27.☆消えない声
アパートに帰って初めて、スマホに沙奈瑚からの留守電があることに気づいた。
『まだ仕事中かしら。忙しそうね。また後でね』
このメッセージが残された時間は、今から数分前。
その頃は移動中だったから、気づかなかった。どうしてこうもタイミングが悪いのだろう。
日々の生活の中で、この一時だけを楽しみに仕事をしているのに。
けれど彼女は『また後で』と言っていたから、その間に急いで熱いシャワーを浴び、ひとりきりで遅い夕食を済ませた。
そうして一時間ほど過ぎた頃、再びスマホが鳴る。
『もしもし、怜?今大丈夫?』
心に積もった汚れや疲れが、すぅっと癒えていくような澄んだ声。
良く通る美声が、心地よく耳をくすぐる。
「あぁ。待ってましたよ」
『どうしたの、酔ってるの?』
「わかる?」
俺は無駄についていたテレビを消し、ベッドに身を投げた。
目を伏せて、彼女を抱きしめているかのように。声を楽しむ。
「待ちくたびれて、少しビールを」
『ビールなんてめずらしいわね。なにか嫌のことでもあったの?』
「仕事で疲れただけ。沙奈瑚の声聞いたら、もう吹っ飛んだ」
『それは嬉しいわ。でも、仕事大変そうね。涙華さんはどう?頑張ってる?』
「涙華?さぁどうかな?…そんなこと関係ないだろ」
『怒ってるの?』
「え?まぁ…実は、ケンカして…」
俺は、あの日のことを沙奈瑚に全て話した。
涙華に現実を突きつけて泣かせてしまったこと。まさか、また叩かれるなんて思っていなかったけれど。
「まぁ俺も言い過ぎたとは思ってるけど。あいつも、悪いし」
『そう。彼女も、悪いの?』
「だって、亡くなった彼は全く俺に似てなかったんだ。俺らは騙されてたんだよ」
『それは、彼女の口から聞いたの?』
「いや」
唯一の幸せの時なのに、どうして涙華の話題になるんだ、と俺は不満に思いながら吐き捨てる。
「写真を、見ただけ」
『本人の口から聞いたことじゃないのに、怜は簡単に信じるのね』
「それは、そうだけど…でも、」
図星を指され思わず出てしまった反論の声と共に、俺は飛び起きる。
すると、目を開けた世界は現実で、腕に抱いていたはずの彼女は虚像と化す。
『あなたを責めている訳じゃないのよ』
どこまでも穏やかな声が、機械を通しているせいなのか、遠くに感じる。
『私も写真を見せてもらったの。涙華さんの彼は本当に怜にそっくりだった。恐らく怜が見た写真は、幼なじみの人と映っている写真だと思うわ』
「でも、ただの幼なじみとの写真だったら飾らないだろ?普通」
ただ俺は、怖かっただけなのかもしれない。
『そうかもしれないけれど、私が彼女から聞いたことは、今でも亡くなった彼のことを愛している、ってことだけ』
「何だよそれ。今でも愛してるだなんて、嘘じゃないか。他に男がいるんだから」
『それっていけないこと?…彼女が今生きているのは、幼なじみの彼が支えてくれているから。生きるために誰かを必要とするのは、当然のことでしょう?』
違う?と強く聞いてきた沙奈瑚の、めずらしく低い声。
彼女の言うように、それは悪いことではないかもしれない。他人が口を挟むことではないし、涙華が誰を想っていようが、関係のないことだ。
「結局誰でも良いんだろ?沙奈瑚だって…」
怖かった。彼女の心が、見えなくて。
『怜?どうしたの?』
「いや、べつに」
どうしてこんな時に思い出してしまうのか。
あの時の、電話。
『怜?久しぶりだな。俺だよ、わかるか?兄ちゃんだぞ。もうすぐ日本に帰ろうと思ってな』
ずいぶん長い間聞いていなかった声なのに、すぐにわかってしまうなんて。
もう煉は死んだ人間なのだと、そう自分にも沙奈瑚にも言い聞かせてきたのに。
どうして、今頃になって。
沙奈瑚はいないと、そう告げるだけで精一杯だった。
それ以上煉が何かを言う前に、俺はスマホの電源を落として繋がりを断ち切った。
それから数日間、何度か着歴に残されていたその番号。
沙奈瑚には、言えなかった。
言えるはずもない。
言ってしまったら最後、彼女は煉を選ぶとわかっているから。
このまま黙っていれさえすれば……罪悪感に駆られながらも、沙奈瑚を失う痛みよりはずっと楽だから、と。
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