第5話 消したい過去

「始めようか」

「あい」


 準備も終わり、作業に入ろうとしたところで、ふと思い出して言った。


「そういや暮葉くれは、俺に記憶を消してもらってるって話、誰かに言った?」

「ぅえ?」


 暮葉は変な声をあげた。


「あー、言ったかも。まずかったっすか?」

「いや、まずいってことはない。でも今度からは黙っててくれ」

「了解っす」


 俺は、暮葉から受け取った『消したい記憶』リストを改めて見た。


「じゃあまずは……これほんとに消していいの?」

「いいっすよー」


 毎度のように眉をしかめてしまう俺に、暮葉はあっけらかんと言った。


 リストに載っているのは、全て彼女の母親に関する記憶だった。叱られたとか喧嘩したという悪い記憶もあれば、食事をしただけというごく普通の記憶もある。


 どうして記憶を消したいのかは知らない。聞けばあっさり教えてくれそうな気もするが、まあやはり聞きづらい。


 母親とどういう関係だったのかは、リストを見ればある程度は分かってしまう。母親はほとんど家に帰らずに遊びまわっていて、半別居状態だったようだ。


 優先度順に並んだリストの一番上には、『小学一年生の授業参観』と書いてある。最初はこの上にもたくさんの記憶が並んでいたが、今はもうない。総数もだいぶ減った。


 とりあえずやるか。そう思った瞬間、暮葉から声がかかった。


「あー、やっぱり家族旅行は残しておいてもらっていいっすか?」

「ん? なんて?」

「家族旅行。残しておいてください」

「ああ、了解」


 リストの結構下の方にあった。今回は対象外の予定のやつだが、とりあえず打消し線を引いておく。


「じゃあ、小学一年生の授業参観からな」

「あい」


 俺はため息をつくと、手元のタブレットに目を落とした。





「……よっし! 終わり!」


 休憩を挟んだ二時間ほどの作業を終え、俺は景気づけの声をあげた。とたんに頭痛がして、頭を押さえた。


「お疲れ。ヘルメット外していいぞー」


 マイクに向かって言ったが、返事は無い。俺は首を傾げた。


 その場を片付け、左の小部屋に向かう。暮葉はヘルメットを着けたまま、ぐったりとした様子で視線を床に落としていた。


「大丈夫?」


 しゃがみこんで覗き込むと、憔悴しきった顔が目に入った。単に疲れたという以上の、苦しげな表情。


 俺は少し焦って言った。


「救急車呼ぶか?」

「……大丈夫です」

「ほんとに?」


 念押しに、彼女はこくりと頷く。


 頭に悪影響が残ったとかじゃないだろうな。頻繁に記憶移植をやってるから、ちょっと心配だ。


 はらはらしながら見ていると、やがて暮葉はのろのろとヘルメットを外しだした。顔を上げ、弱々しい笑みを浮かべる。


「ちょっと疲れたみたいで。申し訳ないっす」

「いや、まあいいけど」


 微妙な表情になる俺を尻目に、暮葉はさっさと荷物を片付けて帰っていった。

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