11.○彼女との再会
今日は良く晴れているけれど、今朝の気温がぐっと低くくて、暖房の効いた部屋から出るのがひどく億劫だった。
昨日笑顔でハルアキを送り出したものの、強がらなきゃ良かったと今更になって思う。
ひとりはもう嫌だから。
「まだ稜ちゃんといるのかな」
ハルアキのいない静かな部屋にひとりでいることが怖くて、私は朝から出かけようと決めていた。
「この辺で良いのかな?」
薄紅色の名刺を頼りに、今日は久しぶりに遠出をしてきた。
あの日、沙奈瑚さんからもらった名刺。
その裏には、建物と道を四角と線で表しただけの簡素な地図が記されていた。
ただでさえ方向音痴な私には、ここまでの道程は非常に大変なものだった。
改札を出て駅裏の大通りから一本路地に入って行くと、それらしき建物が見える。
大通りとは打って変わって、閑散とした静けさの中にそれはあった。
「SANAKO」
三階立てのビルの一階。
ガラス張りの店内。照明は明るく、女の子ひとりでも気軽に入りたくなるような安心感。
アクセサリーやストラップなどの定番商品から、なぞの壁掛けまで。
窓際の棚には、ガラス細工の小物を中心に微妙に異なる配色の花瓶がたくさん並べられている。
中は部屋の隅に飾られた花の香りに満たされ、女の子らしい可愛らしさで溢れていた。
「あ、ごめんなさい。今日はもうお店閉めようと思って」
「すいません、あの、私…」
「あら、涙華さん?」
突然掛けられた声に驚いて、動揺を隠せない私の前に現れたのは、美しい女性。
首の後ろで緩く束ねられた髪がさわ、っと揺れた瞬間、柑橘系の爽やかな香りがした。
「はい。あの、お借りしたハンカチ返そうと思って、来ちゃいました。とってもステキなお店ですね」
「そうでしょう?ありがと」
軽く微笑んだ沙奈瑚さんは、店のドアに掛けられたOPENを裏側に替え、
「あなたにもう一度会いたいと思っていたの。会えて、嬉しいわ」
と喜んでくれた。
こちらもつられて笑みになるような、自然な綻び。
「今日はお店やってないんですか?」
「ええ。今日は気分が乗らないからやっぱり閉めるわ。元々私の気まぐれでやっているような店だから」
「大丈夫ですか、なんだか顔色が」
元から色白の彼女が、お店の照明のせいなのか一瞬青白く見えて不安になる。
「平気よ」
けれど、弾むような調子でそう答えた彼女の声に安堵する。
「昔は怜や煉もこのお店を時々手伝ってくれていたのよ。今は全然だけど」
「怜、さんが」
「えぇ。でも考えてみるとおかしいわよね。こんな店にあんな無愛想な人がいるなんて」
沙奈瑚さんはお腹を抱えるようにして、楽しそうに声を上げて笑う。
「旦那さんって、どんな方なんですか?」
「煉と怜は、顔は似ているけど、性格は全然似てないかも。しっかり者の怜に対して、煉は自分勝手で頼りないから」
そう煉さんのことを語る彼女は、どうしてこうも輝いているのだろう。
行動一つひとつとってみても品格は失われず、まさに私には憧れの大人の女性。
けれど、煉さんのことになると彼女は幼くさえ映る。
「すごく愛しているんですね、彼のこと」
「えぇ」
店仕舞いのために全ての窓のロールカーテンを降ろしながら、控えめにそう答えた沙奈瑚さん。
「でもね、煉は物凄くおしゃべりでね。止めなければひとりでずっと話してるのよ」
楽しそうに話しを続けながらも、沙奈瑚さんは忙しなく動き回っていた。
店の隅に飾られた花瓶を集め、死んでしまった花びらだけを綺麗に取り除いていく。
「へぇ~私もお会いしてみたいなぁ」
「いつか、会えるわよ」
「こんなステキなお店があって、旦那さんもいて……羨ましいなぁ」
お店の中を見て回すと、所々に写真が飾られている。
質素な額縁の中でも鋭い輝きを放つ。
それは様々なところで撮影された朝日や夕日の写真ばかり。
その時でしか味わうことのできない数々の瞬間が映し出されている。
「もしかしてこれ全部、」
煉さんが?と続くはずだった言葉は突然、
ガシャンッ!
と響いた大きな音にかき消された。
沙奈瑚さんが床に倒れる瞬間が、スローに見えた。
「沙奈瑚さん!」
頭を抱え込むように倒れ込んだ彼女に、私は慌てて駆け寄る。
床には割れた花瓶が散乱し、その上に鮮やかな花々が散る。
花瓶の水で潤された床。
カーテンの隙間から差し込む光が割れたガラスに反射して、きらきらと輝く。
「沙奈瑚さん!」
起き上がろうとする彼女を支えながら何度か名前を呼ぶと、
「大丈夫。ただの貧血、だから」
弱々しい声。
呼吸が浅い。顔色が尋常じゃなく青白い。
顔や腕にガラスの破片で切った傷がつぅ、と赤い線を描く。
「起きてください!今、誰か…」
すると彼女の身体からすべての力が抜け、全体重が預けられる。
私は支えきれずに共に倒れこんだ。
「沙奈瑚、さん?」
ぐったりとした彼女を前に、寒気がしてくる。
沸き上がる恐怖と過去の闇で、身体の震えが止まらなかった。
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