第3話 楽園(パラダイス)

 パリの夜は長く、毎夜のようにどこかしらでパーティーが行われている。

 きらめくシャンデリア、陽気な、または上品な音楽。シャンパンとカナッペ。笑いさざめく人々。どこかのすみでそっとかわされる秘め事……


 シャツは絹でできていて、なめらかな光沢と肌触り。

 ボタンは月光貝でできていて、オーロラを閉じ込めたように色を変える。

 はだけた胸をなでさする手がある。

 白い肌にふたつ、小さなさくら色の突起がある。

 男の指がそこをとらえてなぶる。

「あ……うん………」

 吐息は甘く、唇からもれる。

 誘うような、こびるような潤んだまなざし。

 もうひとつの突起を舌でなめる。

 かすかにのけぞり、逃げようとする。

「まって……誰かいる……」

 少年のささやき声に、男は動きをとめる。

 開け放された窓の薄いカーテンがふわりと動き、人影が見える。

 男はあわてて髪の乱れをなおし、

「あ、いや、それじゃあ……」

 口の中でもごもごいいながら、逃げていってしまう。

「あーあ、つまんない……ねえ、続きしてよ……」

 カーテンの影からあらわれた青年は冷たい値踏みするような視線をシオンに投げた。

 くせの強い黒い髪、冷たい光を宿す黒い瞳、年はシオンより5~6歳上だろうか。

 大人の男になる直前の妖しい魅力をまとっている。

「……お前、いくらもってる?」

「……お金? もってないよ……」

「俺に抱いて欲しかったら、金をもってこい。払った分だけいい気持ちにしてやるよ」

 そのまま、カーテンのむこうに消えてしまった。

 シオンはカウチの上に身を起こし、月光貝のボタンをとめる。

 はじめてだった。お金を払えといわれたのは。おこづかいをもらったことはあったが……

 青年は美しい顔立ちをしていた。

 いくら払えばいいのだろう?

 あの青年が自分を組み敷いているところを想像した。

 ふふふ……

 唇から笑みがこぼれた。


 しばらくして、パーティー会場でその青年を見つけた。

 妙齢のご婦人と話していたが、シオンの視線に気づいて近づいてきた。

「金は持ってきたのか?」

「……うん」

 おこづかいを全部持ってきたのだが、彼は不満そうだった。

「全然足りないな……お前の家へ行こうぜ」

 肩に手を回される。

 ぞくりとした。

 今までの相手とは全然違う。

 野性みというか、危険な香りがする。

 それもまたいいかも……

 奇妙な甘い期待につれられていく。


 青年はシオンに予備のヘルメットを渡した。

 大きなバイクの後部座席にすわらされる。

「しっかりつかまってろよ」

 バイクは大音量をあげて走り出す。

 振り落とされないように、腰にしがみついた。


 シオンが教えた番地と店の構えであたりをつけてバイクが止まる。

 ふるえがまだ止まらない。

 寒かったのと、あまりのスピードのせいだ。

「高級そうな店じゃないか」

 裏口から直接2階の自宅部分にはいる。

 中の様子をぐるりと見回して、

「安物ばっかりだな」

 ガラスの花瓶や置物が気に入らないらしい。

 ひとつだけ目に留めたのが中国製の小ぶりな壺。古い品でくすんだ赤い花の模様がある。

「こいつだけ毛色が違うな。もらっていいか?」

「それはだめだよ」

 制止するのを気にもせず、手にとってもてあそびはじめる。

「ベルが大事にしてるから……」

 右手から左手へ、手品のようにひょいひょいと投げあって、最後は床に叩きつけた。

 中国製の古い壺は粉々に砕け、欠片が床に散らばる。

「えっ!」

 呆然とするシオンの腕をひいて、

「お前の部屋はどこだ?」

 ひきずられるようにベッドに投げ出され、上にのしかかられる。

「あのやばそうなおばさんが帰ってくる前にすませちまおうぜ」


 服をむしりとられる。

 青年も上着を脱ぎ、ネクタイをはずし、シャツを脱ぐ。

 素肌をあわせる。

 しなやかで力強い身体だった。

 シオンはそっと相手の背中に腕をまわす。

 この獣のような青年はなんて魅力的なのだろう……

 キスをされる。かみつくような激しいキス。

「金持ちは嫌いだ。クソばっかりだ。金持ちのペットになってる飼い犬も嫌いだ。ヘドがでる」

 のどから首筋に唇が落ちて、そこをかまれる。

「あっ……」

 痛くて涙がでる。

「お前のうわさ、みんな喜んで話してくれたぜ。あいつらもクソだな。男なしでいられない身体なんだって? お前をみせびらかしてつれて歩いて、お前は尻尾をふって野郎共のペニスをしゃぶってるのか?」

