16、VSヘルハウンド2
「動けっ! 動きなさいよっ!」
叱咤しつつ、自分に治癒魔法をかける。
でも、体の傷は治っても、減った生命力や、魔眼で受けた
しかし、それでも、ベルフェゴールはふらつきながらも立ち上がる。
ヘルハウンドはそこに、遠慮なく鬼火を放った。
「――っ、〈
とっさに作った空間の歪みにそらされて、青白い炎が左肩を燃やす。灼熱。叫び声が勝手に喉を出ていった。
まるで鉄の棒が肩に突き刺さったみたい。
痛みが体の芯をゆさぶりながら、全身を駆け抜けていく。それを、ベルフェゴールは焦りとともに感じていた。
次の瞬間その肩に食いつかれる。
「ぁ……」
ゾッとするような、牙の感触。それを一瞬、他人事みたいに感じた。
すぐやってきた激痛が、何度も何度も体の中ではじけ飛んで、頭を真っ白にする。
「――――――――っっ!!」
声にならない悲鳴が、さっきの何倍も強く、喉をこじ開けて出ていく。
痛い。なんてことも考えられない。真っ白だ。真っ白になりながら、どこか遠い自分の悲鳴をベルフェゴールは聞いていた。
今、ヘルハウンドがその気だったら、ベルフェゴールは死んでいた。
けれど、そうはならなかった。
肩ではなく、首に噛みつけばベルフェゴールは死んでいたのに、しなかった。
爪で、文字通り八つ裂きにすることもできたのに、しなかった。
舐めているからだ。
遊んでいるからだ。
わかっていて、でも、何もできない。
肩に噛みついたまま、ヘルハウンドはぶんぶんとベルフェゴールを振り回す。仔犬がぬいぐるみにじゃれつくみたいに、ただし、もっとずっと荒っぽく、残酷に。
悲鳴が上がっている。腕がちぎれるかと思った。痛い以外の感覚がもうなくて、肩から先が消えてしまったみたいだ。
地面に叩きつけられる。
何度も。
何度も。
(っ、これ以上は……!)
そう思い、まだ動く方の手をがむしゃらに振り回す。何か考えてのことじゃなく、単純に必死だった。
ふり回した手が、ヘルハウンドの頭にあたった。
「――っ!」
あたった?
ハッとした。
呪いでステータスは下がっている。手があたったからといってろくなダメージになってないはずだ。
でも、あたった。
それに、そうだ。さっきからずっと、触っている。噛みつかれている。
そこに気がついて、ベルフェゴールはハッとした。
勢いよく投げ飛ばされる。手があたって驚いたのか、それとも単に腹が立ったのか、とにかく、ヘルハウンドはベルフェゴールを放した。
煤まみれになりながら地面を転がる。肩を押さえて、うめいた。
(でも……ひとつ、ハッキリしたわ)
ヘルハウンドが自分に触っているあいだなら、こっちの攻撃も通る。
勝てる。
チャンスは、ある。
「っ〈ファイア――」
魔法を発動させる前に、ヘルハウンドの前足がベルフェゴールを踏みつける。うつぶせの状態で睨まれて、ぞくぞくと背中が粟立つ。
(でも、これで、いい!)
