最終章 審判の刻

 ギルは大伯父に、「知ってることを全部話してくれ」と頼んだ。「シオンの生命を守るために必要なことを全部」と。

 屋敷の執事は、「長い話になりますよ」といって語り始めた。


 組織の始まりは今から200年以上前、ひとりのボスと12人の部下が自分たちの利益を守るために作ったものが始まりだった。12人の部下にはライオンの顔が刻印されたエレクトロン金貨が渡され、何か重大なことを決めるときには全員が集まって多数決で決めた。それは評議会と呼ばれた。フランス革命から第一次世界大戦、第二次世界大戦をのりきって組織は近代化、拡大化をたどり、今ではヨーロッパ以外に、北米、南米、アジア、アフリカへと広がった。

 ボスの継承は血族の男子のみ長子優先とされる。先代のボスが自動車事故で亡くなったとき、シオンはまだ6歳になったばかりだった。ボス代行としてロシュフォール公爵未亡人のイザベラが選ばれ、シオンが21歳になったら正式なボスとして任命される予定だった。

 しかし、たった3ヶ月違いの腹違いの弟カズヤの存在が明らかにされ、ボス候補のナンバー2と目されるようになった。シオンが死ねばカズヤが次のボスになる。さまざなな思惑がからみあい、シオンは生命を狙われることになった。


「そのカズヤってのが、シオンを殺そうとしているのか?」

「いいえ違います。……多分、イザベラ様が……」


 先代のボスは素行に問題があった。13~4歳の美しい少女だけを集めてハーレムを作っていた。

「え? ロリコン?」

「…破廉恥きわまりない話です…」

 その中のひとり、シーナという少女に特に愛情をそそぎ、男子が生まれるとパリに屋敷を与えた。そして足しげく通った。あろうことか公爵はシーナを正式な妻にしたいといいだし、夫人と離婚しようとした。そしてあの事故がおきた。


「じゃあ……もしかして、事故じゃなくて……」

「イザベラ様は金貨の持ち主のひとり、評議会でボスの暗殺を提案し可決されたのです。つまり7人以上が先代のボスに不満をもっていたというわけです」

「……じゃあボスとかいらねえんじゃね? 評議会の方が偉いんじゃ……」

「ボスはあくまでも象徴、組織が巨大化するに従って、そのように推移していったようです」

「じゃあもう内部崩壊寸前ってことなんじゃ?」

「それだけは避けなければなりません。組織が分裂すればお互いが争うようなる。そうなったらおしまいです。ボスは必要なのです」

「でも、シオンがボスとか、無理じゃねえかな?」

「そこが問題なのですよ……」

 二人は顔を見合わせてため息をついた。シオンの場合は素行が問題どころではない。女性に興味を示したことは一度もないし、仲間をまとめあげるような素質もなさそうだ。

「…頭の中がお花畑だからなあ…」

「ウワサによるとカズヤ様は日本のヤクザの大親分の息子として、そちらの方もかなりの素質をお持ちとか」

「ボスの座を辞退したりとかできねえの?」

「長子相続が掟なので……坊ちゃまが生きておいでの間は……」

「イザベラはカズヤがボスでいいの?」

「……これは私見ですが、ご自分がボス代行のうちに、女子でも継承できるように掟の変更を計画されているようです。ご息女がふたりおいでですし、イギリスは女王陛下の国ですので……」

「カズヤも殺そうとしてるのか…とんでもない女だな」

「権力に対しての渇望、支配、実行…ある意味でもっともボスらしいお方です」

「困ったな。どうしたらいいのかわからん。今までは様子見みたいな刺客が襲ってきてただけだったから、撃退できてたけど…シオンは全然警戒してないし…こっちは神経すり減らしてるってのに。うちの奥様クラスの刺客が現れたら、守りきれない」

「……ここだけの話ですが、うちの奥様はカズヤ様の実母。そして先代のボスの事故を引き起こしたのも奥様です」

「はあ?! ……それって、評議会がシオンを殺せって命令したら、奥様が一番危険なんじゃ?」

「そのとおりです」

 シオンの一番の味方で頼りになるはずのマダム・ベルが、実は一番の敵?

