QUEST.05 ジュネイソンの廃墟編
01 美人魔導師のいない日常
澄み渡った壮大な空へ、優雅にたなびく雲。まるで大空を自由に泳ぐように雄大な姿を見せ付けてくる。だが、広がる景色とは裏腹に、空も雲も全てが色褪せて陳腐に映る。
セリーヌがいないだけで、どうして世界はこんなにも退屈なのか。君は今頃、この空の下で何を思っているのだろう。
兄を探すという目的は、ほんの二、三ヶ月で優先順位が塗り替えられてしまった。俺には俺の道がある。頭では分かっていても、心が付いてこないんだ。まるで俺の心まで、セリーヌと共に離れていってしまったように。
無性に会いたい。言葉を交わしたい。あんな他愛ないやり取りも、こんなに大切だったんだと思い知らされている。今更、彼女の存在の大きさに気付かされるなんて。
「リュシアン=バティスト。聞いているのかい?」
「あ?」
目の前にはナルシスの背中が。そう言えば、びゅんびゅん丸に乗せて貰っていたのか。
カルキエを出たのは昨日のこと。人目を避けた移動のため、宿泊施設は使えない。まさかこいつと野宿する羽目になるとは。
こいつが嫌いなわけじゃないが、鬱陶しい。一刻も早くジュネイソンへ辿り着いて欲しいが、次の目的地は経由地のグラセール。それは間もなく見えてくるはずだ。
「何か言ったか。全然聞いてなかった」
「まったく……僕を何だと思っているんだ」
「別になんとも」
盛大な溜め息を漏らすナルシスが面白い。
「つくづく失礼な男だな。こうして君を、安全に送り届けてやろうというのに。もっと感謝して欲しいくらいだ」
「あぁ、そりゃどうも。年上の俺に友達口調で話すおまえの方が、よっぽど失礼だけどな」
沈黙と共に、びゅんびゅん丸の規則的な足音と心地よい振動が伝わる。今日も快晴だ。
「今すぐ、降りてもらっていいかな?」
「全力で断る。不満なら、おまえが降りろ」
「あぁっ。もう、なんなんだ君は!? こんなことなら、乗せるんじゃなかった」
なんて身勝手な奴だ。
「うだうだ言うな。だったらそもそも、どうして付いて来やがった」
「それはその……姫を追いたいのは山々だが、僕の力だけでは……」
「なるほど。要するに、俺たちの力をアテにしてるわけか。他力本願男め」
「そういう言い方は止めてくれ!」
「あ〜、やだやだ。他力本願、甘えん坊、付きまとい癖まであるなんて」
これだけ聞くと、とんでもない最低男の烙印が押されたも同然だ。
「待ってくれ。付きまといは君も同じだろう。それに甘えん坊ではない! 今、その話をしていた所じゃないか」
「は? 何の話だって?」
付きまといは同じという言葉に引っかかったが、とりあえず話を進めよう。
「マリー君だ! 住んでいた街が滅ぼされ、身寄りがないとは本当なのかい?」
「そのことか。大司教を締め上げたら自白したんだ。間違いねぇ」
大司教ジョフロワ。あの顔を思い出しただけで虫酸が走る。あんなクズが、聖職者として敬われていることが堪らなく腹立たしい。
「故郷の街が滅んだ事実を、彼女自身も知っているということだろう? 相当な苦悩があっただろうに、良く乗り越えられたものだね」
「大司教がうまく丸め込んだんだろ。マリーは、恩人で偉大な人だって崇拝してたからな……洗脳とまではいかねぇけど、マリーにとって唯一の希望なんだろうな」
「その苦しみは良く分かるよ」
真っ直ぐ前を見据えていたナルシスは、手綱から左手を離して胸元をまさぐる。そうして取り出したのは、賊どもとの戦いで目にした銀のペンダントだ。
「甘えん坊の誤解を解くために出したわけではないからな」
そう言いながら自嘲気味に笑う。
「もう五年になるかな……僕の母も魔獣に殺されたんだ。目の前で僕を庇ってね。大切な人を失うというのは悲惨ものだ」
「そうだったのか……おまえも苦難の道を歩いて来たんだな」
「きゅうぅん」
左肩の上で、ラグまでしゅんとしている。
俺はナルシスのことを、自信に満ちてエネルギッシュな男だと思っていた。陰の部分を見せない毅然とした態度は、こいつなりの仮面だったということか。
「冒険者になったのも、魔獣に怯えることのない平穏な時代を築きたいからさ。父には断固反対されたけれど、半ば飛び出すように家を出てしまってね……」
