15、VSヘルハウンド1


 


 すうっとまぶたを開く。

 相変わらず、骨と岩ばかりの洞窟が目の前に広がっている。 

 この迷宮で生まれ育った自分には、とっくに見慣れきった光景。


「ふあぁ……久しぶりに、よく寝たわ」


 うーんと伸びをしながら、ベルフェゴールは大きくあくびをする。


 こんなよく眠れたのは、疲れがピークに達していたからだろうか。

 それとも……これが最後かもしれないから、だろうか?


 立ち上がり、ぱんぱん、とお尻についた骨の欠片を払う。


「……行くわよ、私」




   ○




 ヘルハウンドはふと獲物の臭いを感じて目を覚ました。


 燃えて廃墟となった、魔族城の一室だ。

 まず首だけ起こし、ひくひくと鼻を動かす。勘違いではないと確かめてから、むくりと全身を起こした。


 間違いない。縄張りへの侵入者――もとい、餌である。


 くる、くるるる……と、機嫌よく喉を鳴らす。そのうち狩りをしなければと思っていたが、まさか獲物の方から来てくれるとは思ってもみなかった。

 前回の獲物のように、逃げられることのないようにしなければ。


 声を引っこめると、ヘルハウンドは猛然と走り出した。

 はたから見れば消えたように見えただろう。圧倒的な敏捷のステータスがそうさせるのだ。


 荒れ果てた城の廊下を、黒こげの町を、臭いを頼りに走る。

 獲物は一秒もしないうちに見つかった。鎧魚だ。酸の泉の中を泳ぐ、ヘルハウンドにとっては少し硬いだけの魚。普段は酸の泉に棲んでいるはずだが、陸に上がっているのはめずらしい。


 それに、元々動きは鈍い獲物だが、この自分の前だというのに、まるで魔法にでもかかったかのようにぴくりともしないのはどういうわけか。


 疑問には思ったが、なにはともあれ食欲が勝った。獲物を吠えたて〈威圧〉するための咆哮が、ヘルハウンドの喉からほとばしり出る。そのままスピードを上げて、一気に獲物の体に食らいつく。


 横合いから魔力の塊がやってきたのはそのときだった。


 ――!?


 やってきた魔力――〈スロース〉が、油断していたヘルハウンドを捕まえて、いっさいの動きを止めさせる。


 この魔法は……


 見覚えのある魔法に、ヘルハウンドが襲撃者の正体に気づく。と同時、ベルフェゴールは廃屋の影から飛び出して、次なる魔法を放っていた。


「〈コメット〉!」


 赤熱した隕石がヘルハウンドにぶつかる。一挙にあがった煙の中心めがけ、さらに次の魔法を放つ。


「〈ショックウェーブ〉!」


 空間を歪め、衝撃波を生み出す。それを一点に集めてヘルハウンドにぶつける。


「〈ファイアボール〉!」


 ダメ押しとばかり、灼熱の炎の塊をぶっ放した。


(よし、これで――っ)


 今のところ、予行演習した通りだ。

 ヘルハウンドの耐久なら、いったん捕まえてさえしまえば、これで十分とどめをさせるはず。

 だが、念には念を入れて、ベルフェゴールは同じ攻撃をもう一度繰り返した。


 コメット。


 ショックウェーブ。


 ファイアボール。


「はぁ……はぁ……はぁ……!」


 一気に魔力を使ったせいで、息が上がる。肩が大きく上下する。でも、これで……そう思った瞬間、ぞくっと背筋が震えた。

 ほとんど反射で、ベルフェゴールはさらなる魔法を放っていた。


 っ、ファイアボール!


 ファイアボール!


 ファイア、ボールっ!


 もっとも得意な炎の魔法を三連打。

 もうもうと立ちこめる黒煙を、ぜえぜえと荒い息をしながら睨む。


 中心部には、黒こげのクレーターができているだろう。

 ヘルハウンドはその焦げの一部になった。そうに違いない。


「なのに、なんで、震えが止まらないのよっ」


 そのとき、咆哮が辺りに広がった。

 立ちこめていた煙が音圧だけで吹き飛ばされる。あらわになったクレーターの中心で、ヘルハウンドが赤い眼をギラギラと光らせて、ベルフェゴールをにらんでいた。


「嘘……でしょ……」


 なにか、防御系のスキル? それとも攻撃で相殺した?