 しなやかな指が首をつかみ、指先に力がこもる。

「くうっ……」

 息ができない。頭がぼうっとする。

「いつまで飼い犬でいる気だ?」

 首から手が離れ、ほっとする。

 青年はシオンの身体のすみずみまで愛撫し、舌をはわせた。

 それは今まで味わったことのないような快感だった。

 後から犯されて感じた。

 青年はシオンの背中をなで、肩甲骨に指をはわせる。

「やせてるからかな……翼を折り取ったあとみてえだ」

 シオンはあえぎ、うめき、涙を流した。

「……ああ……うう……」

 青年はつながったままで、うなじをかみ、シオンのペニスをしごき、乳首に爪をたてた。

 シオンは激しくみもだえし、泣き叫んだ。

 何回もいかされて、のどもかすれて、息も絶え絶えになって、ようやく解放される。

「……俺の名前はジャン。……今度からは、名前も知らないような相手を家に入れるんじゃないぜ」


「いたっ」

 割れた壺のかけらをひろっていたら、指先に鋭い痛みが走った。

 なぜか、涙がでてくる。

 ベルが帰ってきて、シオンの様子を見て、いっしょにかけらを拾ってくれる。

「……ごめんなさい。落として割っちゃた……」

 ただ落としただけでこんなに粉々になるだろうか?

「いいのよ。指を怪我したみたいね」

 当然、首筋の歯形や首を絞めた時の指のあとにも気づく。

「自分で手当てできる? ここはわたしがかたづけるわ」

「……うん……」

 シオンは洗面所へ行って、薬箱から消毒液をだして指を消毒し、カットバンを貼った。

 鏡で首筋を見て、そこも消毒する。

 ベルのところへもどってたずねる。

「僕はベルに飼われてるペットなの?」

 彼女は少し考えて答えた。

「そう見えるかもしれないわね」

「……否定しないんだ?」

「あなたはどう思うの?」

 シオンは重たげに首をふる。

「わからないよ」

「こんなことをいってもあなたは信じないかもしれないけど、わたしにとってあなたはとても大切な存在よ。傷ついてほしくないし、危険な男とはつきあってほしくないわ」

「……うん、わかった」

 でも、もう遅い。すでに見も心も彼の危険な魅力のとりこになってしまっている。

 優しい人も好きだといってくれる人もいるのに、なぜ手におえないような人にばかり惹かれてしまうのだろう?

