第5話 エトランゼ

 夜明け前、悲鳴を聞きつけてその部屋にやってきた執事は、あわてて奥様に、つまりベルに電話をかけた。

「アトリエが血だらけです。画家の先生は死んでいます。坊ちゃまは気を失っておられるようです」

 ベルはあまりのことに絶句した。よもやそんな事態になろうとは想像もしていなかった。事故か自殺か殺人か。殺人だとすればシオンが犯人だろうか? 迷っているひまはない。

「警察と救急車へ連絡を。わたしもすぐ行きます」

 身支度を整え、車でシオンの屋敷へ向かう。

 そういえば画家の様子がおかしかった。消耗していたし、赤い色がどうとか、天国のような地獄とか、妙なことを言っていた。シオンもやつれたようだった。でも芸術家というものは自分の仕事に夢中になると少々エキセントリックなものだし、普段の彼はとても穏やかでまともそうだったので、すっかり油断していたのだ。

 屋敷へ着くとパトカーと救急車はすでに到着していた。シオンの身体が毛布に包まれストレッチャーに乗せられていくのが見えた。彼女は走りよってシオンの手を取った。

「シオン! シオン!」

 少年の顔は青白く、目は固く閉ざされたままだ。

「ご家族の方ですか? 一緒にどうぞ」といわれ、

「はい」と付き添うことにする。

 病院までの道のりをとても遠く感じた。

 

 幸いシオンに目立った外傷はなく、精神的なショックで気を失っているだけだろうとのことだった。念のためMRIも撮ってもらった。どこも異常はないという。しかし頭を打っていれば一週間後くらいに症状が出ることもあるというので、しばらく入院させてもらうことになった。偶然7年前にシオンを診察した医師がまだいて、以前のものと脳のMRI画像を見比べてもらう。

「憶えていますよ。シオン君ですね。印象的だったから……ここの部分に欠損があったのが、きれいに消えています。成長とともに自然に治癒するのではないかという僕の予想が当たりましたね」

 つい最近までシオンは複数の男性を相手に遊んでいたようだったが、それは言わないでおいた。脳の損傷が治っているというのなら、素行も良くなるかもしれない。

 シオンの病室へもどり、目を覚まさない顔をじっと見つめて物思いにふけっていると、警官がふたり病室へ入ってきた。


 ふたりはパリ市警の者だと名乗り、ベルに事情聴取をしたいと申し出た。

 ひとりは若くもうひとりは中年といったところか。

 ベルは了承し、シオンの部屋をでて、廊下のすみの長イスで聴取を受けた。

「今朝は屋敷におられなかったようですが、どこにいらっしゃいましたか?」

 さっそくアリバイ調べか。

「昨夜は仕事場の2階に泊まりました」

 店の住所を伝えると、警官のひとりがそれをメモした。

「それを証明する人は誰かいますか?」

「恋人といっしょでした」

「どなたですか?」

 ベルはため息をついて、

「わたしを犯人だとお疑いでしたら、弁護士を呼びたいのですが?」

 警官ふたりは顔を見合わせて、

「つまり、恋人といっしょだったが、相手の名前は言いたくないと?」

「プライベートなことなので」

「わかりました。事件の概要はご存知ですか?」

「いいえ。執事から電話があり、画家の先生が血まみれで倒れていて死んでいるようだというので、警察と救急車に連絡するよう言いました。屋敷についたらシオンが救急車に乗せられるところだったので、同乗しました。まだ事件のあった部屋も見ていません」

「なぜ執事は我々にでなく先にあなたに連絡したのですか?」

「わたしが女主人だからでしょう。執事というのはそういうものではありませんか?」

「執事というのは警察より女主人を優先するものなんですね? 彼に事情聴取しようとしたら、あなたに聞いてくださいの一点張りで困っていたんですよ。第一発見者なのに……あなたから我々に協力するよう伝えていただけませんか?」

 なるほど、あの執事ならそう言いそうだ。それで何かを隠していると思われているのか。

「わかりました。何でも協力するように言っておきます」

「テオ・ベルナールさんとは親しかったのですか?」

「それほど親しかったわけではありませんが、何度か食事をいっしょにしました。少し話をしましたが、穏やかな分別のある方だと思いました」

「1ヶ月程前から、あの屋敷に泊まりこんで絵を描かれていましたね。それはご存知でしたか?」

 知らないわけがない。なぜそう遠回しに聞くのだろう。

「彼…テオには3ヶ月ほど前にシオンの肖像画を描いてもらったのです。それが完成したのでもうお会いすることもないと思っていたのですが、1ヶ月程前に訪ねてこられ、シオンをモデルにして天使の絵を描きたいと言われたのです」

「それからずっと宿泊されていたのですね。昨夜まで」

「そのとおりです。絵が完成したら一度家へ帰るとおっしゃっていました」

「シオンさんの意識が回復したら事情をうかがいたいのですが、よろしいですか?」

 それはもちろんそうだろう。でもシオンが何かまずいことを言うかもしれない……

「あの子はまだ14歳で……明日で15歳になりますが……今度のことでとてもショックを受けていると思われます。できればそっとしておきたいのですが」

「……それもそうですね。とりあえず検死と現場検証がすんでからまた考えましょう」

 検死と現場検証か……自然死でないのなら仕方がない。

 あの屋敷に何かまずいものを置いていなかったろうか。お店の方も調べられるかもしれない。徹底的に調べられたら困ったことになるかもしれない……

 

 パトカーにもどったあとで年長の警官が若い方の警官にいった。

「どう思った?」

「非常に落ち着いていましたね」

 年長の警官はうなづく。

「屋敷で人が死んで、子供は意識不明、普通はもっと取り乱したりするものだろう?」

「そうですね」

「なんかキナ臭い」

「お得意のカンですか?」

「カンじゃない。経験だ」

 彼女の冷たい視線が気になる。あえていえば連続殺人犯のほうがまだ人間臭い目つきをしている。


 検死の結果、画家が死んだのは深夜0時から2時の間。死因は左手首の切創からの出血死。傷はごく近くに2箇所あり、片方は浅かったが、片方は深く動脈まで達していた。ほかに外傷は見当たらない。傷口を押さえようとしたあとはないという。

 現場検証ではいろいろと興味深い事実が発見された。遺書は見あたらない。凶器と思われるペディナイフはテーブルの上にのっており、指紋は画家本人のものしか検出されなかった。パレットと油壺と絵筆からも血液が検出された。それらにも画家本人の指紋しかなかった。どうやら死ぬ直前まで絵を描いていたらしい。しかも3枚あった絵の赤い絵の具の部分から血液が検出された。つまり赤い絵の具に自分の血を混ぜて塗り上げたというわけだ。常軌を逸した行動だった。

 足跡の問題もあった。絵の正面側には画家の足跡だけが無数にあり、少年の足跡は血の上を歩いた数歩分だけ。

 屋敷の人間の話によると画家と少年は愛人関係にあったらしい。少年を絵のモデルにしながら情交をかわしていたという。

 3枚の絵はどれも教会関係者がみたらぎょっとするような絵だった。1枚目は天使がキリストにリンゴを差し出している。2枚目は天使が背中の羽を切り取られてうつぶせで苦しんでいる。落ちた翼と画面を覆う無数の羽毛。この絵にキリストはいない。3枚目は死んだキリストを抱く悪魔になってしまった天使が血の涙を流している。扇情的で背徳的な絵だった。画家はシオンを天使にキリストを自分になぞらえたのか? 

