ビスカの海

 波の音が聞こえる。寄せては返すその波は、この北の国の食糧と財政を支える大海が奏でるものだ。冬場は荒れ、時に生活を脅かすこともあるが、それでもこの大海は北の国に暮らす者にとっては恵みをもたらす母なる海だ。

 心地よい微睡みの中いると、ベッドが軋む音がした。隣で寝ている妻が身を起こしたらしい。

「あなた。ねえ、あなた」

「何だい?」

「遠くから声が聞こえるわ。こんな夜中に、誰か騒いでいるのかしら」

 目を閉じたまま笑う。大陸一の博識と評判高い妻だが、彼女は内陸の国出身だ。

「あれは波の音だよ」

「波の音?」

「昼と静かな夜とでは、また違って聞こえるものさ」

 目を開き、笑って続ける。

「また一つ賢くなったね、ビスカちゃん」

 こちらの顔を覗き込んでいた妻は肩をすくめる。

「呑気な王様だこと」

 ビスカは素足のままベッドから下りた。石の床を踏みしめ、海に面した西側の窓辺に立つ。

「王位を追われて幽閉されているというのに」

 その窓には鉄の格子がハマっていた。

 粗末な木のベッドの上で片肘をつき、妻の背中を眺める。かいつまんで言うと、実の弟に謀反を起こされ、そして国外れの海に面したこの砦に幽閉されたのだ。正妻であるビスカも一緒に。

 今のところはまだ、自分が北の大国の王である。けれどそれも時間の問題。『元』王として処刑されるまで、時間の問題だ。

 鉄格子の窓からビスカは海を見る。彼女に関しては何の心配もしていない。王たる自分と共に幽閉されたのは、完全なるとばっちりである。東の大国の姫君であるビスカが危害を加えられるようなことはないだろう。

 心配なのは東の国との関係だ。

「君のお父さんはどう出るかね」

 一昨日起こった謀反の話は、そろそろ東の国にも届く。東の国の王は当然、娘であるビスカを返すようにと要求するだろう。

「あなたの弟君は素直に私を引き渡すかしら」

「さあ。東の国への切り札として手元に置いておくかもしれない」

「悪くすれば戦が起こるわね。お父様もそこまで親馬鹿ではないと思うのだけど」

「戦になれば民が飢える。百害あって一利なしだ」

「同感だわ。何のために私が北へ嫁いだと思っているのかしら」

「本当だよねえ」

 この大陸は東西南北に大きな国があり 、それぞれの利害が複雑に絡み合っている。その中で、東の国は積極的に婚姻を行い血縁関係を結ぶ戦略をとっていた。ビスカの妹であるリリスの母親は南の国の貴族であり、彼女たちの叔母は西の国に嫁いだ。そうであるからビスカが北に嫁いできたのはある意味当然ともいえる。

「愛娘を十五も上のオジさんに嫁がせてこれじゃあ、東の王も泣いてるね」

「あら。私はあなたが歳上だなんて、気にしたことはなくってよ」

「それは嬉しいね」

「あなたが即位した年に私が生まれたのね、と思うことはあるけれど」

「手厳しい」

 ビスカの軽口は、こちらの心にグサリと刺さる。

「僕も、即位の挨拶の時に会わせてもらった赤ん坊と結婚することになるとは思わなかったよ」

「お父様はそのつもりで会わせたのだと思うけど」

「東の国の王は怖いなあ」

 思わず苦笑がもれる。即位したての十五歳の若造に生まれたばかりの娘を嫁がせる算段を立てていたなど、できれば思いたくない。

 北の先王であった父が亡くなったのは突然だった。馬から落馬し、その傷が元で翌日に命を落としたのだ。弟を産んだばかりだった母もそのせいで身体を壊し、そのまま儚くなってしまった。

「弟は可哀想な子なんだよ」

 ポツリと言えば、ビスカがこちらを見た。

「父の顔も母の顔も覚えてはいない。僕もあまり構ってやれなかったし、親の顔も愛情も知らなくて、あいつはきっと苦労したんだろうな」

「だからといって謀反を起こし、長年国を統治してきた兄を幽閉してもいいという話にはならなくてよ」

「まあね」

「躾がなっていないのよ。うちの弟や妹たちは、私に逆らうなんて思いつきもしないわ」

「君たちは仲が良いからなあ」

 東の国の兄弟たちはそれぞれ母親が違うが、ビスカを中心にとても仲が良い。

 彼女の妹たちは一ヶ月前それぞれ嫁いだ。上の妹のロザリィは東の国の主席魔道師であるザーボン、下の妹のリリスはテップ国のクヌギ王子がその相手だ。魔道師でもあるロザリィが東の国に残り、絶世の美女と謳われるリリスが王子を骨抜きにして交通の要所であるテップ国に嫁ぐ。いやはや、東の国の婚姻戦略は恐ろしい。