 逆かな? 手が届きそうにないから惹かれるのかもしれない……


 パーティー会場をシオンはジャンの姿を探して歩く。

 彼は木の陰で女性とキスをしていた。

 とても長いキスで女性はうっとりと彼によりかかっている。

 シオンがじっとみつめていると、ふたりはやっと唇をはなし、彼女は我に返ったようにどこかへいってしまい、ジャンだけが取り残された。

 ジャンは冷たい目でシオンを見て

「何か用か?」ときく。

「この前の続きをしてよ……」

 ジャンは笑って、

「ききしにまさる淫乱なんだな。あんな目にあって、まだこりないのか?」

「あなたのことが忘れられないんだ。ほかの人と遊んでもつまらない……これで足りる?」

 ベルの宝石箱から盗んできたダイヤのイヤリングを渡す。

「へえ」

 ジャンはイヤリングを空にかざして輝きを確かめる。シオンにつきかえす。

「こいつは返しとけ」

「ニセ物なの?」

「宝石はさばくのが難しいんだよ」

 シオンの肩を抱く。シオンはぞくりとする。

「俺に惚れたのか?」うなずくと、「なら恋人にしてやる。恋人ならいつでも好きなときにセックスできるからな」

 耳元でささやかれてぞくぞくする。甘い期待とそれ以上の不安とおそれ。

「俺の家へこいよ」

「うん。つれていって」

 シオンは微笑んだ。


 またバイクに乗せられる。

 風を切って走る。振り落とされないように必死でしがみつく。

 ついたのはダウンタウンの倉庫街。

 廃墟のような倉庫の中へ、バイクをすすめる。

 廃棄物のようなソファとベッドとテーブルとイス。

 その一角だけ古い毛布とカーテンで仕切り、明かりは電池式のスタンドだけ。

 バイクをとめ、エンジンを切る。

「ついたぜ」

「こんなところに住んでるの?」

 驚いていると、

「不法侵入だけどな」といって笑った。


 シオンは裸になって彼の前に膝まずく。

「しゃぶれよ」

 といわれて彼のものを口にふくむ。

 唇と舌で彼に奉仕する。

 上目づかいで彼の表情をうかがうが、満足しているのかどうかわからない。

 大抵の男なら喜んでくれるのだが、もっと上手な人と比べてるのかもしれない。

 気に入られたいと思う。可愛がられたいと思う。そしてそんな自分を浅ましいと思う。

 ずいぶん長いことしゃぶらされて、彼が射精するとシオンはそれをのみほす。

 よかった、満足してくれたと思う。

「味は?」ときかれて、

 少し考えて、「……苦い……」と答えると、

「違うな、おいしいっていわなきゃ失格だ」

 シオンは素直に「おいしい」と答えた。

 唇を手の甲でぬぐって、にっこりと微笑んだ。


 ベッドの上でジャンの上にまたがり、ゆっくりと腰をしずめる。

 圧迫感でうめき声がもれる。まだ成長しきっていない身体だ。

「……お前、いくつだっけ?」

「13歳……もうすぐ14最になるよ……」

 ゆっくりと腰を使う。あえぎ声がこぼれる。

「……膝でささえて……リズムをとれ……ときどき深く入れる……」

「…う……うん……」

 いわれるとうりにするが、つらい。

「手で自分のをこすって……もう片方の手で自分の乳首をつまめ……」

「……こう?……」

「色っぽい目と声を忘れるなよ……」

「……あ…ああ……」

「…上出来だ……」

 身体をすくあげられて、上下がかわる。

 脚を大きく開かれて、奥まで突き上げられる。

 ずりあがろうとする身体がおさえこまれる。

「……もうお前は俺のものだ……そうだな?……」

「……うん……うん……」

 苦痛と快楽におぼれて、何もわからなくなっていく。

 うすい笑みが口のまわりに漂っているのを自覚していない……


 シオンの印象は会うたび変わった。

 最初に思ったのは得体の知れない薄気味悪いガキ。

 それが野郎共のおもちゃになってるきれいなだけのペットにかわる。

 次に意外にすれてない可愛らしいガキに思えた。

 そして最後にやはり得体の知れない薄気味悪いガキにもどった。

 第一印象というのはえてして当たるものだ。


 恋人ごっこはシオンの気に入り、しばらくは毎日のようにジャンのもとへ通った。

 バスを乗り継いだり、タクシーを使ったり、歩いたりして。

 ジャンが不在のときも多くて、宿題の課題を持ち込んで時間をつぶした。

 彼がいるときは抱き合ってすごした。

 両親が死んでからあとの時間で、一番幸せなときを過ごした。

 もちろん幸せな時間というのは、次にくる不幸をきわだたせるためにあるものだ。

 

