記憶、売ります

マギウス

第1話 記憶売りの男

「社長。起きてください、社長」


 うたた寝をしていた俺の耳に、美しく澄んだ、だが事務的な声が届く。俺は一瞬目覚めかけたが、すぐに夢の世界に戻っていった。


「お客様です、起きてください」


 もうちょっとだけ寝かせてくれ。今ちょうど、初恋のあの子とのデートの真っ最中なんだ。ああ、二人で帰った懐かしの通学路……。


直人なおとさん」

「……んあ」


 声に少しの怒りが混じったのを感じて、今度こそ目を覚ました。


 デスクから顔を上げると、社長秘書の宮里みやり澄玲すみれがジト目で俺のことを睨んでいた。社長というのは俺の事で、わが社の社員は二人しかいないので、実際は秘書というより単なる同僚なのだが。まあ気分の問題だ。


「せっかく学生デートの途中だったのに」


 俺がぼやくと、澄玲はわざとらしくため息をついた。


「また客から記憶を巻き上げたんですか」

「巻き上げたとは失礼だなすみれさあん……ふわあ……」


 言ってる途中で欠伸が混じる。あ、視線がさらに冷たくなった。


「……記憶を売った代金だ。正当な対価だぞ」

「ちゃんとお金で受け取ってくださいと言ってるでしょう。経営が苦しいんですよ」

「いいだろ。俺の会社だぞ」

「なるほど。では私は今日限りで辞めさせていただきますので、あとはお一人で頑張ってくださいね」

「待て、まずは話し合おう」


 俺は手を伸ばして、虚空をぽんぽんと叩く仕草をする。澄玲はもう一度ため息をつくと、社長室の出口を指さした。


「その話は後でゆっくりさせていただくとして、まずは接客してください」

「うむ、分かった」


 社長兼、記憶移植技術者兼、営業の俺は、書類束を持ってそそくさと出口へ向かった。


 俺の会社は、記憶の売買……正式には、記憶移植業を営んでいる。

 記憶移植を『ちゃんと』やるにはかなりの金がかかり、まだまだ庶民には手を出しづらい。そこを色々(手続きやら安全性チェックやら)すっ飛ばして、安く済ませるのが俺の仕事(非合法)だ。


 客は、事務所のぼろいソファーに座っていた。見たところ、四十前の男だ。おどおどと辺りを見回している。

 うむ、こいつはカモだ。俺のカモセンサーがそう告げている。


「ようこそいらっしゃいませ。私は社長の如月きさらぎと申します」


 俺は営業スマイルを浮かべながら、客の正面に座る。よろしくお願いします、などともごもごと呟きながら、男は頭を下げた。


「早速用件をお聞きしましょう。どのような記憶がご入用で?」

「はい、あの、猫を飼っていた記憶が欲しいんですよ」

「なるほど。理由をお聞きしても?」


 ペット関連か、わりとメジャーな要望だ。飼う前に慣れておきたいとか、もしくは飼うのは面倒だが思い出として欲しいとか。移植された記憶はまるで自分が過去に体験したかのように感じられるので、時間を使わずにお手軽に思い出にできる。


「娘が猫を飼いたいと言い出しましてね。私は動物があまり好きではないので、少しでも慣れておきたいんですよ。あとは、飼い方も分かれば……」

「ほう、知識系ですか」


 俺が言うと、男は露骨に『しまった!』という顔になった。


「い、いや、知識の方はあくまでおまけなんですが……」


 男はしどろもどろで弁解する。まあ、その気持ちは分かる。

 記憶には大きく分けて経験系と知識系があるが、後者の方が人気があるし値段も高い。実用的だし、記憶を提供してくれる人を探すのも難しい。提供した人からは、その記憶は失われてしまうからだ。


「とにかく安く済ませたいんですよ。細かい内容までは気にしないので」

「ふーむ。ご予算はおいくらぐらいで?」

「……十万円以内で、なんとかなりませんか?」


 男は恐る恐る言った。俺はほくそ笑みそうになるが、もちろん顔には出さない。


「お客さん、記憶移植の相場、ご存知ですか?」


 いかにも困ったような顔をして、俺は言った。まともな所で頼むと、どんなに安くても百万近くはする。場合によっては一千万を超えることだって珍しくない。習得に数年単位でかかる知識なんかだと、提供者への報酬が高額になるからだ。


「え、ええ、一応調べました。でもこちらのお店なら、安くしてくれると聞いたので……」

「んー、そうですねえ……」


 俺は口元に手をやって、悩むふりをした。十万ならうち的には悪くない。が、ここは有利な条件にしておくべきだ。


「分かりました、十万でなんとかしましょう」

「ほ、ほんとですか。ありがとうございます」

「ただし、ノークレームノーリターンでお願いしますよ。特別価格なんですから」

「は、はい」

「では、こちらの書類にサインをお願いします」


 俺は、何種類もある契約書の中から適切な物を差し出した。俺の気が変わらないうちにと思ったのか、びっしりと文字が書かれたそれを、男はろくに確認もせずにサインする。細かく読んでほしくないこっちとしては好都合だ。


「では、準備ができたらまた連絡しますので」

「ありがとうございます」


 男は深く頭を下げた。


 彼が出ていき、階段を降りる足音が遠ざかったのを確認する。俺は澄玲の方を振り返り、満面の笑みを浮かべながら言った。


「よーし、あいつに電話しろ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る