05 仮面の男


「何か、手はないのか……」


 後ろ手に縛られ、ざらついた地面へ転がされた。痺れのせいで身体の感覚が鈍い。


 隣にいるナルシスもぐったりとして動かない。利き腕は生きているが、あの怪我を考えると戦闘は無理だろう。


 ひんやりとした地面の感触が身体の熱を奪い、徐々に冷静さを取り戻してきた。それと同時に思い知るのは、絶望的な状況という事実だ。


 剣だけでなく、腰の道具袋まで取り上げられた。ナルシスの装備品と一纏めに、用意した籠へ無造作に放り込まれている。全てが片付いてから、品定めするつもりなのだろう。


 ナルシスが手に掛けた五人の賊。彼等の遺体も籠の側へ運ばれ、供養するという言葉が聞こえた。賊も固い絆で結ばれているらしい。

 俺が長剣ロング・ソードで顎を打ったふたりは、治療のために奥へ運ばれた。ここに残る手下は八人。


「おら、さっさと立ちやがれ」


 俺たちを囲んでいるのは三人。そのひとりが脇腹を蹴りつけてきた。引きずり起こされながら、その相手を睨み付けた。恐らく二十歳程度だろう。


「んだよ。文句あんのか? あぁ?」


「大ありだ」


 余りにも腹が立ったので、思いきり頭突きを見舞った。鈍い衝撃が襲ったが、相手が鼻血を出して倒れたお陰で多少は気が晴れた。


「おい、大人しくしろ」


 側にいた、別の賊から報復が来た。

 殴られた頬と腹部がうずく。魔力障壁プロテクトで軽減されたものの、それなりに痛みはある。


 そうして背中へ曲刀シミターを突き付けられたまま、昨日に見た神殿の前へ歩かされた。既に動くこともままならないナルシスは、ふたりの賊に両脇から支えられ、引きずられている。