 つけられている……

 相手は3人か、多くても5人。

 余裕で逃げられると思った。

 でも違った。

 夜の街を逃げまわり、路地裏に追い詰められる。

 相手はプロだった。地元のギャングらしい。

 殴られ、蹴られて、地面にはいつくばる。

「……なあ、誰だ? あんたらにこれを依頼したのは?」

 両腕をがっちり押さえつけられて、一番兄貴分らしいのがナイフをだす。

「心当たりはあるだろう?」

「ありすぎてわからねえよ。教えてくれよ」

 カモにした女の亭主か恋人か……

 プライドを傷つけられた男がギャングの知り合いだったとは、これだから金持ちは油断がならない。

 殺されると思った。

 ピストルじゃなくてナイフを使うのは単に趣味なのかと。

 でも違った。

 そいつは無表情なままで、ジャンの右頬を十文字に切り裂いた。

 痛い、というより熱い。血がダラダラと流れた。

「安心しな。生命まではとらねえよ。田舎に帰んな、ボウズ。でないと次は……わかってるな?」


 尻尾を巻いて逃げるのはしゃくだったが、生命あってのものだねだ。

 プロ相手にいきがっても仕方ない。

 顔に傷をつけたのは、やはり女がらみの嫉妬か。もうジゴロは廃業するしかない。

 別にかまわない。そろそろあきてきたところだった。

 もっと上を目指そう。ギャングもいいかもしれない。

 頬の傷もはくがつくってもんだ。

 そしたら今日の連中には必ず仕返ししてやる。

 殺さなかったのを後悔させてやる。

 生命をとらなかったのは、そこまで覚悟が決まってなかったのか。

 殺せと命令できるのは、一線を越えたことのあるものだけなのかもしれない。

 金持ちはしょせん甘ちゃんだ。ヘドが出る……


 知り合いの医者に傷の手当てをしてもらい、夕方まで死んだように眠った。

 身体中が痛い。関節がきしみ歩くのもやっとだ。

 でも一応歩ける。


 家に荷物を取りにもどったらシオンがいた。

「どうしたの? ひどいケガだ……」

 この可愛子ちゃんともお別れだ。

「ああ、しばらく田舎に帰ることにした」

 少ない荷物をまとめバッグにいれて肩にかける。

「じゃあな」

 シオンがすがりつく。

「いやだよ! 僕もいっしょにいく!」

 一瞬ですべてが理解できた。

 あの女か……

 あのやばそうな女の差し金か。

 いいだろう。

 そっちがその気なら、あんたのペットをさらっていってやろう。

「いっしょに来るか?」

「うん」

 そしてひどい目に会わせてやろう。遠くから指をくわえて見てるがいいさ。

 

 シオンがベルよりも情人の方を選び、彼女のもとを去る。そんな心配はしていなかった。

 シオンが彼女の視界から完全に消える…… 

 それはあってはならないことだった……

 彼女は自嘲する。

 シオンの目の前に死体をさらすことを躊躇した。まだ早いと判断した。

 甘すぎたし、甘やかしすぎだった。

 あの子は生き残れるだろうか? 自分の庇護を離れて。

 あんなにも無垢で無防備で、自分にどれほどの価値があるかも知らないで……

 

 汽車をのりついで、ついたのは小さな田舎町。葡萄畑が一面に広がり、家族経営のワイナリーが点在しているような地域。

 パリのような華やかさもセンスのよいカフェもない。メインストリートのさびれ具合がすべてをものがたっているような場所。


 場末にある小さな酒場のドアをあけて、「ただいま」とジャンは言った。

 開店準備に店の掃除をしていた50がらみの男は、

「何しにきた?」と不機嫌な顔をする。

「久しぶりに帰ってきてやったのに、何しにきたはねえだろう?」

「そのケガは何だ? 大口たたいて出て行ったのに、ヘマをしてもどってきたんだろう?」

「まあな」と頬のガーゼに手をあてる。

「その子は何だ?」

「俺の恋人」とシオンの肩を抱く。

 男はうさんぐさげにシオンを見る。

 シオンはぺこりと頭を下げて、「はじめまして」とあいさつする。

 男は深いため息をついて、

「いいとこのぼっちゃんみたいみたいなのに、何でこんなクズについてくるんだ?さっさと家に帰ったほうがいい。何だったら警察に通報しようか? 親が探してるんじゃないのか? まだ子供じゃないか」

「かんべんしてくれよ。サツなんか呼んだら、あんたも色々困るだろう? それより裏の小屋はまだ使えるかい?」

 男はさんざん迷ったすえに、壁にかけた鍵束から鍵をひとつとってジャンに投げてよこした。

「住むのは勝ってだが、悪さはするなよ。できるだけ早くまたどっかへ行ってくれ」

「息子に対してひでえ言い草だなあ」

 ジャンはにやりと笑った。


「今の人お父さんなの? あんまり似てないね」とシオン。

「お袋が最後に俺を押し付けていっただけで、ほんとの親父じゃないからな」とジャン。

「そうなんだ」

 店の裏に小屋があって、ジャンが鍵をあけて中に入ると、ほこりっぽかった。部屋の半分は木箱やいらなくなったイスなどがつんであり、ベッドのおおいをとって、ジャンはすぐに横になった。