「謀反が起こったのが今でよかったね。もう少し早かったら、君の妹たちの結婚式に参加できないところだった」

「本当ね。妹の晴れ姿が見れないのは姉として辛いわ」

「君も、嫁ぐのがもう少し遅かったらよかったね。君と弟は同い年だ。こんなオジさんより、王になった若い弟のところへ嫁いだ方が幸せだった」

「そうね」

 ビスカは白々と明け始めた窓の外を見て答えた。

「そういう考え方もあるわね」

 そろそろ起きることにしよう。ベッドから下り着替えを始めると、ビスカがそれを手伝ってくれた。侍女はおらず、部屋には二人だけ。部屋の外のドアの前では兵士たちが見張りをしている。

 王のものとは思えない粗末な服に着替え終わると、ビスカも夜着から粗末なドレスに着替え、普段通りにキリリと髪を結い上げた。身を飾るのは赤い宝石のペンダントが一つだけ。装飾品はすべて取り上げられたが、嫁ぐ際に妹から贈られた大切なものだと彼女が訴えたそれだけは、手元に残してもらえたのだ。

「さて、ビスカちゃん。今日は何をしよう。昨日のチェスの続きでもするかい?」

「もっとちゃんと海が見たいわ。あの窓からじゃよく見えないの」

 先ほどまでビスカが立っていた窓辺に近づく。なるほど。鉄格子に阻まれて、外はよく見えない。それに。

「ここは三方を海、というより崖に囲まれた幽閉用の砦だ。特にこの西側は崖のギリギリに建っている。だから、逆によく見えない。窓から身を乗り出して下を見るしかないね」

 そして鉄格子がハマっているからそれもできない。

「なら、チェスの続きで構わないわ」

 頷いてチェスの準備を始めた。ビスカは粗末なソファに腰掛け頬杖をつく。

 ノックの音がして、兵士たちが入ってきた。パンとシチューの乗ったトレイを木のテーブルの上に置いて、何も言わずに出て行く。

「チェスは後だね」

 そう言って席につき食事を始めた。ビスカは頬杖をついたままこちらの様子をただ眺めている。幽閉されてからこっち、自分が食べ終わるまで、食事をとることを許していない。万が一、毒でも入っていたら困るからだ。

「お人よしだこと」

 ビスカはそう呟く声が聞こえた。




 その夜。ビスカがベッドを抜け出す気配で目を覚ました。そのまま寝たふりを続けていると、押し殺した小さな声が聞こえる。

「ザーボン」

 部屋の中に人の気配が増えた。ザーボン。それは、彼女の義理の弟でもある東の国の主席魔道師の名だ。

「ビスカ様、お迎えに上がりまグッ!」

 主席魔道師が声を殺しながら呻いた。薄目を開けて見てみれば、どうやら妻が鳩尾に蹴りを入れたらしい。お転婆なことだ。

「何をしに来たの?」

「貴女を助け出すためですが何か?」

「私がこの砦から突然いなくなったら不自然よ」

「貴女がこのまま無事でいるという保証はどこにもない。王もロザリィも貴女の身を案じています」

「あら、ロザリィを呼び捨てにできるようになったのね。進歩したじゃない」

「茶化している場合ですか」

 はあ、と主席魔道師がため息を吐く。

「謀反を起こした弟君から我が国に連絡がありました」

「どんな?」

「ビスカ様は北に嫁いだ身であるからその処遇はこちらに任せてもらう、と」

「東に返す気はないと明言したわけね」

「ええ。それで調べてみたら、ビスカ様が幽閉されていることがわかりまして。『お姉さまになんてことを!』と、キレたロザリィが殺る気満々です」

「ロザリィが本気で仕掛けたらこの国が消えてしまうわ。あの子、手加減できないから」

「ですから、わたくしが参りました。さあ、ことが穏便にすむうちに一緒にお逃げ下さい」

「私をここから連れ出しても穏便にはすまなくってよ。東の国の魔道師が連れ戻したって丸分かりじゃない」

「北の国はうちほど魔道が発達していませんから、知らぬ存ぜぬを通せば証拠はありませんよ。こちらはビスカ様の身さえ安全ならば、戦を仕掛ける気はありません。まあ、ビスカ様には公式の場所に出ていただくわけにはいかなくなりますが、それは我慢いただくということで」

