは膝。前屈みの体勢から、突き出すように右の蹴りを繰り出した。


 慌てて後方へ飛び退く老剣士。だが、その動きは俺にとっても想定内だ。地に着いた右脚で身体を支え、左足で一気に踏み切る。


「うらあぁっ!」


 敵の懐へ飛び込むようにしながら、気合いと共に突きを繰り出した。


 シルヴィさんが提示したルールは寸止め。だが万一、老剣士に深手を負わせるようなことがあっても、ここにはセリーヌとエドモンがいる。死ぬことはないはずだ。


 老剣士が顔を守るように突き立てた剣。右から左へ振るわれた動きに、突きが弾かれる。


「くっ!」


 だが、飛び込んだ勢いは止まらない。そのまま老剣士へ体当たりするように衝突。


 俺に当たられてもびくともしない。どうやらこの男を甘く見ていたらしい。その軽量鎧ライト・アーマーへぶつかり、こちらが痛みを覚えた程だ。


 直後、老剣士が右腕を突き出した。その肘打ちを喉に受け、呼吸が止まる。身体がよろめく。

 気付いた時には、鋭い一閃が迫っていた。首筋を狙った横凪の刃。


「ぐっ……」


 慌てて魔剣を引き戻し、辛うじてそれを受け止めた。危うく首を持って行かれるところだ。向こうも本気で俺を殺すつもりなのか。


 鍔迫り合いをしながら、刃の向こうには老剣士の鋭い目が迫っていた。怒りと憎しみを秘めたような深い紺色の瞳。そのただならぬ気迫は、何を背負ってのものなのか。


 そんなことを思っていた時だ。鍔迫り合いの最中、老剣士の蹴りが襲う。


「ちっ!」


 刃を押し返し、後方へ飛び退く。寸での所で、どうにか蹴りを避けることができた。


 魔剣を構え直し、呼吸を整える。どうやら竜臨活性ドラグーン・フォースの使用で思った以上の体力を消耗している。長引くほど分が悪くなる。相手も相当な場数を踏んでいるに違いない。一筋縄で行くような相手でないのは明らかだ。


「どうした? 息が上がっているようだが」


「うるせぇ。まだ、これからだ」


 純白の刃の向こうに見える相手は余裕を見せている。それが余計に苛立ちを募らせる。


「リュシアン=バティスト。いつもの勢いはどうしたんだ。疲れたのなら僕と変われ!」


「黙ってろ!」


 ナルシスの声すら拒絶する。周りの声に集中力を掻き乱されている場合じゃない。気付けばラグの姿もない。どこか近くで、この戦いを見守ってくれているのだろう。


 こうなれば、早々に決めるしかない。乱れた呼吸を静め、眼前の相手へ意識を集中する。

 見据えるのは膝。再び相手の足を狙う作戦だ。奴もまさか、再び同じ攻撃を仕掛けてくるとは思わないだろう。


「はっ!」


 勢いよく踏み込むと同時に、足下を狙って突きの構えを取る。


 僅かに足を引いた老剣士。そこを見計らい、即座に切り替えた横凪の一閃で手元を狙う。

 足を狙うと見せかけたのは囮。このまま一気に、相手の武器を弾くのが狙いだ。


 だが、老剣士もその動きに付いてくる。刃は敢えなく受け止められてしまったが、それだけでは終わらなかった。力をいなされるような不思議な感触が腕を伝い、容易く脇へ弾かれてしまったのだ。


 剣と腕を脇へ流され、僅かに体勢が崩れた。そこを狙って、斬り返された刃が肩口へ迫る。


 咄嗟に上体を背後へ反らせたが、左肩を襲った鋭い痛みに口元が歪む。

 だが、老剣士も剣を振るい上げた今、その脇腹はがら空きだ。そこを目掛けて、再び魔剣を引き戻す。


「がっ!」


 突如、顔面を襲った鈍い痛み。気付けば、老剣士のブーツが視界へ飛び込んでいた。


 よろめき、倒れそうになる身体。左手を付いてどうにか支えたが、しゃがみ込んだ俺を狙って刃が振り下ろされようとしている。


 その窮地で咄嗟にとった行動は、相手の懐へ飛び込むこと。下半身を目掛け、左肩から体当たりを仕掛けていた。


 相手のすね当てが、切り裂かれた左肩へ触れる。だが、痛みなど感じている暇はない。そのまま強引に押し込むと、老剣士は前のめりに地面へ崩れた。


 最大の好機を手に入れた。魔剣を握る手に力を込め、相手を捕らえようと振り返る。しかし、倒れたはずの老剣士も、身をひるがえしながら刃を振るってきた。


「ちっ!」


 剣の勢いに怯み、思わず後退していた。これが完全に悪手だと気付いた時には老剣士は横転。そのまま、先に広がる林の中へ逃げ込もうとしている。


 ベルトに括り付け、隠し持っていた短剣ショート・ソード。それを素早く引き抜き放つも、相手の姿を捕らえることはできなかった。


「くそっ。卑怯だぞ!」


 老剣士が消えた先へ声を飛ばす。


「必要以上に距離を取らなければ負けではない、という取り決めだったはずだが?」


 大木の向こうから、息を乱した声がする。


「足下を狙っていると見せかけたのは良い戦法だったが、動きが見え透いていたな。まだまだと言った所か……だが、筋はいい」


「なにを偉そうに!」


 吐き捨てるように言い放つと、ようやく老剣士は大木の陰から歩み出してきた。

 すると夕日が男の姿を照らし、ある戦法が頭を過ぎった。


「これしかねぇ……」


 竜骨魔剣シャドラス・ベインを眼前へ持ち上げ、剣の腹を見せるように老剣士へ晒した。そのまま素早く剣を捻ると、太陽光と刃が混じり合う。照り返された光は閃光へ変わり、老剣士の視覚を奪い去った。


 目を細めた男を目掛け、獲物を狙う猛獣のごとき勢いで一気に間合いを詰める。


「だらあぁっ!」


 力任せに繰り出した横凪の一閃。だが、老剣士の刃に敢え無く受け止められた。


 即座に切り返し、左からの一閃。そのまま上段からの袈裟斬り。止まらず、下からすくい上げるような一閃。


 しかし、そのことごとくを防がれてしまう。腕を伝うのは、手応えの無いいなされるような不思議な感触。この違和感は一体なんだというのか。


 そして、次の一閃でその正体に気付いた。老剣士が使う長剣の刃は牙のように波打っていた。刃同士が触れた瞬間、それを引くことで力が向かう方向を低減させ、攻撃の勢いを削いでいるのだ。


 続く、下からすくい上げた一閃も難なく脇へいなされた。しかし、ここで押し切るしかないことも充分にわかっている。


「貫け。竜骨魔剣シャドラス・ベイン!」


 腕を引き戻しながら、ただ一点だけを狙っていた。それは再び晒された相手の脇腹。そこだけを目掛けて突きを繰り出す。


 その瞬間、まるで時間が止まったようだった。頭を過ぎったのはセリーヌの顔。もう一度同じ道を歩むために、何としてでも勝つ。

 俺たちの出会いは偶然でなく、竜の力の導きだとしたら、こんな所で終わるはずがない。


『これは運命の悪戯か? あるいは、時代が汝を選んだか?』


 時代は俺に、勝利をもたらすはずだ。

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