25.○距離
「へぇめずらしいな、いつも居酒屋なんて嫌だ、って言ってたのに」
「良いところでしょ。会社の先輩に教えてもらったの」
あの夜と、同じ。
同じ居酒屋、同じ席、同じ喧噪の中。
ただひとつ違うのは、
「なぁ、涙華」
呼ぶ声が、見せる笑顔が、心が違う。
怜なんかよりずっと優しい人。私の欲しいものをいつも与えてくれる人。
そんなハルアキには、闇を知られたくない。
「どうしたの?」
以前怜に連れてきてもらった居酒屋。
外で立ち話も何だから、と手頃な喫茶店を探したけれど、何だかんだで、咄嗟に思い浮かんだ居酒屋に入る結果となった。
軽くアルコールを摂取しないと、割り切って話をするなんてきっとできなかった。
「お前がよく就職できたなぁと思って」
「何よそれ。それじゃぁまるで私が何もできないみたいじゃん」
「何かできたっけ?」
「最低~」
ハルアキとの久々の再会に、会話は尽きることなく、また不思議な同棲生活をしていたあの頃に戻ったかのようで懐かしかった。
「最低は、どっちだか」
「何よそれ」
「そろそろ本音で話そうか」
「え?」
突然声音を低くしたハルアキに驚いたのか、突然胸の奥が騒ぎだす。
甘めのカクテルが入ったグラスが、一瞬揺れた。
「何言ってるの?意味がわからないんだけど」
私は、早く意識が飛んでしまえばいいのにと、願うようにお酒を煽る。
「じゃぁ涙華、俺を愛してた?」
同じものを飲んでいるのに、顔色一つ変わらないハルアキ。
今度は梅酒を注文して、私を見る。
「どうしたの突然。今さらわかりきったこと聞かないでよ」
「でもそれをお前の口から聞いたことは一度もないよ。涙の理由を話もしないで俺に抱かれて、それで淋しさは紛れてた?」
彼の口調はどこまでも穏やか。図星すぎてまともに顔も見れない。
「いつか心を許してくれると思っていたから……いつかきっと、って。だから俺は何も言わなかった」
「ハルアキ」
「俺はただ淋しさを紛らわすためだけの存在だったんだろ?」
「そんなこと…」
ない、と断言できない。即答できない自分がいる。
「正直に言えよ。もういいだろ、俺たちは終わったんだから」
もう時効だよ、と優しく言ったハルアキは、真っ直ぐに私を、瞳を、見る。
妙に速い動悸がして、頭がくらくらする。
お酒のせいではなくて、もしかしたらあまりにも真摯に見つめられているせいかもしれない。
『俺たちは終わったんだから』
ただ事実を言われただけなのに、何故か胸が痛かった。
「ごめんなさい」
「それは、何に対しての謝罪?」
傍にいて欲しいと思うことが愛というなら、誰よりもハルアキを愛していた。
私を愛してくれる彼だけには、汚い自分を知られたくない。
綺麗でいたいと思う。
それが愛というなら、胸を張って愛していたと言える。
けれど今は、傍にいたいと思う人がいる。ふとした瞬間に想う人がいる。
そんな思いが少しでも心にある私は、ハルアキの愛に背いていることになるのだろうか。
いつまでも答えを返せずにいた私を助けてくれたのは、
「あれ~?お姉さん、この前常連のカッコイイお兄さんと一緒に来てくれた人ですよね?」
突然カウンターの向こうから声を掛けてきたのは、アルバイトの女の子だった。店長の娘さんで、大学生だと言っていた。
けれどお店は手伝いではなく、飽くまでもアルバイトらしい。常連客の怜とも顔なじみだと教えてくれた。
「あ、彼は会社の、」
「照れなくてもいいよ~♪」
ハルアキの反応が気になって慌てて会社の先輩で、と付け加えようとした私の努力も叶わず、彼女の黄色い声にかき消された。
彼女は、以前も気さくに話しかけてくれて、怜が鳴り出したスマホを片手に外に出て行った時も、私は退屈せずに済んだ。彼女は店長に怒られたみたいだけど。
「またカッコイイ人連れちゃってーお姉さんモテますねぇ」
じゃぁこれサービスね、と出してくれたのは私が以前絶賛していた揚げ出し豆腐。
「えーいいの?」
「いいの、いいの。ってゆーか、実は注文間違えて多く作っちゃったやつなんです」
彼女は礼を言う暇も与えてくれず、「じゃぁまたね」と奥に入ってしまう。
「へーカッコいいお兄さんねぇ。そういう事か」
「ち、違うのよハルアキ。彼は会社の先輩でね」
「何慌ててんの?そんな人がいるなら教えろよな~」
ハルアキが、優しく笑う。
あまりにも格好良くクールに笑うから、あぁそうか、と離れていた時間を思い知らされる。
嫉妬心で嫌みを言うあの頃の彼は、もういなかった。
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