第6話 大金

 夢の中で、俺は学生デートの真っ最中だった。金をけちり、ファミレスのドリンクバーで延々とねばる。二人で話すだけで幸せなのだ。うーん、良い。


 ファミレスを出ると、俺は別の彼女と待ち合わせ、遊園地に向かった。……べつに二股の経験があるわけでも、そういう記憶を誰かからもらったわけでもない。二つの別々の記憶が融合した結果だ。


 人間の記憶というのはいい加減らしく、適当にぽんぽん移植しても、なんとなく整合性の付く形で定着する。母親の顔が、勝手に自分の親に差し変わっていたりな。


 もちろん限界はあるので、異性の記憶を適当に移植すると、微妙な気分を味わうことになったりする。まあ、うん、色々と。


 それにしても、うたた寝すると移植された記憶の夢をよく見る気がするな。どういう原理かは知らないが、学者先生にでも教えてあげたら喜ばれるだろうか。


「社長」

「……はっ」


 夢見心地だった俺は、澄玲すみれの冷ややかな呼びかけに飛び起きた。いかん、最近寝すぎだな。


「客が来た?」


 澄玲が口を開こうとした瞬間に、俺は言った。台詞を取られてぶすっとしながらも、彼女は頷く。


 ソファーに座っていた客を見て、俺は危うく顔をしかめるところだった。俺と同じぐらいの年であろうその男は、目を細め(いや、あれは地か?)、にこにこと人の良さそうな笑みをずっと浮かべている。いかにも胡散臭い。


「ようこそ、私が社長の如月きさらぎです。どのような記憶がご入用でしょうか?」


 営業スマイルを保ったまま、俺は言った。向かいの席に座ったところで、男がアルミ製っぽい鞄を横に置いていることに気づいた。

 あれ、なんて言うんだったか。ジュラルミンケース?


「私が頂きたいのはですね、少々特殊な記憶なんですよ。ですので、もし用意できたら、ということなんですが」

「ふむふむ」


 男の言葉に、俺はおざなりに頷いた。

 まさか、前に来た『殺人の記憶が欲しい』って客じゃないだろうな。いや、もしそうなら澄玲が先に伝えてくれてるはずか。


「学生時代の記憶です。私が欲しいのは」

「なるほど」


 まあまあよくある希望だ。学生時代のどんな記憶で、と聞こうとしたところで、男は言った。


「ちょうど一年分、欲しいんですよ。まるまる一年分。ああ、中学か、もしくは高校で」

「……ええとですね……」


 俺は困ったように言った。どう説明すべきか。

 一年丸々だなんて、どう考えても安全限界を超えている。移植元の人物に、確実に悪影響が出るだろう。仮に学校に居る間だけだとしても、まだ多い。


 だが、男はゆっくり頷きながら言葉を続けた。


「いえね、難しいのは分かっているんですよ。実は、他のお店でも何度か断られていまして、手当たり次第に回っているところなんです」

「なるほど」


 事情は分かったが、やっぱり無理なことには変わりない……。

 いや待てよ。手が無いことはないな。


「ちなみに、理由をお聞きしてもよろしいでしょうか?」


 俺が尋ねると、男は少し迷ったあとにこう答えた。


「私、子供の頃は体が弱くてですね、普通の学校には通えなかったんですよ。なので、学生生活を体験してみたいと思いまして」

「なるほど。学校に居る間だけでもいいんでしょうか?」

「ううん、どうなんでしょう。如月さんは、どう思われます?」

「どう、とは?」

「学校の記憶があれば、学生生活を体験したと言えるでしょうか?」


 難しい質問だな。俺は、自分の学生時代を回想することになった。


「学生のだいご味と言えば、勉学や部活というよりも、恋愛や夏休みの旅行だったりしますからね、やっぱり」

「では、そういうものも含んでいた方が、いいですね」

「そうですね、はい」


 しまった、自分で問題を難しくしてしまった。


「ああ、そうだ」


 男は、漫画みたいに手をぽんと打ち合わせた。


「申し遅れました。いや、すみません、今更ですね。わたくし、こういう者です」


 受け取った名刺は、文字だけのシンプルなものだった。ん? この会社名、どっかで見た覚えが……。


「それで、お代はこのぐらいを考えています」


 男は隣のアルミケースを持ち上げると、どん、とテーブルに置いた。やたら重そうなそれを開けると、


「おおう……」


 札束がいっぱいに詰まっていて、俺は思わず変な声をあげてしまった。なんか十束あるんだけど、もしかして億ですか?

 ……いや、鞄が浅いから一束一千万ではないか。それでも数千万はありそうだ。


 そうだ、と俺は名刺に目を落とす。この会社、日本でダントツに儲けてる人工知能ベンチャーだ。職人芸に頼らず、全自動の自立型AIだとか宣伝してる。


「全部で、三千万あります。すみません、現金で。手元に置いておかないと、不安なもので」


 いや持ち歩く方が危ないだろ人工知能ベンチャーのくせにえらいアナログだな。

 思わず突っ込みそうになったのを、気合で抑え込む。そんなことを言ってる場合じゃない三千万だぞ三千万。


 俺は実現可能性について高速で検討を進めた。湯水のように経費は使えるんだ。技術的には可能だともう仮定してしまって、あとは伝手さえあれば……。


「……そうですね、それだけいただけるのでしたら、なんとかしてみましょう」

「本当ですか」

「お任せください」


 俺は内心の不安をおくびにも出さず、極上の営業スマイルを浮かべて頷いた。

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