実証実験
「リハビリって言いませんでしたか?」
「ほら、リハビリって社会復帰って意味もあるからね。きみは年齢的には十分学生の範囲内なんだから、学校行かないと」
「大学生で良くないですか」
「いま、裏口入学に世間は厳しいんだよ」
「高校ならいいとでも……?」
「あ、小学校から通う?」
「そういうことじゃなく」
押し問答を繰り広げていたら、車は目的地についてしまっていた。駐車場に慣れた手つきで車を停め、身体の小さな彼女用に特別仕様となっている運転席から降りた卯月さんは、後部座席のドアを意気揚々と開ける。
「なんか息子みたいで楽しいね!」
「博士、親子ごっこしたいだけなんじゃ……」
「あ、私はきみを引き取った親戚ってことにしておくから、誰かに聞かれたらそのように説明してね」
「そのへんの設定全然詰めてないですけど」
「ま、1年間バレなきゃいいだけだから」
なんとかなるなる!とこっちに丸投げしてくる卯月さんに絶望しつつ、足取り軽やかに前を進む彼女の小さな背中を仕方なしに追いかけた。
駐車場から校舎と校舎のあいだの細い道を抜けると、グラウンドに出た。住宅地に囲まれた緑豊かなこの公立高校は、長方形の敷地をグラウンドと校舎で二分している。
あまり広いとは言えない土のグラウンドでは、コンクリート製の水飲み場ごしに、朝練のノックをする野球部の生徒が目に入った。青春の1ページはこちらの脳に移した昔の記憶のなかにも存在していて、郷愁が綴の背中を襲った。
いまの身体で体験していなくとも、「なつかしい」という感情は起こりうるらしい。感情は記憶と経験による。
足もとに転がっていた球をかがんで拾い上げると、砂まみれの球は少し柔らかく、手によく馴染んだ。
「すみません! それ、こっちに投げてください!」
「ああ、わかった」
距離にして5メートルほど先で野球部のひとりが声をかけてきた。グローブを手にはめたまま、両腕を高く上げている。多少こちらが下手な投球をしてしまっても問題なく受け取ってくれそうな、安心感を与える姿だ。
軽く振りかぶって球を投げると、左肩は想像よりもスムーズに回った。卯月によるこの身体のメンテナンスは隅々まで行き届いている。
野球部の彼が軽い会釈をするのに手で応じ、昇降口へと足を向けた。
高校生と比べてもひとまわり小柄な、少女めいた容姿の──しかし年齢は相応なはずだが──博士は、玄関前の階段の隅に腰かけて千里を待っていた。一連の流れを見ていたらしい。
「部活に興味を持った?」
「そういうわけじゃ」
「この1年間で人と関わればきみの方は着想のひとつもあるだろうし、その活動自体が私の研究にもつながる。良いことづくめだよ。どんどん参画するといい」
「そんなこと言って、バレたらどうするんですか?」
「身体のどこかのボタンを押すと足がジェット噴射器になるから、それで逃げられる」
「物理的な話をしてるんじゃなくて、倫理か法律の心配をしてるんですけど」
「まあ、せいぜいきみも私も、怪しげな研究所や刑務所のお世話にならないように気をつけようね」
「ダメじゃないですか!」
「虎穴に入らずんば虎子を得ず、って言うでしょ。コミュニティーに属することは大事だよ」
コミュニティーの玄関に佇む彼女は階段から立ち上がると、ワンピースの裾を軽くはたいて砂を落とした。いつも白衣を着ているときはそんなことはしないだろうに、彼女に一般常識が備わっていることに千里は少々面食らった。
生徒玄関ではなく教員用の玄関に入り、案内を受けて廊下を進む間に、おびただしい量の視線を甘受した。職員室は得てして一般教室のそばに配置されるものだ。転校生と思しき見慣れない青年よりも、スリッパを引っかけて歩く私服の少女(の見た目の年齢不詳)の方に注目が集まっている。
仮に廊下にノラ猫がいても、彼らは同じ反応を示すだろうと綴は思った。スマホで写真くらいは撮るかもしれないが。
「たのもーっ、職員室!」
「黙ってください」
無邪気に職員室の扉を開ける卯月に、綴は静かに頭を抱えた。
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アンドロイド・ライター @mzmzozn
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