第4話 移植作業
「こちらにどうぞ」
俺は、『猫を飼った記憶』の客を移植室に通した。
奥の大型の機械の前に、二つの小さな部屋……不透明な電話ボックスのような物が置いてある。いや、電話ボックスなんて、古い映画の中でしか見たことないけど。
右の小部屋の扉を開けると、バーのカウンター席にあるような高めの椅子(これは実際に見たことがある)に、膨れたヘルメットのような物がかかっていた。これを二人の頭に被せることで、記憶の移動を行うのだ。
「それでは椅子におかけになってください。器具を装着しますので」
「あの、記憶を提供してくれるのは、どんな方なんでしょう……?」
「ああ、もう向こうにいらっしゃいますが……顔合わせはしないことになってるんですよ。プライバシーの問題などもありますので」
「なるほど」
頷いて腰を掛ける男に、俺はヘルメットを被せる。耳の部分についているヘッドホンからは、音楽が流れているはずだ。これで、向こうで
俺は胸元に付けたピンマイクに向かって言った。
「作業中は、なるべく体を動かさないでくださいね。器具がずれると良くないので。静かにしていれば、何をしていただいても構いません」
「スマホを見ていても?」
「ええ、もちろん。ただ少し記憶が混乱するので、メールを打ったりするのはやめた方がいいですよ」
「分かりました」
男は頷きかけ、ヘルメットに気づいて慌てて途中でやめたようだった。まあ、ちょっと動いたぐらいじゃ平気なんだが。
「ではしばらくお待ちください。何かあったら、手元のボタンを押してくださいね」
「はい」
会釈して、俺は扉を閉めた。
もう片方の小部屋に行くと、スマホで読書中の暮葉が顔を上げた。俺はポケットに入れた送信機のスイッチを切り替え、こっちにマイクの声が聞こえるようにする。
「じゃあ始めようか。いつも通り、猫を飼ってるところを強く思い浮かべてくれ」
「あい」
移植を受ける方は何をしていてもいいが、提供する側には少しコツが要る。そういう意味でも、慣れている『専業記憶提供者』を使う方が有利だ。
「どの一週間を思い浮かべればいいっすか?」
「んーそうだな。あんまり慣れててもあれだから、初めて猫を飼い始めて一か月ぐらいの頃かな」
「細かいっすねえ」
「まあこっちで微調整はするよ」
「了解っす」
暮葉は腕を軽く組むと、目を閉じて集中する。
俺は外に出ると、テーブルに置いてあるタブレットを手に取った。画面をフリックすると、表示が次々と切り替わった。
ぼやけた映像、株価のような時系列グラフ、色分けされた地図のような何か。それらを高速で切り替えながら、俺は真剣な表情で画面を操作した。
移植したい記憶の範囲を、可能な限り正確に特定する。この作業が記憶移植の本質であり、難しいところだ。多少の『ゴミ』が混じっても影響は無いが、多すぎると移植元の人物の余計な記憶を渡してしまうことになる。
この作業の間、機械を酷使し続ける。時間をかければかけるほど、高額なメンテナンス費を払う頻度が増えるのだ。
映像は、猫が映っていることが辛うじて分かる程度の画質だ。今ちょうど、暮葉が思い浮かべているやつ。音は無い。
時々漫画のワンシーンのような物がちらちら映るのは、さっき読んでたやつだな。いくら慣れている暮葉でも、対象の記憶以外を完全に除外するのは無理だ。
『真っ当』な記憶移植作業においては、作業者が記憶の中身を全く見れないよう、特別な処理をほどこすことになっている。もちろん、見える方が難易度が断然下がるので、うちでは当然そんなもの無視だ。ちゃんと契約書にもそう書いてある。
外から見れるのは、視覚情報と、知識として体系的に蓄えられた情報だけだ。だから例えば味の記憶を移そうと思うと、ちょっと厄介なことになる。基本的には、視覚に紐づけて特定するしかない。
極めて高度な数学的、物理的原理によって成り立っている記憶移植技術だが、この作業はほぼ職人芸だ。そういや知り合いの人工知能ベンチャー社長も、まだまだ職人芸と人海戦術でやってるって言ってたな。ま、新技術の出始めはそういうものなんだろう。
「……ふう」
三十分ほど経ったあと、俺はようやく画面から目を離した。作業はこれでおしまいだ。
これでもかなり早い方だ。対象の記憶を一週間だけに絞ったのと、暮葉が慣れているおかげだ。何度も休憩しながらの一日作業になるのが普通なんだから。
「終わったよ。お疲れ、暮葉」
「あいー……」
小部屋の中から、力ない返事が返ってくる。
まあ疲れるよな。俺もやったことがあるから分かる。
「終わりましたよ」
今度は男の方にマイクを切り替えて言った。扉を開けると、男は目をこすっていた。寝てたな、多分。
「どうですか?」
「ああ、確かに……まだちょっとよく分かりませんが……」
自分の記憶の変化を認識したのか、男は驚いたように言った。どうやら上手くいったようだ。
俺は、最上級の営業スマイルを浮かべて言った。
「しばらくは少し混乱するかもしれませんが、今日中には収まりますよ。今日は車の手動運転などは控えてくださいね」
「わ、分かりました。ありがとうございます」
男は嬉しそうに何度も頷いた。
俺は手早くヘルメットを外して客を事務所の方に追い出すと、残りの手続きを
「暮葉、報酬の作業は今日やるか? それとも今度にしとく?」
「いや、今お願いします」
疲れているだろうに、暮葉きっぱりとそう言った。まあ、本人がそう言うならいいか。
「じゃ、こっちも準備するか」
マイクを切って、俺はつぶやいた。
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