 冷や汗がタラリと流れる。

 シオンの生命は風前のともし火としかいいようがないではないか……

 シオンは奥様を実の母親のように慕っている。

 今さら敵だといっても信じるかどうか?

「…金貨を持ってる中で味方になってくれそうなのはいねえのか?」

「フランシス様、私、弟、確実なのはこの3人だけですね」

「おじきとじっちゃんも金貨持ちなの? 知らなかった……」

「かれこれ40年も前に先々代のボスにより選ばれました。兄弟で選ばれたのは初めてだったようです」

「古参じゃん……」

「残念ながら他の評議員の方々とは、じっこんの間柄とは申せません。イザベラ様のほうが根回しはお得意かと…」

「ボス代行だしなあ…」

 きけばきくほど見通しは暗い。

 しかし何か方法を考えなければ、シオンは殺されてしまう……


   * * * * *


 4月、和也と弘也は大学生になった。

 それと時を同じくしてジャンがまた家にやってきた。

「やあ、久しぶり。今回の任務は君たちの護衛だよ。組長に気に入られたらしくてね。ご指名ありがとう」

 ホストクラブの指名みたいな軽いノリだ。

 最悪…と弘也は心の中でつぶやいた。

「護衛ですか? あなたが護衛してくれるなら安心だな。よろしくお願いします」

 和也はそつなくあいさつをかわしたが、心の中は複雑だ。

 この人はどこまでかんづいているのだろう?