それでも、ベルフェゴールは怯まず魔法の名を唱え切った。
「――ボール〉!」
今なら当たるはず。
灼熱の炎の塊が、ベルフェゴールとヘルハウンドの真上で生まれた。
それが一気に爆発した。
熱と衝撃が爆ぜる。
自分が撃った魔法の巻き添えになって、ベルフェゴールはまた、ごろごろと地面を転がる。
体中が熱い。痛い。自分の体が今どんな状態なのか、知りたくもない。お気に入りコートは大部分が黒く焦げてしまって、自慢の髪もひどい状態だった。
――でも、これで、どうだ。
「は、見下してんじゃ、ないわよっ……!」
ファイアボールで生まれた煙が、ゆっくりと、晴れていく。その向こう側を、ベルフェゴールは転がった体勢のまま睨んだ。
ゆっくりと、ゆっくりと見えてくるのは、焼けてぼろぼろになったヘルハウンド――ではない。
「うそ……」
無傷。
自分の攻撃では遅すぎるのだと、ベルフェゴールは呆然と、傷ひとつ負っていないヘルハウンドを見つめながら、悟る。
実体と幽体が切り替わる速度についていけない。
無茶苦茶に連発していたせいで、魔力の残りもあまりない。
体も、もう動いてくれなかった。
ごとりと音がして、視界が暗くなる。首が頭の重さに負けて顔を上げていられなくなったのだと、遅れて気づく。
起き上がろうとしても、起き上がれない。
(嫌だよ……)
ヘルハウンドが自分を見下ろす視線を、ただ感じることしかできないまま、ベルフェゴールは思う。
(嫌だよ、みんなの仇も討てないまま死ぬなんて……こんなやつに見下されたまま、死ぬなんて……)
でも、わかっていた。
私は死ぬ。今、ここで。
(……ねえ、リーダー。どうして私たち、こんなとこに来ちゃったのかな)
半分現実逃避するみたいに、思った。
(こんなところに来なかったら、みんな今頃、どこか別の場所で、普通に暮らしてたのかな……)
ぱち、ぱちっ、と何かが弾けるような音が、そのとき、ベルフェゴールの耳に突き刺さる。
やっとの思いで、顔を上げた。
黒い雷がヘルハウンドの周囲を取り巻いていた。
「その、魔法……」
雷は見る見るうちに激しくなり、凝縮されて、小さな、雷の球を形作る。
強烈無比な黒い雷の槍がそこから放たれることを、ベルフェゴールは何度も見て知っていた。
――リーダー、リーダー! またあのかっこいいやつやって! あれ! 〈ラースオブゴッド〉!
子供のとき、そうやって何度か、せがんだ記憶があるから。
――ええ、また……? あとその呼び方嫌いだからラスゴって呼んでよ……
心底面倒くさそうな顔をして、結局やってくれなかったリーダーは代わりにアメをくれたんだ。
「その魔法を、なんで、お前なんかが……っ」
沸々と、怒りが湧き上がってくる。
奪ったのか。
リーダーの
その魔法も、『
お前なんかが、奪っていいものじゃないのに。
憎い神からもらったものだけれど、それでも、長いあいだ、私たちが必死に守って、受け継いできたものなのに。
なのに、奪った。
お前なんかが奪っていいものなんて、なにひとつなかったのに!
こんな場所でも、なんとか生きてきた。
そんな私たちを。たくさんの仲間を。お前は。
殺して! 食って! 奪ったんだ!
「許さない……!」
残った力を全部込めて、ベルフェゴールはヘルハウンドを睨みつける。
「絶対に、許さないんだから……!」
でも、それだけ。
それだけしか、できることはない。
視界がぼやける。
悔し涙で、どんどんぼやけていく。
こんなに怒ってるのに、こんなに悔しいのに、何もできない。
頭が、おかしくなってしまいそうだ。
ああ……憎しみで相手を殺せるスキルなんてものが、もし手に入るとしたら……今なら、なんだってするだろう。
雷球の放つ音が最高潮に達する。
あとは相手の意志ひとつで、ベルフェゴールはこの世界から消滅する。
「ごめんね、みんな――」
ヘルハウンドが低く唸ったのを合図に、雷球が爆発した。
黒い雷の槍が、光線のように、ベルフェゴールに突っ込んでくる。
槍の速度は、ベルフェゴールが反応できる限界を越えていた。だから――まもなく訪れる自分の死の瞬間を、ベルフェゴールが認識することはなかった。
いや、どっちにしろ、わからなかっただろう。
彼女が見たのは、雷球が爆発する一瞬前。
自分をかばうように覆いかぶさった、虹色の光――
◇
槍が着弾した。
すさまじい衝撃波と、雷が炸裂する音。
地下空間を覆い隠すほど大きな煙が、もうもうと立ちこめる。
それが晴れたとき……
ベルフェゴールの後ろにあった建物が、すべて消えていた。
魔族城は、半分がなくなっていた。
見境なく放てば、それくらい強い威力の魔法なのだ。
ベルフェゴールだって、数百メートルも吹き飛ばされて、空洞のはしの岩壁に激突している。そのくらいの威力。
なのに、どうして、私は生きてるの?
