アンドロイド・ライター
@mzmzozn
想い出レコーダー
『その記憶、手元に残しておきましょう』
「想い出レコーダー」なる商品が発売されたのは、およそ10年前のことだ。別の主力商品の裏でひっそりと家電量販店の店頭に出されたそのデバイスは、当時はビジネスマン向けに作られたものだった。電源を入れてこめかみに数秒押し当てるだけで記録が完了する簡潔なシステムは、つまり「会議や打ち合わせの記憶をありのままに取っておいて後で参照できたら便利だろう」という思惑の上で生まれていた。
それに最初に目をつけたのは誰だったか。青春を切り取りたい女子高生や、カメラを構えていない不意の瞬間をぜひ残しておきたいという親世代やペット愛好家の間で話題となった「想い出レコーダー」は改良を重ねてコンパクト化し、今ではコンビニで簡単に手に入る身近な商品となっている。
「それが、これ?」
手の中にある小さな機械を、綴は物珍しそうな目で見つめた。タテ50mm・ヨコ15mm・厚さ7mmほどのそれは、「想い出レコーダー」の大流行など知りもしない綴にはUSBと区別がつかなかった。違いといえば、ハブにつなぐ挿入部分が体温計の先っぽのような形状になっていることくらいか。なるほど、ここをこめかみに当てればいいらしい。
「そう。中のデータは移してあるから、それはきみにあげるよ。新しいもの、好きでしょう」
「え、いいんですか? 卯月さんはもう使わないんですか」
「私、メモ魔だから」
ニコッと微笑む卯月さんに「はあ」と曖昧に返事をして、レコーダーをありがたく頂戴する。
確かに、新しいものは好きだ。自分の知らなかった世界を知ることができる。それにこのレコーダーがあれば、新作の着想がわいたときに大活躍するに違いない。
その思考回路は卯月さんにはお見通しのようで、丸椅子から身を乗り出した彼女は大いに期待を込めた笑みを浮かべていた。
「だからリハビリ頑張って、早く復帰してね。学生小説家くん」
「椅子から落ちても知らないですよ」
「おっ、落ちないもん!」
「足地面についてないじゃないですか」
「つくし! あえてプラプラさせてただけだし!」
「卯月さん、リンゴ食べますか」
「食べる!」
病室のベッドの脇に置いてあったリンゴと、棚から果物ナイフを取り出す。リンゴの皮むきは中学の家庭科でも先生に褒められたくらい得意だったことを不意に思い出した。
「……あれ?」
「え?」
さっきまで幼稚園児のようなはしゃぎ方をしていた卯月さんが、ふと表情をなくした。急な変化に驚いた綴は思わずリンゴをむく手を止める。
「どうかしましたか」
「綴くんって左利きじゃないの?」
いやに真剣な顔でそう問うてきた卯月に、ああ、と綴はひとつ頷く。よく聞かれる質問だった。
「基本的には左なんですけどね。包丁は右で教わったので、こっちを使います」
「……そうか」
「はい。でもアレですね、やっぱり久しぶりだと腕は落ちますね。なんかやりづらいです」
「むき方を覚えていただけで御の字だよ」
「俺もそう思います。よく記録されてましたよね。なんだか恥ずかしいというか」
「たった16GBしかないレコーダーの一部をリンゴの皮むきの記憶が占めているなんてね」
卯月さんの言葉に苦笑する。それは千里も常々思っていたことだからだ。
「想い出レコーダー」は記憶をありのままに記録することができるが、その記録を逆に頭の中に戻すことはできない。ユーザーはふつう、記録の映像を流しながら自身の記憶を蘇らせていくことができるため、通常その必要はない。しかし、綴に関してはそうする必要があったし、そうすることは容易だった。
「悪いな。あとで《利き手》の項に修正を入れておく」
「こちらこそすみません、ややこしくて」
「全くだよ」
「それはそうと、右手がうまく動かせないです。代わりに剥いてください、卯月博士」
「都合のいいときだけ博士って呼ぶなよ」
「研究者って手先器用そうだから、リンゴくらいちょちょいと剥けますよね?」
「どちらかというと包丁は器用さより経験だと思うんだけど……」
むう、と口を尖らせる卯月は、その道では多少有名な研究者である。実用型のアンドロイドを完成させた彼女は、記念すべき初号機に搭載する人格を「誰」にするかを初めから決めていた。
「今際の際に走馬灯を記録して私に託すなんて、あなたほど生に執着する作家もいないと思うよ」
「作家がみんな人生に絶望してるなんて、そんなの偏見です」
「それ、世界の文豪に片っ端から言って回るといい。死ぬなんてナンセンスだって」
そんなわけで彼の、文字通り「第二の人生」は始まった。
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