「それはかまわないわ。けれど謀反男が何を考えているのかわからない。証拠がなくても、私を勝手に連れ戻した、と理由をつけて東に攻め入る可能性がある」

「それはそうですが」

「両国を繋ぐ者として、北と東の間に争いが起こらないよう振舞わなくてはならないわ。ひとまず様子見ね」

「落ち着いていらっしゃる。様子を見ている間に何かあったらどうなさるおつもりですか? 明日、謀反を起こされた弟君がこの砦へ来られます。貴女に危害を加えないとも限らない」

「それは好都合。本音を聞き出すチャンスね」

「ビスカ姫!」

 小声で叫ぶ主席魔道師をビスカは手で制した。

「私に何かあってもザーボンが上手く片付けてくれると信じているもの。可愛いロザリィをくれてやったのよ。それくらいの働きはなさい」

「貴女を絶対に助けてくるよう、そのロザリィに頼まれているんですがね。まあ、どうせ貴女は引かないでしょうし、今日のところは退散しましょう」

「わかっているじゃない」

 もう一度ため息を吐き、主席魔道師の姿は消えた。彼の気配が完全になくなったところで、ビスカはこちらに戻ってくる。

「起きていらっしゃるんでしょ」

 目を閉じイビキを立てると、ビスカが勢いよく腹の上に乗ってきた。ぐえっと蛙が潰れたような声が口から飛び出す。

「ひどいなあ、ビスカちゃんは」

「あなたの寝たふりがワザとらしいのよ」

 ビスカは腹の上から下り、こちらに背を向けベッドの端に座り直した。

「逃げればよかったのに」

 その背中に声をかける。

「我が弟ながら、今のあいつは何をするかわからない。後悔するかもしれないよ」

「自分で決めたことに後悔はしないわ」

「僕のことなら気にしなくてもいい」

 そう言えばビスカは黙った。

「君は自分の身の安全だけを考えるんだ。次に逃げられる機会がきたら逃げなさい」

 手を伸ばし、背中に流したビスカの髪に触れる。そしてクルクルとその髪を指に巻きつけた。

「ねえ、『とんでもなく頭のいい東の国のお姫様』。君は頭がいいだけじゃない。とんでもなく情の深い女性だ。だから君の可愛い弟妹は君の言葉に従うんだよ」

 ああ残念だなあ、と思う。

「あと十年若かったらなあ。ここから君を連れ出せるのにね」

 名残惜しく髪を手放せば、振り向いたビスカはこちらの手をただ見つめていた。




 次の日の夕方、主席魔道師が言ったとおり、弟がやってきた。砦の一番奥、暮れゆく光が差し込む部屋で、ビスカと共に向かい合う。

「気分はどうですか、兄上?」

 一段高い王の椅子に腰を下ろし、弟はご満悦だ。こちらも口の端を上げて答えてやる。

「上々だね」

「はっ! どこが!」

 弟は鼻で笑う。

 王に相応しくないその態度に、やれやれと口を開く前に、隣でビスカがくすくすと笑い出した。

「何がおかしい?」

「いえ、別に」

「物怖じしない女は好きだが、馬鹿にすると許さんぞ。まあいい。ビスカ、オレはお前を気に入っている。オレの後宮にそのまま留まることを許してやろう」

「後宮に?」

「年の離れた兄上との結婚生活はさぞかし苦痛だったろう。オレが可愛がってやるよ」

 隣を見ると、ビスカは数回瞬きしてから弟に尋ねた。

「それだけ?」

「何だと?」

「あなたまさか、それだけで私をここに留めおいているの?」

 ビスカは唇を震わせた。ついにはこらえきれない様子で声を出して笑う。

「何がおかしい!」

「いえ、失礼。貴方の発想があまりにも馬鹿で幼稚で短絡的だったから。これだから、優秀な上の兄弟を持った弟は駄目ね」

 ビスカちゃん、と小声で名を呼ぶ。普段ならこんな場で挑発するような態度とらないはずだが。

 たしなめるこちらの声にビスカは耳を貸さない。

「ねえ。まさか、私の価値がそれだけだと思っているの?」

「もちろん、それだけではございません。貴女様は東の国の姫君。貴女をこちらにおいておくことは、東の国への押さえにもなる」

 弟の隣に控えていた文官がそう補足した。彼は確か、弟の乳兄弟で側近の若者だ。ビスカは彼の方を向き肩をすくめる。

「まともな人もいたのね。安心したわ。というより、あなたがたきつけたのかしら。こちらの弟さんには謀反を起こす頭も能力もなさそうだものねえ」

「黙れ!」

 弟の声に反応し、部屋にいた兵士たちが鎧を鳴らして武器を構えた。待機の場からは動いていないためまだ距離があるが、合図があればいつでもこちらに攻撃できる。

「あら、丸腰の女性相手に威嚇のつもり?」

「王の治世は長すぎたのです。このままでは何も変わらない。新しい風を起こすべきだ」

 側近の言葉に、そうだな、と思う。在位から二十年以上経つが、それでもまだ自分は若くあと二十年は王であり続けることができる。弟は永久に第一王位継承者のままで、こちらに子供が生まれればその資格も剥奪される。

 一人の王の長すぎる治世は権力の偏りを生む。それに不満を募らせていた者も多いのだろう。だからこそ今回の謀反は成った。

 一生懸命やってきたんだけどなあ、と思う。右も左もわからぬまま十五で突然即位し、今まで一生懸命やってきた。その結果が、末路がこれだ。この国にお前は必要ないと突きつけられ、後は『悪』の王として処刑を待つだけの身。

 一体何をどう間違ってしまったのか。

「新しい風ねえ」

 ビスカが頬に手を当てて言った。

「それは具体的にどういうものなの?」

「え?」

「この国は寒冷で実りが少なく、海からの資源に頼りきり。今の王は街道を整備し交易を発展させて財政を潤してきたのだけれど、あなたたちの『新しい風』を実現すれば、北の国の民たちはどう豊かになるのかしら?」