 現場検証の結果からすると画家は自殺の線が濃厚だった。 

 自分の娘のような年齢の少年と愛人関係になり、家庭を捨てて少年の屋敷に住み着き、背徳的だが美しい絵を描きあげたあげく自殺した……そういう図式が見えてくる。

 画家の妻と娘は連絡を受けて警察病院に駆けつけた。随分と待たされたあげく、検死の終わった画家の死体と対面して文字通り泣き崩れた。

 少年は未成年なので名前は伏せられたが、画家の自殺はセンセーショナルな事件としてマスコミに取り上げられた。


 シオンは3日ぶりに目をさました。

 そして記憶をなくしていた。

 ベルを見て、「あなたはどなたですか?」とたずねてくる始末だ。

 最初は冗談かと思ったが、どうも様子が違う。

 診察を受けた結果、シオンは解離性健忘症にかかっているという。

「精神が耐えられないほどの衝撃を受けた時に無意識のうちに記憶を閉ざして防衛しようとするのです。おそらくテオさんの自殺がショックだったのでしょう」

「なおりますか?」

「なんともいえませんねえ。ごく短期間で記憶がもどるかもしれないし、一生もどらないかもしれません」

「一生……」

「それより問題なのが、シオンさんが自分を女の子だと認識していることです」

「…………」

 あまりのことに言葉もでない。

「LGBT…性同一性障害といいますが、肉体の性別と心の性別が違っている状態です。シオンさんは身体は男性ですが心は女性なのです。もしかしたら、解離性健忘になる前からそうだったのかもしれません。それが今回表面に現れたのかも……」

「……それはなおるのですか?」

 なおるといってほしかったが、

「これはなおるとかなおらないとかいった問題ではなく、脳の発達に関係する問題です。治療法としてはカウンセリングとかホルモン療法とか性転換手術とかいろいろ考えられますが……」

 性転換手術……

「でも記憶がもどればシオンが自分は男の子だったと思い出す可能性もあるわけですよね?」

「うーん……」

 医師は頭を抱えて悩んでいる。

 シオンがニンフォマニアと診断されていた時、彼の遊び相手は男性に限られていた。女性でもよかったのに。とすればその頃からLGBTだった可能性が高い。これは由々しき事態だ。

 とにかくもう少し様子をみよう。彼女はそう結論づけた。

「わかりました。ありがとうございました」


 先日会った刑事から連絡があった。

 テオの死は自殺だと断定されたと。それでシオンへの事情聴取もしないと。

 ベルは胸をなでおろした。今はシオンをそっとしておきたい。記憶をなくしていることも話さなかった。話す必要はないと判断したから。

 彼女は、あれは自殺でもないと思っている。テオは赤い絵の具の色に不満があり、本物の血を混ぜたらどうかと思っただけではないだろうか。注射器などで必要な分だけ抜き取ればいいものを、手首を切って死んでしまうなんて、あまりにも愚かすぎる。あれは事故に違いない。

 しかし、それも話さなかった。自殺で片がつくのならそれでもいい。シオンに殺人犯の汚名がきせられないなら何も問題はない。

 

 画家の葬儀は雪のちらつく寒い日にひっそりと行われた。参列者は少なかった。

 カトリックでは自殺は殺人と同じくらい罪深いものとされる。

 ベルは黒い服を着て、離れた所からその様子を見守った。今にも倒れそうな妻とそれをささえる娘。

 気の毒だという思いはない。

 べルはテオに腹を立てていた。もし生き返ってきたら自分の手で殺してやりたいくらいに。

 彼女の大切なシオンをあんな状態にしてしまったのだから。

 彼女は誰にも言葉をかけずその場を立ち去ろうとしたが、それを目ざとく見つけた者がいた。

 テオのマネージャーだった男だ。

「近いうちにお屋敷へ、例の3枚の絵を引き取りにうかがいます」

 彼の目は悲しみと怒りで真っ赤になっている。

「あの絵はシオンを描いたもの。シオンのものです」

「いいえ。テオの作品はすべてテオのものです。僕はテオのマネージャーです。あの絵は正式な依頼を受けて描かれたものじゃない。だから絵の所有権はテオにあります。つまり、今はあの奥さんと娘さんのものというわけです」

「…絵を持っていってどうするの? まさか破って捨てるつもり?」

「そんなことしませんよ。彼の最後の作品だ…オークションにかけます。きっと高値がつくでしょうね」

「あなたシオンの姿を皆の前にさらすというの?」

「魔性の美少年がモデルですからね、きっと高く売れると思いますよ」

 この男は何ということをいうのだ。

「渡しません」

「裁判を起こしてでも手に入れてみせます」

「裁判?」

「今、あのふたりがどんな目に会ってるか、あなたにわかりますか? 夫が、父親が自殺し、世間の好奇の目にさらされ、今まで尊敬されていた絵が教会の壁からはずされる……売約済みだった絵がキャンセルされ、依頼されていた絵が違約金をとられる。社会的にも経済的にも抹殺されようとしているんですよ。僕はせめてあなたから慰謝料を取りたい。テオを殺してしまったあなたからね」

 挑戦的な目だった。

 なるほどあの親娘も被害者なのか。

 裁判をするか、絵を渡すか、この男を始末するか……

 少し考えて、ベルは答えた。

「わかりました。絵は渡します。オークションでセリ落とせばいいだけの話ですからね」

「は?」

 戦闘意欲まんまんだった男は肩すかしをくったようだった。

 ベルはきびすを返し、男に背を向けた。

 今はできるだけ穏便にすませるほうがいい。これ以上の事件はいらない。


 シオンの記憶は短時間でもどるかもしれないと医師は言った。

 ベルは期待して待ったが、1年たち2年たっても記憶はもどらなかった。

 スカートをはき、すっかり女の子の仕草になったシオンにベルはとまどった。

 あの、寂しそうな瞳をした少年はどこへいってしまったのだろう?