 疑問は尽きない。

 ただ一つわかっていることは、ヘルハウンドが無傷だということ。


「っ、リーダーを倒しただけは、あるってことね」


 強がりを言う声は、震えていた。

 戦慄するベルフェゴールを前にして、ヘルハウンドはもう一度、高々と咆哮した。




   ◇




 ベルフェゴールがヘルハウンドと対峙する少し前。

 お腹を満たした小瑠璃はナヴィを肩に乗せてベルフェゴールを探していた。


 場所はもちろん骨と岩エリア、それも魔族城の近くだ。


「いないな。もう行っちゃったのかな」


 それとも前に助けてくれたときみたいに、どこかの秘密通路に潜んでいるのか。

 この辺りは魔族のテリトリーだったようだから、ああいう通路がまだあっても別におどろかない。


 しかし、これはちょっと困った。


 はぐらかされはしたものの、ベルフェゴールがヘルハウンドに戦いを挑もうとしている、と小瑠璃はそう思っている。

 が、それはあくまで直感だ。


 だから無闇に魔族城に近づけば、無駄足を踏んだうえ、またヘルハウンドに襲われる、というお間抜けな事態になる可能性がある。

 かといって、ベルフェゴールがもう魔族城へ行っているとしたら、ぐるぐるこんなとこ歩いてても仕方ない。

 うーん、と悩む。


(力の差はわかってるだろうから、何か作戦を用意するまで仕掛けないとは思うけど)


「やっぱり、行くのかい?」


 悩んでいると、ナヴィがそう聞いてくる。


「んー?」


「ベルフェゴールのところ、というか、魔族城だね。行くのかい?」


「あー、うん。もし困ってたらちょこっと助けていこうかなーと。まあ、近くまで来たついでにね」


「……最初からこの辺り目指して移動してたのにかい?」


 ばれてら、と小瑠璃は頬をかいた。まあでも悪あがきはしておく。


「それはあれだ、マンドラゴラちゃんと出会う運命だったんだよ私」


「あの子は、小瑠璃と会ったのが運の尽きだったね……」


 たしかに、とうなずいた。まあ、弱肉強食のこの迷宮においてはなんら不自然でない、大自然の摂理である。

 うなずいた小瑠璃の肩の上で、ナヴィはぶぅと鳴いた。


「まったく、小瑠璃は意外とお人よしだね」


「君ら外道に比べたらな」


 と、そんなこと言ってる場合じゃないんだった。


「ナヴィ、ヘルハウンドについて全部教えてよ」


 今大事なのは、なんで助けるかじゃない。どうやって助けるかだ。対策を立てるためにも、是非相手のことを知っておかねば。


 ナヴィはステータスを知る力を持っていて、そこに関しては有能っすねと小瑠璃も認めている。今までだって、たくさんアドバイスしてくれた。

 ……問題は、そのアドバイスが死ぬほど(比喩ではない)遅いことなんだけど。


「いつものギャグ戦闘じゃないんだから、後出しはなしだよ」


 いつものもギャグじゃないけど。死にかけてるけど。 


「わかってるさ」


 ナヴィはぱたぱたと飛び上がった。そして尻を向けてくる。いちいち殴りたくなるな。


「おーけい小瑠璃。これが僕の見たヤツのステータスさ!」



 ヘルハウンド

 Lv67

 力:1843

 耐久:1243

 器用:1845

 敏捷:1832

 魔力:2320

 総合闘級:災害級

 称号:『憤怒』の簒奪者

 アクティブスキル:〈実体化Lⅴ9〉〈黒焔Lⅴ2〉〈鬼火Lⅴ5〉〈テラーハウルLⅴ8〉〈狂気の魔眼Lⅴ4〉〈失意の魔眼Lⅴ4〉〈死の魔眼Lⅴ4〉〈ファイアボルトLⅴ8〉〈ラースLⅴ1〉〈ラースオブゴッドLⅴ1〉