 弟は反射的に口を開いたが、そのまま声は出なかった。口を二、三度パクパクさせ、困ったように側近を見る。

「ああ、もういいわ。これ以上は時間の無駄ね」

 腰に手をあてビスカは言った。

「謀反の成功おめでとう。後は御勝手にどうぞ。ただ、いくら新しくても最初から頭が腐っていてはどうしようもなくってよ」

「黙れ!」

 弟は怒鳴った。

「オレは馬鹿にされるのが一番嫌いなんだ!」

「それは失礼。ちなみに、貴方が私を手に入れたいのは、お兄様のものを全て奪いたい、ただそれだけよね。本当に幼稚だこと」

 カッとなった弟が兵たちに指示を出す前に、ビスカは身につけていたペンダントを引きちぎった。それを勢いよく窓に向かって投げつける。

 コツンとペンダントが窓に当たったその瞬間。

 ドォォォン。大きな爆発音がして窓と壁が砕け散った。

「うちの妹が魔力を込めた魔道石のペンダント。手元に残してくれてありがとう」

 出来上がった大穴に軽やかな足取りで近づき、ビスカは振り返って言った。

「私は人質に成り下がるのも、馬鹿な男に抱かれるのも、真っ平ごめんよ」

 そして床を蹴って穴に身を投じる。あっという間もなくビスカの姿は消えた。

 崖の上に建った砦の西側。すぐその下は海。

 最初に我に返ったのは弟の側近だった。

「まずい! これじゃあ東の国に対して申し開きができませんよ。どうするんですか!」

「お前は黙ってろ!」

 叫んだ弟は兵士たちに指示を出す。

「おい、誰か! そこから飛び降りてビスカを助けろ!」

「しかし、ここから飛び降りて助かるとは思えませんが」

「いいから行け! オレの命令が聞けないのか!」

 ヒステリックに響く弟の声。頭を抱える側近と、戸惑う兵士たち。

「ああ」

 深く、深く、息を吐く。

「どうやら、お前の育て方を失敗したようだ」

 反抗的な目で弟はこちらを見た。そう。それが全てなのだ。

 弟を一瞥し、兵士たちを見回しながら、ゆっくりと彼女が飛び降りた大穴へ向かう。

「無謀な指示に従い飛び降りる必要はない。お前たちも北の国の大切な民。こんなことで命を落とすな」

 兵士たちは顔を見合わせ、互いに目配せしあいながら待機の姿勢をとった。その様子に、一段高い場所で弟がダンっ! と足を踏み鳴らす。

「こいつはもう王じゃない! この国の王はオレだ! 王位も、ビスカも、みんなみんなオレのものなんだ!」

 可哀想に。そう思った。可哀想な子だ。

「お前の気持ちはよくわかった」

「何をわかったと言うんだ? お前にオレの気持ちがわかるものか!」

 狂ったように叫び続ける弟を見据え、王として最後の言葉をかける。

「いくら周りが補佐してくれても王自身に能力がなくては意味がない。帝王学を学ぶことだ。今のお前ではこの国は二年で潰れる。周りの意見をよく聞いて学びなさい。お前には、共に謀反を成し遂げてくれる仲間がいるのだろ」

 こちらを睨む弟に、ニッと笑って両手を広げた。

「王位は譲ろう。この国はもうお前のものだ。だけどビスカは、お前なんかに渡さないよ」

 そして。

 北の国の前王は、妻の後を追って海へ身を投じた。







「お二方とも、わたしがいなかったらどうなさるおつもりだったんですか?」

