30.○3人目のあの人

 昨日からのどしゃ降りの雨のせいで、お昼近くになった今でも地面はしっとりと濡れたまま。一度は止んだ雨だけれど、これが雪に変わるのだと今朝の天気予報で言っていた。

 霊園に着いた頃には、さっきよりもぐっと気温が低くなっていて、吐く息も白くなる。

「龍那ぁ怒ってる?怜のことが気になってるけど…もちろん愛してるのは龍那だけだから」

 龍那のお墓に向かって言い訳をしても、もちろん何も返ってこない。

 怜との出逢いは、龍那にそっくりだったから。そんな理由だったけれど、中身はまったく違っていて、意外と繊細で一途な怜のことが頭から離れない。

 夢の中の出来事だと思っていた彼と再会したのも、この霊園だった。

 そしてふと、怜の両親が眠っている一番奥のお墓を見ると、

「あれ?……りゅう、じゃなくて…怜?」

 見覚えるのある男の後ろ姿に、私は咄嗟に思いついた名を呼んでいた。

 呼ばれた本人は私の声など全く気づかないまま、 墓の前に屈み込む。

「怜…だよね?」

 もう一度、今度は近くまで行って「怜?」と呼ぶと、驚いて振り返った彼。

「今、なんて?」

 ゆっくりと立ち上がった彼は、怜ではなかった。もちろん龍那でも。

 彼らと背格好や雰囲気は似ているけれど、一番の違いは大きな二重。

 太めの眉を顰めて言った彼に突然腕をつかまれる。

「君、今怜って言った?あいつを知っているの?」

「は、はい。後ろ姿が怜に似てたから。人違いでしたすみません」

「仕方ないよ」

 怖くなって身を引いた私の手を「ごめん、ごめん」と離して、彼は豪快に笑う。あのふたりとは違う笑い方。

「怜は、僕の弟だから」

「え…弟?」

 言われてみれば、その笑みもどこか面影があった。

 大きな瞳や、太い眉、うっすらと浮かぶ笑窪。顔のパーツパーツは違うのに、総合的に見ると兄弟という言葉に納得できる。

「ということは…煉さんですか?」

「僕のことも知ってるんだぁ。僕そんなに有名?」

「あ、でも私、沙奈瑚さんに教えてもらうまで有名な写真家さんだなんて全く知らなくて。ごめんなさい」

「君正直だなぁ。ま、いーのいーの。でもよかった~怜の知り合いに会えて。もしかしてあいつの彼女?」

「ち、違います!そんな冗談言ってる暇があったら、早く沙奈瑚さんに会いに行ってあげてください」

 温厚で人懐っこい笑顔。

 あのふたりからは考えられない程の軽快なトーク。

 こんな風に振る舞っていれば怜や龍那だってもっとモテルのに、とふと思った。

「沙奈湖に会いに行く前に両親の墓に寄っただけ。まだあのマンションにいるかどうかもわからないけどね。怜はあれから電話に出てくれないし」

 ふぅ、と肩を落として言う煉さん。

 けれど淡々と語る彼の言葉に真意を感じ取ることができなくて、ついカッとなる。

「それは2年も連絡しなかった煉さんが悪いです!怜が怒るのも当然ですよ」

「わかってる。…怜の気持ちを知り、沙奈瑚も俺なんかといるより幸せになれると思って…もう戻らないつもりでふたりの前から消えたんだ。…でも、僕にはやっぱり沙奈瑚が必要だから」

「気づくのが、遅いですよ」

 私にとって2年という歳月は今思えば長いようで、一瞬の出来事のようにも感じたその時間の中でいろんな事がありすぎて、その一日一日をどんな風に過ごしてきたのかは思い出すことができない。

 私は、もう龍那には会えないとわかっているから、どんなに想っても帰ってこない人だとわかっているから、この2年は短かったように感じたのかもしれない。

 けれど、沙奈瑚さんにとっては?

「どうして、2年も」

「沙奈瑚には本当に悪いと思ってる。元気でいてくれたらそれでいいって」

 人懐っこい煉さんの笑顔が、愛しい人だけに向けられる微笑に変わる。

「ここ最近はずっと戦地で仕事をしていて死を身近に感じる事が多い中で初めて気付いたんだ……僕の中で沙奈瑚の存在がどんなに大きかったか。叶うのなら一緒に…」

 沙奈瑚と生きていきたいと、彼は強く言った。

 ただ軽く笑っていただけの瞳に、心なしか優しさが生まれ、そこに彼女への愛を確かに感じた。

「沙奈瑚さんを今でも愛してますか?」

 煉さんは何も言わずに、ただ静かに頷いた。

 その言葉と心を信じて、私は煉さんに一枚の葉書を差し出した。

 それは彼女がイタリアに旅立ってから、しばらくして送られてきたものだった。

「住所、書いてあるでしょ?沙奈瑚さん、少し前からそこに住んでるみたいです」

「ありがとう。すぐ、迎えに行く」

「怜に会って行かないんですか?」

「あいつには、昔から迷惑ばっかり掛けてるから。今度こそ、許してくれないかも」

 言って、煉さんは大きな瞳を細めて晴れやかに笑った。

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