『食料』

「ねえ、アレク。ねえ、ねえってば」


 アレクの頬に涙が滴れる。その涙は勿論、リューネから流れ落ちるものだ。

 絶望に満ちた表情で何度もアレクに問いかける。返ってくる返事は一度たりともない。


 リューネは泣いては駄目だと自分に言い聞かせ手で涙を拭うと必死で溢れ出そうな涙を堪えた。しかし感情には勝てない。我慢したところで悲しい、寂しい、そんな感情は消せない、ただ絶望の淵を歩くだけ。煌めく涙が静かになったダンジョンの中に溶け込んだ。


 ――刹那、辺りが一気に暗くなる。


「これは?」


 リューネは不可解な現象に動揺を隠せない。頬を何度も叩きながらこの状況から抜け出そうとする。だが一向に戻る気配はない。


 何が起こっているのか把握する為に辺りを入念に見渡す。景色はなんら変わりはない、同じ場所のダンジョン。だが感じる違和感、自分に纏わりつくような闇に満ちた何かがそこにある。


「何なの? 何かあるなら早くして」


『カカカ、なんじゃい助けてやろうと思うとったのに、随分と上からくるじゃないかのぉ。先代もそうじゃったがお前はいつ見ても変わりはないんかい。しっかし、随分と深い闇だこと。自分からわしを呼び出すとはなかなかのもんじゃい。して、この起死回生の手段でも教えて欲しいんかい?』


 突然の声に腰を抜かす。人気はない、モンスターだっていない。けれど確実に聞き取れる老人の低く掠れた声。


 リューネは夢でも見ているのかとおもむろに目を擦った。だが誰もいない。充血しかけの目には誰も写ってなどいない。縦横無尽に首を回し一回転しそうなくらい首を動かすがやはり誰もいない。


「さっきのは何? 夢?」


『そんな訳あるかいな。わしはちゃんと存在しとるわい。だが実態はないからのぉ、どれだけ見渡しても見えないのは仕方がないことじゃわい。でも安心せい。お前さんから見えないとてわしからは見えてるからのぉ。んで、この声はお前さんの頭ん中に直接送り込んどる。ただそんだけの話じゃわい』


「頭の中に直接……思念魔法の類か何か?」


『いやそういうのじゃなくてだな。わしの会話は結果的にこうなるだけであって……』


「理屈はよく分からないけどいいや。で助けてくれるって何を?」


『そりゃぁお前さんの目の前に転がるそいつを治療するんじゃよ』


「そんな事が可能なの? なんで今まで見てみぬふりだったの?」


『まったく質問の多い餓鬼じゃのぉ。まず可能かどうかだが可能に決まっておるだろう。わしを何だと思っとるんじゃ。それと見てみぬふり、それは表現が正しくない。出たくても出れないといった感じか。わしの発動条件は絶望に満ちた時だからのぉ』


「あなたはいったい誰なの?」


『わしは魔王に代々受け継がれて来たスキル『魔王の権力』だ。世界の概念をねじ曲げる程の強さを誇るんじゃぞぉ』


『魔王の権力』は矜持するように言った。リューネには見えていないが多分胸を張って言っているのだろうと感じる。


 ピシリと空間に亀裂が浮かび上がる。なんら変わりのない世界だが一つの気配が消えていくと同時に現実に戻ってきたと実感する。


「私のスキル?」


 スキルが無いと言われてこの現状に至るというのにも関わらず、目に見えない老人は言った。魔王に代々伝わるスキル『魔王の権力』だと。


「私になんで魔王に伝わるスキルなんかが……でもアレクを救えるのはこのスキルしか」


 世界の概念すらもねじ曲げるという『魔王の権力』ならばアレクを治療するのも容易いだろう。


 リューネが今まで勉強してきた中には聖術という神に祈りを乞う事で傷を癒やすというものがあった。しかし、リューネのスキルは『魔王の権力』神とは正反対の恐らく魔術と思われる。


