第2話 記憶を売る女
俺はいつものカジュアルなジャケパン(安い)の上から、唯一持っている高級品のコートを羽織って外に出た。冬はコートさえ整えれば格好が付くから楽でいい。
この業界は俺みたいな若いやつが多いし、もっと言うと口が上手いウェイ系が多い。外で会った同業者に、服が安いからって舐められるのもしゃくだ。
非合法な仕事なのにそんなに同業者がいるのかと言われると、実は結構いる。警察に黙認されている、某賭博業のようなものだ。
電話で頼まれた通り、某大手ハンバーガーショップで昼飯を買って持っていく。
あいつの指定は毎回これだ。電車に持ち込むには破壊力が高い。臭い的な意味で。
駅から五分という好立地、高級住宅街の一軒家があいつの家だ。売ったらいくらぐらいになるんだろうな、と毎回下世話なことを考えてしまう。庭で小さな犬が寝ているのが目に入った。
チャイムを鳴らして少し待つと、スピーカーがオンになったような気配を感じた。謎の軽快な音楽が聞こえてくる。まだ相手は無言だが、ここで黙っていると切られてしまうのは経験済みだ。
「来たぞー」
俺が言うと、眠そうな若い女の声が返ってきた。
「あー、開いてるから勝手に入ってきてもらっていいっすよー」
「いや、鍵ぐらいかけとけよ」
思わず手で突っ込みを入れてしまったが、その時にはもうオフになっていた。
家の中は、いつも通り散らかり放題だった。出さずに溜まっているゴミ、よく分からない段ボール箱、積み上がった雑誌、脱ぎ散らかされた服。あ、下着見つけた。
リビングに入ると、あいつ……
「買ってきたぞ」
「あい」
俺が昼飯の袋をかかげると、暮葉は曖昧に返事した。
ちなみに今彼女は、漫画を高速でめくりつつ、大きなテレビに映った映画をちらちら見つつ、時折膝の上の猫を撫でている。いつも思うが、器用なやつだ。
俺は椅子に座ってスマホを眺めた。ちょうど、記憶移植に関する法整備のニュースが出ている。うーむ、締め付けがきつくなると困るなあ。
「お待たせっす」
しばらくすると、暮葉がぼさぼさ頭をかきながら向かいの席に座った。猫は大人しく抱かれている。
「どういう記憶っすか? 必要なのは」
「いくつかあるんだ」
俺はテーブルに顧客リストの資料を置いて、説明を始めた。その中には、今日来た四十前の男の写真もある。
暮葉はハンバーガーをもそもそと食べながら言った。
「ふんふん。今年の映画詰め合わせと、漫画シリーズ八十二冊読破……あ、これはもう終わってるっすね……猫を飼った記憶って、どれぐらいの期間っすか?」
「ああ、一週間ぐらいで頼む」
「そんなんでいいんすか?」
「ノークレームノーリターンだからな。文句は言わせない」
俺はにやりとしながら言った。
いくつか条件を詰めて、暮葉から記憶をもらう契約をする。よし、これで仕事がいくつか片付いたぞ。
彼女は、最近増えてきた『専業記憶提供者』の一人だ。需要の高い記憶を貯め込んで、販売することで生計を立てている。俺以外にもいくつか取引があるようだ。
専門は、漫画や小説なんかの本と映画、それからペットだ。本や映画の記憶もわりと需要がある。『読んどきたいが読みたくはない』ってやつだな。
「報酬はいつものでいいの?」
「あい、お願いします。こんな感じっす」
渡された紙には、彼女の昔の記憶がずらっと書かれていた。俺は眉を寄せて、その『消したい記憶』リストを見る。
「いやー、助かります。記憶を消してくれるの、如月さんのとこだけっすから」
「ほー」
俺は曖昧に答えた。
記憶を移植できるんだから、消すのだって簡単だろう。普通はそう考えるのだが、案外そうでもない。適切な『受け皿』が無いと、移動できないのだ。量子効果のテレポーテーションがなんたらとかが理由らしいが、詳しくは知らない。
同じような理由で、記憶をデータとして保存することもできない。これができれば記憶移植は楽になるのだが、今のところ人から人へ直接その場で移すしかない。いずれはコピーもメール送信も自由自在とか言ってる学者もいるが、いつのことやら。
「じゃあこの辺までかな」
「あい」
俺が適当に線を引くと、暮葉も同じぐらいの適当さで頷いた。ハンバーガーの袋を放置したまま、またソファーに戻る。
「そうだ」
帰りかけたところで、俺は思い出して言った。
「鍵ぐらいかけとけよ。不用心だぞ」
「開けに行くの面倒じゃないっすか」
「そもそも、一人暮らしの家に男を呼ぶなと。何かあったらどうするんだ」
「そしたら記憶を消してもらえばいいんじゃないすか?」
暮葉はあっけらかんと言った。うーむ、その発想はなかった。
「……いやいや、だからって良くは無いだろ」
「そうっすか? 覚えてないなら、何も無かったのと一緒っすよ」
「そうかなあ……」
首をひねりながら、俺は暮葉の家を後にした。
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