 砦の崖の下。内側に大きくへこんだ窪みの中で、東の国の主席魔道師は言った。この場所は真上にある砦からは見えないし、結界を張っているので見つかる心配はないそうだ。

 主席魔道師の隣でビスカは肩をすくめた。

「ザーボンのことだから、国には帰らず私を連れ出す機会をうかがっていると思ったわ。謀反男が来るのならば尚のこと」

「だからあんな高いところから飛び降りたって言うんですか? わたしが魔道で受け止めて海に落ちたように細工しなければ今頃どうなっていたことか」

「本当だよ、ビスカちゃん。お転婆にもほどがある」

「貴方もですよ、北の王! どうして貴方まで落ちてくるんです。そしてどうして貴方の分まで落ちた細工をしなけりゃならんのです」

「私はやれとは言っていないわよ」

「言っていますよ。馬鹿謀反男の見ている前で海に落ちた。こうなれば北の国はパレス国に下手に手出しできないし、貴女が生きているならパレス国も北を攻める理由がない。その上で、貴女はこのままじゃ確実に処刑されるだろう王をドサクサに紛れて連れ出したかった」

 ゼイゼイと息を切らせる主席魔道師の肩を、ビスカはポンと叩いた。

「流石、ロザリィの婿にと私が見込んだだけの男」

「姫!」

「もう姫じゃなくてよ」

「ああもう。北の王も、何で飛び込んだんですか。わたしが助けるという保証はなかったはずですよ」

「そうだね」

 少し考え、その問いに答えた。

「吸い寄せられてしまったな。ビスカちゃんの後を追いかけるのもいいかなあ、と思ってしまってね」

 カラカラと笑う。重い荷物を下ろしたかのように、気持ちが随分晴れやかだった。

「あなたならそうしてくださると思ったわ」

 言いながらビスカは髪を解く。髪を下ろすと年相応に幼く見えるその顔をこちらに向け言った。

「私を連れ出して下さらないなら、私があなたを連れ出すまでよ」

「優秀な妻を持って僕は幸せだよ」

「うちの妻も優秀ですけどね」

 そう言って、主席魔道師は息を吐く。

「これからどうなさるおつもりですか? パレス国は流石にお二方そろっては匿えませんよ」

「わかっているわ。テップ国に亡命するつもりよ。リリスもいるしね」

「クヌギ王子が泣きませんかねえ」

「可愛いリリスを嫁がせてあげたんだから、それくらいはしてもらわなくちゃ」

「そうですね」

「身分証の手配をお願いね」

「え?」

 呻いた主席魔道師に背を向け、ビスカはこちらを向いた。

「テップ国は海があるから、あなたも寂しくならないわ」

「ビスカ」

 その名をゆっくりと呼ぶ。

「君は若く利発で帰る場所もある。僕はもう北の国の王じゃない。これ以上、僕に付き合う必要はないんだよ」

 ビスカは小さく首を傾げた。

「まだわからない?」

 そしてこちらの口に人差し指を押し当て、にっこり笑う。

「私は北の王妃よりも、あなたの妻がよくってよ」

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ロザリィの塔 川辺都 @rain-moon

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