 和也たちの大学でフランス語学科の非常勤講師をつとめるらしい。

「教員免許は偽造だし、人事課にゴリ押しでねじこんだらしいよ」とジャン。

「まあ、大学内で狙われるとは思えませんが…」

「甘いよ。組織をみくびらないほうがいい」

「…そうですね。肝にめいじます」


 とはいえ大学生活は楽しかった。

 講義を聞き、レポートをまとめる。サークルに入って新しい友人と知り合う。

 ジャンと和也と弘也は3人でいることが多かった。

 ジャンの運転で大学にかよった。

「免許持ってたの?」

「うん。国際A級ライセンスだ。偽造だけどな」


「お前ら、3人で暮らしてるの?」

「そうだよ」というと、不思議な目で見られた。「僕とカズちゃんは双子で、ジャンはうちに下宿してるから」

「双子なんだ? 全然似てないね」

「うん。二卵性の双子だからね」

 肩をすくめながらいつものセリフを言う。


 ジャンも和也もモデルばりの美形でスタイルも抜群で目だつ存在だった。大学内を並んで歩けば、誰もが振り向くほどだ。

 二人が肩を並べてさっそうと歩いていくのを、弘也はちょこまかと追いかける。

「ねえ、ジャン、非常勤講師って、そんなにヒマなの? どうしていつもカズちゃんの隣にいるのさ?」

 ジャンさんと呼んでいたのがいつのまにか呼び捨てになるくらいは親しくなっている。

「うん? 俺の講義、聞きたい?」

「聞きたくないよ」

「残念だなあ。ヒロだったら個人レッスンでもいいのに」

 意味深なことをいい、あごに手をかけて上向かせ、顔が近づいてくる……

「…はい、そこまで」と和也が止める。「校内で何やってるの?」

「いやあ、ヒロが可愛いから、つい…」

「つい、じゃないよ。俺の目の前で」

「カズヤが見てなかったら、いい?」

「だめに決まってるだろ」


 ジャンがカズヤの右手をとって、人差し指と中指をなめる。思わせぶりで誘うような目つきだ。

 ぴちゃぴちゃといやらしい音をたてる。

「俺の指、おいしい?」

「…おいしいよ…食いちぎってもいい?」 

 よだれだらけにされた指を口の中からひきぬいて、唇を合わせる。

 舌をからませて、キスをする。何回も触れては離れる。

「…いいかげんに…ヒロにちょっかいだすのはやめろよ…」

「なんで? 君とはこういうことしてるのに?」

「俺はいいんだよ…」

「俺がいい男だから、ヒロを取られると思ってる?」

「……」

 その心配はない。ないと思いたい……

 でもこの男にかかったらどうなるか心配だ。

 首筋に唇がはう。味見をするようになめられる。

 なれた手つきが肌をすべっていく。まさぐられてぞくぞくする。

「や…めろ…」

「え? ここがいいの?」

 もてあそばれるのが気に入らない。

 相手が5歳ほど年上でも、男でも、カズヤの中にはオスの本能しかない。

 多分相手もそれはわかっている。

 組み敷いて、支配して、犯すのは自分なのだから……

 きれいな顔の右半分についた傷あとをなめる。

「…どうせなら、きれいなほうをなめろよ…」

「いやだね。顔の傷、どうして消さないんだ?」

 ジャンはため息をつく。

「…こっちのほうがいいっていう奴が多いからさ…お前もそうだろ? そそるだろ?」

「そうかな……」

「お前のきれいな顔にもおそろいの傷をつくってやろうか?」

 のどの奥でくくっと笑う。

 この男は危険な男だ。簡単にやってのけるだろう。危険で美しい獣のような男だ。

 怖い、ぞくぞくする。刺激的で魅力的だ。

「それもいいかもな」

 しっかり筋肉のついた引き締まってしなやかな身体だ。美しいと誰もが思うだろう。

 服従させたいと思う。自分のものにして、自分だけに従わせたい。

「なめろよ」というと素直に口に入れる。

 指をなめるときよりももっとていねいに、ゆっくりと、おいしそうになめてくれる。

 熱い波が、快感が腰から全身にひろがっていく。

「…もういいよ」

 口からひきぬいて相手を四つんばいにさせて後から犯す。

 はあはあというあえぎ声とうめき声が充満して、やがて達する。悦楽の液体を相手の体内に注ぎ込む……


「俺、総受けでいいからヒロもいれて3人でやろうよ」

「まだいうか。やめろ。ヒロがけがれる」

「ひどい…」

 ジャンが顔をかくして肩をふるわせる。

「…泣きまねはやめろ」

「……ばれたか」

 ちっと舌打ちして、顔をあげる。笑っている。

「王様ぶりが板についてきたね、カズヤ。その調子でボスになっちゃいなよ」

 軽いノリでそんなことをいう。

「そのことなんだが、貴様どこまで知ってる?」

「いきなり貴様よばわり? 俺の地位の急降下振り、ひどくない?」

「いいから、知っていることを全部話せ」

「わかったよ…といっても、それほどくわしいわけじゃないけどね…組長に聞いたほうが早いよ。彼、エレクトロン金貨を持ってるから」

「エレクトロン金貨?」

 ジャンは面倒臭そうな様子で、

「……えーとね…」


   * * * * *


 2年後……

 12月24日、シオンの21歳の誕生日、イギリスの秘密の場所で評議会の集まりが行われた。

 世界中から集まってきた12人の評議員とそのお供たち。

 カズヤはヒロをつれてきており、ジャンが護衛についている。

 シオンにはとうとう何も説明されず、ただのパーティーと思って連れてこられている。ベルとギルが一緒だ。


 その部屋は一風変わっていた。

 3方向にドアがあり、中はアクリル板で3つに仕切られている。

 一番大きな場所には大きな丸テーブルがあり、12人の評議員が腰かけている。周囲にはボディガードたちが控える。

 片側は二つに区切られ、シオンとカズヤのために豪華な一人掛けの椅子が、お互いと評議員の両方が見えるように少し斜めに向けて置かれている。シオンがその椅子に腰をおろすと、両脇にベルとギルが立った。カズヤのほうは両脇にヒロとジャンが立った。

 ギルはコンコンと部屋を仕切るアクリル板を叩いてみた。厚さ10センチはありそうな強化プラスチック製で、水族館に使われそうな代物だった。

 話し声は普通に聞こえる。スピーカーが設置されているようだ。

 ベルはいつものように無表情で何を考えているのかわからない。ギルは緊張でドキドキしっぱなしだ。シオンは大人しく腰をおろしていたが、仕切りの向こうの同い年くらいの青年の横に控えているのがジャンだというのには気がついた。右頬の十文字の傷あとは見間違いようがない。肩に置かれたギルの手をぎゅっと握りしめた。

 今から何が起こるのだろう?