 性格もすっかり変わり、おとなしく人見知りで昔のシオンを知っている人から見たらまるで別人だ。悪い遊びなんか影も形もない。残念がっている男たちが山ほどいるに違いない。

 LGBTの診断書を学校へ提出して、女性として扱ってもらっている。

 私立の中学からリセへ進み、今は2年生、17歳だ。3年目がすぎようとしている。


              *   *   *

 

 彼女はシャンゼリゼ通りのイチョウの木の下のベンチに座って本を読んでいた。

 秋、イチョウの木は黄金色に色づき、歩道に敷き詰められたイチョウの葉が黄色い絨緞になっている。

 夕暮れ時になるとどこからともなく現れて、小一時間そこで本を呼んだ後どこかへ帰っていく。それが彼女の日課のようだった。年の頃は17歳くらいか。多分リセの学生だろう。彼女はため息がでるほど美しかった。

 輝くようなプラチナブロンドの髪は肩の下まであり、ゆるやかに波打っている。瞳の色はライトブルー。まるで宝石のようだ。背が高く、ヒールがなくても180cmくらいありそうだ。ほっそりしたモデル体型。薄手のミストグレーのセーターを着て、チェックのダークブルーの膝丈のスカートをはいている。足元はくるぶしまでのショートブーツで色はダークブルー。彼女の髪と瞳の色によく似合っていた。

 シャンゼリゼ通りは彼の散歩コースで、初めて彼女に出会った時、思わず声をかけてしまった。

「こんにちは。何の本を読んでいるんですか?」と。

 彼女はゆっくりと顔を上げて本の背表紙をかかげて見せた。それは彼も大好きな小説家の作品で、

「あ、それ僕も持ってます。面白いですよね」というと、彼女はにこっと微笑んだ。花が咲いたようだった。


 会うたびにあいさつをするようになった。彼女がいないとがっかりした。

 彼女との距離は少しづつ縮まった。名前を教えあった。それからベンチの隣に腰掛けて少し話しをするようになった。他愛ない話だが、それが至福の時になった。彼女の名前はシモーヌ。リセの2年生。彼の名前はアドニス。ソルボンヌ大学の1年生だった。

 お互いが相手を憎からず思っているのは何となく感じられた。なら次はデートに誘ってみよう。彼は勇気をだして彼女をデートに誘った。

 女子に人気のクリームブリュレがおいしいというお店に彼女を誘う。彼自信は甘い物は苦手だったが、彼女がおいしそうにそれを食べいるのを見ているだけで幸福だった。

 コンコンと上のカラメルの部分を割る。下のプディングの部分と合わせてスプーンですくって口に運ぶ。

「おいしい……」びっくりしたように頬に手をそえる。

 なんて可愛いんだろう。彼は胸がじ~んとする。このお店を教えてくれた友人に感謝だ。

 肩を並べて通りを歩く。彼女の手がすぐそこにある。

 手を握りたい。だめだろうか? でも手を握りたい。

 手のひらが汗ばんでくる。だめだ、こんなべとべとした手では彼女に嫌われてしまう。手のひらを何度もスラックスでぬぐう。

 ああ、チャンスがいってしまう。

 彼女は、「今日は楽しかったですね。また誘ってくださいね」といってお店の中に消えていく。

 はああ、また誘っていいんだ。うれしい。よおし、また誘おう。楽しかったんだ。よかった。

 そのお店は高級そうなオートクチュールの店で彼が足を踏み入れていいようなお店ではない。でもここに入っていった。服を買いにきたのか? もしかしたら従業員の知り合いとか? また来てみよう。彼は家路をもどっていく。

 アドニスが引き返していくのをベルは店の中で見ていた。


「ただいま、ベル」

「おかえりなさい、シモーヌ」

 ベルはシモーヌを抱きしめる。ちょっとはにかんで顔をそらすのが可愛らしい。背の高さもちょうどいい。この2年半で身長が20cmも伸びた。手足が長くなり、頭が小さく申し分のないモデル体型になった。胸がないのがたまにきずだが、モデルに胸はいらない。本気でランウェイデビューさせたいと言ってくる人物が何人もいる。

 しかし本人はモデルになるよりリセで勉強するほうがいいという。

「食事の支度をするわね」

 シモーヌは2階の自宅への階段へ向かう。

「今日は何を食べさせてくれるの?」

「冷凍のカニがあったからカニのクリームパスタにするわ」

「おいしそう。楽しみだわ」

 趣味がお料理というのもいい。時々失敗するが、それも可愛らしい。2年の間にいろいろな料理を作れるようになった。テーブルをセッティングしてお花を飾ったりする。センスもいい。誰が教えたというわけでもないのに、本などを読んで自分流にアレンジしているようだ。

 髪を長く伸ばしたシモーヌはますますシーナに瓜二つになっている。身長も体つきも顔立ちも。ときどき錯覚してしまいそうになる。シーナが亡くなってもう11年になる。彼女を覚えている人もほとんどいない。業界の入れ替わりは激しいから。

 薄化粧にピンクのグロス。シーナはショーやスチール撮影以外ではほとんど薄化粧だった。肌の白さがきわだっていた。今のシモーヌのように。

 ベルは思う。シモーヌがずっとこのまま、記憶を無くしたままでいればいいのにと。顔も身体つきも性格もすべてが自分の好み通りの少女。登校前と帰宅後のハグはかかさない。服の上からぎゅっと抱きしめてあげられるのに。

 でもそれではだめなのだ。2年半待ったけれど記憶がもどる気配はない。ずっとこのままなのか、ある日突然記憶がもどるのか、わからないと医師はいう。

 何か強いショックを与えれば記憶がもどる可能性があるのだろうか?

 シモーヌは希望しているが、ホルモン療法や性転換手術をしたあとに記憶がもどれば、シオンは取り返しがつかなくなった身体を嘆くのだろうか。

 わからない……

 先の見通しはまったくたたない。


 アドニスとシモーヌは何度かデートを繰り返した。映画を見たり、ショッピングをしたり、ただ話しをしたり。街路をふたりで歩くだけでも幸せだった。

 手を触れ合う、手をつなぐ、それから肩を抱く。

 アドニスは勇気をだして少しづつシモーヌにアプローチした。彼女は恥ずかしそうにしているが、決していやそうではない。

 ある日、彼は彼女にキスをした。イチョウの葉が舞い落ちる中で、見つめあい、そっと抱きしめて、軽く唇を触れ合った。

「好きだ……愛してる」

「……わたしも……」

 天にも上る心地だった。

 でも、よく見ると彼女は泣いていた。

「どうしたの?」

 おろおろしながら聞くと、彼女はつらそうに、

「わたしはあなたに話していないことがあります……LGBTってご存知ですか?」

「聞いたことはあるけど……」

「……性同一性障害……わたしは心は女性ですが、身体は男性なんです……」

 驚いた。シモーヌが男? 信じられない。

 彼は驚きのあまりのけぞり、彼女から一歩あとずさった。

「……ごめんなさい。もっと早くお話すればよかったのに……あなたといると楽しくて、本当の女性になったみたいな気がして……だますつもりはなかったんです。ごめんなさい……」

