第7話 取り引き

「くくく……」


 俺は三流悪役みたいな笑い声を漏らした。手には札束を三つ、三百万を持っている。ベンチャー社長が前金として置いていったものだ。

 もうこれ持って逃げようかな。いや、逃げるには少なすぎるか。


 にやけ顔で札束を眺めていると、澄玲すみれが言った。


「安請け合いして大丈夫だったんですか、社長」

「待て、今それを言うな」


 せっかく幸せ気分に浸ってたのに。俺は真面目な顔になって言った。


「この仕事が終わったら二人で旅行にでも行こうな、澄玲さん」

「たわ言はともかく、大丈夫なんですか」


 全く表情を変えることなく流された。悲しい。


「失敗しても前金を返すだけの契約だぞ。考えなしに使い切らない限り大丈夫」


 さすがベンチャー企業の社長だけあって、契約書は隅から隅まで確認してからサインをしていた。まあ、本来はそれが普通のはずなんだが……何にせよ、変にこっちが有利になる条項を入れなくてよかった。


「実現方法の目途は立っているんですよね?」

「……もちろん」


 あ、一瞬言いよどんでしまった。澄玲が半眼になる。


「いや、うん。ほとんどはできてるんだよ。一つだけ、ちょっとな」

「何が必要なんですか」

「伝手だな」

「伝手?」

「そうそう……」


 説明しようとした俺の言葉を、来客を示すチャイムがさえぎった。即反応した澄玲が、出迎えに行く。最近客が多いな。


 金を片付けて戻ってくると、若い男がソファーのそばに立っていた。さっきのベンチャー社長とは打って変わって、いかつい顔から鋭い目線を向けてくる。うーむ、こっちはこっちで要注意な雰囲気だなあ。


 澄玲は、奥に戻る間際に俺に耳打ちしていった。あ、この客、前に来た例の記憶移植業最大手のとこのやつか。連絡せずに放置していたのに、律儀にまた来たようだ。

 若く見えるが、実はそうでもないのか? 大きな企業の役員だし、それなりに歳はいってる気がするな。


「御社は記憶を消す技術をお持ちだとか」


 互いに自己紹介をしたあと、ソファーに座った男は言った。


「その技術を、弊社に提供していただきたい。もちろん、報酬はお支払いします」


 一瞬、現金を取り出すかと思ってしまったが、そんなことは無かった。まあ、普通はそうか。


「うーん、そうですね……」


 俺は困ったように言った。さて、どうしようかな。


 男は真剣な目で俺を見つめている。予算はどの程度を考えてるんだろうな。金額を先に言わないのは、作戦か。


 しかし、どうしてそこまでして欲しいんだろうか。商売のタネになるってのは分かるが……。

 そもそも記憶を消すのは難しくとも、『誰かに引き受けさせる』ことは普通に可能なのだ。仮に消す方法があったとして、引受先への報酬よりもコストがかかるなら意味はほとんど無いはず。


「なぜ記憶を消す技術が欲しいのか。そうお考えですね」


 ぴたりと言い当てられて、俺はぎくっとした。男は、唇を笑みの形に歪める。性格悪いな、こいつ。


「政府がなぜ我々のような企業を黙認しているか、ご存知ですか?」


 唐突な質問に、俺は眉を寄せる。


「利権が絡んでいるから、とか?」

「まあ、それもあるでしょうがね」


 男は笑う。他に理由があるのか。


「あなたにはわざわざ説明するまでもないと思いますが、記憶移植は極めてセンシティブな技術です」


 まあ、そうだな。真っ当にやるにはプライバシー保護やら安全対策やらで手間がかかるし、だから俺たちみたいな商売が成立する。


「研究を進めるのも一苦労です。可能なら人体実験でも何でもやって技術革新を起こしてほしいというのが、政府の本音なんですよ」

「……それが、黙認の理由だと?」

「その通り。記憶移植技術で他国を出し抜くことができれば、国際競争で大幅に有利になりますからね」


 はーん、そんな裏があったのか。同業のやつらは知ってるのかな、これ。


「弊社は国の研究機関とも繋がりがあります。記憶消去の技術はそれ単体ではさほど価値はありませんが、次の技術革新の鍵になる可能性もあります」


 なるほど、それなら分かる。分かるんだが……。


「喋っちゃって大丈夫なんですか、そんなこと」

「仮にあなたがこのネタをどこかに持ち込んだとして、話題にはなっても大して金にはならないでしょう。自分たちの首を絞めるだけですよ」

「確かに」


 俺は頷く。


「お金ではなく、技術や情報でお返しさせていただくという形でもよろしいですよ。もしくは、技術開発に一枚噛みたいというなら相談に乗りましょう。弊社の協力は、御社にとっても価値があると思いますが」


 はっきり言うなあ。まあ、正しいんだろうけど。


 その瞬間、俺はピーンときた。ちょうど協力して欲しいことがあるじゃないか。こいつらなら、完璧な『伝手』を持っている!


「そちらの顧客名簿と、記憶の提供者の名簿をいただく、というのはいかがですか?」


 俺が言うと、男は目を細めた。


「うちの客を、かすめ取りたいと」

「いえいえ、一時的にお借りするだけです。用事が終われば、名簿は全て消去しますよ」

「ふむ」


 男は少しだけ考えたあと、言った。


「用事と言うのは?」

「ちょっと頼みたいことがあるんですよ。個別に相談して報酬も払うので、そちらにご迷惑はおかけしません」

「提供すれば、記憶消去の技術を教えていただけるんですね?」

「情報は全てお渡ししますよ。全力でご協力いたしましょう」

「……分かりました、その条件で構いません」

「契約成立ですね」


 俺が立ち上がって手を出すと、握手しながら男は言った。


「ええ。もちろん契約書を読んでからの話ですが」


 男はにやりと笑った。

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