「ほこりっぽいから掃除しないとだめだよ」

 とシオンがいうと、

「お前にまかせる。俺は身体が痛くて動けない」という。

 シオンはそれまで掃除などしたことなかったのだが、みようみまねでやってみることにした。

 幸い電気と水道は来ている。小屋の中央にはストーブがあり、マキは部屋のすみにつんである。寒くなったらこれを使えばいい。


夕方になるとジャンは起き出して、酒場へ顔をだした。シオンもついていく。

「何か食わせてくれよ」といって、パンと煮込み料理を食べる。シオンも一緒に食べた。

「タダ飯を食わせる義理はないぞ」とオヤジさんにいわれて、

「こいつが店で働くよ」とシオンの肩をずいと前へおす。

「え、僕が?」

「うちは、はやってないから人をやとうような余裕はない」

「こいつがいれば、はやるようになるさ。美人だから……ごちそうさま。俺はちょっと昔の友達と会ってくる。いい子にしてろよ」

 とでかけてしまった。

 シオンは無邪気に、

「働くって、何をすればいいんですか?」ときいた。

 オヤジは深いため息をついた。


 仕方がないので皿洗いや酒を運ばせる。シオンは慣れない手つきで皿を洗い、酒を運ぶ。客がくると、「いらっしゃいませ」と笑顔でむかえる。

 子供を酒場で働かせるのもどうかと思ったが、意外に使えるので、まあいいかと思った。ジャンがこの子くらいの年の頃も店の手伝いをしていた。ジャンの方はいやそうにだったが。