 彼は何も言えずに彼女が走り去るのを見送った。


 彼女が男だったなんて……

 とても信じられない。あんなに美しい人が……

 アドニスは悩んだ。勉強も手につかない。大学でもアパートでも、気がつけばシモーヌのことを考えている。課題も試験も次々にやってくるというのに。

 自分に期待をよせている田舎の両親のことを考える。少なくない学費、アパート代、生活費。自分たちの暮らしを切り詰めて仕送りしてくれる。男の恋人ができましたなどと報告できるわけがない。

 友人に男同士のセックスはどうやるのかときいたら誤解されそうになり、自分でインターネットなどで調べたが、その世界の初歩で顔を真っ赤にして逃げ出してしまった。オクテにもほどがある。

 田舎の高校時代に彼女を作っておけばよかった。いや、そんな問題じゃないだろう。

 そういえば、あのときの自分の態度こそ卑怯ではなかったろうか。彼女の告白に驚いて、あとずさってしまったのだから。彼女は勇気を出して話してくれたのに……

 そんなの関係ないよ。僕は君が好きなんだ、となぜ抱きしめてあげなかったのだろう。

 いやいや、そんな勇気はとてもとても。

 混乱し、何日も考え込み、どうどう巡りし、出した答えは……

「やっぱりシモーヌが好きだ。いっしょにいたい。男だってかまわない」という非常にシンプルなものだった。


 彼女の携帯電話に電話しても出てくれないので、自宅の方に出かけていった。

 高級そうなオートクチュールの店は、やはり敷居が高く、シモーヌが出てこないかと外をうろうろするばかり。

 1時間ほどもそうしていると、2階の窓にチラリと人影が見え、シモーヌかと思って手を振る。人影はすぐにひっこんでしまった。

 やがてお店から、長い黒髪の背の高い女性が現れて、彼を手招きした。

「そんなところでうろうろされていると商売の邪魔だから、中に入ってくれないかしら」

「は、はい」

 おっかなびっくりお店の中へ入る。きれいな女性スタッフが数人働いている。彼のことをちらっと見てくすくす笑っているように見える。

 アドニスは奥の個室に案内されて、その女性とテーブルをはさんで腰掛けた。

「……あなたがアドニスね。シモーヌから話は聞いているわ。わたしはベル、彼女の後見人よ」

「は、初めまして……あの、シモーヌに会わせてください。会って言わなきゃいけないことがあって……」

「何ていうつもり?」

「あの……やっぱり彼女が好きです。その……男でもかまいません。交際を続けたいです」

「シモーヌはね、この一週間ずっと泣き通し。もっと早く来てくれなきゃ困るわ」

「すみません……」うなだれる。

「あなた何も知らないのね。シモーヌのこと。でもそんなだからシモーヌもあなたのことを好きになったのかもしれないわね」

 ベルはアドニスを見つめながら話を続けた。

「彼女はいろいろと特殊なのよ。あなたにはまだ半分も話していないわ。自分で説明しろって言ったんだけど、ムリだって……彼女はね、一部では有名人なのよ。だから友達もいないし、好奇心で近づいてくる人からは逃げ回るし、あなたみたいな人の手にはおえないと思うのよね。別れた方がお互いのためじゃないかしら?」

「特殊ってどういう意味ですか? 別れたほうがいいってどういう意味ですか? 説明してください」

 ここで引いたら彼女とは永遠に会えなくなると思ったら、勇気がでた。

「わかったわ……シモーヌ、そこにいるんでしょ? 出てきなさい」

 シモーヌがカーテンの影から現れた。涙をぬぐうハンカチを握り締めている。

 ひさしぶりに会う彼女は泣きはらした目をして鼻の頭は赤くなってなっていたが、やっぱり可愛らしかった。

「ついてきて。あなたに見せたいものがあるの」


 つれていかれたのは大きなお屋敷だった。ベルが門の鍵をあけて車を中へ進める。

 アドニスとシモーヌは後部座席でそっと手を握りあった。

 大丈夫、何があっても僕は君が好きなんだと。

 車よせに車を停めて降り立つ。

 ベルは玄関のドアの鍵を開ける。

「時々人を入れて掃除や庭の手入れはしてあるわ。今明かりをつけるわね」

 エントランスの明かりがつく。

 正面の回り階段の上に肖像画がかけられていた。

「シオン……シモーヌのことだけど、14歳のときに描いてもらった絵よ。見事なものでしょう?」

 それは貴公子然とした少年の絵で、光り輝くような美しさを誇っている。よく見ればシモーヌの面影がある。髪は短いし、顔立ちも幼いけれど。

「シオン・ロシュフォール公爵、シモーヌの本名よ。彼は6歳の時に交通事故で両親を亡くして、父親の爵位と財産を受け継いだわ。イギリスの貴族なのよ。驚いた?」

 それから見事な調度品の並ぶ廊下を先へ進んで、ある部屋へ案内する。

「この部屋で、さっきの絵を描いた画家が自殺したの。中へどうぞ」

 自殺した? 何を見ても聞いても驚かないと決めていたのに、足がすくみそうになる。

 画家の幽霊でもいるというのか?

「今は全部片付けてあるけど、ひどい有様だったわ。そのあたりに血溜りがあって、そこで手首を切ったのよ。聞いたことはないかしら? 宗教画で有名だった画家が3枚の天使の絵を描いた。モデルになった少年と画家は愛人関係にあって、でも少年には他にも複数の男性がいて、苦悩の果てに画家は自殺したのよ。魔性の美少年ってわけね。新聞や週刊誌に面白おかしく書きたてられたわ。未成年だったから名前は出なかったけど、わかる人はみんなわかってた。とうとう自殺者まででたのかって……画家の死体を見た少年は気を失って倒れ、目覚めたときはすべての記憶を無くしていた……今のシモーヌが誕生したってわけ」

 シモーヌの手がふるえている。彼は彼女の手をしっかりと握った。

「シモーヌは15歳までの記憶を失ってるの。だから記憶を取り戻したら、今の、あなたが好きなシモーヌは消えてしまうかもしれない。以前のシオンが、男をとっかえひっかえして、心をもてあそんでは捨てるような美少年がもどってくるかもね……わたしはどちらでもかまわないけれど……」