 評議員たちがひととおりあいさつをかわして席につくと、あたりはしんと静まり返った。

 彼らは自分の前のテーブルの上にライオンの顔が刻印された金貨をそっと置いた。

 イザベラが立ち上がり、開会を宣言した。

 金髪をショートカットにした青い目のかんろくのある女性だった。意志の強そうな口元をしていた。

「…評議会の開会を宣言いたします……本日の議題は、かねてより懸案だった次のボスを誰にするかという、組織としての意志決定です。……シオンを次のボスにするという案に賛成の方は挙手をお願いします」

「えっ?」

 シオンは耳を疑った。僕がボス?

 挙手をしたのは3人だけだった。その中には自分の屋敷で執事をしている老人もいた。そしてベルの夫のフランシス。

 手をあげない者たちは見たこともない人たちで、黒人やアラブ人もいるようだった。

 この人たちは多数決で何を決めようというのだろう? 

 イザベラが勝ち誇ったように宣言した。

「否決されました。ありがとうございます」

 席を立ち、シオンたちの前に歩み寄る。そして命令した。

「……ラモール、組織の意志により命令します。シオンを殺しなさい!」


 次に起こったことは、シオンの想像を絶するできごとだった。

 ベルが拳銃を抜いてかまえ、シオンを狙う。

 その前にギルが立ちはだかる。

 ベルはかまわずに引き金を引く。

 パンパン…と続けざまに5発。

 撃たれるたびにギルの身体は跳ね、やがて崩れ落ちた。

「ギル!」

 シオンがかけよりその身体をかき抱く。

「しっかりして! 死んじゃだめだ!」

 泣きながらベルを見上げる。

「なんで?」

 ベルはその額を打ち抜いた。

 シオンはがくりと首をのけぞらせ、そのままゆっくりとギルの上に倒れた。


 目の前で繰り広げられた惨劇に、ヒロは言葉もなく立ち尽くした。

「…静かにしてろ。まだ終わりじゃない…」カズヤがささやく。

 イザベラが笑った。狂気をはらんだ笑い声だった。

「ノアール、ラモールを殺して!」

 カズヤとシオンをへだてていたアクリル板が上へゆっくりと上がっていく。

 ジャンは銃をだして構えた。

 ベルは素早い動作でカートリッジを交換し、イザベラへ向けて発砲した。

 イザベラの高笑いが続く。

「無駄よ! その強化プラスチック製の隔壁は弾丸を通さないから!」

 ベルは続けざまに発砲した。

「それはどうかしらね?」

 はじめてベルの顔に表情が表れた。薄く笑っていた。

「15年前にこうすればよかったわ」

 針の穴を通す正確さで同じ部分に発射された弾丸は、強化プラスチック製の隔壁をえぐって、6発目にイザベラに届いた。

 イザベラは胸を撃ち抜かれて倒れた。

 評議員たちが騒然となって立ち上がる。

 かけよった一人がイザベラの脈をとり、首を振った。

「…死んでる…」


 ベルは再度カートリッジを取り替える。

 ジャンへ銃口を向ける。

 ふたりを隔てるアクリル板が上がりきる前に、膝をついてジャンが撃った。

 ベルは胸を撃ちぬかれ、よろめいた。

 ごふっと口から血を吐いた。が、なおもジャンに銃口を向けようとする。

「…ノアール…最後のレッスンよ…組織に使い捨てにされる者の最後…見ておきなさい…」

 ジャンはベルの額を撃ち抜いた。

 ベルの身体が崩れ落ちる。

 血と硝煙の匂いがあたりに充満していた。

「…見届けたよ…師匠…」


 ヒロはもう立っていられなかった。

 一体これは何だ? 何人死んだ? 目の前で、一体何人の人間が死んだんだ?

