13 竜の力は何のため


 セリーヌの澄んだ瞳に、情けない顔で押し黙ったままの俺が映り込んでいる。


わたくしもマリーさんを助けてあげたいのですが、故郷へ戻ることも急を要するのです。本来であれば、リュシアンさんの呪いを解くことよりも優先させなければならなかったのですが」


「セリーヌ様の仰る通りだ。これでも遅いくらいなのだ。我々は貴重な時間を失っている」


 老剣士へ、セリーヌが険しい目を向けた。


「コーム、言い過ぎです。私が命を助けて頂いたという御恩を忘れてはなりません」


「失礼しました。出過ぎたマネを」


 だが、胸の中には不信感だけが募ってゆく。


「セリーヌ。おまえが故郷へ帰らなきゃならないのはわかった。でも、それは故郷の同胞に対する思いであり、神器を失った罪悪感でもあると思うんだ。俺が気にしてるのは、おまえの本心が見えないってことだ」


「本心、ですか?」


 驚きと不安の入り交じった顔。こんな顔をした仲間を素直に送り出せるはずがない。


「おまえはどうしたいんだ。ここに残りたいと、俺たちと旅を続けたいっていう気持ちは、これっぽっちもないのかよ?」


「それは……」


 視線を足下へ落とし、何かを吹っ切るように小さく微笑むセリーヌ。


「ヴァルネットの街で過ごした数ヶ月間は、とても素敵な日々でした……ひとりで旅をしてきた私には、まるで夢の世界のようで……ですが、夢から現実へ引き戻されるように、災厄の魔獣の姿が脳裏へ浮かぶのです。あれだけは何としても止めなければなりません」


「魔獣退治なら俺たちでも手伝える。ここには腕利きの奴等がこんなにいるんだ。もっと俺たちを頼ってくれよ」


「ありがとうございます。そのお気持ちだけで充分です」


 深々と頭を下げるセリーヌを見つめながら、やるせない気持ちが強まってゆく。結局俺は、最後まで部外者だったというわけか。竜の力なんて物を勝手に与えられた挙げ句、その真相も理由もわからないまま、置き去りにされるだけの存在でしかないのか。


「だったら、俺の力は何のためにあるんだ。どうして俺に、この力を授けた?」


「きゅうぅん……」


 左肩の上で、ラグが情けない声を上げる。


「何のためだ!? あの竜は何を伝えようとした? 俺にどうしろって言うんだ?」


「リュシアンさん……」


 悔しさに拳を固く握る。噛み締めた奥歯が、悲鳴を上げるように軋んだ音を立てた。するとその直後、近付いてくる足音を捉えた。


「待ちたまえ、君たちっ!」


 そして、つま先へ重みと痛みが加わった。


「おまえ……」


「美しい姫君が困っているではないか。話の全ては聞き取れなかったが、お城へ帰らなければならない、ということかな? だがそれを見過ごすことはできない。そういうことで良いんだな、リュシアン=バティスト」