「なに今の魔法。無茶苦茶吹っ飛ばされててウケるんだけど」
「たぶん〈ラース〉か〈ラースゴブゴッド〉じゃないかな! ごめんね、七つの大罪スキルは僕も全部知ってるわけじゃないんだ!」
「〈ラスゴ〉って呼べっつったろ」
岩壁にめりこんだベルフェゴールの、さらに後ろ。
すぐ耳元で聞こえた声に、ベルフェゴールは「きゃあっ」と悲鳴を上げた。
「あ、あなたたち。なんでここにっ」
「んー。ベル子ちゃんの自殺行為を止めようと思ったものの、ちょい遅かったね」
小瑠璃は言いながら、ベルフェゴールを抱えて岩壁から脱出する。
「心臓はまだ動いてる? 幽霊じゃないよね? 実は来る途中でゴーストに取り憑かれちゃってさ、私今までいない派だったから現実を受け入れられなくて困ってる」
「生きてるわよ……体はもう、ほとんど動かないけど……」
庇ってくれたんだ、とようやく理解が追いついたとき、ベルフェゴールは小瑠璃を睨んでいた。
「馬鹿、なんで来たのっ。今すぐ逃げなさい! あなたなんかの敵う相手じゃ、ないんだからっ!」
小瑠璃は頬をかいた。
「まあそうなんだけど。でもさ、友達に死んでほしくないじゃん?」
「……は? 友、達?」
「いぐざくとりー」
だから一緒に逃げよ? ほらハリーハリーハリー。
と言おうと思ったのだが、無理っぽいなとベルフェゴールの状態を見てあきらめる。
これだけボロボロにされていればきっと、ダメージを与えた相手をストーキングできるという〈捕食者の嗅覚〉が適用されているだろう。
瀕死の彼女を背負った上、自分一人ではどう頑張っても逃げられまい。
それに、逃げるにはもう遅い。たぶん。
「まったく犬ころめ。せっかくこれから私がいいこと言って感動パートの流れだったのに」
唸り声が後ろから聞こえてくる。小瑠璃は肩をすくめて振り返った。
ヘルハウンドが、そこに立って小瑠璃をにらんでいた。
「死ぬわよ、あなた」
「そうだね」
立ち上がろうとして立ち上がれずにいるベルフェゴールに、ヘルハウンドを見たまま頷き返す。
「わかってるなら、なんで来たのよ!」
また聞かれた。
でも、返事をする余裕はないし、たいしたことでもない理由をもう一度言うのも面倒なので、黙殺する。
ぱたぱたと飛んでいるナヴィに意識を向けて、
(ナヴィ、ベル子ちゃんは任せた)
(合点だ!)
これでよし。あとは、ヘルハウンドに集中するだけ。
逃げられないなら、戦って勝つしかないのだ。
虹色のオーラがまだ消えてないことを確認する。
現在の〈無敵〉持続時間は約20秒。正直無理ゲーだが贅沢は言ってられない。
こちらの攻撃でダメージが通ることは前回に確認済み。
ただし、ヘルハウンドは〈超再生〉を持っている。一度に攻めきれないと勝つ望みはないだろう。
なお、こちらの攻撃はあたらない。向こうの攻撃はよけられない。〈無敵〉がない状態で食らえば即死。
見事な三重苦である。
天と地より大きい、圧倒的な力の差。格のちがい。
ヤツもそれはわかっている。自分が狩る立場の側だと理解している。だから、血相を変えてかかってくることはない。
だから、油断してくれる。
そこが唯一の突破口。
「まずは、真正面から行こうかね」
拳を握る。
〈無敵〉込みの肉弾攻撃が、現状のこちらの最大瞬間火力だ。当たったらそこそこのダメージは通るはず。
そう思い殴りかかろうと走った次の瞬間、いつのまにか、大きくふっ飛ばされている。
(どうしようナヴィ。何されたかまったくわかんないんだけど)
(たぶんだけど、前足ではたかれたんだ! 猫パンチみたいに! 犬なのに!)