 彼は何とかもちこたえようとした。彼女はわざとひどく昔のことを言っている。僕にあきらめさせるために。

「昔のことは関係ないでしょう? 僕は今のシモーヌが好きなんだから」

「よかった。そういってくれて。最後に絵を見てくれない? シモーヌとわたしが見たのはもう2年も前になるから、わたしも久しぶりよ。例の3枚の天使の絵。オークションでセリ落とすのにシオンの財産の3%も使ったわ。そこまで値が上がるとはわたしも誤算だったけど、シオンの絵を衆目にさらすわけにはいかなかったから。でもこんなところにしまいこまれて、絵もかわいそうよね。時々は見てあげないと」

 ベルは壁の片側に引かれたカーテンをあけた。そこには3枚の絵がかけられていた。

 シモーヌの手のふるえがますますひどくなった。


 それは背徳的だけれどひどく美しい絵だった。天使の絵というより堕天使の絵だ。

 赤の色がとても印象的だった。天使の顔はシモーヌにとてもよく似ていた。というよりさっきの肖像画の顔に。

 アドニスはくいいるように絵に見とれた。

 何という美しい絵だろう。そうしてもうひとつ感じた。何という悲しい絵だろう……

「感想を聞かせてほしいわ」とベルが聞く。

「とてもきれいな絵ですね」

「それだけ?」

「それから、とても悲しい絵だと思います」

「悲しい?…そうね。そうかもしれないわね……」

 ベルはカーテンを閉じた。

「シモーヌはね、これを怖い絵だって言ったわ。見るのが怖いって。わたしは何も感じないけど」

 絵が隠れてシモーヌはあきらかにほっとしたようだった。

「さて、あなたにもう一度聞くけど、まだシモーヌと付き合いたい?」

「もちろんです」

 ベルは肩をすくめた。

「わかったわ。そう言ったからには最後まで責任をとってもらうわよ」

 アドニスはシモーヌを抱きしめた。

「好きだよ。君とずっと一緒にいたい。もう離さないよ」

 シモーヌもそっと彼を抱きしめ返した。

「うれしい…愛しています…」と。


 アドニスとベルは携帯の番号を交換した。

「何かあったらすぐ連絡してね」

「わかりました」

 シモーヌを心配しているだけで、本当はいい人なのかもしれない。

 彼はベルの車でアパートまで送ってもらった。


 アドニスとシモーヌはデートを重ねた。

 秋が終わり、冬になった。雪がちらちら舞い始めた。

 外は寒いけれど、室内は暖房がきいてとても暖かい。

 シモーヌはシチューやパエリアを作ってアドニスのアパートを訪ねる。ふたりで食事をして、話をして、それから送っていく。とても楽しい日々が続いた。何度もキスをした。シモーヌは恥ずかしがり、それがまた可愛らしかった。

 ある夜、アドニスはシモーヌを引きとめた。

「帰らないで」と。


 シモーヌは服を脱ぐのをいやがった。身体は男だから見られたくないと。だから明かりを消して、アドニスはシモーヌの服を脱がせた。恥ずかしいのか怖いのか、彼女の身体はふるえていた。アドニスも服を脱いで、ベッドの上で裸で抱き合った。