 夜遅く最後の客が帰り、

「今日はもう店じまいだ。明日は昼ごろきてくれればいい」

 といわれて、シオンは裏の小屋にもどった。疲れていたし、眠かった。


 小屋にはいるとジャンがもどっていた。他にも5~6人同じような年頃の青年たちがいる。みんなでお酒をのんでいた。

 何だかよくない雰囲気がした。

「昔のダチだ。あいさつしろよ」というので「こんばんは」とぺこりと頭を下げる。

 連中はにやにや笑って肘をつつきあい、シオンをながめる。

「服を脱げよ。裸になってこいつらの相手をしてやれ」とジャンが命令する。

 シオンはため息をつく。

「いやだよ。なんで僕がそんなことしなきゃいけないのさ?」

「お前が男なしでいられない淫乱だからさ」

「僕はジャンの恋人でしょ?」

「恋人ごっこは終わりだ。俺はお前のヒモ、お前は俺のために身体を売ってかせぐ。せいぜい貢いでくれよ」

「ひどいな。本気なの?」

「もちろん。最初からそのつもりだったさ」

 シオンは目の前が真っ暗になる気がした。

 でもすぐに気持ちを切り替える。

 こんなのどうってことないさ。

「いいよ。誰から? なんだったら全員一緒でもかまわないよ」

 ゆっくりと服をぬぐ、みせつけるように。

 白い身体。細長い手足。プラチナブロンドの髪。ライトブルーの瞳は宝石のようだ。

 シオンは微笑んだ。

「……気持ちよくしてよ……僕と遊ぼうよ……」


 よつんばいになって後ろから犯される。別の青年のものを口にくわえさせられる。肌がなでられ、乳首をつままれる。手にも握らされる。

 少し離れたところで、その全部をジャンが冷たい目で眺めている。

 ジャンに見られていると思うと、いつもより感じた。

「こんな子供に、こんな大勢でいいのかよ?」

「いいんだよ。こいつにとっちゃ、このくらい朝飯前さ」

「すごいな、この髪。さらさらで」

「肌もすごい。すいつくみてえだ」

「しゃぶるのうまいな。プロみてえだ」

「……女をやるよりいい……」

「はやくかわれよ」

「まだ……もうちょっと……」

 大騒ぎで交代で犯した。

 シオンは目の前にかすみがかかり、もう何も考えられない。

 自分を祭壇にささげられた生贄のように感じる。

 うめきあえぎ屠られる生贄の子ヤギかなにかだ。


 さんざんもてあそばれて、シオンはぐったりと横になる。足の間からは血を流している。

 青年たちは取り囲んで見下ろして、少し心配になる。

「……やりすぎたかな?」

「死んだんじゃねえの?」

「まさか……」

 ジャンが近づいて声をかける。

「どうだ? 満足したか?」

 死んだように横になっていたシオンが身を起こす。

「……まだだよ……まだ足りないよ……」

 ジャンを手招きする。

「…きて…」と。

 ジャンのものをしゃぶり、のみこんで、くちもとを手の甲でぬぐう。

「……おいしい……」と。


「こいつすごいだろ?」

 みんなはこくこくとうなずく。

「すけべそうなオヤジに声かけてつれてこい。お前らはただで遊んでいいぞ。金はそうだな……いくらがいい? 自分の値段だ」

 シオンは適当な値段をいった。それは安い売春婦なら5回は買える値段だったが、みんなはうなずいた。

 この少年には、そのくらいの値段が妥当だと。

 飲みなおそうと彼らは出て行き、シオンはベッドの上で裸の身体の上に毛布を引き上げる。

 最初からそのつもりだったっていってた。

 ショックだったけど、なんとなく予感はしてた。優しそうにふるまっても、狼の本性はすけて見えてた。

 僕が身体を売って、彼はヒモで、お金を貢ぐ…… 

 かまわないさ。ジャンのそばにいられれば……

 でも彼はほとんど帰ってこなくなる。


 昼は酒場の手伝いをし、夜は小屋で身体を売る。そんな生活がしばらく続いた。

 シオンを目当てに客が増えて、店は少し繁盛した。

 小屋にシャワーはあったが水しかでなかったので、ストーブで火を起こしてお湯をわかした。

 身体はいつもきれいにしていた。汚れたままにしておくのはいやだった。ジャンがいつ帰ってくるかわからないから。

 木箱の中から古着をみつけて着替えにした。ジャンが昔着ていたものかもしれない。

 着替えもシーツも手洗いして部屋のすみにほした。意外に楽しかった。

 ジャンの子分が時々お金をとりにきた。そのたびに相手をした。

「……ジャンは何をしてるの?」

「……いろいろだよ……武器をそろえたり……手下を増やしたり……麻薬を売ったり……」

「麻薬?」

「ああ、一番金になるって……」

 時々聞く話はどんどん物騒になる。

 この町のギャングと抗争になった。ジャンは何人か殺して残りは傘下にした。今は隣町のギャングともめている。

 ジャンがどんどん遠くなっていく……


「いい子にしてたか?」

 久しぶりに会えてうれしい。

「ちょっと出かけようぜ」

 ふたりででかけるのは初めてだ。シオンはほとんど小屋にひきこもっていたから。

 ジャンの右頬の十文字の傷跡は、もとがきれいな顔だったから余計にすごみが増して見える。

 黒い皮革のロングコートは悪そうで、とても似合っている。

 夜の街路を並んで歩く。

「どこへ行くの?」

「いいところ」

 いやな予感しかしない。

 でも素直についていく。

 抱きしめてほしい。キスをしてほしい。優しくしてほしい。

 でも言葉にならない。

 多分無駄だと知っているから。


「ここは?」

 つれてこられたのはさびれたホテルの一室。

 カメラと照明と数人の男たち。

「お前を主役にブルーフィルムをとる。あっちの3人は相手役だ。ちまちま稼ぐより効率いいからな」

 シオンはため息をつく。

「相手役はジャンがいいな」

「よせよ。俺は顔出しNGだ」

「僕は顔をうつしてもいいの?」

「お前の顔はきれいだから、せいぜいアップでとってもらえよ」

 じゃあなと手をふって帰ってしまう。

 シオンはさびしそうに見送る。

 せめて終わるまで見ていてくれればいいのに。

 それさえも面倒なのだろうか?