 建物の中では、賊の頭であるドミニクが部下へ指示を飛ばす。彼の頭上には、天井へぶら下がる三体のショーヴもいる。


 見上げた三角屋根には竜の紋章。もう一度ここへ来たいと思ってはいたが、まさかこんな形で来ることになるとは。


 神殿の入口には三段ほどの石段。その手前で膝を付かされ、隣には腕を縛られたナルシスがぐったりと横たわっている。


「へへっ。おまえらもここまでだな。もうすぐ、あの人が来るぜ」


 先程、頭突きを加えた若い賊が、いやらしく笑った。


「さっき言ってた、依頼主って奴か?」


 若い賊が何かを答えることはない。


「導師様のお出ましだ」


 ドミニクの声が響くと同時に、賊どもの視線が一点に集まった。彼等が見ているのは神殿の最奥にある石造りの祭壇だ。そして、その陰から一人の男が現れた。


「なんだ、あいつ……」


 漆黒の長衣に身を包んだ痩せ気味の体躯。手には魔導杖まどうじょうを持ち、先端に付いた赤い宝石が不気味な光を放っている。


 何より目に付くのは、男が付けた仮面だ。額から鼻までを覆うそれは、蝶を模した精巧で奇抜な装飾がほどこされている。


 男は背後を伺いながら、何かを強く引いている。続いて現れたのは、後ろ手に縛られ、口に猿ぐつわをされたひとりの女性。


「セリーヌ!」


 思わず身を乗り出すと、背後から肩を押さえ付けられた。俺たちに気付いたセリーヌは、声を出せないながらも驚きに目を見開いた。


「姫……」


 隣から、ナルシスのかすれ声がした。セリーヌを確認するなり、身体を起こそうと必死に身をよじり始めた。


「ようこそ。碧色の閃光、リュシアン君。これで私の目的は達成」


 その声が、鼓膜を通じて脳へ滑り込んでくるような不快感を覚えた。直後、身体中の血が沸騰したと錯覚するほどの激しい怒りが湧く。


「おまえは……」


 一声聞いてすぐにわかった。間違えるはずがない。まさしく、ランクールで倒した大型魔獣の口から漏れてきたものと同じ声。

 こいつが、こいつこそが、ランクールを破壊と混乱に陥れた張本人だ。


 すると仮面の男は懐をまさぐり、小さな革袋を僅かに覗かせた。


「ドミニク君、これが報酬の残り半分だ。全てが終わったら君へ渡そう」


「へへっ。よろしくお願いしやす」


 仮面の男は、再びこちらへ向き直る。


「手荒で済まない。あの街で君たちを知ってから、どうしてもその力が欲しかった」


 外見と話し方から見て年上なのは間違いない。恐らく三十代から四十代か。


「そういえば、自己紹介もまだか。終末の担い手、と名乗っておこう」


 ふざけた名前に怒りが増してゆく。


「ランクールを襲ったのはおまえだよな。それだけじゃねぇ。昨日、この森で襲ってきた冒険者。あれもおまえの差し金か?」


「満足頂けたか? あれも私の実験の産物。だが力量不足だったようだ」


 悪びれた様子など微塵もない。虫酸の走る思いがする。


「力試しに大型魔獣を放ったり、実験だと言って冒険者の自我を奪ったり……てめぇのやり方が、とことん気に入らねぇんだよ!」


 俺の問いに、口端をもたげて微笑んだ。


「んふっ。拘束されても口だけは達者。その気に入らない相手に、いいようにされている気分はどうだ?」


「あぁ、最低だよ。で、あんたの目的は何なんだ? どうしてセリーヌを攫った?」


「言ったはずだ。君たちの力が欲しいと。私に忠誠を誓うのなら、命は助けよう」


「断ったら?」


 こんな奴に手を貸すつもりは毛頭ない。


にえとなる。それだけだ」


 贄。魔獣のエサにでもするつもりだろうか。


「ランクールで君たちの力を捉えた後から動向を窺っていた。その強大な力。戦慄と衝撃に震えたよ」


 男はセリーヌを引き倒し、その首筋へ杖の先端を突き付けた。


「おい、セリーヌに手を出すな!」


「昨日も、ドミニク君たちと共に後を付け、大森林での活躍を見せてもらった」


 まさか、アレニエとの戦いを見られていたとは。この洞窟がもぬけの殻だったのも、俺たちを付けていたからか。


「君たちの力、神へ捧げるに相応しい。私と共に神の手足として貢献か。さもなくば神への贄となるか。さぁ、どちらだ?」


 自らに酔い、恍惚こうこつとした笑みを見せる。


「神だって? あんた、狂ってるよ」


「神を見た事がないだろう? 私はある。なぜなら、私は選ばれた存在」


 男は魔導杖まどうじょうを振りかざし、倒れるセリーヌの眼前へ鋭く突き立てた。


「魔法についてどこまで知っている? 万人が扱える力でないのは常識。しかし、その起源は?」


「導師が説法でもするつもりか?」


 語気荒く吐き捨てると、ドミニクが困った顔で薄ら笑いを浮かべた。


「困るんだわ。いちいち口答えされるとさぁ。大人しく聞いてりゃいいんだよ。さもないと、このお嬢ちゃんがどうなるかわからないよ?」


 セリーヌの隣へ屈み、喉元へ曲刀シミターを添える。


「わかったから、そいつに手を出すな!」


「良い子だ。導師様、続きをどうぞ」


 仮面の男が満足げに頷いた。


「魔法の力は、竜が操ったとされる竜術が発祥。竜は人へ力の一部を分け与え、竜術が人に適応して独自進化した能力、それが魔法」


「竜術が独自進化?」


 遺伝によって魔法の才能が引き継がれることがあるというのは知っているが、起源を聞いたのは初めてだ。


「驚いた、という顔をしているな? さすがにこんな話は初耳か……んふっ」


 鼻から息を抜いて笑う仕草に腹が立つ。


「魔法を扱える時点で凡人とは違う。選ばれし者のひとり。そして私には、その魔法の力がある」


 こいつの言う通り、魔導師の存在が希少だというのは良くわかる。治癒の魔法は医療にも貢献。攻撃の魔法は自然を操り、魔力石に込めることで魔法石を生成。誰もが少なからず魔法の恩恵にあやかって生きている。そこから勘違いする馬鹿が出るのも頷ける。


「選ばれし者である私は神と出会い、更なる力を授かった。あの御方こそが世界をべ、選ばれし者だけを楽園へと導く」


 仮面の男は慌てて周囲を伺い、一つ咳払いを漏らした。


「それについては後ほど……私の左腕へ宿った力。何かわかるか?」


 恐らくそれは、俺が疑問に思っていたことと合致するはず。ランクールのルーヴ・ジュモウ、この広間で戦ったロンブリック、そして今、頭上にいるショーヴ。果ては、森で襲ってきた冒険者たちも。


「魔獣や人間を操る、もしくは洗脳のような力、ってところだろ?」


「ご明察。実に素晴らしい」


 天を仰ぎ、笑い出す男。


「魔獣を操るだって? そんなことが……」


 身体を起こしたナルシスは、言葉を失っている。

 仮面の男を見ながら、洗脳という可能性を即座に捨てた。もしもそれが可能なら、こんな回りくどいやり方はしない。


「んふっ。贄にしてしまうには非常に惜しい。どうだ? 神の下僕として共に来るのなら、君と彼女だけは助けよう」


 仮面から覗く口元が怪しく微笑んだ。

 悔しいが、ここは一先ず流れに身を任せ、様子を伺うしかない。


「俺たちを今すぐ解放してくれるなら協力する。でも、ナルシスはどうするつもりだ?」


 仮面の男を真っ向から見据えた。


「彼については後ほど。では、交渉成立と言いたいところだが、これでは当初の目的に釣り合わない。対価を頂こう」


 仮面の男が腕を振るうと、賊の手下が何かを運び込んできた。奴が杖と引き替えに掴み取ったのは、見覚えのある長剣と魔導杖まどうじょうだ。あの剣を見間違えるはずがない。


「は? どうしてその剣が!?」


 杖はともかく、剣はアレニエに奪われたはずだ。大型アレニエのつがいも、こいつの支配下に置かれていたということか。


 それを目にしたセリーヌも、口を塞がれたまま、声にならない呻きを上げた。

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