猛スピードで長距離をふっ飛ばされつつ「面白くないぞ」と思っていたら今度は〈ファイアボルト〉が飛んでくる。
ファイアボルト、ファイアボルト、ファイアボルト――連射だった。
着地してふんばった足場ごと、雷をまとった炎が小瑠璃を射抜いた。爆発が起こり、炎と雷が周囲に散る。
ぐる、ぐるるるる……!
一瞬で移動してきたヘルハウンドが、もうもうと上がる煙を見ながら唸る。
この辺りの獲物ならこれでとうに仕留めているが、しかし今ので殺せた気もしない、そう言いたげだった。
「うわ、すっごい煙」
案の定、平然と煙の中から現れた小瑠璃を見て、ヘルハウンドは攻め手をゆるめることにしたようだった。
(〈無敵〉が切れるまで様子見か。せめて魔力はカラにしといてほしいんだけど、まだ撃てるのかな)
この魔法が長続きしないことは前回にバレている。ヘルハウンドは当然、効果時間の切れ目を狙ってくるだろう。
(ま、時間稼ぎになると思えば悪いことばかりじゃないか。……ナヴィ、聞こえる?)
(なんだい小瑠璃!)
(ベル子ちゃんは動けそう? 動けるなら、君だけでも今のうちに逃げろって伝えといてくんない?)
(ちょっと待ってね無理だそうだよ!)
「なるほど早いな」
言っているあいだにも、最初のピンチがやってくる。
薄くなっていく虹色の光を見て、ヘルハウンドはすかさず魔法を用意した。
速度に優れるファイアボルトが五本。〈無敵〉が解けた瞬間を狙っている。
ファイアボルトが宙を走る速度は、小瑠璃よりも速い。このままでは、よけることもできずに五本全部が命中してしまう。
もしそうならなかったとしても、ひとつでも命中すれば即、死である。
まさに絶体絶命。
そんななか、小瑠璃はスカートのポケットから、ある物を引っぱり出した。
ヘルハウンドが不審げに低く唸る。
それは、いつか小瑠璃がポケットに入れていた、ベルフェゴール曰く、引くほど燃える骨の欠片だった。
それをいったいどうしようというのか。
そう言いたげなヘルハウンドの前で、小瑠璃は骨の欠片を地面に付けて、
「さーて。これで死にませんように……っと」
かなり大きめなそれを思いきり、こすった。
炎が燃え上がる。
さっきのファイアボルトで上がった煙ごと呑みこんでしまうような、大きな火だ。
それが、小瑠璃をのみ込んで大きく燃え上がった。
「ぐる!?」
ヘルハウンドが、解せぬとばかり唸る。
もうすぐあの魔法も解けるというのに、これは自殺行為だ。
何故、そんなことを?
このままでは、自分が食べるのはただの炭ということにもなりかねない。
本当に、なんということだ。せっかくの獲物が炎で隠れてしまったではないか。
そう思った、それが答えであることに、ヘルハウンドはまだ気がつかない。
小さな影が炎から飛び出す。
影はまっすぐヘルハウンドに近づいて、拳を振りかぶった。
不意打ち。だがヘルハウンドの敏捷はそのくらいものともしない。待機させていたファイアボルトを放つ。
雷を帯びた炎が影に伸びて、避けようとする動作すら許さず命中。
爆発の余波で、巨大な炎が揺れた。
しかし、吹き飛ばされた影は何事もなかったかのように、むくりと起き上がる。
「……できれば、今のは食らってほしかったんだけどな」
ヘルハウンドはそこでやっと、小瑠璃がしたことの意味を理解した。
解けた魔法をもう一度使うまでの、一瞬の隙。
その隙をごまかすためなら、ほんの一瞬とはいえ、あえて火で焼かれることもいとわない。
目の前にいるのは、そういう相手なのだと、理解した。
新しくなった〈無敵〉をまとって、火傷だらけの小瑠璃が炎の前に立っていた。
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