33.☆堕落

「怜さん…今日は、何かあったんですか?」

「何が?」

 濃厚なキスを交わしながら、ふと彼女が熱い息と共に小声で言った。

「だって、何かいつもより…強引、だから…」

「そ?」

 笑いながら彼女の項に唇を這わせて、軽く吸う。声を出さぬようにと息を止めていた彼女の唇から漏れる吐息。

 感情などカケラも込められていない愛の言葉を囁いて、もう一度キスをした時、後ろで小さな物音がした。

 もう誰も居ないはずの社内で、パタパタ、と走り去る足音。

「え?まだ誰か残ってるんじゃ……」

 嬉しそうに身を捩らせながらも、スカートの中に忍ばせた手をやんわりと拒否される。そもそも羞恥心があるのなら、こんなところで誘いに乗らなければいいのに。

「警備の奴だろ」

「えー」

「どうでもいいだろ」

「で、でも…」

 資料室の棚を背に、シャツの胸元を広げ淫らに呼吸を荒げているというのに、今更イヤよはないだろ。

「じゃぁ、やめてもいいけど」

「ご、ごめんなさい」

 くりくりとした大きな可愛らしい瞳が潤み始め、恥ずかしそうに上目遣いで求めてくる。

「だったら、少し黙れ」

 俺は、濡れた唇を再び塞ぐ。

 もう何も聞きたくなくて、息を激しく絡め合う。

 誰が見ていたとしても構わない。この焦燥感さえ紛れるのなら、どうなってしまってもいい。

 初めは、スレンダーな体型と長い髪の色、大きな瞳が沙奈瑚に似ていると思った。

 もう愛しい人は戻らないだろうから。

 だから、抱いたのに。

 何故だろう。最近心が妙に騒ぐ。

 沙奈瑚と共に思い出してしまう、あいつ。

『誰も、悪くない』

 そう言って涙を流した涙華のことが、頭から離れない。

 何故?

 何もかもぶちまけるかのように、俺は無理に彼女の下着を剥ぎ取った。

 一瞬でも、何もかも忘れられるのなら。

 女の口から愛の言葉が零れても全く何も感じることはないのに、あいつはどうして俺の中にいるのだろう。

 以前、酔っ払った涙華にキスをされた時、俺は彼女に何と言った?

『酔ってるからってこういうのよくないんじゃない?』

 偉そうに。

 幸せの中にいた俺は忘れてしまっていたんだ。想いが届かずあんなにもがき苦しみ、誰これ構わず助けを求めていた昔の自分を。また再び、自らの惨めな立ち位置に気づかされた。

 もう何がどうなってもいい。

 ただこの乾きが満たされるなら、と。

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