 キスをした。唇を首筋から胸へ這わせた。なめらかな肌触り。明かりの下でないのが残念だ。

 目が暗闇になれてくると、身体の輪郭が見えてきた。指先で胸をなぞり、乳首に触れると、かすかな吐息がこぼれる。

「……ああ……」

 声を出したのを恥じるように顔をそむける。

 アドニスは相手のそれに触れた。ちゃんと大きくなっている。手のひらでそっと握った。

「や……やめてください……」

「いつもはどうしてるの? たまったとき?」

 ごく純粋な好奇心から聞いたのだが、相手はとんでもなく恥ずかしいことを聞かれたようにうろたえた。

「そ……そんなこと……いえません…」

「じゃあ、こうしてもいい?」

 指で輪をつくってゆっくりとしごきあげた。

 シモーヌは泣きそうになって、

「もう…本当に……無理です……」

「でも、たまってると苦しいでしょ? 出しちゃうとすっきりするよ」

「………」

「だって僕は君のことが大好きなんだ。だから、ここも好きだよ。がまんしないで全部出して」

 アドニスはそれをこすり続け、シモーヌはあえぎながら達した。

「ご…ごめんなさい…」はあはあと息が荒い。

「なんで謝るの? 君は本当に可愛いなあ……僕ももう限界だよ」

 シモーヌはおそるおそるアドニスのものに触れる。

「わ、わたしも……」

「うん……うつ伏せになってくれる?」

「は、はい……」

 アドニスはシモーヌの背中に口付けた。

「ここに入れてもいい?」

「そ…そんな……」

「いや?」

「……いやじゃ……ないです……」

 お尻の間にさっき手のひらで受けたものを塗りこめる。

「……あ……」

 シモーヌの身体がまたふるえる。

「痛くないようにするから」

 自分のものをあてがって、ゆっくりと身体を進める。

「う…くう……」押し殺した声がもれる。

 シモーヌの中は細くて、柔らかくて、あたたかかった。

「力を抜いて…動いていい?」

 こくこくとうなづいているが力は入ったままだ。

 アドニスは乳首とペニスに同時にふれた。

「ごめんね……でも、僕は君とひとつになりたいんだ……」

 シモーヌの指がシーツをつかみ、背中がのけぞる。

「…あ……ああ……」

 その声は甘くて、しびれるようだ。

 こらえきれなくて腰を動かして、それがどんどん激しくなるのを自分でも止められない。

 アドニスは達したあともしばらくそのままでいた。

「シモーヌ、愛してる」というと、

「…わたしも…」とかすれた声が答えた。


 ふたりは会うたびに抱き合った。

 めまいがしそうなほど幸せだった。

 シモーヌとふたりで写真をとってフレームに入れて部屋に飾った。彼女が自分の分もほしいというので同じものをプレゼントした。

「うれしい。宝物にします」

 といわれて、「大げさだなあ」と照れた。

 シモーヌと会う時間を作るために、いつもの倍は集中して授業や課題に取り組んだ。おかげで試験の順位があがった。

 なにもかもが順調で怖いくらいだった。

「まだ先の話ですけど、わたし将来は手術して完全な女性になりたいんです」

「僕は今のままでもかまわないけど」

「わたしがいやなんです」

「う、うん」

「そしたら……」

「そしたら?」

「……いえ、何でもありません」

 その先が気になったけれど、キスが始まると忘れてしまった。


               *   *   *


 部屋でくつろいでいるときにドアがノックされた。

「ピザの配達です」

「え? 頼んでないけど?」

「おかしいなあ。ここアドニスさんのお宅でしょ? ちょっと確認してもらえますか?」

 しかたなくカギをあけると、4、5人の男がドヤドヤと中に入ってきた。

 アドニスはおさえつけられて、ガムテープで口と手足を縛られる。

 あっという間もなかった。

 右頬に十文字の傷のある男がシモーヌにナイフをつきつける。

 黒いロングコートを着て、黒髪を伸ばしてうしろでひとつにくくっている。

「やあ、シオン。久しぶりだな。大きくなった……いやますます美人になったな」

 シモーヌはがたがたとふるえている。

「あ、あなたは誰?」

「俺のことも憶えてないのか? まあいい」

 ほかの男に命令する。

「女をつれてけ。男はそのままでいい」

 彼女もガムテープでぐるぐるまきにされてつれられていく。

 アドニスは床に転がされて、身動きどころか声すら出せない。

 傷の男はアドニスに言った。

「サツに知らせたらシオンを殺す。ベルに知らせろ。あのおばさんに身代金を払わせるんだ。わかったな?」

 テーブルの上に茶色い紙袋を置いて出て行った。

 すばやい動きだった。


 アドニスはもがきにもがいてやっと片手が自由になった。必死でガムテープをひきはがした。

 傷の男が言った警察に知らせたら殺すという言葉にふるえあがっていて、いわれたとおりベルに電話をかけた。

 ベルはすぐくると返事をした。

 テーブルの上にあった紙袋をあけると、小さなノートパソコンがひとつとB4サイズにひきのばされた写真が数枚入っていた。

 一枚目を見て驚愕した。なんだこれは……

 少年が縛られて犯されていた。見てはいけないと思ったが、結局全部見てしまった。

 めまいがする。吐きそうだ……

 ずいぶん待ったような気がしたが、ベルが来てくれた。

 アドニスはやっとの思いで事情をベルに説明した。

 男の右頬に十文字の傷があったことを話すと、心当たりがある様子だった。

「警察に知らせましょう」と言うのへ、

「だめよ。とても危険な男よ。シオンが殺されてしまうわ」

 それから写真を見て、びりびりに引き裂いた。

「まだ持っていたなんて……他にもあるかもしれないわね……」と舌打ちをする。

「知り合いなんですか?」

「4年前にシオンの恋人だった男よ。シオンをひどい目にあわせて殺しかけたわ」

 4年前…記憶を失う前の話だ。

 突然テーブルの上のノートパソコンがメールの着信音を奏でる。

 ベルがノートパソコンのふたをあけてメールをひらくと自動で動画が再生された。

「シオンは預かった。無事に返してほしかったら一千万ユーロ用意しろ。サツに知らせたり、何か妙なマネをしたらシオンを殺す。金が用意できたころにまた連絡する」

 傷の男はそれだけ言って消えた。

 ベルがすぐに返信メールを打ち込み送信しようとしたが、すでにアドレスは消されたあとだった。

「だめだわ……」

 ベルはアドニスのほうをむき、

「あなたパソコンは得意? ハッキングとかできる?」と聞く。

「やったことありません」アドニスは首を横にふる。

「そうよね……」

 ベルはどこかへ携帯で連絡をした。

「……一千万ユーロ用意して……」という単語が混じっていた。


 シモーヌは恐怖でふるえていた。かつがれて、どこかへ運ばれていく。

 やがてどさっとどこかへおろされた。ベッドのマットの上のようだ。

 ガムテープが乱暴にはがされる。

「逃げようなんて思うなよ。殺されたくなかったらおとなしくしてな。この部屋は特別製で壁に鉄板をはってるからGPSをシャットアウトする。お前の身体にうめこまれた発信器も無駄だ。お前がいい子にしてて、金が無事に手に入ったら開放してやるから安心しな」

 ポケットから鉄の鎖のかたまりをだす。

 長い鎖の両端に鉄の輪がついていて、片方の輪を右の足首に、もう片方の輪がベッドの鉄枠にはめられる。

「なつかしいだろ? 4年前もこうやってつないだよな?」にやにやと笑っている。

 もとが美貌なだけに余計にすごみがましている。

「ほんとに綺麗になった。まずは味見といくかな。お前らはあとな」

 他の4人を手前の部屋においやって、シモーヌにおおいかぶさる。

「いや! やめて!」

 抵抗するのを頬を平手で張る。

「おとなしくしろ。あのアドニスとかいうぼうやともよろしくやってたんだろう? 今さらじゃねえか」

 セーターをむしりとり、ブラウスを左右に引き裂くとボタンが千切れ飛ぶ。あらわになった胸の乳首を舌でなぶる。

 スカートをたくし上げて下着をおろす。

「ここもちゃんと成長してるじゃねえか」

 握られて、悲鳴をあげる。

「やめて…もう…やめて…」

 ジャンはベルトをはずし、ズボンの前をあけて、自分のものを取り出した。

「昔はこれが大好きだったろ?」

 そのままねじこむ。荒々しく腰を使う。シモーヌの身体はのけぞって、悲鳴をあげる。

「…なんだ…まるでバージンの女を犯してるみてえな気分だぜ……まあ、それも悪くねえけどな」

 シモーヌは泣きじゃくり、逃げようとする。それを押さえつけて、さらに腰をつかった。

 満足して身体をはなすと血が流れていた。

「やっぱりバージンみてえだ」くくっと笑って、となりの部屋でまちかまえている連中に「お前らもやっていいぜ」と

声をかける。

 勢い込んで入ってきた男たちがシモーヌの姿を見て驚く。

「あれ、こいつ男じゃねえか。スカートはいてたからてっきり女かと」

「アナルセックスくらいやったことあるだろ? そいつは上玉だぜ。女とやるより具合がいい」

「そうか…じゃあ俺が」「いや俺が…」と奪い合いになる。

 シモーヌは恐怖と絶望と疼痛で気を失いそうだった。


 最初のメールを送ったあと、すぐにアドレスは消した。

 となりの様子をうかがうとまだ手こずっているようだ。

「なにてこずってんだよ」

「でもこいつ強情で…」

 はあっとため息をついて、

「こうすりゃいいんだよ」

 両手をうしろにまとめてガムテープでくくる。

「なるほど…」

 それからノートパソコンを持ち込んでシモーヌの枕元に置く。動画を再生すると、全員の目の色が変わった。

「こいつが13歳の時に撮ったブルーフィルムだ。よく撮れてるだろ? 顔は幼いが面影はある。ずいぶん稼がせてもらったよ。こいつ売りもやってたんだぜ……なあシオン、都合の悪い過去は全部忘れちまったのか? でも過去ってやつは消そうとしても追いついてくるもんだぜ」