 涙がぽろっとこぼれる。


 撮影はハードだった。

 3人がかりで犯された。プロだから容赦がない。

 縛られて、ムチで打たれた。

 背中が焼けるように痛い。耐えられない痛みだった。皮膚がさけて悲鳴がほとばしった。

 目隠しとマウスピースも初めてだった。涙とよだれがとめどなく流れた。

 バイブも使われて、身体の中でうごめく異物感に気が狂いそうになった。

 声が出せないから、うめくしかない。

 気を失えれば楽になれると思ったが、それさえできない。

 撮影が終わったあとは、監督やカメラマンにも犯された。

 がまんできなかったらしい。

 もうどうでもいいと思ったとき、やっと暗闇の中に落ちていけた。

 死んだ方が楽かもと、最後に思った。


 気がつくと小屋にもどっていた。誰が運んでくれたのだろう。

 ジャンだったらいいなと思ったが、子分の誰かかもしれない。

 身動きすると背中の傷が痛んだ。

 傷薬があったのを思い出して、手探りで背中にぬった。

 まいったな。あれは何度も耐えられそうにない。

 でもきっと、そのうちまたやらされるだろう。

 逃げ出そうかなと一瞬だけ思った。


 シオンはやせて透き通るような肌の色になり、ますます人間離れした美しさになった。

 シオンを目当てに酒場の客は増えて、夜の客も増えた。

 ブルーフィルムは飛ぶように売れて、おかげで客も増えたらしい。


 いつものように客の相手をしていると、ジャンがやってきた。

 ひさしぶりだった。

 客はあわてたが、

「俺のことはかまわないで続けてくれ」という。

 冷たい目でシオンを見ている。

 見られていると余計に感じるのはいつものことで、シオンは腰をふってよがり声をあげた。

「こいつはすごい」と客がよろこぶ。

 ジャンは前をあけて、

「俺のもしゃぶってくれよ」という。

 シオンは夢中でしゃぶりついた。

「どうしようもない淫乱だな」といわれる。

 自分でも浅ましいと思うが、ジャンに対するとこうなってしまう。

 好きで好きでたまらないと思う。

 たとえ彼にほかの女の匂いがこびりついていたとしても。


 客は満足して余分に金をはらって帰っていった。

 ジャンは帰らない。

「どうしたの?」

 また悪い予感がする。

「考えてるんだ。お前がどうして逃げ出さないのか……」

「どうしてって……ジャンが好きだからだよ」

「俺のどこが好きなんだ?」

「どこって……全部だよ」

「……わからないなあ……お前はどんどん汚れて、ぼろぼろになっていくはずなのに、ますますきれいになっていく。得体が知れなくて薄気味悪い……だから逃げられないように、つなぐことにした」

「つなぐって?」

 ジャンはポケットから長い鉄の鎖を取り出した。

 片方の輪をシオンの右足に、もう片方の輪を配水管のパイプにつないでカギをかける。

 シオンはふるえる。

「こんなことしなくても、逃げないよ!」

 必死でいうがとりあってもらえない。

 彼はシオンを抱きしめてキスをする。うっとりするようなキスを。愛されているのかもしれないと勘違いしてしまいそうなキスを。

「……僕を抱きしめて……ずっとそばにいて……」

 けれど次の瞬間には突き飛ばされる。

「まって、いかないで!」

 叫んでも降り向かない。

 行ってしまう……

 シオンはジャンの名前を何度も呼んで泣き崩れた。


「……助けて……」

 客に頼んでみたが、かえって嗜虐心をあおるだけだとわかった。

 新しい面白い趣向だと受け取られたらしい。

 助けを求めるのはやめにした。


 鎖を切ろうとそのへんにあった刃物や固い物でたたいてみたが、かすり傷しかつけられない。

 だめだ……

 片足を切り落とせば抜け出せるが、そんな勇気はない。


 もう3日目、さいわい水道には届いたので水は飲めたが、何も食べる物がない。

 背中の傷は栄養が足りないせいかいつまでもなおらず、熱をもって痛み、うつぶせに寝るしかない。

 身体的にも限界だったが、精神的なダメージの方がきつかった。


 ジャンは僕が死ねばいいと思ってるんだ。

 悲しいけどそうとしか思えない。

 なんでそこまで憎まれるのだろう。

 彼のいうとおりにしてきたのに……

 もし殺されるのならひと思いにやってほしい。首をしめるとか、ナイフで心臓をえぐるとか……

 そのほうが余程楽だ。


 不意にドアがあいて、酒場の店主が驚いた顔で立っているのが見えた。

 そうだ、彼がいた。

「……助けて……」もう一度だけ頼んでみる。

 彼は近づいてきてシオンの頭をいとおしそうになでた。

「可哀相に…何であいつはこんマネを…」

 シオンがみつめていると、彼は苦しそうに語りだした。

「俺が悪いんだ。酒に酔ってあいつを母親と間違えて乗っかった。そのあともやめなかった。あいつはそれをネタに俺をおどした。グレて悪い仲間に入って、家出を繰り返した……すまないが助けてやれない……」