 カズヤが立ち上がり、ヒロを抱きかかえて自分の椅子にすわらせた。

 ぐったりするヒロにカズヤがささやく。

「…しっかりしろ。もうすぐ終わる…」 


 評議員たちとの間を隔てるアクリル板も上がっていく。

 床に転がる死体は4つ。しかし、彼らが見ているのはもう死体ではない。カズヤだ。

「…それで、次のボスは誰に決まったんだ?」カズヤが聞く。

 彼らは顔を見合わせる。

 ボス代行のイザベラが死に、ボス候補ナンバー1だったシオンも死んだ。なら多数決を取るまでもない。カズヤで決まりだ。

 評議員のひとりが床にひざまずくと、次々にみなが膝をついた。

「我々は、新しいボスに忠誠を誓います」口々にいった。

 カズヤはうなづいた。

「わかった。皆の忠誠を受け取る……俺が新しいボスだ」不敵な笑みで続ける。「イザベラの金貨をジャンに与える。異論のある奴はいるか?」

「え? 俺?」

「そうだ。お前の母親はロマで父親はスコットランド人だったろ? イギリス支部をまとめてくれ」

 誰も異論を挟まなかった。

「……わかったよ」

 ジャンもその場にひざまずいた。

 カズヤは集会の閉幕を宣言した。

「評議会を終える。みんな次の集会まで元気でな」


 ジャンがテーブルまで歩き、イザベラの金貨を取ってポケットに入れた。

 そこへ誰かが歩み寄り、何事かを耳打ちする。

 ジャンはカズヤのそばにきて声をかける。

「栄転にみせかけて左遷か? うまく考えたな」

「さっき思いついただけさ。お前をヒロのそばに置いとくのは危険すぎるからな」

「俺としたことが、2年もあったのにモノにできなかったとはな……お兄ちゃんのブロックが鉄壁すぎる」

「当然だろ? そのために生きてるんだから」

「……俺はここに残れってさ。イザベラは心臓マヒで急死ってことにするそうだ。盛大な葬儀をするらしい……残念だよ。日本は気に入ってたのに……こっちが落ち着いたらヒロをつれて遊びにきてくれ。じゃあな」