 画面の中の少年は、縛られて3人がかり犯されている。中の一人がムチを少年の背中に打ちつける。少年の背中が弓ぞりにしなり、皮膚は裂け、悲鳴がほとばしる。ムチは何回も振り下ろされ、そのたびに少年の身体がよじれた。。

「ムチがないからこいつで代用だな」

 腰のベルトをはずしてぴしぴしとしなり具合を確かめる。それからシモーヌの背中に叩きつけた。

 悲鳴があがり、背中に赤い筋ができる。血が玉になってにじむ。大粒の涙がこぼれる。

「痛い! 痛い! やめて!」

 2回、3回と振り下ろす。10回を数える頃にはもう声はかれ、身動きすらできなくなっている。

「これで大人しくなったろ。殺すなよ。くわえさせる時はのどの奥まで入れすぎるな。窒息しちまうからな」

 ノートパソコンを録画にセットしてシオンのほうにむけると部屋をでる。ばたんとしめる。

 はーやれやれだ。世話が焼ける。あとは勝ってにやってくれ……


 ベルとアドニスはノートパソコンの前で一睡もせずに夜を明かした。

 アドニスはシモーヌの身が心配でならない。

 あんな写真をよこす奴らだ、どんなひどい目にあっているか……

「わたしが対応するから、あなたは黙っててね」とベルに念を押されているが、次に連絡があった時、おとなしくしていられるか自信がない。なんといっても自分が一緒にいる時にラチされたのだ。

 あの時不用意にドアをあけなければ……

 後悔してもしきれない。

 次の連絡は6時間後だった。まだ夜明け前だ。

 今度はメールでなくスカイプを使ったビデオ通話だった。

「金は用意できたか?」

「まだよ。思ったより時間がかかって…それよりシオンは無事なの? ひどいことしてないでしょうね?」

「もう遅いよ。楽しい夜を過ごしちまった」

 パソコンの画面が動いてシモーヌの姿が写しだされる。

 ぐったりと横たわり、背中には無数の赤い筋。服の残骸が身体にまとわりついている。誰かが鎖を引っ張ると右足に食い込んだ鉄の輪が見えた。

「シモーヌ!」

 アドニスがかけよるのをベルが制した。

「あの子は記憶を無くしてるのよ。普通の女の子なのよ。無茶はやめて」

「だったら早く金を用意しな」

 通信は途切れた。

「……逆探知できた?」とベルはノートパソコンに別のパソコンをつないでキーボードを叩いている男にきいた。

 ベルがつれてきたパソコンが得意な男。自称天才ハッカーだ。

「えーと……」男は感心したように、「いくつものサーバーを経由してますね。なかなかのやり手だ。でも僕の手にかかれば……出ました。場所は……え? ニューヨーク?」

 ベルは舌打ちした。

「ニューヨークのはずないでしょ? ミスリードよ。使えないわね。もう帰っていいわ」

 男はしょんぼりと機材をまとめて帰っていった。

「シモーヌが…シモーヌが……」

「泣いたってシオンが帰ってくるわけじゃないでしょ」

「あなたは平気なんですか?」

「平気なわけないでしょ?」

 アドニスにもわかっている。自分がさっきの自称天才ハッカーより劣っていることは。

 取り乱したり、泣いたり、神に祈ったりしかできないのだ……


 金を手に入れるまで、もう少し時間がかかりそうだ。

 ジャンはシオンの腕のガムテープをはがして、立ち上がらせた。

「シャワーを浴びろ。ザーメン臭くて抱く気にならねえ」

 鎖の長さはあらかじめ調節してある。部屋から出られない程度で、シャワールームには届くくらいだ。

 シャワールームへ引っ張っていき、頭からシャワーのお湯をかけた。服の残骸も払い落とす。

 シオンは壁に背中をもたせかけて立っていたが、やがてずるずると床に崩れ落ちた。ささえてないと立っている力もないらしい。

 濡れて張り付いた髪の間からじっとジャンの顔を見上げている。

「しゃぶれよ」といってみた。

 シオンは彼の前をあけて口にくわえた。

 すっかり素直になっている。

 これはこれで悪くない。

 しばらくそうしていると、他の奴らが目をさましだした。

「あ、またやってる」

「俺らも仲間にいれてくれよ」

 ジャンが射精すると、シオンはそれをのどを鳴らして飲み込んだ。口元をぬぐって何かいった。何といったかは聞こえなかったが、予想はついた。

 ジャンは笑いだした。仲間が不思議そうに見ていた。


 次の連絡はお昼頃にかかってきた。

 今度はメールだった。

『金は用意できたか?』

『できたわ』

『スイス銀行の次の口座に振り込め』

 口座番号が表記される。ベルをその番号をコピーした。

『シオンの無事を確認させて』

『口座に金が振り込まれたら開放する』

 ベルは躊躇したが、覚悟を決めた。相手を怒らせてシオンが殺されてしまったら元も子もない。

 銀行取引の画面に切り替えて、指定された口座にお金を振り込む。

 相手は入金を確認したあと、画面から消えた。

 もう一度メールを送ったが、またアドレスは消えていた。

「……終わったんですか?」

「ええ」

「一千万ユーロ払ったんですか?」

「シオンの生命には代えられないものね」

 ベルは疲れた顔をしていた。

 無理もない。夕べから一睡もしていないのだ。

 しばらくしてベルの携帯が鳴った。

 ベルは急いで出た。

「…わかったわ。すぐ保護して…」

「シモーヌがみつかったんですか?」

「GPSが作動して居場所がわかったわ。行ってくるわね。あ、このパソコンも持っていくわね」

「僕も一緒にいきます」

 ベルは疲れた顔でアドニスに言った。

「今すぐ会わないほうがいいと思うわ。シモーヌも落ち着く時間が必要でしょうし」

「いえ、連れていってください。無事な顔を見たい。僕は彼女の恋人なんだから」

 ベルは首を横に振った。

「わかるでしょう? 恋人だからこそ見られたくないのよ……明日の朝10時にうちへ来て。その頃には多分落ち着いてると思うから……」

 アドニスはうなづくしかなかった。

 

 金が入金された。

 ジャンはひゅうと口笛を吹いた。

 すぐにアドレスを消して、入金された金を仲間達とわけた。

 200万ユーロづつ等分だ。

 それからカナヅチでパソコンを叩き壊した。ハードディスクをポケットへ入れ、壊したパソコンは紙袋へ入れる。

「分け前はお前らの口座に振り込んだぜ」とジャン。

「200万ユーロか。一生遊んで暮らせるな」

「すぐに派手に使うなよ。他の奴らに自慢話もするな」

「わかってるよ」

「女はどうする? 顔を見られてるから殺すのか?」

「だからお前はバカなんだよ。何のために輪姦したり、動画をとったりしたと思う? あんだけひどい目に会わされたら恥ずかしくてサツにも訴えられないし、先々また小遣いがほしくなったらゆすったりできるだろ? 金ヅルは生かしとくもんだ」