家を飛び出したという境遇は俺と似ている。だが、家族を失った痛みを抱えている分、こいつの傷は深い。
「ここ数年で、魔獣たちが突然、凶暴になってきたのは知っているだろう? その原因を解明したくてね。自分の気持ちに整理を付けるためにも、絶対に成し遂げたいんだ」
自分へ言い聞かせるようにつぶやき、ペンダントを大事そうにしまい込む。
「マリー君のことも他人事に思えなくてね。僕にできることがあれば力になりたいんだ」
「おまえ、意外と良い奴なんだな」
「意外とは何だ。そうでなければ、君のような男を乗せるわけがないだろう。そこは姫の指定席だというのに」
「指定どころか、永久に空いたままだと断言してやるよ。俺が有効的に活用してやってるんだろうが」
「やはり、今すぐ降りてくれ!」
「全力で断る!」
くだらない言い争いの間に、林を抜けて小高い丘の上へ出た。左下方には街道が延び、そこを走る一台の馬車が目に飛び込んできた。間もなく、グラセールの街へ入ろうかという所だ。あの馬車には、シルヴィさんたち四人が乗っているはずだ。
「このまま馬車に近付いて、ジュネイソン方面へ乗り換えるのを待つか」
「僕はその間に、食料を買い足すとしよう。君は身を潜めていた方が良い」
「そうさせてもらうか」
大司教誘拐の騒ぎから間もなく二日。
視界の先で馬車は次第に小さくなり、街の中へと飲み込まれていった。しかし、それと入れ替わるように、街の入口を塞ぐ数人の人影が目に付いた。
なんだかイヤな予感がする。
「あれは何だ? ナルシス、もう少し近付いてくれ。ゆっくりだぞ……」
びゅんびゅん丸の速度を抑え、様子を伺いながら進む。
人影は五人ほど。上空から降り注ぐ陽射しを照り返すのは、身に付けた
ラグも牙を剥き、威嚇の声を上げる。
「まずいな……衛兵だ」
「どうして急に彼等が? まるで待ち伏せていたみたいじゃないか」
「待ち伏せか……」
不安が過ぎり、咄嗟に腰の革袋へ手を伸ばした。取り出したのは、シルヴィさんと対になっている魔導通話石。それを強く握りしめると、仄かな白光に包まれた。これで通話が可能になったはず。
「シルヴィさん、聞こえますか?」
誰が聞いているか分からない。声を潜め、様子を伺うように尋ねた。
『さぁ、速やかに馬車から降りるんだ!』
通話石から返ってきたのは、聞き覚えの無い男の声だった。攻撃的な荒々しい声は、誰に向けられたものだろうか。
『貴様ら、リュシアン=バティストの仲間だな。この街を通るという知らせを受けてな。話を聞くために、一時、身柄を拘束させてもらうぞ』
その言葉が信じられなかった。
「知らせを受けた? 誰が……」
「簡単じゃないか。大司教とマリー君を攫った一味以外に考えられない」
独り言のようなつぶやきに、背を向けたままのナルシスが答えた。
「だってあいつらは、ジュネイソンに来いって言ったんだぞ。それがどうして、こんな所で」
敵の狙いがまるで見えない。
「恐らく、こちらの戦力を削ぐのが目的なのでは? リュシアン=バティスト。狙われているのは君なのかも」
「ふざけやがって!」
マリーの両親を名乗ったり、遠回しに消耗させたり、やり口の汚さに苛立ちが募る。
舌打ちを漏らした時だった。街の中から、白煙が盛大に立ち昇った。
『リュシー、聞こえる? 煙幕玉をばらまいたわ。絶対に逃げ切るから、街を出てから合流しましょう』
早口でまくし立てたシルヴィさんは、そのまま通話を遮断した。果たして無事に逃げられるだろうか。
「ナルシス、準備はいいか?」
「何をするつもりなんだい?」
「決まってるだろ。みんなを無事に逃がすんだ。一気に斬り込むぞ!」
気合いを入れ、ベルトに刺したスリング・ショットを引き抜く。
「正気かい!?」
「当たり前だ。いいから行け!」
「君は、絶対に早死にするタイプだな」
苦笑しながら、びゅんびゅん丸の腹を蹴るナルシス。
風を切り、白馬は一気に加速する。
「何とでも言いやがれ。誰一人、欠けてもダメなんだ。俺が絶対に守る!」
例え衛兵が相手だろうと、俺の決意は決して揺るがない。
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