37.○あふれ出す想い
ふと目を覚ますと、辺りは闇。
怖いくらいに、しん、と静まり返っている。
何時頃だろうかと伸ばした手が届く範囲に時計もなければ、スマホも見当たらない。
目が暗闇に順応し、慣れるにしたがって、ぼんやりと周りの様子がわかってくる。
「あれ?ここ、どこだっけ」
契約の切れたかつてのアパートを出て、ハルアキとの新しい生活を始めたのは、あれからすぐのこと。
龍那と過ごしたあの部屋が他の人の手に渡るのは辛いけれど、いつまでも龍那に縋っていられないから。
こうすればきっと、前に進める気がしていたから。
「 あ、そっか」
私は、まだ眠たい頭をふるふると振って起こす。スマホを探そうと眠気眼を擦ると、
「起きたか?」
最小限抑えられた優しい声がした。
べッドから身体を起こして声の方を見ると、闇の中から怜らしき人物の顔が朧に浮かび上がる。
「怜?あ、そっか!三人で飲んでたんだっけ」
ベッドのすぐ下のフローリングで、布団にくるまりながら身体を起こしている怜。
その隣で気持ちよさそうに眠っているハルアキを起こさぬようにと、同じボリュームで返す。
「そ。まーすぐ潰れた奴もいるけど」
「あ~ごめん。でも、怜何で起きてるの?眠れない?」
「は?これが顔面に落ちてくれば眠ってなんかいられるか」
これ、と怜が指したものは私が使っていたはずの低反発枕。
「あ、あれ?いつの間に」
「どんな寝相してんだ?布団も掛けないで」
「ごめんね。何か寒いと思ったんだけどさ」
「おい、風邪ひくなよ」
怜はやれやれ、と重たい腰を上げて立ち上がった。
「ちょっと待ってろ」
どこへ行ったのかと思えば、しばらくして湯気の立つマグカップを2つ手にして戻ってきた。
「ホットミルク飲む?」
「ありがと」
爆睡中のハルアキを起こしてしまわないようにと、細心の注意を払いながらマグカップを受け取る。
「そっち、行ってもいいか?」
ただ怜が隣に座っているだけなのに何故かドキドキしてしまう。薄暗いベッドの上、というシチュエーションだけで特にときめくような事はないのに。
「あ~体温まるぅ~」
正直ホットミルクはあまり好きではないけれど、心と身体に深く染み渡った。
「なぁ、涙華」
切り出しておきながら「何?」と聞いた私を無視して押し黙った怜。
彼は一度も口を付けずに、マグカップをベッドサイドに置いた。
「どうしたの怜?もう眠くなった?」
「いや。……結婚、決まったんだって?良かったな」
と微笑む。
良かったなんて、そんなにステキな笑顔で言われたくないと思った。
「どうした、嬉しくないのか」
「うんん。……それだけ?」
「は?」
「だから…それだけしか言ってくれないの?私がハルアキのものになっても、何とも思わないの?何も言ってくれないの?」
こんなこと言うつもりじゃなかったのに、あまりにも怜が嬉しそうに笑うから。
「涙華?……どうした?」
「ち、違うの!そーじゃなくて…だから、その…私たち、友達でしょう?だから…もう少し祝福の言葉くらい、くれてもいいかな、って」
もうすっかり目が闇に慣れてしまっていて、すぐ傍にある彼の表情はなんとなく見て取れた。
だから余計に気持ちが急いて…胸が妙に騒いで、心が、熱くなる。取り繕おうと必死な私を裏切って、口を突いて溢れ出る想い。
「何か、言ってよ。ねぇ、怜……お願い」
最後はもう、懇願していた。
彼が何か言ってくれないと、恥ずかしさでこのまま壊れてしまいそうだった。顔を見ることも、その場から逃げ出してしまうこともできずに。
もちろん、ハルアキのことは大好きだし大切に思う。その彼と結婚できるなんて嬉しいことだし、本当に幸せだと思う。
けれど、何かが違うのではないかと思う自分もいる。ごまかそうと逃げているだけ。ズルくて汚い女だ。
「涙華、ハルアキとなら絶対幸せになれる」
「な、何?それ。未来が見えるわけ?」
「大丈夫、だから」
穏やかな、低い声。
耳元に触れるか触れないかの優しい吐息を、わずかに感じる。
彼の言葉一つひとつに重みを感じ、心にまで染みた気がした。
「変な怜~」
言葉とは裏腹に、大粒の涙が溢れてくる。
「泣くなよ」
怜はこの涙を予想していたかのように、静かに微笑みながらそう言って、私の頭を撫でてくれる。
「泣くなって。でも、俺は本当にお前らの幸せを願ってる」
私は、ただただ頷くことしかできなかった。
でも、それだけで十分幸せだった。
どんなに想っても怜の心にはずっと違う人の存在があり、そこに入り込むことは絶対できないから。
「ごめん、ごめんね…」
そんな彼の幸せを壊したのは私なのに。
煉さんに沙奈瑚さんの居場所を教えて、彼から最愛の人を引き離すきっかけを作った。
あの時、
『でも私、間違ったことしたと思ってない』
怒った彼に対して偉そうに現実を突き付け、傷つけた。
今でも正しいことをしたと自信を持って言える。
けれど、沙奈瑚さんのため、想い合うふたりのため、と理由づけはしたが、本当にそれだけだっただろうか。
もしも沙奈瑚さんの気持ちが怜から離れてくれたらと……そんな風に少しも考えなかっただろうか。
私が彼の幸せを壊しておいて、さらにお酒や女に逃げないようにと道を塞ぎ、どん底にいる彼を救おうだなんて、甚だしい。自己満足でただのお節介にしか過ぎない。
会社で一度、女性と抱き合う彼を見たことがあった。違う女性とも噂がある。誰と付き合おうが私には何も口を出す権利はないけれど、今夜だけ、今だけはきっと、私のもの。
これからはずっと“友達”でいる。
だから知らないで、私の心。
壊れてしまわないで…今の、この距離。
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