 ひらひらと手を振って行ってしまう。

 次に話しかけてきたのは父親だった。

「上出来だったぞ、カズヤ」

「ハッタリだよ。ホントは足がガクガクだった。ヒロのやつ自分だけさっさと気絶しやがって」

「ああ、もう少し鍛え直さんといかんな」

「いや、ヒロはこれでいいんだよ。あっちのシオンて奴も似たようなもんだったろ?」

 椅子の足を軽くコツンとける。

「ボスの椅子か……ケッサクだよな。あいつらホントは誰に忠誠を誓ったか、知らないんだぜ」

「カズヤ…」たしなめるように言う。

「誰も聞いちゃいないよ……ジャンは気がついてるけど…ヒロが本当のカズヤだってことも。あいつが気がついてるのを俺が知ってるのも……」

「……それは由々しき問題だな……」

「そんな怖い顔するなよ。大丈夫、俺が全部うまくやる…」


 フランシスはベルの死体のそばにひざまずき、その手をとった。

「仮にも妻だった女だ。俺が死体の始末をする…そっちのふたりの死体は外のトラックに、イザベラ様の遺体は1階の医務室へ運べ。丁重にな」

 4人の死体は防水シートに包まれて運ばれていった。

 フランシスは繊維業を営む会社の会長だ。いろんな国に支社があり友人がいる。

 この秘密の場所の設計や建築や警備にも関わっていた。

「強化プラスチックじゃだめだな。もっといい素材が必要だ……」

 ひとりごとのようにつぶやいた。


 古いトラックの荷台にシオンとギルとベルの死体が乗せられた。

 運転席にいる部下に、

「車に発信機はつけられてないか?」と聞く。

「大丈夫です。検知器もつかって、念入りに調べました」と部下が答える。

「俺が運ぶ。どこに捨てるか考えてある。こういう場合を想定して」

「俺も手伝いますよ」

「いや、お前は後片付けを頼む。イザベラの死体をきれいにして自然死の診断書を医者に書かせろ。それから他の評議員が全員無事に出発するのを見届けてくれ」

「了解しました」

 部下にかわって自らハンドルを手にした。


   * * * * *


 すべて計画どおりだ。

 フランシスはともすればアクセルを踏み込みそうになる足をけんめいにこらえた。

 怪しまれないように、目立たないように車を走らせなければならない。

 最初に目がさめたのはベルだった。

 うーん、とうなって防水シートをかきわけて身を起こす。

「生臭いわね…」

 かたわらの大き目のリュックからペットボトルを出してうがいをし、窓の外へ吐き捨てた。

 彼は運転席と荷台の間の窓から、バックミラーで後をうかがう。

「血のりか?」

「そうよ。口の中に仕込んでおいたの。迫真の演技だったでしょ?」

「…本物の死体にしか見えなかったよ…」

「蜂の身体から抽出した神経毒よ。心臓と肺の動きを通常の10分の1に抑えるわ。仮死状態ってわけ。血のりを仕込んだ特殊ペイント弾と組み合わせて使ったわ。本当に撃たれたように見えたでしょ?」

「ああ、大惨事だったよ……よく、ノアールが協力してくれたな?」

「そこだけが賭けだったわ。彼が協力してくれなかったら、この計画は成功しなかった」

 ベルは他のふたつの防水シートをあけて、シオンとギルの様子を確認する。

「ふたりとも大丈夫なようね」


「どうして2発撃たれたお前が先に起きて、1発だけのシオンがまだ起きないんだ?」

「わたしは耐性ができてるのかもね。自分で何回も試したから」

「……じゃあ、5発も撃たれたギルは大丈夫なのか?」

「タフだから大丈夫でしょ。でも、もし死んだら死体はどこかに捨てて、シオンを好きにしたらいいわ」

「…妙な誘惑をするなよ…」

 ベルはふふっと笑って、

「あなた善人だものね……それより、ボスはどうなったの?」

「予定どおりカズヤがボスになった。イザベラの金貨はノアールに譲渡された」

「あら、面白いことするわね」

「お前の生んだ息子がボスだ……どんな気持ちだ?」

「それがね、何にも感じないの。生んですぐ取り上げられたからかしら……わたしには関係ないって感じ。シオンの方がよっぽど可愛いわ」

「その割には情け容赦ないな。シオンにはこれが狂言だって教えてなかったんだろう?」

「教えてたらあんな悲痛な叫びは上げられなかったでしょ?」

「そうだな…胸がかきむしられたよ」

「そうでなければ誰もだませないわ」


 ベルはハサミを出して長い髪を切った。ビニール袋にいれてリュックにしまう。それから男物の服に着替えて、あごひげをつけた。どこからみても完璧な男に見える。しかもイケメンだ。

 それからメスなどの入った手術道具を取り出した。

 ゴム手袋をつけ、シオンの左の鎖骨を消毒し、メスで切り開いてピンセットでGPS機能つきのマイクロチップを取り出す。傷あとを手術用のホッチキスでとめる。あざやかな手並みだった。右のかかとのチップも同じようにして取り出す。

 カメオのロケットをパチンとあける。

 22年も前の自分とシーナが仲良さそうに並んでうつっている写真が入っている。その上に2枚のチップをのせて、パチンと蓋を閉めた。ロケットを首から下げる。

「それをどうするんだ?」

「ドーバー海峡に沈めるわ。沖へ1キロくらい行ったところへ」


 用意していたバイクのところまできた。

 ベルはフランシスに礼を言う。

「ありがとう。あなたはわたし達の命の恩人だわ」

「あの時、約束したからな」

「あんな昔の約束を憶えていてくれてありがとう……今ならふたりとも眠ってるから、シオンにいたずらしてもわからないわよ」とウインクする。

「……また妙な誘惑をする…俺は毎日あの絵をながめて暮らすことにしたんだから」

「そうね、あなたが一番欲しかった頃のシオンの絵だものね。あの絵の中ではシオンの魔性と聖性が融合してる。あのときシオンの少年期は終わってしまったけど、絵は永遠だものね」

「俺にはただのいやらしい絵だけどな」

 ふふふと笑って、フランシスの唇にキスをした。

「…どうせなら、美女のときにしてほしかったな」

「…あとはお願いね。さようなら」

「元気でな」

 リュックを背負ってヘルメットをかぶり、バイクは走り去った。[newpage]