 パッシブスキル:〈幽体Lⅴ5〉〈呪詛の躯Lⅴ7〉〈捕食者の嗅覚Lⅴ8〉〈威圧Lⅴ6〉〈超再生Lⅴ3〉〈炎魔法の知識Lⅴ7〉〈憤怒Lⅴ1〉〈情緒不安定Lⅴ8〉



 つえー。


「中二っぷりと凶悪さが突き抜けていらっしゃるな」


 ふむ、と口元に手をあててナヴィの尻を眺める。くわしくは聞いてみないとわからないが、ステータスはもちろん、スキルもあきらかにヤバそうなものが揃っている。


「この『憤怒』の簒奪者って、なに」


 たしかベル子ちゃんは『怠惰』の四天王って言ってたっけ。

『怠惰』『憤怒』といえばご存じ中二病の権化、七つの大罪様のお通りだけど……ベル子ちゃんとヘルハウンド、何か関係があるのだろうか?


「そういえば、四天王なのに七つの大罪ってよく考えなくてもおかしいな」


 めんどうだから気にしてなかったけど。


「お得意のガバガバ設定なのか、それか、元々は七部衆とかだったのが四天王に減ったのか……」


 憤怒、ラース、ラースオブゴッド(中二度が耐えきれないレベルなので以後ラスゴ)といった、いかにもなスキルが軒並みレベル1なのも気になる。


 ……いや、そっか。


「誰か四天王から奪ったの? このスキル」


 スキルを奪った。それも、つい最近。

 七つの大罪なのに四天王なのも、スキルレベルが1なのも、そう考えるとしっくりくる。


「スキルって、奪えるの?」


「普通は無理だよ。けど、一部のスキルは受け渡しが可能だ」


「一部のスキル?」


「そう。くわしくは知らないけど、七つの大罪スキルもそのひとつだ。魔族を転生させた神が与えたスキルで、代々受け継がれているそうだよ」


「なるほど」


 ベル子ちゃんたちのチートはそれだったらしい。が、減りに減った結果、元は七人いた幹部が今は三天王まで減ってしまっているとそういうことのようだ。


「どうでもいいけど〈情緒不安定〉の場違い感すごいね」


「〈情緒不安定〉は小瑠璃の〈厚顔無恥〉と対になるスキルで、あらゆる精神攻撃を受けやすくなってしまうんだ!」


「そんな気はしてた」


 違和感バリバリのスキルだが、〈憤怒〉を簒奪したデメリットとかそんなオチだろうか。ただじゃスキルは渡さねーぜ、と。怖い怖い。


 …………流石に、素でこんなクソみたいなデメリットが付いてたりしないよね? 


「まあ弱点が多いに越したことはないな。じゃあナヴィ、ヘルハウンドのスキルについてくわしく……」


 教えてよ、と言おうとしたところで、ぶるっと体が震える。


 寒いから、ではもちろんない。

 洞窟の奥から聞こえてきた、咆哮のせいだ。


「これって……」


「〈テラーハウル〉だよ。声によって〈威圧〉の効果を高め、より広範囲に届かせるスキルだ。〈威圧〉の効果はもう知ってるよね?」


 こくりとうなずく。

 ……恐怖や畏怖の感覚を周囲に与え、行動を阻害するスキル。


 どうやら、戦いはもう始まってしまっているようだ。

 小瑠璃は宙に浮かぶナヴィを握ると、咆哮が来た方……魔族城に向かって走り出した。


「ナヴィ、スキル説明! 巻きで!」


 合点だ、と言うかわりにぐえっっ、と潰れた声が出て、ナヴィはしかたなくテレパスを使うことにしたのだった。




 ○




 全力の魔法攻撃が、どうしてかすり傷ひとつつけられなかったのか。

 咆哮を上げるヘルハウンドの輪郭が、かすかにぼやけている。それを見て、ベルフェゴールはやや遅れて察しをつけた。


 おそらく〈幽体〉を持っているのだろう。


 ――〈幽体〉を持つ相手は、この世の攻撃では容易に傷つけることはできない。


 不意打ちは見事に失敗した。

 きゅっと唇を噛む。


 小瑠璃を助けたときのように、不意うちでもなんでもして、なんとか〈スロース〉を当てる。

 圧倒的なステータスの差を考えると、正直、これが一番難しいと思っていた。


 それがうまくいって、気がゆるんだ?