 シオンはため息をついた。

「……じゃあ、殺して……お願い……」

 彼は首を振って去っていった。


 今日は何日だろう、指折り数えて、ノエルの夜だと気がついた。

 今日は特別な日だ。イエス・キリストが生まれた日。自分が生まれた日。そして両親が死んだ日……

 だから今夜は誰も客がこない。きっと家で家族と一緒に過ごしている。ケーキを食べ、シャンパンを開け、楽しく過ごしている。

 今年のノエルは誰とも一緒にいられないのがさびしい。

 熱で頭がぼうっとする。咳が出て止まらない。

 最後のまきをストーブにくべて、それが燃え尽きるのをじっと見つめている。

 今夜はとても寒い。外は雪がふっているのかもしれない。火が消えたら、この部屋もとても寒くなるだろう。朝になったら凍死しているのかな?

 もうひとつ特別な日になる。

 僕が死んだ日に……

 ジャンにもう一度会いたかった。彼は何をしているのだろう?

 きれいな女の人と一緒にいるのかもしれない……

 テーブルの上には店主が差し入れてくれた食事が乗っている。食べ物だけは彼が差し入れしてくれるようになった。けれど数日前から食べる気がしなくなった。身体が受けつけなくなったというほうが正しい。

 まあいいや。

 毛布にくるまって眠る。

 多分もう目が覚めないだろうと思いながら……


 助けだされたあと3日間シオンは意識不明の重体だった。

 肺炎と敗血症で死ぬ寸前だった。

 目がさめると枕元にベルがいた。

「もう大丈夫よ」とベルがいう。

「……誰が助けてくれたの?……」声がかすれる。

 鼻腔に酸素チューブがあてられて、シューシューと音がしている。腕には点滴の管がつけられている。

「酒場のオヤジさんよ。警察と消防署に電話したあと首を吊って死んだわ」

 シオンは驚愕する。

 死ななくてもよかったのに……

「ジャンは?」

 彼が心変わりして助けてくれたのならよかったのに。そんなはずないか。

「隣町のギャングとの抗争に破れて行方不明。何人も死人がでたけど、その中にはいなかった。素人が麻薬カルテルに手を出すものじゃないわ。逃げたのか、つかまったのかわからない。今頃はコンクリート詰めにされてドーバー海峡に沈んでるかもね」

「そんな……」

 シオンはみるみる涙ぐむ。

「落ち着いて。ごめんなさい。余計なこといったわね」

 呼吸困難になる胸をさする。

 この子はあんな目に会わされたのに、まだジャンを好いている。

 

 ドーバー海峡に沈めるのはやめにしよう、と彼女は思った。ジャンは今、彼女の手の内にある。相手方のギャングに力を貸したのも組織だ。田舎のギャングの抗争などたかが知れている。

 ブルーフィルムの回収も進めている。専門家にまかせているが、完全に回収するのは不可能だといわれた。まあできるかぎりのことはしてくれるだろう。

 でも危なかった。もう少しでシオンを死なせるところだった。

 ジャンはパリの社交界に出入りしていたのに、出自を完全に隠していて、組織が総力をあげても居所をつかむことができなかったのだから。フランスのどこかの田舎町、ジャンというどこにでもある名前だけでは。

 酒場のオヤジさんの電話がなかったら、シオンは死んでいただろう。

 彼が息子の代わりに責任をとったのなら、ジャンは生かしてやってもいい。気骨があればまたのしあがってくるだろう。

 彼もまたシオンの魔性につかまったひとりなのかもしれない。対応は最悪だったが……

「もう大丈夫よ、シオン」

 彼女はもうシオンを見失わない。右の踵と左の鎖骨の下にマイクロチップを埋め込んだ。

 誘拐対策にもっとはやくそうするべきだった。

 今度の事件がシオンにどんな影響を及ぼしたのか、それをみきわめるために、彼女の処分は保留にされた。

 まだ先の見通しはまったくたたない。



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