「さすがは兄貴だ。悪党のレベルが違うねえ」

「さっさとずらかるぞ」

「おう」

 仲間が車に乗り込むのを見届けて、ジャンはシオンの足かせの鍵ををはずした。

「今度はちゃんとはずしてやるよ。あん時も忘れてたわけじゃないんだぜ。抗争で現場を離れられなかったんだ。オヤジが何とかするだろうって当てにしてたし……悪かったな」

 シオンのあごに手をかけて上向かせる。親指が唇をなぞった。キスされるのかと思ったが、そのまま離れた。

「じゃあな」

 行ってしまった。

 シオンは這うようにして部屋を出た。

 背中は焼けるように痛かったし、身体中が痛くてだるかった。眠かったし、お腹も空いていた。

 そのまま床で眠り込んだ。夢も見ないような深い眠りだった。


               *   *   *                 

 アドニスは律儀に約束を守って眠れない朝をむかえた。

 10時頃に来いと言われていたが、8時には家を出ようとしていた。

 ドアがノックされて、立っていたのはシモーヌだった。

「シモーヌ、良かった、無事だったんだね」

 抱きしめる。涙がぽろぽろとこぼれた。

「うん。もう大丈夫だよ。心配かけてごめんね」

 とてつもない違和感を感じた。

 シモーヌから手を離し、まじまじと顔を見る。

 頬骨や首筋の青アザを隠すためかいつもよりファンデーションが濃い。

 違いはそのくらいでシモーヌだ。でも何かが決定的に違う。

「君は…だれ?」

 シモーヌはくすっと笑った。

「もうわかっちゃった? せっかくスカートはいたり、化粧したりしたのに」

 中へ入ってドアをしめる。

「座って話そうよ。実はまだ少しつらいんだ」


「記憶がもどったの?」

「うん。すごいよねえ。一瞬でわかるんだから。ベルにも見破られたし……そんなに違う? 同じ身体なのに?」

「雰囲気が違うんだ……シモーヌはもっと恥ずかしがりやで……普通だった……」

「そうだね。僕はずっとシモーヌを見てきたよ……テオが死んで、あの絵を見て、僕の心は壊れそうになって、どこかに隠れたんだ。そしたらシモーヌが出てきた。彼女を見てると楽しかったよ。普通の女の子だったね。僕は記憶を取り戻したけど、それだけじゃないんだ。シモーヌの記憶ももってる。だから彼女が君を好きだった気持ちも、僕の中にあるんだ……彼女には、あれはつらすぎた。だから僕が代わった。僕なら平気だからね。彼女は耐えられなくて自分を消してしまったんだ」

「シモーヌはもうもどってこないの?」

「僕の心の中にいるよ……だから、君さえよかったら僕を恋人にして。僕たちは君と一緒にいたいんだ。彼女は君とずっと一緒にいたいと願っていた。将来は性転換手術をして、完全な女性になって、君と結婚したいって思ってた……僕もそうしたい」

 立ち上がって回り込み彼の膝に乗ってキスをした。

「僕を恋人にして」

 アドニスはじっとシオンの目を見つめた。

「……ごめん……僕が好きなのはシモーヌだ……君じゃない」

 シオンは悲しそうな顔をした。

「やっぱりだめか。多分そうじゃないかとは思ってたけど……好きな人に振られるのはつらいなあ」

 それから、「あっ」といってポケットに手を入れた。

「もうすぐノエルでしょ。シモーヌがプレゼントを用意してたんで持ってきたんだ」

 はい、と手渡されたのは一冊の本。好きな小説家の新刊にブルーのリボンがかけてある。

「ありがとう」 

 アドニスは受け取って、立ち上がり、引き出しからある物を取り出した。

「僕もプレゼントを用意してたんだ」

 差し出されたのは同じ本で、ピンクのリボンがかけてある。

 ふたりは顔を見合わせて笑い出した。

 アドニスは思った。

 花のような笑顔だと。


 ベルはシモーヌからきいたクリームブリュレのおいしい店で待ち合わせの相手を待っていた。

「やあ。お待たせ」

 現れたのは黒いロングコートを着た男。長い髪で顔の半分を隠している。ミュージシャン風といえなくもない。

「遅かったじゃない。頼んどいたコーヒーが冷めるわ」

「次の仕事の打ち合わせをしてた」

「ふーん。どこ?」

「日本」

「日本ねえ……じゃあ、カズヤに会うかもしれないわね」

「カズヤって?」

「わたしの息子。シオンより3ヶ月年下。次期ボス候補のナンバー2よ」

 ジャンは飲みかけていたコーヒーを吹き出しそうになった。

「あんた、子供がいたのか」

「15歳の時に生まされただけで、すぐ取り上げられたから顔も覚えてないわ」

「……そんな話、こんなところでしていいのかよ?」

「大丈夫よ。人が多いところのほうが密談はしやすいわ」

 ベルはジャンの方へ身をのりだした。

「それより、ありがとう。うまくシオンの記憶をとりもどしてくれて」

「徹底的にやれって言われたからやったけど、さすがに可哀相だったよ」

「でも仕方なかったのよ。シオンがあのままだったら、消されるしかないんだもの。おかしいわよね。今どき、血族でしかも男子のみ長子優先の継承なんて。さすがは200年の歴史を誇る組織だわ。フランス革命の頃からあったらしいもの」

「それって都市伝説?」

 クリームブリュレがふたつ運ばれてきた。

「俺の分はいらなかったのに」

「おいしいらしいわよ」

 スプーンでコンコンとカルメラの部分を割って中のプディングと混ぜ合わせる。すくって口へいれる。

「おいしい……」

「甘すぎだぜ、なんだこりゃ」

 ジャンはスプーンを皿へ置く。

「わたし達ってどう見えるのかしら?」とベルが聞く。

「マダムとヒモ」とジャンが答える。

「先生と生徒」

「師匠と弟子」

「死神(ラモール)と黒(ノアール)」

「またそういうことを……」

「あなた、からかうと面白いんだもの」

 ベルはもうひとすくいクリームブリュレを口にいれた。

 ジェイはハードディスクをポケットから出してテーブルの上に置いた。

「例の4人はどうしたの?」

「始末したよ。金もあんたの口座にもどしといた」

「持って逃げればよかったのに」

「そんな度胸はねえよ」

 それから立ち上がる。

「じゃあな」

「またね」

 ベルはハードディスクを取り上げてポケットへ入れた。


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