 シオンが目ざめたとき、まわりには誰もいなかった。

 当たりを見回して、そこが見知らぬ場所、見知らぬベッドの上なのに気づく。

「うわああああ……」

 突然、自分の声ではないような獣じみた悲鳴を上げた。

 そして激しく泣き始めた。 

 涙はあとからあとから湧いてきた。

 心が壊れてしまいそうだった。

 ギルが死んだ……

 ベルが自分を殺した……

 生きているのだから殺されてはいないのだが、それは頭になかった。

 自分に向けて引き金をひいた無表情なベルの顔だけが記憶にあった。

 誰かがドアをあけて部屋に入ってきた。

 シオンを力強い手で抱きしめた。

「悪かった。ひとりにして。少しまわりの様子を見に行ってただけなんだ」

 ギルだった。


 泣きじゃくるシオンを抱きしめ、髪をなで、頬にキスをして、涙をなめとってくれた。

 少しづつ気持ちが落ち着いてくる。

「大丈夫か? シオン…」

「…………ギル?」

「そうだ。俺だよ。わかるな?」

「……うん……生きてるの?」

「そうだよ」

 わけがわからなかったが、腕の中はあたたかくて気持ちよかった。

「……もう、どこへも行かない?」

「うん」

「僕をひとりにしない?」

「うん」

「僕より先に死なない?」

「うん」

「ずっと一緒にいてくれる?」

「うん」

「……本当?」

「うん」

 それでようやく安心した。

 安心したら眠くなった。

 それでまた眠ってしまった。


 シオンの様子がおかしかった。

 ぼうっとしていて、話しかけてもうつろな返事しかしない。

 あれは全部芝居だった、シオンの生命を守るためには死んだことにするしかなかった、と説明しても理解できないようだ。

 食事をさせ、服を着替えさせ、面倒をみた。

 少しでもギルの姿が見えなくなると不安になるようで、ついてまわる。

 シャツのすそを握って離さない。

 そして時々理由もなく泣いている。

 声を殺して泣いている姿は、とても哀れだった。


 計画は間違っていたのではないかと思った。

 ベルはシオンに知らせるべきではないと言ったが、こんなにもショックを受けるとは思わなかった。

 目の前でギルが血まみれになって死に(血のりだったが)、自分もベルに撃たれたというショックがシオンの精神をおかしくしてしまったのだ。

 以前にもシオンは記憶喪失になっている。そのときはシモーヌという女性の人格になっていたらしい。

 今はそれとは違うようだ。第3の人格? よくわからない。

 キスをして抱きしめる。

 まるで人形を抱いているようだ。

 嫌がるわけではないが、以前のような反応はない。

 美しい、魂のない人形のようだった。


 ギルが最初に気にしたのは安全の確保だった。

 棚に猟銃が2本と100発入りの弾丸の箱が5箱はいっていた。敵に襲われたら心もとない。だが向こうは自分たちを死んだものと思っているはずだ。強盗くらいなら素手でも対処できる。山から熊や狼が現れたら、これで十分だろう。

 

 山奥の小さな家。電気も水道も通っていない。 

 近くに小川が流れていたので、洗濯は川で行った。雪解け水は冷たかった。防寒着を目一杯着せて、シオンをつれていく。ギルが袖をまくって冷たい水に両手をつけて洗い物をするのをじっと見ている。ときどき自分も川の水に手をひたして、あまりの冷たさにびくっと手をひっこめる。そしてギルを見てちょっとだけ笑う。ギルの手が真っ赤になって冷たくなっているのを自分の手であたためて息をふきかけてくれる。

 幸せだなあ、とギルは思う。

 夜は暖炉でマキを燃やして部屋をあたためる。外は雪が降っている。毛布を何枚もかけて抱き合って眠る。

 セックスはしてもしなくてもいいような気になる。もちろん何度でもしたい気持ちはあるが、腕の中ですやすやと眠っている顔を見ているだけでも幸せな気持ちになる。

 暖炉の上でパンと卵とソーセージを焼き、ふたりで食べる。シオンは少ししか食べないが、以前から食は細いほうだったので、あまり気にしないことにした。ギルが先に食べてしまうと自分の分をわけてくれる。ギルは俺が食べすぎなのかなと思う。でも雪かきもしなければならないし、マキ割りもしなければならないし、やることが多くてお腹がすくのだ。おいしそうにふたりで食事をしていると、とても幸せな気持ちになる。

