6.☆報われない想い

 久々の両親の墓参りを終えた、帰りの道中。

「ねぇ怜、このまま海でも見に行きましょうよ」

「は?俺は仕事まだ残ってるって言っただろ」

「そうなの?つまらないわね」

 助手席の彼女は、妙に上機嫌だった。

 俺を苛立たせるには十分の愛らしい表情で、つまらないと言いつつ鼻歌まで歌い出す。

「何がそんなに楽しい?」

「いけない?」

 腹が立つ。

「べつに…さっきのあれ、何?」

 俺は、ぎりぎりまで吸ったタバコを、飲みかけのコーヒー缶に捨てて深く煙を吐く。

「え?」

 と、白々しくとぼける彼女をきつく睨みつける。

「誰が弟だって?」

「怜しかいないでしょ?血のつながりはないけれど、あなたは私の弟よ」

「そんなの、関係ない」

 沙奈瑚が嫌いなことを知っていて、俺は当然のように2本目のタバコに火をつける。

 咥えたままで、少し強めにアクセルを踏み込んだ。

「またタバコ?体に良くないって言ってるのに。煉と、同じね」

「あいつと一緒にすんな」

 兄貴の名を口にした沙奈瑚の顔なんて、見たくなかった。

「あいつ、なんて言わないの」

「いいだろ、べつに」

 初めて会った時から、彼女はずっと兄貴のもの。それだけは、これから先も変わらない。

 両親を亡くしてからずっと、兄貴とふたりで生活していた中に、ある日突然、沙奈瑚が加わった。

 あの日からずっと、この心は彼女のもの。

 三人での生活がひどく辛くて、誰にも明かすことなく秘めてきた想い。

 決して、知られてはならないと。

 突然暴れ出す理性を何とかコントロールしてきたのに。

 俺の我慢も知らないで、兄貴は二年前突然姿を消した。

 彼女を置いて。

「ねぇ怜、夕飯何食べたい?」

「俺は、沙奈瑚を愛してる」

「何言っているの、怜。夕飯の話してるのよ? 冗談はやめて」

「本気だ!痛ッ」

 つい頭にきて声を上げると、なぜか叩かれた頬がピリっと痛みを帯びた。

 あの時は大した痛みはなかったのに。

 沙奈瑚に八つ当たりするな、と示唆されているかのように。

「大丈夫?そんなに強く叩かれたの?」

「全然、痛く、ない!」

 初めて会った時、突然俺の腕を掴んできた女。

 初めは荒手の逆ナンかと思ったけれど、『知り合いに似てたから』と必死で笑みを作って涙を堪えていた。

 彼女が、知り合い、と語ったのは恋人のことだった。

 だからと言って、可哀想な自分に酔って人前で泣くような女など、くだらない。信じられるはずがない。

「あんな奴、荒手の詐欺に決まってるだろ。店に押しかけてきたらどうすんだよ」

「ウソを言っているようには見えなかったわ」

「は?だから兄貴にも騙されるんだ」

 俺は、あの日からずっと兄貴を悪者にしてきた。

 沙奈瑚のためを思えば、何としてでも兄貴を捜し出してやればいいのに、このまま帰らなければと心のどこかで思っていたから。

 早く沙奈瑚の心から、兄貴を追い出してしまいたいのに。 

 俺より2つ年上で、27歳の沙奈瑚と煉。

 兄貴はフリーカメラマンで、好き勝手に世界を飛び回っていたから、突然いなくなってふらりと帰る、というパターンはよくあることだった。

 しかし家を空けたのは、長くても半年。

 それなのに、もう2年も音沙汰なし。

「いつまで待ってる?」

「もちろん、煉が帰ってくるまでよ」

 おそらく兄貴を想って窓の外を見つめた彼女。

 もう2年も行方不明のまま、何の連絡もない男のことなんて、忘れてしまえばいいのに。

「あいつはもう、帰ってこない」

「どうしてそんなこと言うの?」

「決まってるだろ!」

 車内だからだろうか、顔を見なくて済むこの状態だからこそ、徐々に口調は強くなる。

 ハンドルを握る手に、更に力が入った。

「良くて、どっかで別の女と暮らしてるか、悪くてもう、この世にはいないか…どっちかだよ」

「怜?……だから、なの?」

 妙にしっとりとした、彼女の声。

 兄貴がいなくなってからの彼女は、精神的に不安定になった時期もあった。

 けれど今は、冷静に、気味が悪いくらいに落ち着いている。

 それは兄貴を忘れようとしているからではなくて、心底信じているから。

「だから怜は、私を愛してくれるの?」

「え?」

「哀れんでくれているんでしょう?騙されている私を。怜は、優しいからね」

「そんなつもりは」

 ただ沙奈瑚を愛しているだけなのに、どうして伝わらないのだろう。

 想う人がこっちを見てくれる、ただそれだけのことなのに、どうしてこんなに難しいのだろう。

 どんな努力をしても報われないこともあるのだと、俺は惨めにも、唇を噛み締めるしかなかった。

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