「魔王に祈りを捧げるなんて事はしない筈だし……こうすれば出来るのかな?」


 手を翳しアレクの治療を頭の中に浮かべる。すると傷だらけのアレクの体が癒えていき、峠を越える。


「う…あぁ……よく寝たー」


 アレクは何も知らずに大きく伸びをして目を覚ました。リューネの苦労などこれっぽちも知らず、


「リューネ、なんで泣いてんの?」


「何でもないわよ。ただ私も眠たくなったから欠伸が出ただけ」


「そっか、なら俺の横で寝るか?」


「寝ないわよ!」


 すっかり元に戻ったアレクのペースにリューネがつられていく。


「ったく、心配した私が馬鹿だった」


 ◆◇◆


「なぁ腹減ってきたな。飯にしない?」


「いや、ここはダンジョンだぞ。腹の足しになるものなど……」


「確かになー、でも俺がスライム倒した時にドロップアイテムでスライムの一部が出てきたんだよ。それなら食えそうだなぁと思って」


「スライムとはあの液体怪物の事か? あれを倒したのか? 確かに剣が増えて倒せそうになってはいるが……ってアレクもスキルを得ていた!?」


「何だよ騒がしいな。アレクもって事はリューネも気づいてたのか。俺達にはスキルがあるって事を。なら説明が早くて助かるぜ。そう俺にはスキルがあった、その名も『神聖魔法』。そんでリューネのが『魔王の権力』だろ。まぁそんな感じで俺達『異物』とされたスキル無し人間は実はスキル有りの最強人間だったと。俺のスキルはなんかまだ扱いに値しないとかでこれを渡されたんだけど、これでモンスターをズバズバ倒してその時にスライムも倒したからスライムのドロップアイテムが分かるって訳だ」


「そうか、それであんな惨状となった訳か。どれだけ凄惨な戦いをしたらそうなるのやら。――スライムのドロップアイテムについては分かった。だが、あれの一部を食べるなど死んでも嫌だ!」


 リューネはアレクがスライムに勝てたという理由には納得し、ふむふむと頷いた。異彩を放つその剣からは確かにそれ程の強さを感じるからだ。アレクの強さについては今後役に立つだろう。しかし食料不足だからといって食べれそうな液体モンスター、スライムの一部を食べるなどという暗弱な考えには全く賛同出来ない。グチャグチャで緑色をした個体か液体か分からないあの一部などゲテモノもいいところだ。


「でもあれを食べるしか……」


「絶対に嫌だ」


「何でだよ、そんなんじゃ死ぬぞ。まぁ俺が狩ってきてやるからここで待ってろ。空腹が極限になったら食べるしかなくなるだろ」


 アレクは俺に任せろと強く胸を張ると颯爽とダンジョンの中を駆けていく。剣を右手に持ち頼りなさそうな男の背中が今は頼りがいのある男らしい背中に変化していた。


 ◆◇◆


「リューネ、持って来たぞー」


 アレクの剣を持つ反対の手にはブニュブニュとした緑色の液体が乗っかっている。アレクがリューネに向かって駆けていく度にプルンと揺れ、まるで色の違うプリンのようにも見える。


「はいよ、まぁ食べてみろよ。美味かったぞ」


「食べたのか? お前はこれを食べたのか?」


「まぁな、すっげー腹減ってたし、美味そうだったからさ」


 これのどこが美味そうなんだという感情を圧し殺しアレクから渡されたスライムの一部を見る。ドブのような色をしたこのプリンは本当に美味しいのだろうか? いいや美味しい筈がない、なんせ元はあのスライムだ。リューネは葛藤の末食べない事を決意する。


 ――が、


 ぎゅるるるる


「なんだ腹減ってるのか? なら無理せずに食べればいいのに」


「これを食べるほうが無理をするわ!」


「なんでーこんなに美味いのにー」


 アレクはスライムプリンを口に放り込み美味しそうに飲み込んだ。


「くそ、食べるか、食べないか……食べなければ死ぬ、こんなに空腹を感じるのは久しぶりだ。だがこれは本当に安全なのか? 教科書にも載ってないようなこの物体を食料と呼んでいいのか? 安全性は確証されているのか? されている訳がない、勝手に食料にして美味い、美味いと言っているのはあいつだ。信用できない。ここはもう自力で何か食べられそうな物を探して食べるしか……しかしそんな体力はもう何処にも……スキルを使えば、いけるか? 世界の概念もねじ曲げるんだからそれくらい……、――そうか!」


「何をブツブツ呟いてるんだよ。ようやく食べる気になったのか?」


 晴れ晴れしい顔になったリューネは「あぁ」と首を縦に振り、手に魔力を集めた。


 魔力は収束する度に実態を創り出していき、次第に二人が見たことのある形へと変貌を遂げていった。魔力が霧散するとそれは姿を表す。


「すげー、で何をしたんだ?」


「一から創り出す事は出来なかったが、アレクの取ってきたそのスライムをこれに変えた」


 リューネの手元には黄色い皮に包まれている、三日月型の長い棒がある。


「そ、それは――バーナナ?」


「そうバーナナだ。これはエネルギー補給にはピッタリの食料だ」


「ま、まじかよ。俺にも創ってくれ」


「いいぞ、ただし条件付きだ。私はこれを創るのに相当負担がかかる。だからこれの元になるものを何でもいいから取ってこい」


「そんなんでいいのか。よし、やったるでー」


 アレクはまたしても剣を手に取るとダンジョンへモンスター狩りに出かけた。

 するとどんぶらこ、どんぶらこと胃の中をスライムの破片が流れていき――


「っつ!」


 アレクはダンジョンの岩影へと一目散に走る。


 ………………


 …………


 ……


「はぁスッキリしたー。急に腹が下るからビックリしたぜ。俺なんか悪いもの食ったかな?」


 くれぐれもみんなはスライムの破片を食べないようにしましょう。

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