 食料品や日用品は山のふもとの商店から週に一度届けられる。支払いがどうなっているのかわからないが、請求されないのでそのまま受け取るだけだ。欲しい物を言えば次のときに持ってきてくれる。

 あるとき、一匹の子犬が届けられた。それはゴールデンレトリバーのオスの子犬で、とても賢そうな顔をしていた。シオンはとても喜んだ。可愛がって、ドッグフードと水をやり、家のまわりをぐるぐると散歩させた。名前をつけることにしたが、よい名前が思いつかなかった。シオンが、ギルと呼び始めたので、それだけはやめてくれと頼んだ。ふたりで笑った。結局犬はドギーと呼ぶことになった。


 確かに昔のシオンではない。いきいきとして小悪魔的な魅力であっという間にギルをとりこにした、あのシオンではない。でもそれでもかまわないとギルは思った。大人しくて、優しくて、ピュアな心を持っている。確かに寂しがりやで手がかかるが、それでもいいではないか。

 シオンはシオンだし、ふたりでいれば幸せなのだから。


 春になって、雪がなくなり、小川のまわりや野原には小さな名前も知らない花が咲いた。

 シオンは野の花をつんできて、空き瓶やふちが欠けて使えなくなったコーヒーカップなどに入れ、窓際やテーブルの上に飾った。それだけで粗末な家の中が柔らかな雰囲気になった。

 

 夜、オイルランプのあかりがゆらゆらと部屋を照らす。

 シオンにキスして、裸にして、抱きしめる。シオンはされるがままで、ちょっとだけやましい気持ちになる。

 シオンは小さな子供にもどったような感じなのだ。世話がやけるのも、ギルの後をついてまわるのも、ときどきわけもなく泣いているのも。だからセックスするときは小さな子供を相手に自分の欲望だけを満たしているようで少しやましい気持ちになる。もちろんシオンの身体は大人で、なめたり、こすったりしてやればちゃんと射精する。反応が薄くて、ふうっと深いため息をつくだけだから子供にいたずらしているような気持ちになってしまうのだが……

 でも時々は無性に抱きたくなる。強く激しく、つながりたくなる。

「好きだよ…愛してる…」とささやく。

 シオンが聞く。

「好きってどういう意味? 愛してるってどういう意味?」

 ギルは考える。

「……一緒にいたいってことかな……一緒にいると幸せだってことかな……」

「…幸せってどういう意味?」

「こういうことさ……」

 シオンの身体のすみずみまで愛撫する。キスをして、うなじをなめ、胸をなめる。唇が触れていないところがないくらいにする。それからゆっくりと後ろに入れる。はあと熱い吐息をもらす。身体をゆする。

 シオンの腕がゆっくりと彼の背中にまわされる。

「……僕も…ギルが好きだよ……愛してる…」

「……シオン……シオン……」

 耳元でささやかれる言葉は甘く、ゆっくりと胸をとかしていく。


 朝、目がさめるとシオンが裸のままで窓の外を眺めている。

「まだ寒いから、そんなかっこうのままでいたらだめだ」

 毛布で包んでやり、ベッドにつれもどす。

 冷たくなった身体を自分の体温であたためてやる。

 シオンが微笑む。あでやかな微笑みだった。

「……何だか、とても長い夢を見ていたみたい……ギル、おはよう…」

 シオンの魂がもどってきたのを感じた。全身がふるえる。

「…一緒にいてくれてありがとう……優しくしてくれてありがとうね……」

 シオンが不思議そうに聞く。

「…どうして泣いてるの?」

「泣いてなんかねえよ」

 抱きしめて、キスをする。

 幸福感で胸が一杯になる……





                     END



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翼のない天使 ジャスミン・K @wvrdg299

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