「まぁ、そんなところだ」


 興奮気味の金髪剣士は気持ちを落ち着けるように、鼻から深く息を吐き出した。


「僕もその意見に賛成だ。こうなれば実力行使。ここを通りたければ、我々を倒してからにして貰おう」


 腰に提げた細身剣レイピアを抜き放つナルシスへ、コームは冷ややかな目を向ける。


「己の主張が通らぬことを不服に、力を振りかざすなど野蛮な愚行。剣士の資格はない」


 吐き捨てるように言い放つコームへ、ナルシスが大きく踏み出した。


「何とでも言うがいい! ここでむざむざ姫を行かせる方が、余程愚行というものだ」


「ならば、この場で切り捨てるまで。所詮は『外の者』。野蛮な血脈は変わらぬらしい」


 剣の柄へ手を伸ばす老剣士。その目には、情けなど微塵も見えない気迫が漂う。


 ナルシスが気持ちを代弁してくれたお陰で、俺は随分と冷静になっていた。それを切っ掛けに、状況を客観的に捉えることができた。


「落ち着け。こんな所で無駄な争いをするんじゃねぇ。そっちのコームさんから見れば、完全な言い掛かりだろうが」


 すると、ナルシスから鋭く睨まれた。


「どちらの味方なんだ!? このままでは姫がいなくなってしまうんだぞ!?」


「それも仕方ないことなんだろ」


 ナルシスと自身へ言い聞かせ、視線はセリーヌを追っていた。申し訳なさそうにしながらも、決心が揺らぐことはないのだろう。


「永遠に会えなくなるわけじゃないだろ? 長老に謝罪を済ませたら戻って来いよ。いつでも大歓迎だ。全員の力を合わせれば、災厄の魔獣とやらも絶対に倒せる」


「リュシアンさん……勝手なことを言って申し訳ありません。許してください」


 消え入りそうな声のセリーヌへ近付くと、彼女は加護の腕輪を引き抜いた。


「お願いがあります。これを冒険者ギルドへ返却して頂きたいのです。この宝石を換金して、解約料の代わりにしてください。天使の揺り籠亭にある荷物も処分を願います」


「冒険者も辞めるつもりなのか?」


「すみません。このまま全てを中途半端にしてしまっては、私が自分を許せないのです。故郷へ戻ると決めたからには、ここで全てをゼロに戻さなくてはなりません」


「そうか……」


 この様子から察するに、次はいつ戻って来られるかわからないということか。


 腕輪と宝石を受け取り、腰の革袋へ収めた。淡々と行いながらも、セリーヌを本当に行かせてしまっていいのかという激しい葛藤と、暴れ出してしまいそうな衝動に心が揺れる。


 セリーヌにも本来の目的がある。俺にそれを邪魔する権利はない。それを応援してやるのが大人の対応というものだろう。

 不意に顔を上げた先には、柔らかく微笑むいつもの笑顔があった。俺の好きな、包み込まれるような優しさに満ちた笑顔が。


「リュシアンさん、ナルシスさん。短い間でしたが大変お世話になりました」


 深々と頭を下げるその姿を、こうして見ていることしかできないなんて。


「僕は絶対に認めないぞ! リュシアン=バティスト。君が黙って見送るというのなら勝手にすればいい。僕は姫に付いていく」


「ナルシスさん、どうかわかってください。そして私のわがままを許してください」


 困り果てた顔をするセリーヌだが、本音を言えるナルシスが羨ましくもある。こいつはいつでも自分に正直だ。セリーヌに対して正面から全力でぶつかっている。


 それに比べて俺はどうだ。どうだっただろうか。こんな俺を兄はきっと笑うだろう。情けない奴だと、いつもの優しい笑みで。


「だあぁっ!」


 やり場のない怒りを吐き出すように大きく吠えた。それに驚いたラグが、逃げるように上空へ羽ばたいてゆく。

 そうして俺は、唖然とするセリーヌの顔を挑むように見据えた。


「いいか、俺が理想としてる冒険者ってのは、もっと洗練されて理知的なんだ! でもな、今の俺はそんなもん到底認めねぇ。到底受け入れられねぇ! 俺は、フェリクスさんや兄貴にみたいになれなくていい。自分を偽りたくねぇし、正直でありたい」


 セリーヌの艶やかな髪へ手を伸ばし、その体を強く抱きしめていた。


「おい、なにを!?」


 ナルシスなど完全に無視して、セリーヌの存在を、温もりを全身で感じていた。柔らかい花のような香りが鼻孔を通して全身へ伝い、胸の中と心の隅々までも満たしてゆく。


「ずっと側にいてくれって言っただろ……俺の気持ちは、これからも変わらない……」


「ですが……」


 俺の胸を両手で押し退け、後ずさってゆくセリーヌ。戸惑いを浮かべた顔は今にも泣き出しそうで。だが、たとえ拒まれようとも、このまま引き下がるわけにはいかない。


 感情が溢れ出し、それを押し留めるすべなど今の俺にはなかった。思い描いた場所を手に入れるために、魔剣のつかへ手を掛けながら、数歩先に立つ老剣士の姿を睨んだ。


「悪いな……前言撤回だ。やっぱり、黙って行かせるわけにいかないんだ。勝負と行こうぜ。俺が勝ったら、あんたたちの故郷の場所を教えろ。負ければ潔く諦める」


「リュシアン=バティスト、待つんだ。場所を知るだけ、とはどういう意味だい?」


 不思議そうな顔をするナルシス。


「俺は既にお尋ね者だろうが。迷惑がかかるから一緒には行けない……おまえの他に誰かを同行させる。俺はマリーを助けて、自分の無実を証明してからすぐに追う」


「リュシアンさん……」


 呆気に取られるセリーヌを無視して、一歩を踏み出す。俺にはもう、コームしか見えない。こいつさえ現れなければ、セリーヌは故郷へ帰るという考えを改めたかもしれない。

 視線の先に立つ老剣士は呆れ顔をして、溜め息と共に首を振っている。


「やはり、誰も彼も同じ穴のムジナか……よかろう。そこまでいうのなら相手をしてやる。現実を思い知るが良い」


 外套がいとうを脱ぎ捨て、冷たい視線を向けてくる。


「待つんだ、リュシアン=バティスト! 君も顔色が優れないようだ。任せておけない。僕が力を貸そうじゃないか」


「これは俺の戦いだ。邪魔するんじゃねぇ」


 何としても自力でこの局面を乗り越えてみせる。竜臨活性ドラグーン・フォースを使ったばかりで体も疲弊しているが、そんなことは言い訳にしかならない。大事な物は自分の手で守る。


「なんなのあなたたち。熱くなっちゃって……男って本当に単純なんだから」


 背後から現れたのはシルヴィさんだ。水袋を手に、からかうような視線を向けて口元を拭う。顎を伝う果実酒の雫が、さらけ出された胸の谷間へ吸い込まれていった。


「止めてもムダですよ」


「そんなんじゃないわよ。みんな、興味津々って顔で眺めてるだけ。あたしが勝負に立ち会ってあげるわ。気の済むようにやったら?」


「ありがとうございます」


 息を吐き、コームの姿を視界へ捕らえた。


「ナルシスもセリーヌも、そこで見てろ」


 俺はこの手で、未来を掴んでみせる。

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