 くそ、なんて間抜け!


 思わず自分を罵ってしまう。

 唯一の勝機を逃がした以上、逃げるにしろ、戦うにしろ、結果は火を見るより明らかだった。


 ぐるる、る……


 唸るヘルハウンドの周りに、青白い炎がいくつも浮かぶ。〈鬼火〉だ。


 ――幽体の敵を倒すには、同じくこの世に属さない攻撃か、精神的な攻撃をしなければいけない。〈鬼火〉はそんな攻撃手段の一つであり、現世の者に対しても、バッドステータスを発生させる厄介な炎魔法だ。


 飛んでくる青白い火の玉を、ベルフェゴールは必死に避ける。

 速いが、ヘルハウンド本体よりかは遅い。わざわざそんな攻撃を出してくるのは、牽制のつもりか。


(もしかして、〈スロース〉を警戒してる?)


 だとすれば、それを利用してなんとか隙を作れないか。


 考えろ、考えなさいっ、私っ……


 しかし、のんびり考えている余裕はない。

 鬼火をよけているうちに、少しずつ、ベルフェゴールの体勢が崩れていく。

 そして、へルハウンドの姿が突然、かき消えた。


「くっ……」


 どこに?

 とっさに余計なことを考える自分を叱咤して、空間魔法の一種〈瞬間移動サイレントムーブ〉を発動させる。


 ちょうど、よだれまみれの牙が後ろから迫ってきて、首の皮に触れたところだった。


 ――〈幽体〉を持つ者はふつう、現世の存在にはさわれない。牙や爪、尾を使っての直接攻撃は、本来なら当たらないはずだ。


 ――その不可能を可能にしているのが、〈実体化〉のスキル。


 ――ヘルハウンドは攻撃や捕食の瞬間だけ〈実体化〉することで、一方的に現世に干渉しているのだ。


 なんとか間に合った瞬間移動が廃屋のひとつにベルフェゴールを運ぶ。荒い息を必死におさえて、気配を殺した。


(そこまで遠くには行けないけど、これで、少しは時間を稼げる……!)


 でも、危なかった。

 首すじを血が伝っている。もう一瞬遅ければ、首から上がこの世からなくなっていただろう。

 そこまで考えて、体が上手く動かせないことに気がつく。


「これって、呪い……」


 ――〈呪詛の躯〉は、実体化したヘルハウンドに触れた生き物に『バッドステータス:呪い』を与え、ステータスを削る。


 ステータスダウンの脱力感で、体がうまく動かせない。まずい。こんな状態で見つかったら……


 ――さらに〈捕食者の嗅覚〉は、直接攻撃でダメージを与えた相手の位置と情報を、しばらくのあいだ知ることができる。


 雷を帯びた炎が、ベルフェゴールが隠れていた廃屋を吹き飛ばす。

 激痛に悲鳴が上がった。直撃こそしなかったものの、強烈な魔法を食らい、激しく吹き飛ばされる。


 よろよろと起き上がったベルフェゴールを、ヘルハウンドがじっと見下ろしていた。

 真っ赤な眼を見た途端、ベルフェゴールの劣勢が、さらに絶望的なものに変わる。


 ――〈狂気の魔眼〉によって、理性と思考力が削られ……


 ――〈失意の魔眼〉が戦意を挫き、かわりに植えつけられるのは絶望感……


 ――〈死の魔眼〉は直接、対象の命を奪いにかかってくる。




「聞けば聞くほどチートすぎるけど、ベル子ちゃん大丈夫かな?」


 走りながら聞く小瑠璃に、ナヴィは低い声で言った。


「……いや、そう長くはもたないだろうね」




 心が折られる。


 勝てない。

 あらためて、そう思い知らされた。



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