9.○複雑な想い

 朝の心地よい陽光で、暗闇の息苦しい微睡みからようやく解放された。

 私は、寝間着の上に薄いカーディガンを羽織って、やっとの思いでベッドから出る。

 まだはっきりと覚醒しない目を擦りながら、ハルアキを探してリビングへ。

 徐々に明快になっていく視界の先には慌ただしく動き回る彼の姿が映った。

「起きたか?」

「うん……ご飯作ってくれてたの?」

「まぁな。ちょっと待ってろ」

 ソファで寛ぎながら待っていると、はいと笑顔で差し出されたのは、ほわほわと湯気の立つカップ麺。

「えー朝からぁ?」

「パン焦がしちゃってさ」

「ウトウトしてたんでしょぉ?どぉーせ」

「まぁ、そんなとこ」

 礼を言って受け取ると、ハルアキはニコーっと微笑んで、隣に腰掛けてきた。

 ぴったりと寄り添うようにして。

「なに?食べたいの?」

「べつにー俺焦げたパン食べたし」

「じゃぁいらないでしょ?狭いからあっち行って」

 肘で突いてもくっついてくるハルアキをシカトして、私は麺をつるつるとすする。

 そんな穏やかな日曜の朝(もう昼近いけど)。

 いつからこんな生活に慣れてしまったのだろう。

 言い換えれば平和でシアワセな時間。けれど、互いの本当の気持ちは隠されたままで。

 いつまでこんなことを続けていくのだろう。

「おいし?」

「うん。たまにはいっか」

 ハルアキだってわかっているはず。

 本当はこのままじゃいられない、いつかは私から離れていくから。

 いつまでも優しい彼に頼ってはいられない。

 その時、スローな時間を割くように不意に耳に飛び込んできた音楽。

 彼のスマホが懐かしい曲を響かせて訴える。 瞬間、彼の表情が強ばるのがわかった。

 その曲には聞き覚えがある。

「出ないの?」

 ハルアキは、何も言わない。誰からの着信なのか、彼が一番わかっているから。

りょうちゃん、でしょ?」

 俯くハルアキ。たぶん彼女が好きだった曲なんだろう。

「私は、いいから」

 やっと顔を上げた彼は、まだ鳴りやまないスマホを片手に、ゆっくりと私を見た。

 今にも泣き出してしまいそうな顔。

 眉を寄せて、何か言いたそうに。

「早く、行ってあげて」

 ほら、と笑顔で言うと、彼は一瞬迷ったようにスマホと私とを交互に見て、

「ごめん」

 す、と立ち上がり、画面をスライドする。

「あ、あぁ。どうした?」

 ひそめられたその声は、私を気遣うかのよう。

 車のキーだけを持ち、そのまま出て行ったハルアキを、私はできるだけ笑顔で見送った。

 たぶん今夜はもう、帰らない。

 パタン、と扉が閉められて、この部屋は静寂に包まれる。

 ごめん、だなんて言って欲しくなかった。

 ハルアキは私のものではないのだから、引き止めることはできない。

 彼女との時間をジャマできない。

 そんなことはわかっていたのに、謝られた時何とも言いようのない複雑な気持ちになった。

 稜ちゃんに妬いた?

 彼女は、私とハルアキよりひとつ上の24歳。高校の時の先輩で、ハルアキにとっては、元カノ。

 その後彼女は結婚したらしいけれど、本当のところは、何も知らない。

 確かなのは、彼女からの電話があった夜は、ここへは帰らないってことだけ。

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